The Project Gutenberg eBook of 何處へ

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Title: 何處へ

Author: Hakuchō Masamune

Release date: June 21, 2010 [eBook #32941]
Most recently updated: February 24, 2021

Language: Japanese

Credits: Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka

*** START OF THE PROJECT GUTENBERG EBOOK 何處へ ***

何處へ

正宗白鳥著


目次

何處へ (四十一年一月―四月 早稻田文學) ………………………   
玉突屋 (同  年一月 太  陽) ……………………… 一三五
六號記事 (同  年一月 文章世界) ……………………… 一四三
彼の一日 (同  年三月 趣  味) ……………………… 一五九
五月幟 (同  年三月 中央公論) ……………………… 一七三
村 塾 (同  年四月 中央公論) ……………………… 二〇五
空想家 (四十年十 月 太  陽) ……………………… 二二一
株 虹 (同  年十二月 新思潮) ……………………… 二六九
凄い眼 (四十一年八月 太  陽) ……………………… 二九一
世間並 (同  年七月 趣  味) ……………………… 三一一

[Pg 1]

何處へ

(一)

可愛かあい目元めもとをほんのりさけめたをんなたかくさしけたかさしたはいつて、菅沼健次すがぬまけんじ敷石傳しきいしづたひに門口かどぐちた。

「ぢや明後日あさつて屹度きつとですよ」と、女中ぢよちう笑顏ゑがほのぞみ、艶氣つやけふくんだひくこゑつた。

「むゝん」と健次けんじをんなかほをもず、ひつたくるやうにかさつて、さつさといそあしあるしたが、五六けんあゆんで我知われしらず振返ふりかへると、「とり」と行書ぎやうしよいたしめつた軒燈がすとうもとぢよがぼんやりつてゐる。

健次けんじなんわけもなく微笑につこりする。をんな微笑につこりして、むね突出つきだして會釋ゑしやくする。

[Pg 2]それも一瞬間またゝくまで、健次けんじかさかたにかけ、側目わきめらず上野うへの廣小路ひろこうぢて、みち山下やましたはうる。

昨日きのふ天長節てんちやうせつとほしたあめは、今日けふも一にち絕間たえまなく、しめつぽい夜風よかぜつめたくかほあたる。往來わうらい人々ひと〴〵みなかさなゝめにひざげて、ちよこ〳〵と小股こまたいそいでゐる。健次けんじひざからしたはびしよれになつたが、あえてそれをめるでもなく、たゞいゝ氣持きもちで、くちうち小唄こうたなにつぶやいて、しづんだそら酒臭さけくさいききながら、根岸ねぎしちかくまでると、橫合よこあひからそこふかおほきな蝙蝠傘かうもりがさが、不意ふい健次けんじじやにぶつかる。チエツと舌打したうちしてけやうとする機會とたんに、蝙蝠傘かうもりがさをとここゑをかけて、

「やあきみ」と立留たちどまつた。

健次けんじすこおどろいて、「やあきみか、何處どこつた」

きみうちさ、今夜こんやあめだから、屹度きつとゐるだらうとおもつたのに、何處どこうかれてた、いいかほつきをしてるぢやないか」

[Pg 3]「そりやどくだつたね、これからぼくうちかうぢやないか」

「いや、もうおそいからよさう」と、蝙蝠傘かうもりがさをとこなが身體からだかゞめて、下駄屋げたや時計とけいをのぞいてて、「もう彼此かれこれだね」と一寸ちよつとかんがえ、「じつきみすこしおたのみがあるんだが……此處こゝはなしてもいゝが、どうだ其邊そこら珈琲店コーヒーてんへでもつてれんか」と、くびをまはして周圍あたりさがす。

「ぢや、さうしよう、このきにいゝうちがある」と、健次けんじきにつて、半丁はんちやうばかり泥濘ぬかるみなかとほつて、擦玻璃すりがらす一品亭いつぴんていとあるちいさい西洋料理店せいやうれうりてんつた。

きやく一人ひとりもゐない。白布ぬのおほうたテーブルのうへ火鉢ひばちいて、籐椅子とういすが四五きやく周圍まはり不秩序ふちつじよかれてある。健次けんじ火鉢ひばちまはして、

きみ馬鹿ばかさむさうぢやないか、さああたたまへ」

つて、卷煙草まきたばこけて、反身そりみ椅子いすりかゝり、しきりにまばたきをしながら仰向あふむいて煙草たばこふ。

[Pg 4]今迄いまゝでいた腰掛こしかけ、左右さいうそではせて居眠いねむりをしてゐた小娘こむすめが、たか足駄あしだ引摺ひきずつて、

「おあつらへは」と寢呆聲ねぼけごゑく。

さむいから日本酒にほんしゆがいゝだらう、料理れうりなにがいゝ、ビフテキにでもするか」と、骨太ほねぶと火鉢ひばちうへかざぽかん﹅﹅﹅としてゐる相手あひてかほて、默諾もくだくて、健次けんじ小娘こむすめめいじた。

この丈高たけたかをとこ織田おだ常吉つねきちひ、健次けんじむかし同窓どうそうともで、いま私立學校しりつがくかう英語えいご敎師けうしつとめ、かたは飜譯ほんやくなどをしてゐる。年齡とし健次けんじよりわづか一つうへだが、健次けんじ小柄こがらわかえるのにはんして、格段かくだんけてえる。たけたかきのみならず、それに釣合つりあほど肉付にくづきもよく、ところ魁偉くわいゐなる人物じんぶつであるが、何處どことなく身體からだゆるみ﹅﹅﹅がある。鹽氣しほけらぬ。かほひらたくほそく、みゝ福々ふく〴〵れてゐる。

きみ相變あひかはらず氣樂きらくさうだね、こと今日けふ愉快ゆくわいかほをしてるぢやないか」と、織田おだ[Pg 5]健次けんじて、ゆつたりしたこゑふ。

「はゝゝゝ、そうえるかな、これで二三日打續ぶつつゞけだよ、まあしやはうひまつぶしで、あそはう本職ほんしよくのやうなものだ、しかし本職ほんしよくとなると、あそ方法はうはふ苦心くしんする。如何いかにしてあそぶべきかが、ぼく當面たうめん問題もんだいである」と、陽氣ようきこゑで、一寸ちよつと桂田かつらだ博士はかせ假聲こはいろ使つかひ、かほ愛嬌あいけうたゝえて微笑々々にこ〳〵する。

「まああそべるうちあそぶがいゝやね、しかしいまもね、きみ母堂マザーはなしてたんだが、健次けんじ此頃このごろ酒好さけずきになつてこまるとつてたよ、祖父おぢいさんのやうにならなきやいゝがとつてゐられた」

「さうか、ぼく母方はゝかた祖父ぢいさんは、大酒呑おほざけのみでしまひには狂人きちがひになつてんだんだからね、それにぼくかほ次第しだい祖父ぢいさんるさうだから、はゝ心配しんぱいしてるだらう」

なに、さうでもないらしい、たゞはやよめもらひたいやうなはなしをしてゐた、ぼくにもいゝのをつけてれつて、本氣ほんきつてられたよ、おや有難ありがたいものだね」

[Pg 6]「さうかね」と、健次けんじあざけるやうにつて、「きみ精々せい〴〵美人びじんがしてたまへな」

「そんながあるんなら周旋しうせんしよう、しかしなんだよ」とひかけたところへ、小娘こむすめ銚子てうしつてると、織田おだはぽかんとして、まへはなしいとぐちわすれてしまひ、健次けんじ矢繼早やつぎばやにさすさかづきを三四はい引受ひきうけた。

「で、きみぼく用事ようじつてなんだい」と、健次けんじつよ調子てうし押付おしつけるやうにふと、織田おだは「なにきふことでもないんだがね」と、まへ自分じぶんたのみがあるとつたくせに、その用談ようだんけるやうにして、ビフテキのちいさいれをもぐ〳〵させながら、かほしかめ、「非常ひじやうかたい」とつぶやき、しばら無言むごんのちぼくよわつたぜ、親爺おやぢ病氣びやうきがます〳〵よくないんで、入院にふゐんさせなくちやならんのだ、まだ確定かくていはしないが、どうも胃癌ゐがんらしい」

と、フオークとナイフとをつたまゝ、仰向あふむいてつたが、かほにも言葉ことばにもよはつてる樣子ようすえず、れいとほりポカンとしてゐる。

[Pg 7]「さうかい、そりやこまつたね」と、健次けんじすこしもけぬさら見詰みつめたなりで、のないこゑひ、こゝろでも左程さほど同情どうじやうしてるふうはない。織田おだ相手あひて頓着とんちやくなく、悠長いうちやうこゑで、

ワイフおもいし、はゝはあのとほりの無性者ぶしやうもので、一日いちにち煙草たばこばかりつてゝやくにやたず、いもと學校がつかうつたきりで、おそくまでかへつてんから、なにもかもぼく一人ひとりでやらなくちやならんのでね、本當ほんたうこまるよ、それでこの四五にち學校がつかう缺勤けつきんばかりしてる」

「ぢやいもと學校がつかうへやつて、きみ缺勤けつきんしてうち世話せわをしてるんだね、しかし病人びやうにん看護かんごなんかきみ適任てきにんぢやないね」

「だつて仕方しかたがないさ、どうも一主人しゆじんとなると面倒めんだうなものだ、いまきみ結婚けつこんするとこまるぜ、なんだのかだのと、そりや五月蠅うるさくつてね、それに子供こどもなんか出來できなきやいゝんだが」

「そいつあ當然あたりまへだから仕方しかたがないさ、しかしぼくだつたら、うち五月蠅うるさけりや一にち[Pg 8]そとてゐらあ、女房にようばうさん世話せわから借金しやくきん言譯いひわけまで亭主ていしゆがしなくつたつていゝ」

「さうもいかんよ、きみ、それにぼく月給げつきうやすいから、平生ふだんだつて内職ないしよくをしなくちや引足ひきたらんのに、病人びやうにん出來できちや災難さいなんだ、だから此頃このごろさけどころぢやない、煙草たばこめてしまつた」と、すこしほれた。その樣子やうすると、健次けんじきふ不憫ふびんになり、

「だがきみ感心かんしんだよ、家庭かていのために犧牲ぎせいになるから」とつて、うしろて「もう一ぽん」とさけんだ。

ぼくはもういゝよ、おそくなるとうち心配しんぱいするから、そろ〳〵かへらなくちや」

「まあいゝさ、久振ひさしぶりだから、もすこはなしをしやうぢやないか」と、健次けんじすこしもけぬさらをしのけ、煙草たばこくはへたまゝ腕組うでぐみして、なかぢ、りしきるあめおとやら、かすかにひゞくるま掛聲かけごゑやら、まへとほつてる按摩あんまふるごゑみゝかたむけ、しんとしたさみしい空氣くうきこゝろ吸込すひこまれ、快活くわいくわついろかほからせかゝつてたが、コトンと銚子てうしおとがするので、振返ふりかへつてパツとけた。惡夢あくむからめたやうに、するど四圍あたり[Pg 9]まはし、やがてまゆをぴりゝとさせ、二ほんゆびあつさうに銚子てうしくびつて、

「さあたまへ」と、無雜作むざうさ相手あひてさかづきへどぶ〳〵とぎ、「そして肝心かんじん用事ようじなんだい」とふと、織田おだ言憎いひにさうにしばら口籠くごもり、

すこ無理むりなおねがひだがね」と、さかづきつてはき〳〵して、「また原稿げんかうことさ」と、どくさうにふ。

「うん原稿げんかう周旋しうせんか、ぼく引受ひきうけてどうかしやう」と、健次けんじこゝろようなづく。織田おだはやうやく安心あんしんしたらしく、うまそうにさかづきして健次けんじし、

實際じつさいいそがしいあひだいたので、よくはなからうがね、それでもなぐきぢやないんだ、會話くわいわにや格別かくべつ苦心くしんして、一機軸きぢくしたつもりだから、まあんでたまへ、ものはゴルキーの小說せうせつだ」

「さうか、いゝだらう」と、健次けんじかるこたへて、ものなんであれ、譯筆やくひつなんであれ、そんなことれてかうともせぬ。

[Pg 10]「それからね、すこ無理むりだが原稿料げんかうれうはやもらつてれまいか、月初つきはじめから一文無もんなしだから、それに……」

と、健次けんじ煙草たばこを一ほんつて、指先ゆびさきでみながら、なにをかうつたへんとする。それと健次けんじあたまから打消うちけし、

「よし〳〵、それもぼく受合うけあつた、引替ひきかへにもらつてやらう」

はなしてんじ、「で、きみ此頃このごろ箕浦みのうらつたか」と何時いつ長々なが〴〵かされる無味むみ生活談せいくわつだん金錢論きんせんろんけやうとする。

「むん昨日さくじつ見舞みまひにれたがね、ふとれいとほおほきな人生問題じんせいもんだいろんじてる。讀書どくしよさかんにやつてるやうだし、此頃このごろなが論文ろんぶんいてるさうだ、いづれきみところへでも持込もちこむだらう、しかしね、ぼくふんだが、箕浦みのうらなんかは己惚うぬぼれぎる、人生じんせいがどうの宇宙うちうがかうのと、人間にんげん誤託ごたくならべるのは、ほどらずのきよくだ、獨身どくしん親爺おやぢすねでもかじつてるうちは、そんなこと道樂どうらくにしてゐられやうがね、家庭かていでもくつ[Pg 11]て、一人前いちにんまへ人間にんげんになると、そんなこと馬鹿々々ばか〴〵しくて問題もんだいにもならんさ」

と、多少たせう活氣くわつきびてろんずる。健次けんじ微紅うすくれなゐ艶々つや〳〵したほうえくぼせ、れのなが目尻めじりしわせ、

「はゝゝゝ、めづらしくきみ名論めいろんくね、しかし箕浦みのうらはコツ〳〵根氣こんきよく學問がくもんつゞけてるし、文章ぶんしやう上手じやうずになつたぢやないか、感心かんしんだよ」

いま肺病はいびやう惱病なうびやうになるのがちだ」と、織田おだすましてゐる。

「いや博士はかせぐらゐにやなれらあ」と、健次けんじ皮肉ひにくつて、「だが箕浦みのうらきみいもとれてるよ」と、すこ乗出のりだして、こゑひくくする。

馬鹿ばかなことを」と、織田おだしまりのない大口おほぐちけて、ハツ〳〵とわらふ。

「うんにやれてる、きみにやどうだか、ぼくには一もく瞭然れうぜんよ」

「さうからん」

「さうだとも、それにねきみシスターのラブしてるをとこがある」

[Pg 12]「え、本當ほんたうかいきみ虛言うそだらう、きみはよくいろんなことをつて、ぼく調戯からかふからいかんよ、本當ほんたうなら相手あひてれだかかせてたまへ、ぼくも一主人しゆじんだから、あれうへについても責任せきにんがあるんだもの、間違まちがひのないやうに警戒けいかいしなくちやならん」

「いくら警戒けいかいしたつて駄目だめさ、歲頃としごろをんな色氣いろけづくのは當然たうぜんぢやないか、で、相手あひてわかつたらどうする、シスターはしらにでもしばりつけるかい」

きみ、そんな馬鹿ばか眞似まねをするものか、ぼくなにさ、むかうが相當さうたうをとこだつたら正式せいしき結婚けつこんさすし、不相當ふさうたうをとこだつたらおもらせる」

成程なるほどわけわかつた兄樣にいさまだ、何處どこおやだつてそれと同樣どうやうことまをします」

「だつて主人しゆじん義務ぎむとしてそれが當然たうぜんぢやないか、きみならどうする」

ぼくなら放任はうにんしとかあ」

馬鹿ばかな、きみ箕浦流みのうらりう空論家くうろんかだね」

[Pg 13]「ふゝん、ぼく箕浦みのうらとは一にならんぜ、むかさまほんをどつさりいてるから貫目かんめがあらあね」

きみ氣樂きらくことばかりつてるが、ぼく何時いつ確信かくしんしてる、人間にんげんえうするにぼくのやうにならにや虛言うそだ、おそかれはやかれきみなどもおなみちちてるんだ」

健次けんじはぞつと寒氣さむけがして、おもはず火鉢ひばちかざし、織田おだかほ見詰みつめ、「おたがひにきみ道連みちづれになつて、テク〳〵あるきで、電信柱でんしんばしらでもかぞへてくんだね、大通おほどほりの左側ひだりがはあるいてりや、自然しぜん日本橋にほんばしられる」

きみ戯言じやうだんして、いまはなしの相手あひてれだい、一たいむかうのをとこいもとおもつてるんかい」

「さあ、どうだかね、よくらんよ」

たれだらう」と、頰杖ほゝづゑついて、眞面目まじめかんがへてゐる。

健次けんじ人差指ひとさしゆびでテーブルをちながら、「さき左程さほどにもおもやせぬ」と小聲こごゑうたつてゐ[Pg 14]たが、きふなにをかかんじて、ひたひしわせ、邪慳じやけん煙草たばこ吸口すゐくちした。

織田おだおもあぐんでおもてげ、「きみ不斷のべつ煙草たばこつてる、どくだよ」

どくだつていゝさ」と、健次けんじ吸殻すゐがらし、「ぼく阿片あへんつてたくてならん、あれをふと、身體からだがとろけちやつて、金鵄勳章きんしくんしよう壽命じゆめいらなくなるさうだ、阿片あへんだ〳〵あれにかぎる」

と、ひとりで合點がてんしてゐる。それが戯語じやうだんともおもへず、しんからかんじてるやうなので、織田おだほそまるくして、

「よくそんなくだらぬこと眞面目まじめかんがへてるね、阿片あへんでなくつたつて快味くわいみかんずるものいくらもあるぢやないか」

「さうかね、ぼくはこれほど煙草たばこを吸すつてゝも、しんうまいとおもつたことは一もないよ、さけだつてさうだ、ビフテキだつてさうだ、一寸ちよつとしたさきうまいとおもつても、染々しみ〴〵と五たいがとろけるほど快味くわいみかんじたことがない。どうも物足ものたらんね、それで何時いつおもふん[Pg 15]だ、何處どこ世界せかいすみつこに最上さいじやう珍味ちんみひそんでるにちがひない、ぼくはそいつをさがしたい、で、いまもそれをかんがへてたんだが、あるひはその珍味ちんみ阿片あへんぢやないからん、阿片あへんすと、なんにもへられんちうぢやないか」

馬鹿ばかな」と、織田おだ一口ひとくちしりぞけて、「まだうま料理れうりはんから、そんなことつてられるんだ、櫻木さくらぎとりなんかべてて、うまものがないなんて廣言かうげんする權利けんりはないよ」と、天麩羅てんぷらうなぎ椀盛わんもりなどの名代なだいいへかぞげ、諄々じゆん〳〵とその說明せつめいをし、「近々ちか〴〵長編ちやうへんやくして仕舞しまつたら、藏田屋くらたやでもおごるよ」

健次けんじ苦笑にがわらひして、「いづ御馳走ごちそうにならうよ」と立上たちあがり、「もう十だ、かうか」と、勘定かんぢやうませてそとた。あめ稍々やゝ小降こぶりになつたが、みちくらかぜつめたく、健次けんじとき元氣げんき引變ひきかへ、かさ兩手りやうてつて、ぶる〳〵とふるへたが、織田おだまへおなじく泰然自若たいぜんじじやくかずさわがず、長靴ながぐつ踏占ふみしめ〳〵電車道でんしやみちむかふ。

[Pg 16]

(二)

健次けんじうち御行ごぎやうまつ右手みぎてて、暗闇くらやみには危險きけんみちを一ちやうばかりはいつたまがかどにある。土藏付どぞうつきで、せまいながらもにはもあり周圍しうゐたか板塀いたべいとりかこみ、可成かなりの物持ものも住宅じうたくられるが、そのじつ屋根やねこははしらかたむき、大雨おほあめには臺所だいどころかさをさゝねばならぬ有樣ありさま本當ほんたうならすみからすみまで大修繕だいしうぜんほどこさねばならぬので、近所きんじよ差配さはいなども見兼みかねて、たのまれもせぬに家屋敷いへやしき檢分けんぶんして、「はやをおれなさらなくちや御損ごそんですぜ、なんならわたくしがお引受ひきうけして、見積みつもりをてゝませう」と注意ちゆういするが、健次けんじちゝは「近々きん〳〵どうかしよう」とつて、べつこゝろけるふうはない。健次けんじはやくから「こんな陰氣いんきふるびたいへはうりはらつて、やまへでも引越ひつこしたはうがよからう」とすゝめ、はゝ全然ぜんぜん同意どういして、せめて此家こゝ修繕しうぜんして他人ひとし、自分逹じぶんたちぢんまりした借家しやくやまつたはういくらいゝかれぬ。だい一こんなひろうちにゐては、世間せけんから有福いうふく[Pg 17]られて、なにかと取上とりあげられる金高きんだかおほくて不輕濟ふけいざいではあるしとくが、おだやかなちゝもこればかりはぐわんとして聞入きゝいれぬ。おれは此家こゝいき引取ひきとるつもりでしてたのだから、けつしてほかへは移轉いてんせぬ。それに借家しやくやいやだとふ。れには借家住しやくやずまひは不見識ふけんしきだというがあるのだ。

菅沼家すがぬまけ微祿びろくではあつたが、旗本はたもと家柄いへがら健次けんじちゝは十四五のころ維新いしん渦中くわちう浮沈ふちんして、多少たせう辛苦しんくめた。そののち生活せいくわつにはなやんで、つひに四こくしう郵便局いうびんきよくにも二三ねんづゝつとめ、いま多少たせう榮逹えいたつして會計檢査院くわいけいけんさゐん奉職ほうしよくしてゐるが、五十五さい老朽らうきうで、地位ちゐ安固あんこではなく、長官ちやうくわんのお慈悲じひもとみやくをつないでゐる。俸給はうきふ左程さほどおほくはない。それに健次けんじしたをんな二人ふたり支出しゝゆつ容易よういではないが、れはあまりくよ〳〵﹅﹅﹅﹅ふうはなく、每晚まいばん晚酌ばんしやくがふ陶然たうぜんとして太平樂たいへいらくならべる、健次けんじ一人前いちにんまへをとこになつたし、むすめ二人ふたりとも容色きりやうはよし、おれはまだ〳〵おはかはい心配しんぱいはなし、これからがおれのなかだ、健次けんじよめもらつてやり、姉娘あねむすめでも片付かたづけたら、[Pg 18]おれはだい一に役所やくしよめて隱居いんきよをする。恩給おんきふさがるし心掛こゝろがゝりはないから、うんときなことをしてあそべるんだが、おれは物見遊山ものみゆさんはせん、差詰さしづめ馬術ばじゆつ稽古けいこがしたいな。全體ぜんたい子供こどもときからうまきで、馬術ばじゆつ逹人たつじんになるつもりだつたが、かはつて算盤そろばんばかりつてた。しかしこれからやる。自分じぶんよくといつてはほかなにもないが、一つうまだけはつてたいと、この老人らうじんうまはなしになると夢中むちうになつてる。

先祖せんぞ馬術ばじゆつ名人めいじんがあつたとかで、その秘傳ひでん卷物まきものきりはこはいつて、土藏どぞう保存ほぞんされてゐる。これと一れう甲冑かつちうと一ふり無銘むめい刀劍とうけんとが一寶物はうもつ老人ろうじん自慢じまんたねだ。よろひまばらにほしのついてる古色蒼然こしよくさうぜんたるもので、鎌倉時代かまくらじだいさくかたな國弘くにひろさくだらうとふ。そして老人らうじん每年まいねん元日ぐわんじつには此等これら寶物はうもつとこかざり、家族かぞくあつめて禮拜れいはいし、三方みかたはら合戰かつせん以來いらい祖先そせん武勇ぶいうだんじ、このよろひかたなこもつてる精神せいしんわすれてはならぬとかせ、ひとりでよろこんでゐる。

健次けんじ少年時代せうねんじだい此等これら武具ぶぐ興味きやうみかんじて、ちゝ留守中るすちうひそかに土藏どざうしのみ、[Pg 19]うるしげた鎧櫃よろひびつけて、むかし戰爭せんさう連想れんそうし、あるひ兩腕りやううで力瘤ちからこぶしてよろひもちまはつてうれしがつてゐた。ことかたな大好だいすきで、恐々おそる〳〵きはなち、喰締くひしばひとみゑて、そのえたひかり見詰みつめてはかんたれることがおほい。かたな武士ぶしたましひだとはちゝからも屢屢しば〴〵をしへられ、自分じぶんでもこの家傳かでん寶刀ほうたうごとに、ためにはいとはぬ、如何いかなる苦痛くつうをもしのぶ、はづかしめらるればすなどのかんじが、その明晃々めいくわう〳〵たる切尖きつさきかられのはらわたむやうであつた。性質せいしつちゝとは餘程よほどちがつてかんつよく、はゝ故鄉こきやうれの生地しやうちたる丸龜まるがめ尋常小學じんじようせうがくまなんだころも、試驗しけん成績せいせきひとおとると口惜くやしくてねむれぬといふほどであつたが、東京とうきやう學校がくかうかよふことゝなつては、ことにこのかんがへがひどい。そのため學課がくくわ復習ふくしふはげむのみならず、身體からだ訓練くんれんをもつとめた。やせつぽちとあざけられるのも無念むねんである、年嵩としかさ學生がくせいうでづくで意地いぢめられるのもつらし、腕力わんりよくやしな筋肉きんにく發逹はつたつさせねばならぬと、寒中かんちうシヤツ一まい木刀ぼくたうふるつたこともある。力試ちからだめしだといつて二人ふたりいもとざるれてになひ、ひつくりかへつてきづをつけたこともあ[Pg 20]る、はゝからは惡戯いたづらぎるとしかられたが、れには惡戯いたづらでもなぐさみでもないのだ。おさなこゝろにも自分じぶん脆弱ぜいじやく體質たいしつなさけなく、先々さき〴〵あんじられてゐたので、外目よそめには滑稽こつけいともえる體格たいかく修養しうやうも、自分じぶんにはもつと眞面目まじめ行爲かうゐであつたのだ。しかし生來しやうらい體質たいしつかはりやうがない。それで度々たび〳〵はゝむかつて、

何故なぜぼくをこんなちつぽけな身體からだみつけたんです」

なじり、なみだをこぼしたことさへあつた。そのくせ友逹ともだちあひだると、「せてゝもおれはつよいぞ」とりきんで、喧嘩けんくわをしかけられてげることはない。或日あるひ餓鬼大將がきだいしやうなぶられたとき、ナイフでりつけて、相手あひておどろかしたこともある。

としるにしたがつて、戶外遊戯こぐわいいうぎめて、勉强部屋べんきやうべや閉籠とぢこもり、課業外くわげふぐわい雜書ざつしよをも渉獵あさるやうになり、最早もはや體質たいしつ苦勞くろうはしなくなつた。で、中學ちうがくから高等學校かうとうがくかう順序じゆんじよんですゝんだが、一財政ざいせいからいふと、それだけでも容易よういではなく、とても大學だいがく卒業そつげふするのぞみはなかつた。しかるに健次けんじ學生がくせい對當たいたう交際かうさいもして、べつすぼ[Pg 21]らしくもなく、文科ぶんくわ英文學えいぶんがくへることの出來できたのは、一に桂田かつらだ文學博士ぶんがくはかせ助力じよりよくるのだ。桂田家かつらだけ菅沼家すがぬまけとはむかしから緣故えんこふかうへ博士はかせ健次けんじ學才がくさいみとめたためである。

大學だいがくねん生活せいくわつ健次けんじ頭腦あたま非常ひじやう變化へんくわきたした。もと法科はふくわはいりたいもあつたのを、桂田かつらだとの關係かんけいから文科ぶんくわきまつたので、入學後にふがくごこゝろまよふ。自分じぶん素質そしつからいつても學者がくしややすんじてゐられさうぢやない。多量たれう書物しよもつんで一せうおはる、くだらないぢやないか、それよりも政治家せいぢかにでも實業家じつげふかにでもなつて、自分じぶんかんがへ具體的ぐたいてきまへあらはれるをきた人間にんげんきた事件じけん動搖どうえう起伏きふくせつするはう面白おもしろくはないかとおもふこともあつたが、さりとてだんじて一をつてにもなれぬ。それに課業くわげふとしてまな哲學てつがく問題もんだい外國ぐわいこく詩歌しか小說せうせつ新刊しんかん雜誌ざつし雜著ざつちよみな過敏くわびん神經しんけい刺激しげきして、妄想もうそうがない。制服せいふく制帽せいぼうけ、博士はかせ夫人ふじん恩賜おんし紅梅こうばいらした水色みづいろ風呂敷包ふろしきづゝみいだき、兩手りやうてをポツケツトにれ、大學だいがく裏門うらもんから上野うへのけて、[Pg 22]根岸ねぎし古屋ふるやかへあひだれは妄想もうそうみち辿たどつてゐたのだ。單調たんてうみちにはいてしまつた。しかしれは一泣言なきごとつたことはない。人生じんせい寂寞せきばくとかを文章ぶんしよう にして雜誌ざつし寄稿きかうしたこともない。同窓どうそう瞑想家めいそうかからは淺薄せんぱくはれるほどあつて、飛花落葉ひくわらくえふたいして、深沈しめやかかんふけり、自然しぜん默示もくしたれるでもなく、友人いうじんにでもへば、きふしづんだこゝろ浮立うきたつて快活くわいくわつ談笑だんせう警句けいくしゆつ諧謔かいぎやく縱橫じうわう。クラスの集會しふくわい缺席けつせきすると、「菅沼すがぬまはどうした」と、衆口しうこうして遺憾ゐかんこゑはつするほどであつた。テニスもやる、玉突たまつきもやる、れはクラスの快男子くわいだんしとしてとほつてゐた。そして二年目ねんめ試驗前しけんぜん制服せいふく囚衣しういごとかんじ、引脫ひきぬいで自由じいうとならんとしたが、博士はかせ夫妻ふさい强硬きやうかう反對はんたいひ、そのとき恩人おんじんそむほど勇氣いうきもなく、ぐづ〳〵で卒業そつげふまで我慢がまんしたものゝ、成績せいせき圖拔づぬけてよくはなく、博士はかせ夫妻ふさい期待きたいそむいた。れのよは身體からだ長年月ちやうねんげつ學校がくかう生活せいくわつつかれ、最早もはや席順せきじゆん高下かうげあらそふの根氣こんきもなく、虛榮心きよえいしんせ、連中れんぢう卒業試驗そつげふしけん準備じゆんびてつしてるに、ひと球戯場たまやにゲームをあらそひ、あるひ[Pg 23]牛屋ぎうやの二かい女中ぢよちう圍繞ゐぎようされてゐた。櫻木さくらぎ出入しつにふはじめたのも此頃このころからである。卒業後そつげふご博士はかせ推薦すゐせんで、中學ちうがく敎師けうしとなつたが、これは三月みつきばかりで辭職じしよく今日けふまで一ねんあまり雜誌ざつし記者きしやつとめてゐる。

(三)

大抵たいていいへとざし、暗闇くらやみ森閑しんかんとしたみちを、健次けんじ雜念ざつねんわづらはされ、俯首うつむいてコツ〳〵辿たどつてゐる。れは七歲で先祖せんぞ以來いらいのこのみやこかへつてより二十七さいいままでほとんど一にちもこのみちまぬことなく、つぶつてゝも、路次ろじ隅々すみ〴〵まで間違まちがへる氣遣きづかひはない。

そしてこの界隈かいわいものものき〳〵してゐる。ちゝ交番かうばんかどまでるとかたりるやうながするとふが、健次けんじ此處こゝまでかへると、あししぶつてあとひきかへしたくなる。れはいま織田おだわかれ、その長靴ながぐつおも次第しだいゆるをきなが[Pg 24]ら、「阿片あへんみたい」を繰返くりかへした。他人たにんうまさうにふのをうらやましく、煙草たばこならつたが、自分じぶんには左程さほど甘味うまみもない。阿片々々あへん〳〵〳〵自分じぶん内々ない〳〵もとめてたものはあれだ、阿片あへんさへへばこのからなる極樂淨土ごくらくじやうどけるのだ。アルコールランプに點火てんくわし、長椅子ながいすうづめ、なが煙管きせるにほひをび、沈睡ちんすゐおちい支那人しなじんは、祖先そせん詩人しじん夢想むそうした無何有むかうさかひあそんでゐるのだ。阿片あへんぎに支那しなく。迦南かなん樂土らくど其處そこにありとおもはれる。

敎師けうししよく蓄音器ちくおんき鸚鵡あふむ役廻やくまはりだとかんじて、否應いやおうなしに辭職じしよくし、もつと活氣くわつきのありうごきのあるやくをとこゝろざし、現在げんざいしよくもとめたが、これも此頃このころいやで〳〵たまらぬ。どうせながくはつゞきはしない。いつそむかうから不勉强ふべんきようの爲め免職めんしよくると、あらたなるひらけさうだが、當分たうぶんそんなうんひてさうでない。だから明日あす桂田かつらだたづねて「現代げんだい思潮しちやう」とかなんとかの問題もんだいで、てきづくめの談話だんわ筆記ひつきしてなくちやならん。

[Pg 25]あめはしよぼ〳〵ときもせずにつてゐる。電燈でんとうかゞやいてるある別邸べつていいぬ今夜こんやきもせずに生命いのちかぎてゝゐる。

健次けんじねむをして元氣げんきのない欠伸あくびをした。

先々月せん〳〵げつはじめ、殘暑ざんしよのまだきびしい時分じぶん西日にしびあた桂田かつらだ書齋しよさいで、長々なが〴〵しい文學論ぶんがくろん獨逸語どいつごやラテンまじりのあじのないたゞ六ケしい議論ぎろん筆記ひつきさせられ、浴衣ゆかた着流きながしでありながら、あせつかつてよはつたことがあつたが、そのとき下座敷したざしきからやはらかいピアノのきこえ、博士はかせ頑固かたくな言葉ことばひのけては、健次けんじみゝしのみ、はらわたまでとろかさうとした。そしてれの筆記ひつきしどろもどろ﹅﹅﹅﹅﹅﹅みだれ、聞違きゝちが書誤かきあやまりのおびたゞしかつたのを、そのまゝ雜誌ざつしかゝげて博士はかせいかりにれたが、あのときほど博士はかせこわかほしてはげしい言葉ことばいたことはない。で、後々のち〳〵までも健次けんじみゝには、その音樂おんがくみついて、踏飽ふみあいたみちあゆんでるときなど、みゝそこでぴん〳〵ひゞいて、こゝろ異樣ゐやうかんじがおこる。

[Pg 26]ピアノのぬし博士はかせ夫人ふじんうつくしい、櫻木さくらぎのおゆきうつくしい、織田おだいもとみにくゝはない。紅葉こうえふ綠雨りよくう小說せうせつ主人公しゆじんこうごとく、をんな生命いのちすべてなら、憧憬あこがれたり煩悶もだへたりわかさかりのいま時分じぶん、さぞこひいそがしいことであらうが、

「しかし自分じぶん箕浦みのうらぢやない」と、自分じぶんむねこたへた。そのこゑあざけつた自尊心じそんしんからたのであらうが、絕望ぜつばう調てうまじつてゐる。で、れは煙草たばこくはたもとからマツチはこ取出とりだしたが、マツチは一ほんもないので、舌打したうちしてはこげつけ、かさ持直もちなほしてさつさ﹅﹅﹅あるした。まへには自分じぶんいへ軒燈がすとうが、いまにもえさうにかすかにひかつてゐる。

れはあめふやけた﹅﹅﹅潜戶くゞりど兩手りやうてけ、なるべくおとのせぬやうに敷石しきいしつたひ、玄關げんくわんすみかさすと、はゝ雨戶あまどけてつりランプを差出さしだし、

「おや衣服きものがびしよれぢやないか、このえるのにそんなにれちやつては身體からだどくですよ」

[Pg 27]と、氣遣きづかはしさうに健次けんじ見詰みつめてゐる。

今日けふはやかへはずでしたが、また友人いうじんさそはれておそくなりました、明日あす屹度きつとはやかへります」

と、はれぬまへ言譯いひわけしながら、足袋たびいで、爪先つまさき臺所だいどころあるいてき、あしそゝいだのち、そつと柄杓ひしやくからくちうつしに冷水れいすゐんだ。臺所だいどころにはたらひゑ、はしらつたはつたあめしづくがぽたり〳〵ちてゐる。

健次けんじ長火鉢ながひばちまへもどつて、着物きものいではゝから搔卷かいまきり、酒氣しゆき名殘なごりあたゝかいはだへにふはりとまとひ、きくした八ツはし略帶しごきやはらかめて胡座あぐらき、「なもうたんですか」と、隣室となりちゝ高鼾たかいびきいてゐる。

「あ、もう二時間じかんまへからてらあね、それにおとつさんは風邪氣かぜけだといつてね、お夕飯ゆうはんむとぐにおやすみさ」とはゝ戶締とじまりをして火鉢ひばちわきもどり、「おまへ織田おださんがおいでだよ、なに用事ようじがおありのやうで、大分だいぶつてゐなすつたがね」

[Pg 28]「いや、織田おだにや途中とちうひました、親爺おやぢ病氣びやうきだとかつてた」

「さうだつてねえ、餘程よほどわるいんだつてねえ」とまゆひそめ、「織田おださんも大抵たいていぢやあるまいよ、稼人かせぎてはあのかた一人ひとりで、それで病人びやうにんなんか出來できてはね、……でも感心かんしんひとさ、一生懸命しやうけんめいはたらいてゐなさる」

なに、あのをとこ他人たにんおもほどにしちやゐないさ、呑氣のんき人間にんげんですもの」

「さうでもあるまいよ、厄介者やくかいものおほいんだから、うはそらぢやゐられないさ、おまへだつていまうちはどんなにしてゝもよからうがね、もうそろ〳〵先々さき〴〵ことかんがへなければね、おとつさんもくちばかりは元氣げんきがよくても、何時いつまでもお役所やくしよがよひも出來できまいし織田おださんのやうにおまへうち心棒しんばうになつておれでなくちや」と、なににつけてもおきまりの御敎訓ごけうくんはじまりかけたので、

「ですがね、おつかさん、織田おだ大木たいぼくなら心棒しんばうにでも大黑柱だいこくばしらにでもなるでせうが、わたしのやうなせつぽちぢやおやくちませんよ」と、健次けんじ如何いかにも無邪氣むじやきさうにわら[Pg 29]つた。はゝ釣込つりこまれてあをかほわらひをうかべ、

馬鹿ばかひでない」とつたが、はなしうまれて、「そうへばねおまへうちかぶと大變たいへんいゝもの世間せけんるいすくないんだとさ、今日けふ古物こぶつ陳列會ちんれつくわいとかへすとね、たれだかかたて、大變たいへんめてゐなすつたつて、だからおとつさんも、あれほど世間せけんすのをいやがつてたくせに、今日けふかへるとそのはなしばかりして、大喜おほよろこびで被入いらつしやるんだよ、つたらば大變たいへんなおかねになるんだらうね、あんな薄汚うすきたなかぶとだけど」

「さうでせう、いま物好ものずきな人間にんげんおほいから、……買手かひてがあつたらはやつたらいいでせう」

「でもね、おとつさんはじにしても、先祖せんぞたからだから人手ひとでにやわたさないつて、ひとりでりきんでるんだから」

「まあおとつさんはあれが生命いのちよりも大事だいじなんだからいゝさ」と、欠伸あくびをして、「いまにおとつさんののぞみがとゞいて、うまでもつたら、あのかぶとよろひかたなして、このきたな[Pg 30]うちから手綱たづなつて妖怪ばけもの退治たいぢにでもくでせう、さうなるとおとつさん萬歲ばんざいだが、何年なんねんきのことかなあ」

老母らうばけんのある健次けんじて、「おとつさんやおまへ何故なぜさう呑氣のんきなんだらう、わたし一人ひとりやきもき﹅﹅﹅﹅させといてさ」と、長煙管ながきせるをポンと邪慳じやけんたゝくので、健次けんじ片膝かたひざてて逃仕度にげじたくをし、

呑氣のんきものですか、おとつさんはうまひたくつて、腰辨當こしべんたう齷齪あくせくしてるんだし、わたしだつて、むね苦勞くろうえたことはありやしない」と、眞面目まじめ戯言じやうだんわからぬひやうをしたが、きふ生眞面目きまじめになり、「一昨日おとつひばんにね、おつかさん、わたし廣小路ひろこうじでおとつさんにつたんですよ、むかうではかなかつたやうだが、わたしあとからてると、あの蝙蝠傘かうもりがさいて、馬丁べつとうなんだかはなしをしてる。はなしすぢわからなかつたが、やなぎ軍人ぐんじんれかのうまつないであつて、おとつさんがそのうまからはなさずに見惚みとれてるんです。およそ十分間ぷんかんもして、おとつさんは名殘惜なごろおしさうにかへり〳〵してかへつて[Pg 31]つたが、わたしはそれをぢつとてゝね、そのときばかりはおとつさんにはやうまつてげたいとおもひました」とつて、立上たちあがつた。

はゝあきれたふう見上みあげて、「ぐおやすみかい」

「いやすこ勉强べんきやうしてからませう、明日あすは八おこしてください」

と、書齋しよさいはいると、はゝ追馳おつかけてて、マツチをつてづからランプを點火とぼし、「おまへ、二ゑんばかりつてゐないかい、千代ちよ月謝げつしやだのなんだので、わたし手元てもと大變たいへん不自由ふじゆうしてるから」

と、ひくこゑ歎願たんがんする。健次けんじ無言むごんで、蟇口がまぐちからぐちや〳〵のふだ手渡てわたししてつくゑむかつた。

書齋しよさい土藏どぞうわきの八じやう家中かちうもつとみにくくない部屋へやだが、それでもたゝみ茶色ちやいろをして所々ところ〴〵りむけ、かべには斑點しみ出來できてゐる。小形こがた本箱ほんばこが二つならんで、健次けんじ中學ちうがく時代じだいからの敎課書けうくわしよ愛讀書あいどくしよが、ぎつしり詰込つめこまれ、プルタークの英雄傳えいゆうでん樗牛ちよぎう全集ぜんしふ透谷とうこく[Pg 32]全集ぜんしふなどの背皮せがわ金字きんじかすかにえる、しかし此等これら書物しよもつ微曇うすくもりの玻璃戶がらすどから引出ひきだされたことなく、つくゑうへにはあたらしい經濟書けいざいしよかれてゐる。

健次けんじは二三の郵便物いうびんぶつつたが、一つは箕浦みのうらからで、二三日中にちちう會談くわいだんしたい、ひたいことやまほどあるとき、なほそれだけでは飽氣あつけないとえ、今月こんげつ諸雜誌しよざつしみ、いづれも輕浮けいふなる文字もじおほきをかなしむ、我々われ〳〵滔々たう〳〵たる弊風へいふう感染かんせんせず、いたづらに虛名きよめいもとめずして眞面目まじめなる硏究けんきうつゞけたしとえてある。また一つは織田おだいもとからの手紙てがみで、「あき」だの「のぞみ」だのゝ五六しゆうたしたゝめて、雜誌ざつししてれと切望せつぼうしてゐる。健次けんじは二つの手紙てがみ抽斗ひきだしれ、書物しよもつひろげて二三まいんでゐたが、やがてしてまゆをぴりゝとさせた。「箕浦みのうら所謂いはゆる眞面目まじめなる硏究けんきうは五年前ねんぜんつたのだ」と、兩手りやうてあたまいてつぶつた。すると歸宅きたく途中とちうおなじい雜念ざつねんあがつてがない。天井てんじやうにはねづみあばれまはつて、時々とき〴〵チユツ〳〵と鳴聲なきごゑがする。一にんはすや〳〵とねむつてゐるが、每夜まいよその寢息ねいきくぐら[Pg 33]れにつていやのすることはない。人中ひとなかてるときにはこゝろ動搖どうえうしてまぎれてゐるが、ひと默然もくねんしづかな部屋へやすはつてゐると、こゝろ自分じぶんの一しんうへかたまつて、その日常にちじやう行爲かうゐくだらないこと、將來しやうらいたのむにらぬこと、假面かめんいだ自己じこがまざ〳〵とうかび、しまひには自分じぶん肉體にくたいまでもみにく淺間あさましくおもはれてたまらなくなる。そのときこんなくだらない人間にんげん手賴たよりにしてゐる家族かぞく寢息ねいきしのびやかにきこえると、きふあはれに心細こゝろぼそく、てはしほれてしまう。

健次けんじ昨夜さくやおなかんがへ經驗けいけんし、心細こゝろぼそくなつてしほれて、つひにぶつたふれて、ねむではなくても自然しぜんねむつてしまう。

雨滴あまだれおなおと繰返くりかへし、ねづみみもせずにさわいでゐる。

(四)

翌朝よくちやうめたころは、目伏まぶしい日光につくわうがカツとわたり、半身はんしん蒲團ふとんうへ持上もちあげる[Pg 34]あたまがぐら〳〵する。健次けんじのばして緣側えんがは障子しやうじけた。くきほそはなちいさい黃白くわうはく野菊のぎくあひだ突立つツたつた物干竿ものほしざほには、シヤツや足袋たびがぶらさがつて、水氣みづけさかんにのぼつてゐる、ちゝいもと出掛でかけたとえ、家内かないはひつそりしてたゞはゝ洗濯せんたくおときこえる。

健次けんじいさましくきて、直樣すぐさま身仕度みじたくをし、ひとりで食事しよくじをしてゐると、はゝぬぐひ〳〵ちやはいり、

今日けふぐにしやへおでかい」

「いえ、一寸ちよつと桂田かつらだうちつてきます」

「え、先生せんせいのおたくへ、ぢや先生せんせいにも奥樣おくさまにもよろしくつておれよ、ほんとにしばらく御無沙汰ごぶさたして申譯まをしわけがないんだが、へんにおおもひなさらぬやうにね、おまへ先生せんせい奥樣おくさま御機嫌ごきげんそこねんやうにをおつけよ、これまでだつてお世話せわにばかりなつたのだし、これからもどうせあのかたにお手賴たよまをさにやならんのだしね、だからおまへ[Pg 35]麁相そさうことつちやならないよ」

と、やさしく幼兒おさなごにでも說聞とききかすやうにふ。

健次けんじは「えゝ」とのない返事へんじをして茶漬ちやづけみ、「ね、おつかさん、わたし當分たうぶんしやちかくへ下宿げしくしたいとおもひます、うちからぢやしやおほくつて、此頃このごろのやうにいそがしくちや、すこ不便ふべんでもあるし、それに年内ねんない著作かきものをしたいんです」と、平生ふだんよりも落付おちついておだやかにふ。

「えツ、下宿げしくするつて」と、はゝたすきのまゝ、長火鉢ながひばちりかゝつたなり、健次けんじかほおどろいてゐる。「だつておまへ下宿げしくすりやものがかゝるばかりぢやないか」

なに下宿料げしくれうなんかやすいものでさあ、それにわたしすこかんがへがあるから、さうふことにめさせてください」

「まあおとつさんにいて御覽ごらんな、わたしにやおまへふことがわからないよ、學校がくかうかよつてるときとはちがつて、もう一主人しゆじんとなる身分みぶんでさ、うち下宿げしくするて一たいどう[Pg 36]したんでせう」と、きになつてめる。

「そのかはくれにやすこかねつくつて、いもと春衣はるぎぐらゐつてやります」と、健次けんじなだめるやうにつたが、はゝちぬらしく、ひたひ靑筋あをすぢてゝすこ慳貪けんどんに、

春衣はるぎどころぢやないよ、くれにはおまへあてにしてるんだから、一人ひとり浮々うき〳〵あそんでられちやこまらあね、それに下宿げしくなんかして、無駄むだなおあし使つかふつていふはうがあるもんぢやない、まあおとつさんを御覽ごらんなさい、今朝けさ加減かげんわるいのにはやくから被入いらつしやつたのに、おまへ每日まいにち々々〳〵さけんぢやおそかへるしさ、三十ちかくもなつて、何故なぜかうかんがへがないんだらう」と、鐵瓶てつびんをこすり〳〵、しはせてゐる。

わたしだつてかんがへてるさ」と、健次けんじ小聲こごゑつて、はゝ相手あひて理窟りくつもなかつたが、自分じぶんてるとはれるはゝかほの、年齡としよりもけて、さびしくしづんだうちに、神經しんけいするどうごくをて、なんとなくどくになり、

「ですがねおつかさん、わたしうちかへると滅入めいつて仕方しかたがないんです、一時間じかんもぢ[Pg 37]つとして書物しよもつちやゐられんのです、なんだかかうあななかへでもはいつてるやうで、落付おちつかなくなるし、黴臭かびくさにほひがしていきがつまります、おとつさんはれてるから、此家ここが一ばんいゝとふんだけど、わたしにや一にちりや一にち壽命じゆめうちゞまるがする。去年きよねんまではさうでもなかつたが、此頃このごろことにひどいんです、だから下宿げしくでもしたら、すこしは氣分きぶんなほるかとおもつて、昨夜ゆうべひとりでめたんです」と、健次けんじいま鬱陶うつたうしい毒氣どくきかべすみからて、自分じぶん壓迫あつぱくするごとかんじた。

「それがおまへ我儘わがまゝだよ」と、一口ひとくちにはねけて、「うちきたなくつていやならいやで、おまへ自分じぶん修繕しうぜんでもするにならなくちや」

「だつてこんないへ手入ていれしたつて駄目だめさ、しかしおとつさんがきなんだから仕方しかたがない、わたしだけ何處どこかへすんさ」

と、健次けんじはゝなにつても無駄むだだ、自分じぶん無言むごん實行じつこうすればよいとおもつてくちつぐみ、はゝなにひかけるのをひやゝかにて、新聞しんぶんをポツケツトに捻込ねじこみ、中折なかをれかぶつていそ[Pg 38]いで戶外そとた。ステツキを小脇こわきはさみ、新聞しんぶんして、「模範的もはんてき學生がくせい」や「醜業婦しふげふふ」の記事きじ經濟論けいざいろんから運動界うんどうかい消息せうそくまで、何物なにものをかさがもとむるごとく、のこくまなくとほし、やうやをはつた時分じぶんれは千駄木だぎ桂田家かつらだけ玄關げんかんつてゐた。

 (五)

博士はかせはフロツクコートを椅子いす腰掛こしかけ、新着しんちやく外國ぐわいこく雜誌ざつしんでゐたが健次けんじると、

「さあたまへ、今日けふ筆記ひつきたのかね、約束やくそくをしていたんだが、きふ用事ようじ出來できてね、これから文部省もんぶしやうかにやならんから、また明日あす明後日あさつてたまへ、しかしまだすこがあるから、まあこしをおけ、いまもこの雜誌ざつしんでゝね、西洋あちら學者がくしや硏究心けんきうしん感服かんぷくしてたんだ」とにぶけた。

「さうでせうね、どうしても西洋あちら學者がくしやちがつてるでせう」と、健次けんじ相槌あひづち[Pg 39]て、たび嵩張かさばつてる書棚しよだなかへりみた。

「どうです、此頃このごろなに硏究けんきうしてるかね」と、博士はかせはおきままりのとひはつする。

なにもやつちやゐません」

「そりやいかん、しやはうなまけるといふぢやないか、それについてきみ忠吿ちうこくしやうとおもつてたんだが、じつ先日せんじつ編輯長へんしうちやうてね、きみ此頃このごろなまけてこまるといふはなしだ、一たいわたし靑年せいねん新聞しんぶん雜誌ざつし關係かんけいすることははじめからこのまないから、きみにも懇々こん〳〵注意ちういしたので、矢張やはり眞面目まじめ敎育けういく事業じげふ從事じうじするやうにのぞんだんだが、きみ是非ぜひやりたいつて、たてたまらん有樣ありさまだから紹介せうかいはしたけれど、ひそかにづかつてた、雜誌ざつし記者きしやなんか私立しりつ學校がくかうものくらゐ適任てきにんで、きみなどは不適任ふてきにんなんだからね、しかし編輯長へんしうちやうはなしによると、はじめのうち大變たいへん熱心ねつしんはたらいて隨分ずゐぶんやくつといふから、多少たせう安心あんしんもしたわけだが、さうはやいやになつちやこまるね」

「そりやはじめうちめづらしくつてわけもなく面白おもしろいから、氣乗きのりがしてはたらけるんです、[Pg 40]らんひと懇意こんいになつたり、有名いうめい博士はかせなんかにふのをうれしがつたんですけど、いまぢやもう好奇心こうきしんがなくなりました、こひ女房によぼうだつて一ねんつてりやはなにつきますからね」

きみ年々ねん〳〵眞面目まじめでなくなる、學校がくかう時代じだいとは人間にんげんちがつてしまつた」と、博士はかせしまりのないかほしかめ、ちいさい耳朶みゝたぼきながら、「きみくらべると箕浦みのうら感心かんしんだ、以前いぜん遲鈍ちどんをとこだとおもつてたが、此頃このごろ忠實ちうじつ勉强べんきやうしてる、度々たび〳〵わたしところ質問しつもんつてるが、中々なか〳〵硏究心けんきうしんんでる」

「さうでせう、箕浦みのうらくんにはぼく感心かんしんしてます。あのひと書物しよもつかさねりや天國てんごくとゞくとおもつて、まよはないで書物しよもつたうきづいてるんですからね、しかしわたしにはかみ踏臺ふみだい險呑けんのんでなりません」と、健次けんじくちびるのあたりに微笑びせうたゝへ、パツチリしたんだには、博士はかせむねそこ紙魚しみあとまでうつつてゐる。

博士はかせはます〳〵にがかほをして、「どうもきみ眞面目まじめでない、いまから讀書どくしよいやしむやう[Pg 41]ぢや、人間にんげん發逹はつたつ見込みこみがないと斷言だんげん出來できる、これから國家こくかくさうといふ靑年せいねんが、こんな浮薄ふはく根性こんじやうつてゝどうします、ろく讀書どくしよもせんで書物しよもつかろんじたり、人間にんげん義務ぎむ滿足まんぞくつくしもしないで、なか攻擊こうげきしたり、大間違おほまちがひのはなしぢやないか、しかしこれもいま雜誌ざつし文學ぶんがくつくつた惡結果あくけつくわの一つだらう。どうも輕佻けいちようだ、浮薄ふはくだ。過渡期くわときにはまぬかれんことだが、武士道ぶしだう精神せいしんおとろへるし、しん倫理りんりくわん靑年せいねんあひだ缺乏けつぼうしてゐるから、こんななげかはしい現象げんしやうおこる。してるとわたしなどもすゝんで積極的せききよくてき救濟策きうさいさくかうぜねばなるまい、元來ぐわんらい通俗的つうぞくてき片々へん〳〵たる議論ぎろん世間せけん發表はつぺうすることはこのましからんので、なるべくは精力せいりよく自分じぶん事業じげふ集中しふちうして、自分じぶん新哲學しんてつがく組織そしきしたいのであるが、いま靑年せいねん通弊つうへいると、どうも社會しやくわいため國家こくかため默々もく〳〵してゐられん、わたし當面たうめん問題もんだいについてあくまで意見いけん發表はつぺうしなければなるまい」と、演說調えんぜつてうつた、それが如何いかにも眞面目まじめ心底しんそこから憂世ゆうせいじやうあふれてゐるので、健次けんじどくになり、

[Pg 42]「ぢやわたし雜誌ざつしへも、そのおかんがへをいていたゞけますまいか、私共わたしども人生じんせい經驗けいけんにもとぼしいんですから、先生方せんせいがた御意見ごいけんうかゞふと非常ひじやうためになります」と、おだやかに殊勝しうしよらしくふと、博士はかせかほやはらげてしきりに首肯うなづき、

「つまりなにさ、きみなどはまだ〳〵讀書どくしよらんし世間せけん苦勞くろうをしないから、空論くうろんまよはされるんさ」と時計とけいて、「ぢや二三日中にちちう筆記ひつきください、すこまとまつたかんがへべやう、それにはわたしが十ねんほどまへいた「東西とうざい倫理りんり思潮しちよう」を參考さんかうにするから、きみも一おうとほしてもらひたい、多少たせういまとはかんがへちがはんでもないが、大體だいたいはあれでいい」

と、ひよつくりつて書架しよかさがした。博士はかせやうやく四十をぎたばかり、敎授けうじゆなかでもはゞはうではなけれど、有名いうめい讀書家どくしよかで、語學ごがく英獨佛えいどくふつ熟逹じくたつしてゐる。一しやう學問がくもんしにうまれてひとといふべく、遊戯ゆうぎへば五もくならべすららぬ。艶氣つやけがなくちからもなく、ドンヨリしてゐるのは、多年たねん讀書どくしよ疲勞ひろうした結果けつくわかともおも[Pg 43]れるほどで、卒業後そつげふご地位ちゐあらそはず榮華えいぐわのぞまず、親讓おやゆづりの可成かなり財產ざいさんあれば生活せいくわつうへうれひはなく、たゞ書籍しよせきなかうづめ、結婚けつこんも三十五六のとき親戚しんせき强固きようこなる勸吿かんこくやうや决行けつかうしたくらゐ日常にちじやう自分じぶん學問がくもんすべての社會しやくわい指導しだうらると確信かくしんし、靑年せいねんにも親切しんせつである温和をんわ良紳士りやうしんしだ。

健次けんじいま書架しよかまへつた、どうながあしみぢかい博士はかせ後姿うしろすがたて、その十ねんじつごとまよふことなく書物しよもつ耽溺たんできする一しやううらやましくまた不思議ふしぎおもつてゐると、博士はかせあつさ一すんほど假綴かりとぢの四六ばん引出ひきだして、指先ゆびさき表紙へうしちりはじきながらつくゑうへき、

「このなか要點えうてんは一々原書げんしよから直接ちよくせつ引照いんせうしたのだから、自分じぶんでもたしかだとしんじてる、かくおうんでください、きみかならえきするところがあるにちがひない」と、所々ところ〳〵けては二三ぎやう小聲こゞゑみ、しきりに首肯うなづいてゐる。

かくて博士はかせは十年前ねんぜんおのれを回顧くわいこし、健次けんじ博士はかせ舊著きうちよ無理强むりじいにまされる[Pg 44]くつう豫想よさうして、しばらく無言むごんでゐる。びた日光につくわうはカーテンのあひだかられて、あをつくゑうへほそく一せんかくしてゐる。昨日きのふかわつてポカ〳〵とあたゝかく、健次けんじつた居間ゐまいきつまるやうにかんじた。

貴下あなた、まだお出掛でかけになりませんの」と、妻君さいくん不意ふいけて、半身はんしんあらはしたので、博士はかせやうやがつき、「ぢや二三にちないに」と、健次けんじ云棄いひすてゝ、手袋てぶくろにぎつたまゝ階下したりた。

 (六)

健次けんじ妻君さいくんうて博士はかせ玄關げんかん見送みおくり、そのくるまあとから自分じぶんかへらうとしたが、いて引留ひきとめられてもと書齋しよさい舞戾まひもどり、はゝ傳言でんごん慇懃いんぎんべた。

妻君さいくんまゆひそそでうごかして、「まあ、ひどいけむだこと」と、カーテンを手繰たぐつてまどけた。けむりうづいてかぜのないそらながれてる、

[Pg 45]「で、おくさんなに御用ごようですか」と、健次けんじ浮腰うきごしになつてふた。

べつ用事ようじといふほどでもないんだけど、一寸ちよつとはなしたいとおもつて、貴下あなたいそぎなの」と、上目葢うはまぶたげて健次けんじた。

「えゝ、もうしやかなければ」と、ちからなくつて、るともなく妻君さいくん油氣あぶらけもないあたまかみから、爪先つまさきよごれた足袋たびまで見下みおろした。あらひさらしの地味ぢみ銘仙めいせんなにかをて、ただきく模樣もやう襦袢じゆばんえりつやがあるばかり、健次けんじむしろつゝんだ美人像びじんぞう連想れんさうした。

「では、何時いつかの西洋せいやう小說せうせつつゞきはかしていただけんのですね、わたしあのをんな行衞ゆくゑきたくてならないんだけど」

「いや、もうあんな馬鹿ばか々々〳〵しいはなしをするにやなりません、をんな虎烈剌これらなにかでんぢまつたとしとけば、それで結果けつくわいてしまうんです」

「それぢやひどいわ、あんなに苦勞くろうしちやつて、これからとところんぢまつては、……あのつゞきは屹度きつと面白おもしろいにちがひない」

[Pg 46]「そりや小說家せうせつかりつたけこしらごとならべてながくするから、矢鱈やたら面倒めんだうになるんですが、なかことはさうあつらきに出來できてやしないでせう、りにをんなをとこ日比谷ひびや公園こうゑん出會であはうと約束やくそくしてゝも、そのばんをんな電車でんしやかれてぬるか、をとこがペストにかゝるかわかつたもんぢやない」

と、げつけるやうにつてハツ〳〵とわらふ。妻君さいくんあたまかんざしきながらさびしくわらふ。

貴下あなた何故なぜそんなに暢氣のんきなんだらう。わたしはね、たまらないほどあはれな小說せうせつ芝居しばゐたくつてならないんですが、西洋せいやうにはそんな小說せうせつはないんでせうかねえ」

「そりやいくらもあるでせう、先生せんせい日本にほん小說せうせつはおきらひだが、西洋せいやうものはおみのやうだから、かせておもらひなすつたらいゝでせう」

「だけど先生せんせいはなしていたゞくと、ちつとも面白おもしろくないんですわ、かなしいことでもすごいことでも、御當人ごたうにんがちつともおかんじなさらんのだもの」

[Pg 47]「そんなことかんじてたにや大學者だいがくしやにやなれんでせう」

健次けんじ椅子ゐすはなれて窓側まどわきりかゝり、え〳〵した空氣くうきれ、窓前そうぜん靑桐あをぎりばんでなかにはもうぼろ〳〵﹅﹅﹅﹅ちかゝつてるのをて、しばらくだまつてゐたが、

おくさん、もうれてましたね、このまへうかゞつたときにや、まだ靑々あを〳〵してたのに」となにをかかんじたふうなほつて、「あきになつたせいか、この書齋しよさいしんとしてしづかですね、此處こゝ先生せんせいなににも不滿ふまんいだかないで、一しん不朽ふきう事業じげふをしてられるんだ、れてもちても、そんなことにやおかまひなしで、ほんばかり被入いらつしやる。僕等ぼくら矢張やはり先生せんせいあとつて、あてにならん不朽ふきう事業じげふでもくわだてるのが本當ほんたうなんですね」

「そりやわたしにやわからないけど、をとこうまれたられだつて世間せけん尊敬そんけいされる身分みぶんにならなきや虛言うそなんでせう、貴下あなた一度いちど將來しやうらいことをおはなしなさらんからわからないけど、全體ぜんたいどうなさるの、今日けふはそれをきたいのよ」

[Pg 48]いてどうなさるんです」

すこわたしかんがへがあつて」と、こびていした。

將來しやうらいのことつてなにまとまつたかんがへはありません、たゞ今日けふしやつて織田おだまづ原稿げんかう賣付うりつけやうとおもつてるばかりで、あとなになにやら眞暗闇まつくらやみです」

織田おださんといへば、あのかたもおこまりのやうねえ、二三日前にちまへにも、もつとおかねれる仕事しごとはないかつてたのみにらしつたが、まつたくおこまりのやうね、だから先生せんせい大變たいへん同情どうじやうなすつて、是非ぜひ相當さうたうしよくつけてやりたいとつて被入いらつしやる。おなやう學校がくかう卒業そつげふなすつても、貴下あなた織田おださんとはまる反對はんたいぢやありませんか、かほつきをてもおはなしをきいてゝもわかりますわ、織田おださんは何故なぜあゝ元氣げんきがないんでせう、まつたくいた〳〵しいわ」

「しかしね、おくさん、織田おだ貴女あなたがたおもつてらつしやるほどくよ〳〵してやしませんよ、あのをとこ自身じしんいたものは一だつてまづいとおもつたことはないんです……[Pg 49]で、わたし將來しやうらいいてどうなさるんです」

わたし此頃このごろがくさ〳〵しちやて、いろんなことかんがへられるのよ、……なにしろこんな小人數こにんずううち用事ようじもなくつてぢつ﹅﹅としてるんだから、滅入めいつちまうはずでさあね、でね、いろんなことをかんがへてね、つまり貴下あなた立派りつぱにしてたくなつたの、わたしにや子供こどもはなし、またこれからも出來できつこはないでせう、だからわたしとしつて、なにたのしみがないやうながしてならんから、貴下あなた自分じぶんおもつて、なか立派りつぱ人間にんげんとしてはたらかせてたくなつたの」

立派りつぱ人間にんげんてどうするんです」

「そりや一口ひとくちにやへないけど、洋行やうかうして大學者だいがくしやになるとか、大發明だいはつめいをするとか、そりや貴下あなたうで次第しだいで、をとこなんでも出來できるぢやありませんか、おかねのことなら、わたしがどうにでもするから、うちのことは心配しんぱいしないで、目的もくてきてゝ一しん勉强べんきやうするにおりなさいな」

[Pg 50]「ですが此迄これまで世話せわになつたのに、此上このうへ御厄介ごやつかいになつちやみませんもの、それに先生せんせいだつて御承知ごしやうちなさらないでせう」

「いゝえ、先生せんせいにはわたしからうまへば大丈夫だいじやうぶたゞ貴下あなた先生せんせいまへ眞面目まじめくちさへいてゐれば、それで澤山たくさんなのよ」と、妻君さいくんみぎつくゑき、ひだり袖口そでくちつまんで、わき椅子いすこしけてる健次けんじかほのぞくやうにしてふ。健次けんじ妻君さいくんがそのひんのあるかほたくみにんであるなが睫毛まつげくろひとみあをくぼかした白目しろめつやふくんで自分じぶんるを見馴みなれてゐる。

貴女あなた何故なぜそんなことをおもひついたんです」

「だつてわたしをんなだから、自分じぶん世間せけんはたらきもなに出來できやしないでせう。せめてをとこ一人ひとりあれば、わたし理想的りさうてきそだげれば面白おもしろいでせうけれどね」

「ぢや貴女あなた子供こどもしいんですか」

「えゝ、そりやしいわ、はじめのうち子供こどもなんか、さぞ五月蠅うるさからうとおもつてたけ[Pg 51]ど、いまぢやしくつてなりませんわ、音樂おんがくならつたり、いろんなことをしてたけれど、矢張やは駄目だめね、此頃このごろなにつてことはない、やあになるんですよ、子供こどもでもなくちや、一しやうはどんなにさびしいでせう」

貴女あなたさびしいんですか」と、不思議ふしぎさうにて、「わづかな壽命じゆみやうだけれど、人間にんげんなにかで誤魔化ごまかされなくちやおくれないんですね、さけ誤魔化ごまかしたりこひ誤魔化ごまかしたり書物しよもつ誤魔化ごまかしたり、子供こども奇麗きれい着物きものせてんだりねたりさせてなぐさみにしなけりや、人間にんげん每日まいにち泣面なきつらをしてゐなくちやならん、わたしはゝだつてわたし玩具おもちやにしてるんです、貴女あなただつて玩具おもちやるんでせう」

「だつて貴下あなた自分じぶん充分じうぶん敎育けういくして、おもふやうに立派りつぱ人間にんげん仕立したてれば、どんなにたのしみでせう」

「しかし貴女あなたにや子供こども出來できんから、わたし子供こどもがはりにしやうとふのですか、きふ老人としよりになつたんですね」

[Pg 52]わたし老込おいこんだでせう」と、神經しんけいがピリヽとうごいた。もう藻搔もがいてもあがることの出來できたにちたがした。

健次けんじ家族かぞくごと屢々しば〴〵出入しゆつにふはじめたのは四五ねんむかしだが、そのころ寶石ほうせきいり指環ゆびわひからせ、博士はかせ妻君さいくん仲間なかまではめづらしくはしやい﹅﹅﹅﹅で、人々ひと〴〵つかまへては、音樂おんがくはなし小說せうせつはなし夢中むちうになり、健次けんじなどが小說せうせつはなしからこひはなしうつり、こそ〳〵と無遠慮むゑんりよをんな品定しなさだめなどをすると、「いやね菅沼すがぬまさん」とつてまゆひそめながらも、こゝろではうれしがつて、かほぱい艶々つや〳〵しいいろたゞよふ。健次けんじ何時いつもこの快活くわいくわつ美人びじん敎授けうじゆ妻君さいくんたるがために、花々はな〴〵しく交際こうさい社會しやくわい機會きくわいのないのを遺憾ゐかんとしてゐた。で、妻君さいくんひま身體からだだから年中ねんぢう飾裝おめかしをして、せま社交しやこう範圍内はんゐないでは羽振はぶりをかせて、園遊會ゑんゆうくわいなどに招待せうたいされると、主人しゆじんうながして出掛でかけぬことはなく、新婚しんこん當時たうじ夏冬なつふゆ休暇きうかかなら温泉おんせん海濱かいひん旅行りよこうしたが、そんなときには自分じぶん服裝ふくそうらすのみならず、博士はかせかみりから手袋てぶくろ色合いろあひまで八釜やかましく干渉かんせうする。汽車きしやも一とうでなくて[Pg 53]承知しやうちしなかつたものだが、この一二ねん以來いらいはその態度たいどきふかはつて、頭髮あたま丸髷まるまげつたかとおもふと、づくねのたばがみ平氣へいきでゐたり、古代こだい模樣もやうひんのいゝ丸帶まるおびしめてたかとおもふと、唐縮緬とうちりめんつやのない腹合帶はらあはせおびへたり、うちにゐてもこつてり白粉おしろいをつけてるかとおもふと、戶外そとときでも素面すめんにもしないことがある。

そして妻君さいくんには寵兒ちやうぢ一人ひとりくべからざるものになつてゐて、健次けんじにはそれがれであるかよくわかつてゐる。博士はかせことしたしくしてゐる四五にん學生がくせいは、つねにそのいへ出入でいりし、妻君さいくん發起ほつき晩餐ばんさんまねかれることもあるが、そのなかこと妻君さいくんてうかたじけなふするもの一人ひとりある。それが箕浦みのうらであることもあれば、健次けんじ自身じしんであることもある。で、その寵兒ちやうぢとなると、芝居しばゐのおともあふかる、矢鱈やたらものれたがる。一寸ちよつと訪問はうもんしても、わきはなさないで、しきりにはなしをしかける。

健次けんじ日光につくわうけて椅子いすうしろへうつし、兩手りやうてあたまをかゝへ、すこらせて欠伸あくびをして、

[Pg 54]おくさん、それほど靑年せいねんがおきなら、箕浦みのうらでも保護ほごして洋行やうこうでもさせておやんなすつたらいゝでせう、あのをとこには先生せんせいのぞみぞくしてらつしやるんだから、丁度ちやうど適任てきにんぢやありませんか」

「ぢや貴下あなたどうもするはないの、何故なぜさう意氣地いくぢがなくなつたのです、このはるつかさんがおいでなすつたときも、此頃このごろつぱらつてかへつて仕方しかたがないつて心配しんぱいしてらつしやつたが、どうしてそんなにおなりなすつたの、今日けふ大層たいそう元氣げんきがないぢやありませんか」

きふねむくつて仕方しかたがないんです」と、また欠伸あくびをして、「それに今朝けさから、はゝ先生せんせいとそれから貴女あなたとに小言こごとばかりはれて、意氣いき銷沈せうちんしたところです、結婚けつこんしろ、眞面目まじめになれ、勉强べんきやうせいと此頃このごろ題目だいもくのやうにわたしの四はうきこえるんでうんざり﹅﹅﹅﹅してゐます、だからわたし下宿屋げしゆくやげつちまうつもりです、もう此家こちらへも滅多めつたにおうかゞひしません」

と、健次けんじ立上たちあがつて、風呂敷包ふろしきづゝみつたまゝ室内しつない行戾ゆきもどりした。

[Pg 55]うちないつて、なにほかにいゝこと出來できたのですか」

「さうでもないけれど、もう此迄これまで友人ゆうじんなが交際つきあつてるひとにはあき〳〵しました、これから新奇しんきことはじめなくちや自分じぶんくさつてしまひます」

「だからわたしつてるとほり新奇しんきなに目醒めざましい仕事しごとをおはじめなさいな、をとこならなんでも出來できるぢやありませんか、御自分ごじぶん世間せけんうたはせようと、ひとうへつて自分じぶん威光ゐくわうせようと、をとこにや世間せけんひろいぢやありませんか」

「それで貴女あなたわたしくるしんで仕事しごとをして、世間せけんられるのを御自分ごじぶんなぐさみにしやうといふんですか」

「そりやたのしみでさあね、これまでうちもののやうにしてるんだし、わたし貴下あなたきでならないんですもの」と口元くちもとちかられて幼兒えうじあやすやうにつた。

健次けんじ長椅子ながいすうづめ、微笑びせうして「ぼくはねおくさん、れにもかれたくも同情どうじやうされたくもないんです、貴女あなたがいくら同情どうじやうしてくだすつたつて、わたし貴女あなたとはかすみへだ[Pg 56]ておはなしするんです、現在げんざいおやだつて自分じぶんかいないで、勝手かつて自分じぶんあたまこしらげてよろこんだりかなしんだりしてる、つまり人間にんげん自分じぶん一人ひとりだ、自分じぶん他人たにんとのあひだにはえることの出來できふか溝渠みぞよこたはつてるんです、箕浦みのうらだつて織田おだだつて、えうするにわたしからはあか他人たにんで、たがひに本性ほんせうつゝんで交際つきあつてるんです」

貴下あなた今日けふは、どうかなすつたの、いやに理窟りくつばかりつて。……ですけどひと本性ほんしやうわからなけりやわからないで、それでいゝぢやありませんか、かれたらかれたで、それ以上いじやう穿鑿せんさくするにやおよばないわ」

と、今日けふつねごと無駄むだはなしにわらけうずることもなく、二人ふたりだまつて相手あひててゐたが、書生しよせいけて、「箕浦みのうらさんがおでになつた」とらせたので、健次けんじきふ妻君さいくん挨拶あいさつして、かへりかけた。

貴下あなた下宿屋げしゆくや何時いつうつりなさるの」と妻君さいくん階子段はしごだんたづねた。

「まだわかりません」

[Pg 57]わたくしあそびにきますよ」

(七)

しや階子段はしごだん社員しやゐん多年たねんあしちからくぼんで、砂埃ほこりがそのなかたまつてゐる。健次けんじはそれを一つ〳〵のぼごとに、夕暮ゆうぐれてのない旅路たびぢ辿たどるごとくかんずるのだが、たまたま編輯へんしふ相談會さうだんくわいだとか、自分じぶん月給げつきう前借ぜんしやく談判だんぱんだとか、多少たせうでも波瀾はらんがあると、すこしは活氣くわつきがついて二かいのぼる。今日けふ織田おだ原稿げんかう賣付うりつける役目やくめびてゐるので、編輯長へんしふちやう年中ねんぢうかはらぬかほるにも張合はりあひがあつたが、さてけてると、れはぐわんとしてかぬ。さう幾月いくつきつゞいておなひと飜譯ほんやくせぬといふ。大威張おほゐばりで受合うけあつたものを拒絕きよぜつされてはかほたぬとおもつたが、强請がうせいするわけにもかず、すこしをれてしやた。

れは何時いつものやうにガツカリして電車でんしやつたが、織田おだはうけぬのでまは[Pg 58]みちをして麹町かうぢまちのそのうちたづねた。家族かぞくつては面倒めんだうだから、勝手口かつてぐちから便所べんじよそばとほつて座敷ざしき緣側えんがはると、織田おだすで夕闇ゆふやみせまつてるのにランプも點火つけず、障子しやうじけてつくゑむかなにやらいてゐた。

「おいきみ原稿げんかう駄目だめだぜ」と突如だしぬけふと、織田おだあたま持上もちあげて「やあ」とつたきり、ぢろ〳〵健次けんじかほて、「駄目だめかい、何故なぜだ、こまるねえ」と、むく〳〵とおこして、緣側えんがはた。

「まあ心配しんぱいたまふな、おれがどうかする、まだ十や二十のかねにや不自由ふじゆうしないよ」

てにしてたのにこまるねえ」

いまぼくがどうかしてやらう、これから何處どこかへ出掛でかけないか」

ぼくられりやしない、留守番るすばんがないから」

病人びやうにんはどうだ」と、健次けんじいまおもしたやうに小聲こごゑく。

べつかはりはない、まああがたまへ、いまきみのシスターが見舞みまひにれて、ぼくいもと[Pg 59]何處どこかへつた」

「さうか、彼女あいつ此頃このごろうかあるいてやがる」

織田おだはランプを點火つけて、うす座布團ざぶとんした、健次けんじくつ穿いたまゝ緣側えんがはからそべつて、室内しつないまはした。せまくはあり裝飾そうしよくもないが、れのうちほどつともなくはない。とこすみには新聞しんぶん原稿紙げんかうしそばに、ナポレオンのちひさい石膏せつかういてある。これは織田おだ學校がくかう時代じだいに五ゑんつたものだ。

きみいへ陰氣いんきだね」

「うゝん」とのない返事へんじをして、織田おだいてしまつた原稿げんかう枚數まいすうかぞへてゐたが、ふすま一重ひとへ隣室りんしつにはコホン〳〵せきをして、それからつぶやこゑがする。

健次けんじいやかほをして起直おきなほつて、ちひさいこゑで、「ぼくはもうかへらう、妻君さいくんにもはないから、よろしくつてたまへ」と石段いしだんつと、

「まあつてたまへ、きみはなしがある」

[Pg 60]「だつて、此處こゝはなしなんかしちやわるいんぢやないか」

なにかまやしないが、きみ遠慮えんりよするなら、一寸ちよつとへん散步さんぽしながらはなさう」

と、織田おだ帽子ぼうしかぶらずにちひさい庭下駄にはげた引掛ひつかけてそとて、ちかくの九だんさかはうむかつた。

桂田かつらださんがね」と、織田おだ兩手りやうて壞内ふところれて、健次けんじ下目しためて、「きみなんだよ、あのひとぼく同情どうじやうして、とほからずぼくにいゝしよく周旋しうせんしてやるとつてたよ」

「さうかい、ぢやぼくきみ原稿げんかう苦勞くらうしなくともよくなるね、で、ぼくはなしといつてなんだい、かねなら明日あすまでにかならこしらえてやる」

「それも是非ぜひたのんどくが、じついもとことはなしたいとおもつて」

なんいもとのことだつて、シスターをれかにるんか」

「まあそんなものだ、でね、一げんふと、あれをきみらつてれんか」

と、織田おだこともなげにつて、無論むろん健次けんじ左程さほど反對はんたいもすまいとおもつてゐる。

[Pg 61]ぼくにかい」と、健次けんじ冷笑れいせうした。

昨夜ゆうべきみ注意ちういすこがゝりになつたから、かへつてワイフくと、ワイフが、そりや屹度きつと菅沼すがぬまさんだらう、あのかたなら丁度てうど相當さうたうだから、はやめてしまうがいゝつてふんだ、ぼく同意どういだから一つきみ承知しやうちしてれないか」

「そりや妻君さいくん見當けんたうちがひだぜ、多分たぶんなんだらう、シスターが邪魔じやまくさいから、はや追片付おつかたづけたいんだらう」

「いや、そればかりぢやない、ぼくはやめていもと間違まちがひのないやうにしたいんだ、世間せけんわるうはさでもつとこまるからね、あれについちや、ぼく責任せきにんかんじてるんだからね」

「ぢやぼくをシスターの防腐劑ばうふざいとするんだな」と、面白おもしろさうにわらつたが、織田おだあくまで眞面目まじめで、

打明うちあけてへば、さうしてもらうとぼくおほいたすかるんだ、いまぢや實際じつさいよわつてる、[Pg 62]あいつにやかねがかゝつてねえ」と、平生いつもくせねばつよく一つこと繰返くりかへすので、健次けんじよわつたが、あたまから反對はんたい出來できず、

ぼくよりか箕浦みのうらにやりたまへな、きみはあのをとこきらつてるが、情合じやうあひもあるし人間にんげんがゼントルだからいゝぢやないか」

「いや箕浦みのうらにやこまるよ、あゝいつた詩人肌しゞんはだをとこぼくむしかん、はなるのを蝶蝶てふてふだとおもつたり、ちるのをて、萬物ばんぶつ凋落てうらくあきたといつてなんだながやつには信用しんようしていもとたくするにらんとおもふ」

「そりやもつともだ、きみ箕浦みのうらひやうするときにはみやう名言めいげんく、平生ふだん平凡へいぼん淚臭なみだくさことばかりつてるのに、しかしきみいもと箕浦みのうらには釣合つりあつたえんぢやないか」

「いかんよあのをとこは…………それに箕浦みのうらぢやいもと制馭せいぎよしてけやしない」

きみにも手綱たづなれんだらう」と、健次けんじねむりのらぬをこすつた。身體からだだるくてあますやうである。

[Pg 63]そられて、空氣くうきはだこゝろよく、周圍しうゐ人出ひとでおほくてさわがしいが、二人ふたり元氣げんきなくきざあしあるいてゐた。

「やあ、今日けふもやつてるな」と、織田おだむかうをたので、健次けんじけると、さか中途ちうとに一だん群衆ぐんじゆうなかから、演說えんぜつめいたこゑきこえる。

なんだいありや、廣吿屋くわうこくやか」

救世軍きうせいぐんだよ」

「さうか」と、健次けんじべつにもめなかつたが、自然しぜんそばちかづいたので、立留たちとまつて、人垣ひとがきあひだからのぞくと、木綿もめん紋付もんつきた二十前後ぜんご靑年せいねん二人ふたりと、くろはかまをつけたわかをんなとがつてゐて、その一にんいま演說えんぜつ最中さいちうである。ひだりこしみぎうごかし、いろくろ角張かくばつたかほすこ仰向あふむけ、

いまわたくし申上まをしあげたとほ貴下方あなたがたつみひとです、はやあらためなければまこと人間にんげんにはなれません、つまり罪惡ざいあくのあるひとだから」

[Pg 64]と、ゴツ〳〵した調子てうしで、甘味うまみ辛味からみもない言葉ことばどもり〳〵さけんでゐるが、滿身まんしんちからめてゐるため、かほすこあかくなり、ひたひにはあせさへうかんでゐる。

「あのをとこは何をつてるんだらう、なんことやらわかりやしない」と、健次けんじそば老人らうじんわらつてつた。

馬鹿ばかツ」と何處どこからかこゑがする。

子供こどもが二三にんまへすゝんで、くちけて不思議ふしぎさうにつめてゐるのみで、ほかものみな冷笑れいせうしてゐる、とほりがゝりに物好ものずきにあしめて、「なん耶蘇やそか、喧嘩けんくわかとおもつたのに」と、失望しつぼうしてものもある、れも眞面目まじめひともないのだが、かの靑年せいねんこゑかたいからせて

皆樣みなさま懺悔ざんげなさい、神樣かみさまにおすがりなさい、日本國にほんこく興廢こうはい軍人ぐんじん政治家せいぢかによつてけつするのでありません、神樣かみさまみち世間せけんおこなふかおこなはぬかによつてさだまるのであります」

く。

[Pg 65]健次けんじこふをつきたあひだに、らず〴〵まへすゝんで、その演說振えんぜつぶりをつめてゐたが、織田おだうしろからかたたゝいて、「おいきみかうぢやないか」とこゑをかける。

「まあて、もすこいてけ」

なに面白おもしろいんだ、こんなものが」

織田おだつたが、健次けんじなにこたへず、傳道者でんだうしやからはなさない。そしてかの靑年せいねんはなしつゞけて今日けふ社會しやくわい淫風いんぷう飮酒いんしゆがい堅苦かたくるしいつたな言葉ことばてゝゐると、れの惡戯あくぎか、小石こいしかれかたかすめて健次けんじまへちた、健次けんじおもはず後退あとずさりしたが、かの傳道者でんだうしや微塵みぢんうごかず泰然たいぜんとしてせつすゝめる。

かくておよそ二十ぷんもして、健次けんじものをんなからもらつて群衆ぐんじゆけてた。

きみ何故なぜあれが面白おもしろい」と、織田おだながたされたのでうらめしさうなかほをする。

面白おもしろいぢやないか。彼奴あいつ地球ちきうのどんぞこ眞理しんり自分じぶんくちからつたへてると確信かくしんしてる。あの顏付かほつき見給みたまへ。自分じぶんちから聽衆てうしうみな神樣かみさまにしてせるくらゐ意氣込いきごみだ。[Pg 66]人間にんげんはあゝならなくちや駄目だめだ」

にも感心かんしんしないきみが、何故なぜ今夜こんやかぎつてあんなくだらないもの感心かんしんする?」

「さうさ、ぼく救世軍きうせいぐんにでもはいりたいな。こゝろにもいことをいて、讀者どくしや御機嫌ごきげん雜誌ざつし稼業かげふよりや、あのほう面白おもしろいにちがひない、あのをとこ欠伸あくびをしないでおくつてるんだ、きてらあ」

「はゝゝ」と織田おだ大口おほぐちけていきほひわらつて、「ぼく靑年せいねん淺薄せんぱく說敎せつけうなんかしておくるのが不憫ふびんになる」

「しかし淺薄せんぱく深刻しんこく本當ほんたう問題もんだいぢやないんだね、たれやうがのゝしられやうが、自分じぶんのしてることなんであらうとかまうものか、もつと刺激しげきつよ空氣くうきはにや駄目だめだ」

と、健次けんじ歎息たんそくするごとつたが、織田おだぼんやり﹅﹅﹅﹅したかほ見上みあげると、きふに「ぢや此處こゝわかれやう」と、早口はやくちつてかる會釋ゑしやくし九だんさかりた。で、「まだはなしがあるんだ」と、織田おだ呼留よびとめたときは、もう人影ひとかげかくれてゐた。

[Pg 67]

(八)

まだ月初つきはじめであれば、健次けんじも五六まい紙幣さつはポツケツトにひそませてゐるので、「櫻木さくらぎ」へでもかうかとおもつたが、おゆきかほも、もう見飽みあいてはなにつく。かたつたきま文句もんくならべるが、キヤツ〳〵とさわほかにはのうがなく、あたまからあしうらまで何處どこしたつて、ろく一つさぬくせに、二三にちつゞけてあしけると、此方こちら思召おぼしめしでもあるやうに自分じぶんめに自惚うぬぼれたがる女中ぢよちうども相手あひてにして、拜顏料はいがんれうすのも馬鹿ばか々々しいと今夜こんやおもまつた。で、かれ西洋せいやう料理店れうりてんでウヰスキーをかたむけ、二三ぴん洋食やうしよくむさぼり、それからまぐれに神田かんだ西洋せいやう書店しよてん立寄たちよつた。なに自分じぶん刺激しげきして、あたらしい生命いのち惹起ひきおこものはないかと、新着しんちやく文學ぶんがく政治せいぢ宗敎しうけうから工業こうげふ銃獵じうれふ書類しよるゐまで、のこくまなくのぞいたが、どれにも自分じぶんするやうな破天荒はてんくわう文字もじひそんでるもする。で、あれかれかと撰擇せんたくかさねた揚句あげくつひある露國ろこく革命家かくめいか自傳じでんと、[Pg 68]偶然ぐうぜんについたたなすみある冒險家ばうけんか北極ほくきよく紀行きかうとをあがなつた、書物しよもつかゝえて上野うへの電車でんしやりたが、ひはまだめず、うちかへるのもいやであれば、ふら〳〵公園こうゑんあるいて銅像どうぞうそばのベンチにこしけた。うしろへもたれてつぶつてると居睡ゐねむりをしさうで、足元あしもとちからがなく、ぐるみなかまれさうながする。電車でんしやおととほ世界せかいひゞいてゐるごとく、自分じぶんこのまゝうごけなくなるやうにかんぜられる。をベンチのし、帽子ぼうしちさうなのもかまはず、こゝろ夢現むげんさかひまよはせてゐたが、書物しよもつひざからすべちるので、パツチリひらくと、かほれ、ほこりふくまぬんだ空氣くうきみ、自分じぶん周圍しゆうゐのみは薄暗うすくらいが、そらにはほしおほく、したには燈火あかりきらめいてゐる。四五けんまへにはくろ人影ひとかげが二つ。深沈しめやかはなしをしてゐたが、やがて暗闇くらやみなかえてしまつた。

れは孤獨こどくかんえぬ、さびしく心細こゝろぼそくてならぬ。少年せうねん時代じだい自分じぶんよりつよやつせいたかやつにぶつかつて喧嘩けんくわをしてゐたころは、身體からだぢう生命いのち滿ちて、張合はりあひのある[Pg 69]おくつてゐたのだ。近松ちかまつ透谷とうこくさくんでき、華々はな〴〵しいナポレヲンの生涯しやうがいむねをどらせた時分じぶんは、ほしやさしい音樂をんがくそうし、とりあいうたでもんでゐたのだ。しかし不幸ふかうにもかはつた。なに動機どうきいくつのとしにか、自分じぶんにもさらわからぬが、ほし音樂おんがくとりうため、先祖せんぞ傳來でんらい星冑ほしかぶと白金しろかねづくりのたちも、威光ゐくわうせて、自分じぶんには古道具屋ふるだうぐや賣物うりものかはらなくなつた。いまからおもふと、子供こどもをりによく自分じぶん喧嘩けんくわふきかけたとなり鐵藏てつざうなんかゞなつかしい。彼奴あいつのおかげでどのくらゐ元氣げんきよくりきんでゐたことか。いま自分じぶんはどちらかとへばあいされておくつてゐる。箕浦みのうら織田おだ桂田かつらだも、いやそればかりぢやない、桂田かつらだ夫人ふじんにも織田おだいもとにも櫻木さくらぎのおゆきにもあいせられてこそゐれ、さしてきらはれてはゐない。何處いづこにも鐵藏てつざうないのだ。「あいせらるゝはさいはひなり、あいするものさいはひなり」、聖人せいじんだの詩人しじんだのは勝手かつて定義ていぎつてやがる。すくなくもおれにや適用てきよう出來できぬことだ。あいせられゝばあいせられるほど自分じぶんにはさびしくてちからけて孤獨こどくかんへぬ。いつそのこと、四はうから自分じぶんにくんでめてれば、すこ[Pg 70]張合はりあひ出來でき面白おもしろいが、でられてめられて、そして生命いのちのない生涯しやうがいそれがなんにならう。「迫害はくがいされるものさいはひなり」、ていふ此奴こいつあたつてる言葉ことばだ。くるしめられやうとかされやうと、きずけてたほれやうと、生命いのち滿ちた生涯しやうがい自分じぶんはそれがしいのだ。

健次けんじ立上たちあがるのも物憂ものうさうに、かうかんがへてゐるうちに、さけめて夜風よかぜつめたくなつた。れは主義しゆぎえず讀書どくしよえず、さけえず、をんなえず、をのれの才智さいちにもえぬを、ひとりであはれにかんじた。自分じぶん自分じぶん不憫ふびんになつて睫毛まつげに一てんなみだたゝへた。

しづかなかぜ足許あしもと落葉おちばきころがし、樹上じゆじやうよりも二ひらひらあたまかすめてぶ。

巡査じゆんさ橫目よこめ健次けんじ見返みかへりながら、悠然いうぜんとしてあるいてゐる。

健次けんじ無意識むいしきにベンチをはなれ、帽子ぼうしかぶなほして、暗闇くらやみみち辿たどつて新坂しんざかた。

結婚マリエーヂ?」と、おもはずくちしたが、その瞬間しゆんかん口元くちもと皮肉ひにくわらひをらした。

[Pg 71]「ノンセンス!、結婚けつこんして家庭かていつくる、開闢かいびやく以來いらい億萬人をくまんにん人間にんげん爲古しふるしたことだ。桂田かつらだ家庭かてい織田おだ家庭かてい家庭かてい實例じつれいはもう見飽みあいてゐる」とむねそこからこたへる。

(九)

翌日よくじつ日曜にちえうであれば、一をそくまでねむり、九時頃じごろちやそろつて朝食あさげぜんについた。近來きんらい健次けんじ家族かぞくと一しよ食事しよくじをするのは、ほとんど日曜にちえうあさのみである。年齡とし割合わりあひ老人としよりめいてもゐないがひげには白髮しらがおほく、上目葢うはまぶたのたるんでるちゝと、肉付にくつきのよくくちにはひんのある姉娘あねむすめ千代ちよと、健次けんじによく小柄こがら愛嬌あいけうのある末娘すゑむすめみつとが健次けんじはさんですわり、はゝ下女げぢよ兼帶けんたい甲斐々々かひ〴〵しく立働たちはたらいてゐる。

ちゝ出勤しゆつきん時刻じこくにせかれぬため役所やくしよはなしなどをして、ゆる〳〵めしくらひ、んなのかほて、ひとりでほく〳〵よろこんでゐたが、もうぜんはなれて煙草たばこひながら新聞しんぶんんでる健次けんじむかつて、

[Pg 72]なに面白おもしろいことがあるかい、なんとか中將ちうじやう姦通かんつう事件じけんはどうなつた」

今日けふなにてゐませんよ」

「どうも軍人ぐんじん腐敗ふはいしちやこまるな、武士道ぶしだう精神せいしんおとろへるとそんなことが出來できるんさ、いまうち社會しやくわい士氣しき鼓吹こすゐしなければ、日本にほん國家こくか將來しやうらいあんじられるて」

と、ちゝ鼻水はなみづひざおとして、「いまぢや學校がくかう敎育けういく柔弱にゆうじやくかたむいてるからよくない、それに家庭かていちいさ時分じぶんから武士ぶしたましひたゝまんから、堅固けんご人間にんげん出來できないんだ、東京とうきやうでもいま素町人すちやうにんばかり跋扈ばつこするから、風儀ふうぎみだれるのさ」と、くちには慷慨こうがいめいたことをつたが、かほ如何いかにも呑氣のんきで、これまで苦勞くらうかさねてかげ何處どこにもない。そして素町人すしやうにんよばはりはこのひと口癖くちぐせで、自分じぶんでもそれが愉快ゆくわいでならぬとえる。

素町人すちやうにんでもなんでもはやくお金持かねもちになることさ」と、はゝ橫合よこあひから疳走かんばしつたこゑはつした。

本當ほんたうだわ、おかねがあるはうがいゝわ」と、おみつは一も二もなくはゝ加勢かせいする。

[Pg 73]「せめて男爵だんしやくにでもなれるといゝけど、むかし旗下はたもとだつて武士ぶしだつてつまらないわね」

と、姉娘あねむすめ眞面目まじめかんじた。で、しばらく父子おやこで、武士ぶしたましひだの素町人すちやうにん根性こんじやうだのと言合いひあつて、ては無邪氣むじやきわらつた。

わらつてしまつて、ぜん片付かたづくと、姉娘あねむすめ今迄いままでだまつてゐたあにむかつて、

にいさん、今日けふ上野うへの音樂會おんがくゝわいがあつて、ソロの上手じやうづ西洋人せいやうじんるんですつてね、新聞しんぶんにやてゐなくつて」

「さうだね、てるかもれんよ」

にいさんもきに被入いらつしやいな、屹度きつと面白おもしろいわ」

わたしきたいとふんだらう、にいさんにおかまひなしで一人ひとり何處どこへでもおでなさい」

「そりや一人ひとりだつていゝけど、…………」

切符きつぷつてれだらう、そりや眞平まつぴら御免ごめんだ」

[Pg 74]ひどいわにいさんは、自分じぶん一人ひとり勝手かつてあそんでゝ、なにひとわたしたのみをいてれたことはないんだもの」

本當ほんたうだわ、ねえねえさん」と、妹娘いもと相槌あひづちつ。

織田おださんとこのにいさんはそりや、いもとおもひよ、平生ふだんだつてなんだのだのと世話せわいて、お花見はなみにでも音樂會おんがくくわいにでも、屹度きつとれてくんだわ。だからいくにいさんが學問がくもん出來できたつて、人間にんげんとして織田おださんのはうがえらいのね」

「チエツ、生意氣なまいきつてらあ」と、健次けんじよこいて、今日けふ如何いかにしてらすべきかとかんがへてゐる。

にいさんは何故なぜ音樂おんがくきらひなんだらう、文學士ぶんがくしかたみな音樂おんがく芝居しばゐきだのににいさんばかりは、ちつとも趣味しゆみがないのね、音樂おんがくぐらゐ硏究けんきうなさればいゝのに」

「だからおまへ箕浦みのうら女房にようぼにでもなつて、年中ねんぢうキユー〳〵ピン〳〵さわげばいゝ、彼奴あいつとおまへとはよく似合にあつてらあ、おれはもうおまへのぺちや〳〵音樂おんがくだけでうんざり﹅﹅﹅﹅[Pg 75]してゐる」

姉娘あねすこほゝあかくしてよこいて、くちつぐんだ。

ちゝ健次けんじ卷煙草まきたばこつてをつけ、二人ふたりはなし面白おもしろさうにいて、微笑々々にこ〳〵してゐたが、二人ふたりだまつてしまうと、

「どうもおれにはわからない、學問がくもんをしたをとこが、音曲おんぎよく夢中むちうになるなんて餘程よほどへんだ、健次けんじにはおれがむかしから武士ぶし精神せいしんをしんでるから、そんな柔弱にうじやく氣風きふうまないんだらう」と、自分じぶん首肯うなづいてゐる。

「そんな武士ぶし精神せいしんなんかくだらないわ、おとつさんはなんぞといふとにいさんの贔負ひいきばかりしていやになつちまう」

「はゝゝゝ、そんなことものぢやない。にいさんは菅沼家すがぬまけには大事だいじたからだ、うんと勉强べんきやうして立派りつぱ人間にんげんになつてもらはにや、おれが御先祖ごせんぞ申譯まをしわけがないぢやないか、だからはたから邪魔じやまをしないで、おも存分ぞんぶんにやらせなくちや…………いまうち貧乏びんぼふがつら[Pg 76]からうと、それがなんだ、貧乏びんぼふにして見苦みぐるしい根性こんじやうになるのは、それが素町人すちやうにんだ。度々たび〳〵はなしてきかせたが、菅沼家すがぬまけ代々だい〴〵高潔かうけつかんがへもつ忠孝ちうかう武勇ぶゆうはげんだ家柄いへがらで、系圖けいづすこしのきずもないんだ。だから健次けんじもよく心得こゝろえて、名譽めいよ世界せかいつたへるやうにせねばならん」

健次けんじ平生ふだんちゝから小言こゞとくことなく、他人たにんまへでゞも自分じぶん自慢じまんをされるのをいやかんじてゐたので、いま自分じぶん大英雄だいえいいうにでもなるやうに期待きたする口振くちぶりくと、きふ不快ふくわいになり、新聞しんぶんおしのけて、ふいと自分じぶん部屋へやげた。

「おとつさんはにいさんばかり大事だいじにするから我儘わがまゝになるんだわ、學士がくしにまでなつてゝ、おやいもと世話せわ出來できなくちや駄目だめですよ、おとつさんももうお役所やくしよなんかして大威張おほゐばりにいさんにやしなつておもらひなさればいゝのに、………本當ほんたうにつまらないわ、そとてはおさけんで、なにはなしでもすると、惡口あくこうばかりつて、あれぢや何時いつまでつても立派りつぱ人間にんげんになれやしないわ、え、そりやなれないにきまつてるわ」と、姉娘あね[Pg 77]さも口惜くやしさうにふ。

ちゝはハツ〳〵とわらつて、「まあだまつてれ、お前逹まへたちにやわかるまいが、おれにや健次けんじ氣象きしやうはよくわかつてる、いまなに爲出しでかすにちがひないからよくれ、をとこはらなかをんなにやれんものだ、學士がくしになつたくらゐで、ハイカラでもつけたり、いもと花簪はなかんざしなんかつてやつてよろこんでるやうな健次けんじぢやない」

「おとつさんはにいさんを買被かひかぶつてるんですよ、だから老人としよりにはなににもわからないんだわ、いま後悔こうくわいすることが屹度きつとあるとわたしおもふわ」

「ハヽヽヽヽ、くだらないことをふもんぢやない、おまへらはいま健次けんじいもとだとはれて名譽めいよおもときる」

わたし、ちつともにいさんなんかあてにしちやゐないわ、なんであんなひと

と、新聞しんぶん引寄ひきよせてつゞものをつけ、熱心ねつしんした。妹娘いもと緣側えんがはねこあたまでながら唱歌しようかうたつてゐる。

[Pg 78]健次けんじ障子しやうじり、つくゑむかつて正座せいざし、「革命家かくめいか自傳じでん」をひらいた。こゝろらし素早すばやはしみしてゐたが、著者ちよしや貴族きぞくいへうま幼時えうじより宮中きうちう出入しゆつにふする叙述じよじゆつをはると、書物しよもつせて仰向あふむけにた。自分じぶんとはえんとほ境遇けうぐうことなつたひと閱歷えつれき如何程いかほど興味きようみがあらうぞと失望しつぼうした。そしてつくゑから書物しよもつ引下ひきおろして、たゞまぐれに處々ところ〴〵よみすると、農夫のうふして革命かくめいいたり、くに脫走だつそうして他國たこく流浪るらうするあたり、さも面白おもしろさうにいてあるが、最早もはや健次けんじにはそれがひかりのないつやせた文字もじえ、少時せうじちゝから彰義隊しやうぎたい白虎隊びやくこたいはなしいたときほどにも、むねをどらずかずつぶつてこゝろうごくにまかせてゐると、自分じぶん左右さいう前後ぜんごには火花ひばならず、鯨波ときのこゑきこえず、たゞ銀座ぎんざにはほこりつて、うぢよ〳〵とひとあるいてるさまあたまなかうかんでる。

で、れは緣側えんがは障子しやうじけて、にはると、ちゝ日曜にちえうごと役目やくめをこたらず、草履ざうり穿いて掃除さうじをしてゐる。昨日きのふおなじくそらかぜもなく、生温なまあたゝかくつて、[Pg 79]たけはうき持つた老人らうじんかげのみがゆるうごいてゐる。健次けんじ欠伸あくびをして、また書物しよもつまくらころび、兩手りやうてして、うと〳〵してゐたが、しばらくすると妹共いもとゞもさわおとがして、しまひには英語えいご朗讀らうどくきこえる、學校がくかう懇親會こんしんくわいで、織田おだいもと二人ふたり朗讀らうどくするといふ英文えいぶん對話たいわ暗誦あんしようしてゐるのであらう、ふとくてあまつたれたこゑで、如何いかにも陽氣やうきさうにんでゐる。

健次けんじこゝろがむしやくしやして、にわかに起上おきあがり、帽子ぼうしかぶ出仕度でしたくをして、玄關げんくわんまでかけたが、また引返ひきかへして何氣なにげなくいもと部屋へや侵入しんにふすると、いもとれを見上みあげて、ぱつたり朗讀らうどくめた。

「おい、一寸ちよつとせろ」と、健次けんじいもとから洋紙やうし取上とりあげてると、「二人ふたり不幸ふかうなるむすめ」とだいして、その會話くわいわいてある。

いま稽古けいこしてるんだから、にいさんは彼室あちらつてゐらつしやい」と、いもと健次けんじから洋紙やうしうばかへした。

[Pg 80]「おれがこゝなほしてやるから、んでろ」と、健次けんじ帽子ぼうしかぶつたなりすわんだ。

にいさんはひやかすからいやだけど」といなんだが、やうや納得なつとくして、自分じぶんぶんだけをひろつてんだ。すぢ幼馴染おさななじみの二少女せいぢよが、一人ひとり東北とうほく一人ひとりは九しうと十ねんはなれてゐたのちあるところおもひがけなくめぐひ、そのあひだ境涯けうがい辛酸しんさんかたあはれな物語ものがたり發音はつおん法則はふそく滅茶々々めちや〳〵だがよく暗記あんきしてゐて、ほそ言葉ことば調子てうしあはれげに、表情へうじやう澤山たくさん朗讀らうどくし、「このつぎには二人ふたりとも、もつと幸福しあはせ人間にんげんうまれてませう」と、なみだわかれるところで、會話くわいわをはると、

上手じやうづでせう」と、千代ちよあにて、いきをついた。中々なか〳〵得意とくいらしい。

「うんうまい、よくおぼえられたね」

「もつとお稽古けいこしなければ不安心ふあんしんだわ、織田おださんにけちやいやだから」

「あのひと稽古けいこしてるんか」

[Pg 81]「え、そりやしてるわ、ほかひとも一生懸命しやうけんめいですもの、わたし今日けふ午後おひるから織田おださんとこへつてよ」

病人びやうにんのあるうちつたつて駄目だめぢやないか、まさかあのうちで、芝居しばゐ眞似まねなんかも出來できまいし」

「一しよほかうちくんだわ」

箕浦みのうらうちへでもくんだらう」

つたつていゝでせう、わるくつて」と、わざとすねせる。

わるいとやあしないよ、每日まいにちでもあそびにくがいゝ、あのをとこなら親切しんせつ發音はつおんなほしてれるし、音樂おんがく議論ぎろんぐらゐかせてれらあ、…………それからおまへ織田おだくんなら、これをつてつてれ」と、健次けんじいまおもしたごとく、書齋しよさいから紙入かみいれつてて、紙幣さつ反古紙ほごがみにくるんでいもとわたし、「これだけ織田おだにやるんだ」

いもと不審ふしんさうにあにて、「これをどうするの、織田おださんのにいさんにすのですか」

[Pg 82]なんでもいゝから、たゞつてけばいゝんだ」

「だつてわたしつてくのはへんだわ、それににいさんはよく織田おださんにおかねすのね、何故なぜ織田おださんばかりきなんだらう、あのうちよりやいくらわたしうちはう貧乏びんぼふだかれやしないのに、本當ほんとにいさんはへんひとね」と、いもと反古包ほごづゝみをひねくつて、その金目かねめまでのぞいててゐたが、

「おまへにやるよりや、織田おだにやつたはうが、いくらやりばえがするかれやしない」と、健次けんじ無邪氣むじやきわらつて、あてもなく戶外そとた。いもとすわつたきりゑて、「にいさんは何故なぜだらう、おつるさんにこゝろがあるから、あんなに織田おださんを大事だいじにするのぢやないからん、さうへばおもあたることがいくらもある、屹度きつとさうだ、こひ煩悶はんもんしてるんだわ」と、自分じぶんひきくらべて想像さうぞうふけつてゐた。

(十)

[Pg 83]健次けんじみじかいあきの一にち持餘もてあました。上野うへの公園こうゑんをぶらつき、あるひ珈琲店こーひーてんはいり、あるひはビアーホールへはいり、それからしや同僚どうりやうたづねて、氣乗きのりのせぬはなし相槌あひづちつて、やうやく二三時間じかん空費くうひし、そのたくて、湯島ゆしま天神てんじん境内けいだいとほけて歸路きろいた。特筆とくひつすべき事件じけんすこしもない。いそがしいひと仕事しごとこゝろうばはれてときつをわすれ、歡樂くわんらくふけれるひと月日つきひ世界せかいあそぶのであるが、此頃このごろ健次けんじえず刻々こく〳〵ときたゝかつてゐる。さけむのも、散步さんぽをするのも、氣㷔きえんくのも、あるひ午睡ひるねをするのも、たゞ持扱もちあつかつてる時間じかんつひやすのためのみで、ほかなに意味いみはない。そして一つきつき取留とりとめもなくすごしては、あとから振返ふりかへつて、くだらなくつひやした歲月さいげつはやながるゝにおどろく。

れは激烈げきれつ刺激しげきに五たい湧立わきたたさねば、に〳〵自分じぶんくさくをかんじ、靑春せいしゆんたゞ時間じかんむしはれつゝ生命いのちつないでゐる現狀げんじやうたまらなくおもつた。そして空想くうさうたくまうして色々いろ〳〵刺激物しげきぶつかんがへた。普通ふつう麻醉劑ますゐざいなん効目きゝめもない、さけなら[Pg 84]せうちうかウヰスキーをさらにコンデンスしたもの煙草たばこなら阿片あへんこひなら櫻木さくらぎのおゆき織田おだのおつるのやうなをんなと、あまつたるい言葉ことば交換かはしたのでは微醉ほろよひもする氣遣きづかひはない。正義せいぎ公道こうだう問題もんだいぢやない。自分じぶん微温びおん世界せかいからすくして、筋肉きんにく熱血ねつけつほとばしらすか、はらわたまでろかすもの、それが自分じぶんゆゐ一の救世主きうせいしゆだ。革命軍かくめいぐんくはつて爆裂彈ばくれつだん粉碎ふんさいされやうとも、山賊さんぞくくみして縛首しばりくびけいはうとも、結果けつくわなんであれ、名義めいぎなんであれ、自分じぶん刺激しげきする最初さいしよものげて、ながくてもみじかくても、あるひ即刻そくこくたをれてしまつてもよい。そしてこんな刺激物しげき自然しぜん自分じぶんまへあらはれねば、自分じぶんからすゝんでちかづいてく。うづんでれねば、自分じぶんうづなかむ。鐵藏てつざうがゐなければ自分じぶん鐵藏てつざうになつて喧嘩かんくわふつかけてく。戰爭せんそう革命かくめい北極ほくきよく探檢たんけん人間にんげん怠屈たいくつましの仕事しごとだ。平坦へいたんみちにはむが、險崖けんがい攀上よぢのぼつてゐれば、ときをもわす欠伸あくびひまもない。

「よしうづはいるかがけがるか」と、かれはステツキをつたちかられたが、その[Pg 85]ゆるんでしまう。社會しやくわいのため主義しゆぎのため理想りさうのためとおもへばこそ眞面目まじめ險崖がけのぼりも出來できるが、はじめから怠屈たいくつましとつて荊棘いばらなかあし踏込ふみこめるものか。理由りいうもないのにひとりで血眼ちまなこになつて大道だいだうまはれるものか。何故なぜ每日まひにち出來事できごと、四はう境遇けうぐうなに一つ自分じぶん刺激しげき誘惑いうわくとりこにするものがないのであらう。たゞ日々ひゞ世界せかいいろき、幾萬いくまん人間にんげん響動どよめきあし尾花をばなそよぐとおなじく無意義むいぎきこえるやうになつた。自分じぶんこゝろいたのか、地球ちきうそれ自身じしんてゝ、何等なんら淸新せいしん宿やどさなくなつたのであらうか。

れはうつしてみち左右さいうた。夕日ゆうひ電信柱でんしんばしらかげ金物屋かなものやかべいんしてゐる。かべすみには薄墨うすゞみで「法樂はふらく加持かぢ」といた大福寺だいふくじ廣吿くわうこくりつけられ、その片端かたはしげかゝりふら〳〵﹅﹅﹅﹅うごいてゐる。牛乳ぎうにう配逹はいたつ點燈夫てんとうふとが前後ぜんごしてはしつてるあとから、しろ帽子ぼうしいたゞすそひろ黑衣こくいけ、こしなが珠數じゆずれた天主敎てんしゆけうあま二人ふたりくち側見わきみもせず、くつつちまぬがごとく、閑雅しとやかおとをもてずあゆんでる。ふか[Pg 86]んだそら煙突えんとつ黑煙こくえん搔亂かきみだし、そのそばを一れつとり橫切よこぎつた。晝間ひるまあたゝかさもきふうすらいで、健次けんじ肌寒はださむかんじた。

れはあしこゝろつからせて、かくうちかへつた。いもと他所行よそゆき大切たいせつ紋羽二重もんはぶたへ羽織はおりたまゝ、ちやのランプを點火つけてゐた。

「あら、にいさんおかへり、わたしいまかへつたところよ」と、マツチを火鉢ひばちてゝ、艶艶つやつやしいかほせた。

織田おだなにをしてた」

勉强べんきやうしてるわ、でね、おかねわたすと、なんだかきまわるさうに受取うけとつて、にいさんにおれいつてたわ」

「さうか」と、健次けんじ所在しよざいなさに、火鉢ひばちまへ片膝かたひざてゝすわり、火箸ひばしをいぢつてる。いもとはそのそば羽織はおりいでたゝみながら、ちよい〳〵あにかほ見上みあげては、

織田おださんは二三にちうちにいさんにひたいとつてましたよ、是非ぜひはなしめること[Pg 87]があるんだつてね、にいさんもつてるでせう、どんなはなしだか、わたし織田おださんの言振いひぶりで荒方あらかた推察すゐさつしてるけど。」

「さうか」と、健次けんじめぬふうなので、いもとはわざと調戯からかで、

てゝませうか、屹度きつとあのことだわ」と莞爾につこりした。

「あのことつてつるさんの緣談えんだんだらう」と健次けんじ小憎こにくらしいほど平氣へいきなので、いもとは、

にいさんはよく御存ごぞんじね、同意どういするんでせう、にいさんも、」

「どうかねえ」

「どうかねえつて、それでいゝぢやありませんか、ことわたしにいさんにはなしがあつてよ」とひかけたところへ、はゝ勝手かつてからはいつてたのでくちつぐみ、羽織はおり簞笥たんすおさめた。

「さあ御飯ごはんだ〳〵」と、はゝ膳立ぜんだてして、しるのこぼれてるなべ火鉢ひばちけた。

健次けんじは「まだめししくない」とつて、自分じぶん居室ゐまはいると、いもとうしろからけて[Pg 88]て、ランプを點火つけた。平生ふだん親切しんせつ煙草盆たばこぼんまで掃除さうじしてつてた。

で、健次けんじつくゑひぢいて煙草たばこかし、相手あひてにするふうはないのに、そのそばすわり、

「でね、にいさん」とくちる。「いまはなしにいさんもかんがへてるんでせう、どうなさるの」

なんだい織田おだことか、それをいてなんにする」と、健次けんじ不審ふしんさうにいもとかほかへりみた。

なにつてことはないけど」と、はづして「わたし今日けふ織田おださんからも、おつるさんからもいろんなこといたのよ」

なにを?」

織田おださんのはうぢや、もうちやんと一人ひとりめてるんだわ、それにむかうでは、にいさんもうちのおつかさんもおとつさんも、屹度きつと承知しやうちすることゝおもつてるらしいのよ、おつるさんもにいさんからいたのか、今日けふ樣子やうすかはつてるし、明日あす稽古けいこわたしうち[Pg 89]いらつしやいとつても、何時いつたがるくせいやだつてふんですもの、」

「おい、くだらないはなしせ、」

と、つくゑむかつて、經濟書けいざいしよひらいて、ぼんやりんでゐたが、いもとそばすわつてゐて、

「だつてにいさんもはや結婚けつこんなすつたはうがいゝでせう、うちためからつても、にいさんのきまつて、おとつさんの責任せきにんかるくしなくつちや仕樣しやうがないですもの、それが一ばん孝行かう〳〵だとおもふわ、それにおつるさんは一主婦しゆふとして缺點けつてんがないんだから、わたしからもにいさんにすゝめたいくらゐよ」

「おまへどうかしたのか、ひど今日けふ眞面目まじめくさつたことならべるね」と、健次けんじわらつて、「おまへはよくおつるさんの惡口あくこうつて、あれぢやうちてないなんてつてたぢやないか、きふ變節へんせつしたね、御馳走ごちそうにでもなつたんかい」

「あらひどいわ、わたし織田おださんとこでちつとも御馳走ごちそうなんかになりやしないわ」

[Pg 90]「でも御馳走ごちそうになつた顏付かほつきをしてるぢやないか。箕浦みのうらうちへもつたのか」

「えゝ」といもと曖昧あいまい返事へんじをする。

「おつるさんと二人ふたり朗讀らうどくでもしてさわいだのか」

「えゝ、にいさんによろしくとつてたわ」

「おつるさんと一しよくと、あのをとこ優待いうたいするだらう」

と、健次けんじ何氣なにげなくつたが、いもとみゝにはそれがするどひゞいて、きふかんがんだ。健次けんじ箕浦みのうらから屢屢しば〴〵戀愛論れんあいろんかされたのだが、先日せんじつある雜誌ざつしつたれの叙情的じよじやうてき美文びぶんんだとき、それがかれ自身じしんこといてるので、相手あひて織田おだいもとだと感付かんづいた。そして自分じぶんいもとひそかに箕浦みのうらおもつてるのが可笑おかしくもあり、可愛かあいさうでもあつた。しかしそれをいもとらせるでもなかつたのだ。で、

學校がくかう懇親會こんしんくわい何日いつあるんだ」と、きたくもないことを、わざとやさしいこゑうた。いもとろくこたへもせず、しばらくしてかぬかほげて、

[Pg 91]にいさんは結婚けつこんするぢやないんですか」と、さもいもとうへにも重要ぢうえう問題もんだいででもあるごとかんじてゐる。

「おまへはおれを織田おだいもと結婚けつこんさせたいのか、それがなにかおまへ利益りゑきになるんか、へんだね」と、健次けんじはお轉婆てんばいもと生眞面目きまじめ態度たいどあやしんだ。

わたし利益りゑきなんてひどいわ、にいさんのためおもつてるからいててるのに」と、たもとさきをひねくつて言葉ことばもはき〳〵しない。

有難ありがたう、しかしおれは近々きん〳〵下宿屋げしゆくやへでもつちまうんだ」

本當ほんたうに?」と、いもとまるくして「何故なぜ下宿屋げしゆくやなんかへ」

何故なぜでもないさ、もうお前方まへがたのお喋舌しやべり聞飽きゝあいたから、」

いもとあに氣心きごゝろ知兼しりかねて、たゞへんひとだわ、おつるさんをいてやしないのからん、それとも表面うはべばかりあんなにましてるのではなからうか」とおもつてゐたが末娘すゑむすめのおみつが「ねいさん、はや被入いらつしやい、御飯ごはんだよ」と、けてて、引張ひつぱつてちやつた。

[Pg 92]

(十一)

四五にちはかくてぎた。ますと、屋根やねにはしもいて朝日あさひがキラ〳〵とつてることもある、くもひくれてることもある。培養ばいやうせぬきくむしはれて自然しぜんしほれてく。父子ふし前後ぜんごして出勤しゆつきんする。健次けんじ每日まいにちおなじやうなことをかんがへて、一にち仕事しごとませてかへると、あひへんらずはゝやつれたかほをしてつてゐる。一にはなん波瀾はらんもない。はゝ年中ねんぢう廢屋あばらやくすぶつてゐるのだから、たま戶外そとるか、かはつたひとたづねてると、たりいたりしたなんでもないことを、物珍ものめづらしさうに誇張こちやうしてはずがたりをするのをたのしみにしてゐる。いもと千代ちよおもしては朗讀らうどく稽古けいこをしてゐるが、平生ふだんほどお喋舌しやべりもせず、多少たせうふさいでるふうえる。織田おだいそがしいので手紙てがみおくつたきりたづねてない。先月せんげつから赤痢せきり流行りうかうして、根岸ねぎし近傍きんばうにも大分だいぶ患者くわんじやがあ[Pg 93]るやうだが、菅沼すがぬまの一數年すうねんらい風邪ふうじや以上いじやう病人びやうにんはない。で、ちゝ家族かぞくみな健全けんぜん目出度めでたい々々々と一人ひとりよろこんで、自分じぶんすこ風邪氣かぜけがあらうと腹加減はらかげんがよくなからうと、痩我慢やせがまんして出勤しゆつきんしてゐる。しかし今度こんどさむあたりは我慢がまんれなかつたとえ、或日あるひ役所やくしよ早退はやびけにしてかへり、おきまりの晚酌ばんしやくして、行火あんかへもぐりんでしまつた。

健次けんじちゝかはりに海苔のりさかなに一ぽんガブみにして、書齋しよさいはいつたが、るにははやし、ランプとにらめつくらをしてゐた。すると、そのあさ桂田かつらだ夫人ふじんふで晚餐會ばんさんくわい招待せうたいのハガキのたことから、桂田かつらだりた「東西とうざい倫理りんり思潮してう」を、本箱ほんばこうへいたまゝにもらず、談話だんわ筆記ひつきくのもわすれてゐたことをおもし、それを取出とりだしてび〳〵にみかけた。

西風にしかぜがカタ〳〵と雨戶あまどあたり、隣家となりかきおとかすかにきこえる。ちゝ時々とき〴〵呻吟うめいてゐる。

[Pg 94]次第しだい健次けんじ書物しよもつはなれ、するど神經しんけいかぜおとちゝ呻吟うめきとにわづらはされ、火鉢ひばち俯首うつむいてまゆひそめ、煙草たばこ吸口すゐくちんでゐると、かどがそつといた。それが木枯こがらしで自然しぜんいたやうで、健次けんじおもはず薄氣味うすきみわるかんじた。しのびやかに敷石しきいしおとがする。れかがたらしく、やがてひくこゑはゝとの話聲はなしごゑがする。

「あゝ織田おだだな」と、健次けんじはなじまひとたづねたごとく、救助きうじよふねでもごとのぞみをけてつてゐた。

しばらくして織田おだは「ヤア」と、れい頓間とんまこゑをしてはいつてて、火鉢ひばちへだてゝすわつた。新調しんてうおもはれる綿入わたいれて、ひげつて、かみ奇麗きれいけ、愉快ゆくわいさうな顏付かほつきをしてゐる。

非常ひじやうおそたね」

おそくなくちやきみがゐないかとおもつて、」と、織田おだめづらしく敷島しきしまたもとからしてけ、

[Pg 95]ぼく今日けふ非常ひじやう愉快ゆくわいだ」

愉快ゆくわいだつて、きみからそんな言葉ことばくのは不思議ふしぎだ、親爺おやぢ病氣びやうきでもよくなつたのか」

「いや、親爺おやぢかはらないがね、今日けふぼく桂田かつらださんの紹介せうかい新職業しんしよくげふありついたんだ、神田かんだ本屋ほんや辭書じしよ編纂へんさんだが、報酬ほうしう非常ひじやうにいゝんだよ」

「さうか、面倒めんだうくさいや仕事しごとだね、辛抱しんばう出來できるかい」

面倒めんだうくさいなんてつたにや、いゝ仕事しごとはありやしないぜ、報酬ほうしうさへよけりや、ぼくなんでもやる、それにねきみぼく長編ちやうへん昨日きのふやくしてしまつたよ、あのかねはいると、借金しやくきんのこらずはらへるし、醫者ゐしやはう奇麗きれい片付かたづくから一安心あんしんだ、きみにも一ぱいおごらあ」

織田おだ平素ふだん健次けんじ二の親友しんいうおもひ、たがひに喜憂きいうわかつつもりでゐるので、今日けふ吉報きつぽうつたへにたのだ。

「そりや結構けつかうだ」と、健次けんじ口先くちさきではつたが、こゝろではこの魁偉くわいゝなる人間にんげんが、信州しんしう[Pg 96]なまりけぬあたま眞中まんなか禿げた老母らうぼと、ほゝあかいよくふとつた妻君さいくんのために、年中ねんぢう專念せんねん脇目わきめらずかせいでゐるさま憐憫みじめかんじた。

ぼくも二三ねんあがとほしだつたが、これからはすこしはらくになるだらう、隨分ずゐぶんきみにも迷惑めいわくけたがね、もう大丈夫だいじやうぶだ。節儉せつけんすりや月末つきずゑはらひにこまることはない、なにしろ學校がくかう月給げつきふは三十ゑんだから遣切やりきれなかつたが、辭書じしよからは六十ゑんづゝれるんだよ、丁度てうどばいだからね、それに内職ないしよく飜譯ほんやくつゞけてやつてけば、小使錢こづかひせんれるし」と、織田おだ自分じぶん現狀げんじやうおもつてうれしくてならぬふうだ。で、なほ世帶話しよたいばなしつゞけて、「家賃やちん收入しうにふの五ぶんの一を超過てうくわしてはならぬ」とか、「消費せうひ組合くみあひはいればいくづゝ經濟けいざいになる」とか。しまひには將來しやうらい家計かけい豫算よさん計畫けいくわくこまかくした。

妹共いもとどもはもうたのか、うちうちしづかだが、隣家となりから赤兒あかご泣聲なきごゑきこえ、かきもカサ〳〵とおとてゝゐる。健次けんじ火箸ひばし炭籠すみかご引寄ひきよせどつさり添炭そへすみした。最早もはやさけもなくなつてさむい。せめて織田おだ何時いつものやうに苦痛くつううつたへるのなら、[Pg 97]ても多少たせう張合はりあひもあるが、大得意だいとくい生活せいくわつ勝利しやうりだんずるのだから健次けんじいてゐてもねむくなるばかり、

「それでね、ちゝ病氣びやうきがどうかなり次第しだい、もつといゝうち轉宅てんたくしてあたらしい生活せいくわつはじめるつもりだ、それについていもとだけあまものだが、あれにたいする責任せきにんさへまぬかれりや、ぼく重荷おもにりてしまうんだよ」と、織田おだ抑揚よくやう緩急くわんきふのない調子てうしつて相手あひてかほこたへうながした。

健次けんじ五月蠅うるさやつだとおもつて、なにはうとしたところへ、はゝ茶盆ちやぼん菓子皿くわしざらつてた。「いま織田おださんにいたゞいたんだよ」と、はゝちやいで、中腰ちうごしで二つ三つ世間せけんばなしをしてつた。さらにはチヨコレート、クリームがきいろかみつゝまれてならんでゐる。健次けんじはそれをつて、はじ前齒まへばんだが、いやかほをして、喰餘くひあましをつくゑはじき、

「もうきみ緣談えんだんさうぢやないか、ぼくはもうきたくない」と、命令的めいれいてきふ。[Pg 98]織田おだをさけられてしばらくだまつてゐた。

「だが、きみためにも結婚けつこんするはうがいゝとおもふ、いま母堂マザーはなすと母堂マザー賛成さんせいして、さうなると結構けつかうだとつてる、それになんだよ」と、四圍あたりはゞかつてこゑひくくし、「きみのシスターについてもぼくかんがへてる、今度こんどことは四五にちまへつるにもよくはなしたんだがね、そのとき彼女あれくと、お千代ちよさんは箕浦みのうらおもつてるんださうだ、それだと丁度てうどいゝぢやないか、シスターを箕浦みのうらへやつちまつては、なんならぼく周旋しうせんする。」

「だつてきみ箕浦みのうらきらひだとつてたぢやないか」

「しかしきみのシスターがいてりや仕方しかたがないさ、きみはやいもと片付かたづけて、きまりをつけて、活動くわつどうたまへ、きみ我々われ〳〵とはちがつてさいがあるんだからいくらでも發展はつてん出來できる」

「うまく煽動おだてるね、煽動おだてたつて駄目だめだよ、ぼく發展はつてんみちがあるくらゐなら、君等きみらはれなくてもとつくに發展はつてんしてる」と、健次けんじ肱枕ひぢまくらよこになつた。

箕浦みのうら自惚家うぬぼれやでもきみにや感心かんしんしてるよ、二三日前にちまへにも見舞みまひだつてやつてて、[Pg 99]何時いつきみ異彩ゐさいはなつだらうとつてた、じつはそのときいもときみにおつけたいと彼男あれにもあかしたのだ」

箕浦みのうらなんつてた」

彼男あれかね」と、織田おだひかけて躊躇ちうちよして、「べつなにやしない、丁度てうどいゝだらうとつてた」

「さうでもなからう、しかしきみいろんなことをするね、千代ちよにもなにはなしたね」

「いやろくはなしもしないが、さいいもととほして多少たせういたことはある」

「そうか、彼女あいつ此間こなひだきみうちからかへると、ぼくむかつてしきりに結婚けつこんすゝめるから、へんだなとおもつたがいまわかつた、彼女あいつとしとしだけに生意氣なまいきことかんがへてやがらあ」と、舌打したうちして起上おきあがつた、健次けんじはらうちで、「いもと箕浦みのうらたいする競爭者けうさうしやのおつる自分じぶんあてがつて、箕浦みのうら一人ひとりめにしやうとおもつてるんだらう」と、いもとはらそこまで小憎こにくらしかんじた。あんなをとこ珍重ちんてうしてこひとかなんとかつてるのを蟲唾むしづほどいやかんじた。

[Pg 100]織田おだ健次けんじ目付めつきするどくなるをて、「なにかんがへてるんだ」とく。

きみ餘計よけい世話せわくね、自分じぶんことだけでらなくて」

餘計よけい世話せわぢやない、友情いうじやうからかんがへたんだ、一幸福しあはせのためにぼくつたとほりにしたまへ、どうせとほみちならはやとほつたはうがいゝぢやないか」

「いゝ仕事しごと有付ありついたとおもつて馬鹿ばか大家たいかめいたことふね、しかしぼくきみ箕浦みのうらとはちがつて何處どこくんか方角はうがくれんから仕方しかたないさ、」

「ぢやぼくせつもちひないんか、それできみはどうするんだい、責任せきにんおも身體からだで」

「さあどうするかね」と、他人事ひとごとのやうにつたが、きふ鬱陶うつとうしいいろていした。

きみ學生がくせい時代じだいおなじやうなでゐるが、よく家族かぞくことおもはんで浮々うか〳〵してられるね、まへきみ責任せきにんがころがつてるぢやないか」と織田おだ眞面目まじめ口調くてうめぬ。

「だからぼくうちいやだよ」と、健次けんじまたよこになつてぢて、「きみともながあひだ交際つきあつてるが、福音ふくゐんかせてれんね、」と、つたきり、くちかなくなつた。

[Pg 101]で、織田おだはゝはなしてかへつたのち健次けんじつめたい蒲團ふとんなかへもぐりんで、「彼奴あいつ馬鹿ばか野郎やらうだ」とつぶやいた。しかしこれは他人たにんなか氣㷔きえんいてるときさけぶとはことなつて、滅入めいつた絕望ぜつばうこゑだ。

(十二)

翌日よくじついもとむすめ寵愛てうあい子猫こねこが、晚餐ばんさん總菜用さうざいよううをくはへてえんしたんだので、一大騷おほさわぎ。ちゝ褞袍どてらたまゝ寢室ねまる。はゝ靑筋あをすじたて怒鳴どなてる。しばらくしてなにはぬかほねこすゞらして長火鉢ながひばちそばかへり、ほそくしてくちべた﹅﹅めずつてゐると、んなにあたまたれた。はゝ愚痴ぐちしづまると、家族かぞく煮豆にまめ晚餐ばんめしつた。

健次けんじはかねてたのんでいたある社員しやゐんしらせで、日暮ひぐれまへ月島つきしまある下宿屋げしゆくや空間あきま檢分けんぶんした。廊下らうかつと、安房あは上總かづさ山々やま〳〵ゆめのやうに、ぼんやり﹅﹅﹅﹅水煙みづけむりむかうにうかび、[Pg 102]つよかぜなくせてる。隣室となり話聲はなしごゑかぜさらはれなみおとぼつしてきこえぬ。れはをさなころ讚岐さぬきはまほしひまゝに鹽風しほかぜびてあそんだことを朧氣おぼろげおもした。その瞬間しゆんかん新生涯しんしやうがい此處こゝはじめる、根岸ねぎし古屋ふるやつてはらぱい鹽氣しほけはう」とけつし、二三にちうち返事へんじをすると約束やくそくした。で、うちかへると、はゝいもときかされた一にちぢう大事件だいじけんねこうをはなしであつた。

(十三)

翌日よくじつ桂田かつらだいへ晚餐ばんさんをかねて小園遊會せうゑんゆうくわいひらかれ、博士はかせ夫妻ふさい親戚みうち靑年せいねん男女なんによ箕浦みのうら織田おだとう家族かぞくすべて十數名すうめい招待せうたいされた。健次けんじもその一にんだが、生憎あひにく編輯へんしふ締切しめきり當日たうじつなので、原稿げんかう計算けいさんやら雜誌ざつし體裁ていさいやらの相談さうだん持掛もちかけられ、やうや夜店よみせ商人しやうにんみせしかけた時分じぶん雜誌社ざつししやて、生温なまあたゝかいからかぜさらされ、千駄木だぎむかつた。すで來濱らいひんそろつてるらしく、笑聲わらひごゑにぎやかで、玄關げんくわんには奇麗きれいをんな下駄げたや、みがてたくつ[Pg 103]いくつもならんでゐる。客間きやくまとほされると博士はかせおひあた久保田くぼた箕浦みのうらとが食卓しよくたくへだてゝ博士はかせむかつて、さかんにはなしをしてゐた。

ふすまけると三にんは一しよあたまげて健次けんじた。とこには大輪だいりん白菊しらぎくけてあり、鴨居かもゐにはあらしあと海波なみうつしたあたらしい油繪あぶらゑかゝげてゐる。少尉せうゐ軍服ぐんぷくけた久保田くぼたかほ赤銅色しやくどういろをして、まだ文明ぶんめいつかれない太古たいこ活氣くわつきみなぎつてゐる。箕浦みのうらあを寶石ほうせきいり襟留ピンは、そのみがてたしろかほくろまなこ相照あひてらしてひかつてゐる。

菅沼すがぬまさんしばらくですね、相變あひかはらず元氣げんきがいゝつてぢやありませんか」と久保田くぼた快活くわいくわつわらつた。

「どういたして、一寸ちよつと見渡みわたしたところ、元氣げんき貴下あなたにん專有せんいうしてるやうだ」と、健次けんじ久保田くぼたそばすわつた。卓上たくじやうにはクユラソーの德利とくりかれてゐる。

「さあやりたまへ、貴下あなたなくちや、ぼく相手あひてがない」と、久保田くぼたさかづきし、「今日けふ散々さん〴〵きみうはさをしたんですよ、箕浦君みのうらくん叔父をぢとでね、しきりに貴下あなた攻擊こうげきはじ[Pg 104]るから、ぼく一人ひとり辯護べんごしましたハツ〳〵〳〵」

「さうですか」と、健次けんじさかづきけて、箕浦みのうらかほた。箕浦みのうらすこほゝあかめ、

ぼく攻擊こうげきしたんぢやないよ」とかほそらして、「久保田くぼたさん、いまのおはなしつゞきをかせてください、非常ひじやう面白おもしろい、貴下あなた話振はなしぶりがお上手じやうずだから、ぼくには演習えんしふ模樣もやううかぶやうです」

「いや、もうしませう、それよりにはつて、娘子軍らうしぐんおそはうぢやありませんか」と、久保田くぼたちかゝつた。

なにはなしたんです、去年きよねん貴下あなた決闘けつたう奬勵談しやうれいだんかされたが、今年ことしはもっと痛快つうくわい新問題しんもんだいがあるんですか」と、健次けんじふ。

「なあに、ぼく大演習だいえんしふつたから、いまもそのはなしをしたんです。しかしくだらないさ、演習話えんしふばなしなんか。新聞しんぶんてると面白おもしろさうだが、實際じつさい飯事まゝごとたいなものですからな、あんなことをやつたつて、實戰じつせんやくちやしない、むかしのお鷹狩たかゞりのやうなものさ」

[Pg 105]久保田くぼた緣側えんがはりて赤鼻緖あかはなを草履ざうり穿き、健次けんじ指招さしまねいた。「さあ菅沼すがぬまさん被入いらつしやい、貴下あなた我黨わがたうだから」

ぼくすこやすんでからきます」と、健次けんじひとりでキユラソーを三四ぱいかたむけた。博士はかせ箕浦みのうらとは哲學上てつがくじやう問題もんだいろんした。にはには花行燈はなあんどんが二つ三つとぼされ燈火あかりそばでは蓄音器ちくおんき喇叭節らつぱぶしなにかゞこえ、草花くさばなあひだくろかげうごいてゐる。さしてひろにはでもないが、夜目よめには奧深おくふかく、一きわすぐれたもみえたそらしてゐる。

織田おだてゐないか」と、四はう見廻みまはした揚句あげく箕浦みのうらうた。

「あゝ仕事しごといそがしいとつて、ない」

れのいもとは?」

てるよ、きみいもとと一しよに」

「さうか」

蓄音器ちくおんきむと、久保田くぼた陽氣やうきふとこゑにはぱいひろがり、やがて小兒等せうにら萬歲ばんざい[Pg 106]さけびと女共をんなどもわらごゑきこえる。

きみ彼處あすこかうぢやないか」と、健次けんじ箕浦みのうら躊躇ちうちよするのを無理むりり、にはした。博士はかせ食卓しよくたくひぢをついたまゝ、二人ふたり後姿うしろすがた見送みおくつてゐる。

箕浦みのうら久保田くぼたが四五にん子供こども相手あひて調練てうれん眞似まねをしてるのをて、あゆみとゞめ、「あんなさわぎのなかつても面白おもしろくない、何處どこほか散步さんぽしやうぢやないか、きみはなしたいこともある」

「さうか」と、健次けんじはどうでもいゝとつたふうで、箕浦みのうらうしろについて植込うゑこみにうて、人氣ひとけないはうむかつた。たけながきコスモスがかぜられて、あはしろ花瓣はなびらかたれる。箕浦みのうらはその一りん手折たをつて、はないでもてあそんだ。

きみ此家こゝしてから、もう五六ねんになるね」と、健次けんじ突如だしぬけいた。

「うん、きみが一ばん古參こさんで、織田おだぼくと、んなよくたものだ」

「しかしきみ織田おだはこのうちなにあとのこしてるが、ぼくものこはしただけで、んにも[Pg 107]貢献こうけんしてゐないね、この草花くさばな大抵たいていきみたねおろしたんぢやないか、客間きやくま油繪あぶらゑだつてきみ周旋しうせんしてたれとかにかせたのだし、つまりきみ盡力じんりよくでこのうちもこのには大分だいぶ色艶いろつやがついたが、ぼくところぢや肝心かんじん先生せんせい夫婦ふうふ大分だいぶ艶氣つやけがなくなつたね、きみにやさうおもはれんかい」

「だつて二人ふたりとも以前いぜんちがはんぢやないか、今夜こんや妻君さいくんもひどくめか﹅﹅して若々わか〳〵としてる」

「しかしいくかざつてゝも、こゝろつやせてる。ぼくにや二人ふたり奇麗きれいなおはかうちうづもつてるやうにえる、あれで妻君さいくんひとりで藻搔もがいてるが、とてもらりやしないよ、きみなんかにもいろんなことをふだらうが、つまり我々われ〳〵わかいきいで、はらむしなぐさめてるんだ」と、健次けんじあざけるやうにつた。

馬鹿ばかことを」と、箕浦みのうらさびしくわらつて、「先生せんせいうちには何時いつてもおだやかなやはらかい空氣くうきたゞよつてるぢやないか、ぼくはこんな平穩へいをん生涯しやうがいおくりたいとおもふ」

[Pg 108]「千駄木だぎ哲人てつじんたいして、麹町かうじまち哲人てつじんになるんか、まあそれもいゝが、きみ此頃このごろ妻君さいくん可愛かあいがられてゐないね、去年きよねん箕浦みのうらさんでなくちやけなかつたけれど、もういてゐるらしい、寵愛てうあいぼくうつつてる」

「だが、妻君さいくん我々われ〳〵仲間なかまにや、れにたいしても親切しんせつだよ、先日こないだ織田おだのことを心配しんぱいしてたから、ぼくがよくはなしをしていた」

「そりや妻君さいくんひまだから、ひと世話せわいてるが寵愛てうあいべつだね、目付めつきがちがふ、言葉ことばあぢちがふ、一人ひとり焦慮ぢれ一人ひとりでペスミスチツクになつてるから面白おもしろい、しかしきみにやわかるまい、一年間ねんかん寵兒てうぢであつたくせに」

「そりやきみ主觀的しゆくわんてきるからさうえるんだ、妻君さいくんれにたいしても平等びやうどうで、何時いつおな調子てうしぢやないか」

きみにやさうえるんだね、ぢやそれでもいゝ」と、健次けんじ無愛相ぶあいさうつてくちぢた。むしとほちかこえる。

[Pg 109]菅沼すがぬまさん〳〵」と、久保田くぼたこゑがして、健次けんじ振向ふりむいたが、箕浦みのうら首肯うつむいたまゝ草花くさばな周圍まはりあゆみながら、

じつ過日こなひだからきみひたかつたのだ、ぼく手紙てがみれたらう」

「むんたよ、ようなんだつたか、もうわすれてしまつたが」

ぼく近々ちか〴〵慈善じぜん音樂會おんがくくわいくはだてゝるんだが、きみ賛成さんせいして盡力じんりよくしてたまへな、先生せんせいおくさんも助力じよりよくしてれるはずだが、きみたすけてたまへ」

音樂會おんがくゝわいか、ぼくにや適任てきにんでないが、しかしきみがやるならたすけてもいゝ」

是非ぜひたのむよ、なほくはしいことはあとはなすがね、ぼくはそのくわい自分じぶん新作しんさく朗讀らうどくするつもりだ」とつて、箕浦みのうらこゑしづんでゐる。

此頃このごろしきりに朗讀らうどく流行はやる」と、健次けんじ獨言ひとりごとのやうにつて「きみ大論文だいろんぶんいてるさうだが、まだ出來できないか」

「あゝ、もすこしになつて完成くわんせいしない、それに此頃このごろはいろんな疑問ぎもんいてて、[Pg 110]しさう錯亂さくらんしていかん」

何故なぜ

何故なぜつて、かんがへりやかんがへるほど自分じぶんてた理窟りくつわからなくなる、織田おだのやうな單純たんじゆん人間にんげん幸福しあはせだね」

「まあしあはせでも不幸ふかうでもいゝさ、ぼくはもうはらつてた、彼方あつちつてなにはうぢやないか、織田おだいもとやマダムにもひたくなつた」と、健次けんじ植込うゑこみなか橫切よこぎり、きいろはなしろはな無慈悲むじひひぢらした。箕浦みのうら相手あひてかほて、ひくこゑでわざと平氣へいきに、

きみ結婚けつこんするのか」

織田おだしきりに運動うんどうしてる、どうなるかね」

「そのはうがいゝだらう、きまりがついて」

なにきまりがつくもんか、それよりやきみこそはや妻君さいくんでも情婦いろでもこしらたまへな、ぼく[Pg 111]にやをんなものにくかたまりとしてあるから、口先くちさきつきで慰藉ゐせきされたりあいそゝがれたりする必要ひつえうはないが、きみはさうはいかない。圓滿ゑんまん平穩へいをんなスヰートホームてやつつくらなくちや、きみ全身ぜんしん滿足まんぞくされまい、ぼくきみ作物さくぶつごとに、すべてが妻君さいくんほつする不安ふあんこゑはつしてるやうにかんずる。織田おだきみぼく學校がくかう時代じだいいろんなゆめて、なかると、みな失望しつばうしたり、かんがへもかはつたが、きみ終始しゆうしくわんしてる、きみ沈鬱症ちんうつしやう戀人こひゞと電氣でんきけてもらひさへすればなほる。だからはやくさうしたまへ、織田おだのやうにふにこまるんぢやなし」

きみ故意こい不眞面目ふまじめなことをふ。わるくせだ」と、箕浦みのうらすこかほあからめ、「婦人ふじんたいしても、戀愛れんあいくわんしても、もつと眞面目まじめふか意味いみなくちやならんよ」

「さうかねえ」と、健次けんじひやゝかにつて「しかぼく自身じゝんがさうしんずれば仕方しかたがない、人間にんげん寄生蟲きせいちうをんなにくかたまりむかしから聖人せいじんがさうつてる」

「まさかそんな聖人せいじんもあるまい、きみおのれをあざむいて趣味しゆみ情熱じやうねつ蔑視べつししてるんだ」

[Pg 112]と、そらあふいで、「見玉みたまへ、そらえて、つきあざやかにかゝつてる、むしでもあきかんじていてる」

「ふゝん」と健次けんじあざわらつたが「しかしね、僕等ぼくら寄生蟲きせいちうにもながれてるしなうはたらくから、餘計よけいなことをかんがへていかん、ぼくこぶしにもちからがある」と、秋風しうふうながかみかせ、おもひにしづんでる箕浦みのうらにぎつていそいであゆんだ。

つきれて、あたらしいひかり緣側えんがはげてゐる。今迄いままでにはたはむれてゐた連中れんちう大方おほかた客間きやくまあつまり、二つの食卓しよくたくうへにはすしかきくり盛上もりあげられてゐる。健次けんじ緣側えんがはつて一見渡みわたした。片隅かたすみ妻君さいくんとおつるとお千代ちよとが鼎形かなゑがたすわり、すしむさぼりながら、なにはなしてはわらつてゐる。ひかり正面まともけて、妻君さいくんしろと、くれなゐみどりの二つの指環ゆびわのちら〳〵うごくのがいた。

菅沼すがぬまさん、此處こゝたまへ、貴下あなたがゐなくちや駄目だめだ」と、久保田くぼたんだ。れはかほ熟柿じゆくしのやうにして、胡坐あぐらき、そのまへには博士はかせが三四さいをとこかゝへて、[Pg 113]ひと笑壺ゑつぼつてゐる。

久保田くぼたこゑいて、妻君さいくんもおつるはしいて健次けんじ見上みあげた。健次けんじ目禮もくれいして

「おつるさんにもしばらくだね」と、かきかはれたぼんまたいで、三にんそば割込わりこむ、

箕浦みのうらきみ來玉きたまへ、便ついでにすしでもつまんでれ」と、通路かよひぢふさがれて、ぐず〳〵してる箕浦みのうら指招さしまねいた。

にいさん、久保田くぼたさんがんで被入いらつしやるぢやありませんか、彼處あすこ被入いらつしやらなくちやわるいでせう」と、千代ちよあにをこの平和へいわむれから追出おひださうとする。

あとくから、おまへさけでもつてれ」

彼處あちら召上めしあがればいゝに」と、千代ちよ不承ふしやう々々〴〵つてつた。

つる片袖かたそでいだくやうにしてはかまうへき、なかばくちいて、ましたかほ正面しやうめんてゐたが健次けんじ壓制的あつせいてきにそのそば箕浦みのうら引据ひきすゑると、

あにがよろしく」と會釋ゑしやくした。

[Pg 114]「おつるさんも今日けふ淑女しゆくぢよぜんとしてるね、それより箕浦君みのうらくんしやくをして、うんとましてください、今日けふはこのひと憂愁いうしうくもとざされてるから」と、健次けんじいもとから銚子てうしうばつて、おつるまへき、箕浦みのうらさかづきたせ、

「さあたまへ、きみのライフはこれで幸福しあはせになる、きみ不安ふあんねんえてしまう」

ぼくみたくない」と、箕浦みのうら不快ふくわいかほをして、さかづきしたいた。

みたくなくても、ぼくすゝめるんだからんでもいゝだらう」

菅沼すがぬまさんはほんとに壓制的あつせいてきね」と、妻君さいくんまゆひそめて、口元くちもとわらつた。

「ぢや仕方しかたがない、ぼくまう、さあいでください」

つるあがつて、不格好ぶかくかう手付てつきで二三しやくをした。

にいさん、あまり召上めしあがつちやいけなくつてよ、今夜こんやね、おとつさんがはなしたいことがあるから、はやれてかへつてれつて、わたしひつかつたのよ」と、千代ちよあにかほをのぞきんで小聲こゞゑつた。

[Pg 115]健次けんじはそれにはこたへず、さかづきかじりついてガブのみつゞけてゐた。一みなつたりんだりしてはらふくらせかほあからめ、次第しだいにぎやかになる。久保田くぼた蠻音ばんおんはますますたかく、女共をんなども笑聲わらひごゑ壓倒あつたうしてひゞいてゐた。すると幹事役かんじやく書生しよせいしきひそとち、羽織はおりひもをひねくつて餘興よきよう報告はうこくをした。

だい一、菅沼すがぬま令孃れいじやう織田おだ令孃れいじやう英語えいご朗讀らうどく來客らいきやくあらためて拍手はくしゆした。健次けんじはそれとるやたゞちに小皿こざらつたすしつて、書生しよせい部屋べやみ、肱枕ひぢまくらよこになり、手掴てつかみでひながら、しつ見廻みまはしてゐた。かさなしの小洋燈ランプひかりほそらし、片隅かたすみにはちいさい本箱ほんばこ赤毛布あかけつとでくるんだ夜具やぐがあるのみで、裝飾そうしよくほかんにもないが、たゞつくゑそばかべ新聞しんぶん附錄ふろくおもはれる美人びじん石版摺せきばんずりりつけられてある。朝夕あさゆふその持主もちぬし無聊ぶれうなぐさめてゐるのであらう。

健次けんじ酒氣しゆきはつして、うと〳〵してゐた。客間きやくまでは拍手はくしゆあひついで、しやく八のえるとピアノのきこえる。

[Pg 116]にいさん被入いらつしやい、もうかへるんですよ」と、千代ちよけてこゑたかんだが、返事へんじがないのでそばつておこした。それでも返事へんじがない。

仕樣しやうがないね」とつぶやいてつた。あと健次けんじをパツチリけた。いもと締切しめきらなかつたがギイ〳〵とかすかなおとてゝうごいてゐる。久保田くぼた詩吟しぎんとドダンバタンのおとながむ。

「オヽ騷々さう〴〵しい」とつぶやいて、妻君さいくん手燭てしよくもつて二かいからりて、何氣なにげなく書生しよせい部屋べや戶口とぐちのぞいて「あら菅沼すがぬまさん、此處こゝにゐるのですか、どうなすつて」

また千代ちよなんかの金切聲かなきりごゑかされちやならんとおもつてげてたんですが、るとつのが面倒めんだうくさくつて」と、健次けんじ大儀たいぎさうにすわつた。

隨分ずゐぶん無性ぶしやうだわね」と、妻君さいくん手燭てしよくして廊下らうかいた。

おくさん貴下あなた演奏えんそうんだんですか」

貴下あなたかなかつたの」と、妻君さいくん指先ゆびさきはしらたゝきながら、ゆきのやうなかひなあらはし[Pg 117]てゐる。薄光うすひかりに土耳古とるこ模樣もやうをびぼんやり﹅﹅﹅﹅うかんでゐる。帶留をびとめ金具かなぐひかつてゐる。んだつてあゝ何時いつまでもわかいんだらうと健次けんじおもつた。

「さうですか、わたしうと〳〵﹅﹅﹅﹅してるうちに、なんだかいゝがしたとおもつた、まだんなゐるんですか」

子供こどもれはかへつたけれど、貴下あなた連中れんぢうみなゐますよ、さあ被入いらつしやいな、これから面白おもしろはなしがあるんだから」

先生せんせい箕浦みのうらはなしかびへてるからな」と、健次けんじはひよろ〳〵と立上たちあがつた。ゆるんだをび不確ふたしか引締ひきしまへ搔合かきあはせて、戶口とぐちた。オヽデコロンのにほひがはないた。酒臭さけくさいき妻君さいくんかほ無遠慮ぶゑんりよでる。薄暗うすくら廊下らうか無言むげんゆるあるいた。

このなつピアノをきしてこゝろ妄想もうさうゑがいたときこゝろうかぶ。小說せうせつはなしなにかんじて妻君さいくんが「人間にんげん獨身どくしんうちですよ」とつて、露氣つゆけのあるけたことをおもす。おつる千代ちよまへですら、ほこつてる樣子やうすおもひやられて傷々いた〳〵しくなる。と、[Pg 118]博士はかせはいのやうなおもてにつく。

れは自分じぶん妻君さいくん寵兒ていじである、自分じぶん勝利者しやうりしやであるとおもつた。で、幼稚えうち空想くうさう放縦はうじう妄念もうねん錯亂さくらんしてあがつた。

しかし廊下らうかつたひはわづかに一分間ぷんかん火花ひばなごとえてはうか空想くうさうわづかに一分間ぷんかんぎなかつた。障子しやうじけると、殘肴ざんこうかこんで四にんがばら〳〵にすわつてゐる。

今日けふなんだか蒸暑むしあついのね」と、妻君さいくんはぽーつとあからんだかほしかめた。

菅沼すがぬまさんは何處どこくもがくれしてたのです、んな一つづゝ隱藝かくしげいしたのだから、貴下あなたも一つやらなくちやならん、箕浦みのうらさんもバイヲリンをいたのですよ」と、久保田くぼた健次けんじにぎつて「いやだとへばこのはなさない」と、わらひながら、グツとちかられてにぎめた。

「ぢや何時いつまでもにぎつてたまへ」

「さあおんなさい、謹聽きんちやうする」

[Pg 119]なにをやります、貴下あなたきな决闘けつたうですか」

「ハヽヽヽ决闘けつたう面白おもしろいが、一つ都々どゞ一でも端唄はうたでも」

うたへるの菅沼すがぬまさん、貴下あなた何時いつ無藝むげいね」と、妻君さいくん添口そへぐちした。

なにうたくらゐうたへなくはない」と、健次けんじ自己流じこりうに「あき」を胴間聲どうまごゑげてうたつて、うまくともまづくともうでもよいとふうだ。

うま感心かんしん々々〳〵〳〵」と、久保田くぼた怒鳴どなつて兩手りやうて亂打らんだし「さあ祝杯しゆくはいけんじよう………それから、一つぼく愛國あいこくうたかせます。謹聽きんちやうたまへ」と、むね突出つきだし、兩手りやうてひざき、ほそくして土佐節とさぶしうたつた。「ねやね〳〵五十ねんいのちなんをしかろくにのため」と、つよびゞきが締切しめきつた座敷ざしきなかひろがり、ひゞきとともに、かべうつつた角張かくばつたかた動搖どうえうする。

うたをはるとふといきいて、「どうだ緖君しよくんうまいでせう、こんなちいさな部屋へやぢや調和てうわしないが、荒海あらうみなみおといてうたふと、百まん蒙古勢もうこぜいでも退治たいぢするになる。つ[Pg 120]まり愛國あいこく精神せいしんうたつたのです、なあにヴアイオリンやピヤノは駄目だめだ」と怒鳴どなり、ぐつたり﹅﹅﹅﹅くびれて、「我々われ〳〵靑年せいねん太平洋たいへいやうなみおとを三味線みせんにして、このうたうたはにやならん、それに不服ふふくやつがありや、ぼく相手あひてになつて决闘けつとうする」とつて、また飛上とびあがるやうなこゑわらひ、健次けんじもたれかゝつて、

貴下あなた我黨わがとうだ、國家こくかのために自愛じあいしてたまへ、ぼく戰爭せんそうつてぬるんです、國家こくかのためにぬるんです、いまねん日露にちろ戰爭せんそうおそかつたら、ぼく遼東れうとうかばねさらすのだつたが、無念むねんだ」と、さけんで、健次けんじかたからすべちると、そのまゝたくましい握拳にぎりこぶし投出なげだして、だいなりにて、正體しやうたいがなくなつた。

博士はかせ最初さいしよからあまり﹅﹅﹅口數くちかずかず、たゞ座中ざちうはなしいて微笑にこ々々〳〵してゐる。さけも二三ばい付合つきあひにんだが紅味あかみ何處どこにもえぬ。おつる千代ちよとは遠慮ゑんりよして人形にんぎやうのやうにならんでゐる。箕浦みのうら夢見ゆめみごとうつとり﹅﹅﹅﹅してゐる。一さわぎが大嵐おほあらしあとのやうにしづまり、たゞ久保田くぼたあら鼻息はないき名殘なごりとゞめてゐる。

[Pg 121]しばらくはたがひにうち見守みまもつたのみで、れもくちかぬ。疲勞ひらういろ人々ひと〴〵かほあらはれかけた。

「もうかへらうか」と、健次けんじ箕浦みのうらちひさこゑつた。

「あゝ、もうおそくなつたね」と、箕浦みのうら金鎖きんぐさりちひさい時計とけいしてた。

「まだはやいぢやありませんか」と、妻君さいくんあわてゝ引留ひきとめて、お愛相あいさうちやいでまはつた。健次けんじちかけてまたすわつた。ほか連中れんちう容易よういちさうでない。で、おつる千代ちよとが久保田くぼた寢姿ねすがたて、なにやら耳語さゝやいてるあひだ健次けんじひざくづして煙草たばこひながら、妻君さいくんかほ見詰みつめた、妻君さいくんさびしくわらつた。健次けんじなにはんとしたが、くちこゝろつかれてしまつたのか、そのまゝくちつぐんだ。

はそれ〴〵にことなつたことをおもつて、化石くわせきのやうにすわつてゐる。健次けんじ張詰はりつめたゆるんでれかにすがりついて、自分じぶん本音ほんねいていてたくなつた。「世界せかい取殘とりのこされたさびしいひと一人ひとりある」と、自分じぶんたよりなくいやになると、妻君さいくんかほおな[Pg 122]おもひあらはしてるやうにえる。で、無意識むいしきのこりさけんでてんずると、煙草たばこけむかれた鴨居かもゐがく海波なみおぼろげにすごいろせ、とこにはきく花片はなびら何時いつにかつてゐて、燈火ともしびうすひかりたゞようてゐる。戶外そとしばらくはしんとしてゐる。

「どうした、大變たいへんしづかだね」と、博士はかせ沈默ちんもくやぶつて、ちからのない見張みはつた。

人々ひと〴〵ちがつたおもひもぱつとえて、たがひにかへりをうながし、一どう挨拶あいさつして座敷ざしきた。健次けんじあとからいてつた。妻君さいくん博士はかせとは玄關げんくわんつて、わか男女だんぢよかげ見送みおくつてゐた。

戶外そとると、健次けんじ四辻よつゝじ立留たちどまり、箕浦みのうらむかつて、

きみはこれからかへるんか、何時なんじだらう」

「もう九だよ、かへらなくちや仕方しかたがないぢやないか」

「しかしぼく物足ものたらん、このまゝかへつちやられりやしない」

「ぢや何處どこへ行く」

[Pg 123]かくきみはおつるさんをおくつてくんだから此處こゝわかれよう」

「そうか」と、箕浦みのうら千代ちよ目禮もくれいし、「ぢや菅沼君すがぬまくん近日きんじつ訪問はうもんするよ」とつて、おつるならんで曲角まがりかどまがつた。

健次けんじ箕浦みのうらわすれおつるわす久保田くぼたわすれ、桂田かつらだ夫妻ふさいがあのさわぎのあと悄然しよんぼり差向さしむかひでゐるさまをのみくつきり﹅﹅﹅﹅おもうかべ、ゆめのやうに薄暗うすぐらうちさへぎつてる立樹たちぎかへりみてゐると、

「いいお月夜つきよね」と、千代ちよそらあふいで詠歎えいたんこゑはつして、「にいさんなにかんがへて?」

「おれは最少もすこ散步さんぽしてかへるから、おまへきにかへれ」

「だつておとつさんはにいさんをつて被入いらつしやるんですよ、はやかへらにやいけないわ」

今日けふかぎつて親爺おやぢなんようがあるんだらう、病氣びやうきでもわるいんか」と、健次けんじ今朝けさ朝寢あさねをしてちゝ病床びやうせう見舞みまはずして、しやつたことをおもした。この二三にちちゝ染々しみ〴〵はなしたことはない。

[Pg 124]べつわるくもないの、今日けふはおひるからおきてるくらゐですもの」

「さうか、ぢやおれになんようがあるか、おまへらないか」

なんですか、よくらないわ、…………だけど、今日けふとなりの緖岡もろをかさんがお見舞みまひに被入いらつしやるとおとつさんはなんだか心細こゝろぼそいことをはなしてたやうだわ、にいさんのこともつて」

「おれのことを?」

「えゝ、……おとつさんは一しやう苦勞くらうしたばかりで、ちつとも取得とりえのない人間にんげんをはるんだけど、にいさんを立派りつぱそだげたのが大事業だいじげふだとつてね、自分じぶんいまんでものこをしくはない、たましひ子供こどもあたまつたはつてる、健次けんじをとこらしいおほきなかんがへをつてるから何時いつかはえらい﹅﹅﹅學者がくしやとか政治家せいぢかとかになるとつてたわ、」

諸岡もろをか隱居ゐんきよにそんなことをはなしたのか、親爺おやじの十八ばんだ、はなしたねきるとおれのことを持出もちだす、やつやつだね」

[Pg 125]「でも平生ふだんとは話振はなしぶりがちがつて、なんだかあはれつぽさうだから、わたし可笑をかしかつたわ、それでね、諸岡もろをかさんがお突合つきあひにいさんをめるとさもうれしさうだつたわ、病氣びやうきになつてからは、うまはなし立消たちぎえになつて、私逹わたしたちにまで、どうかすると、にいさんのはなしばかりしたがるんだからへんだわ」とつて、あひだいて小聲こゞゑで、「あんなふうだとおとつさんももう老耄おひぼれちやつたのね、今夜こんやあたり屹度きつとにいさんに遺言ゆゐごんでもするんだわ」とつて無邪氣むじやきわらつた。

千代ちよ止切とぎれ〴〵に家庭うちはなしをしかけて、「にいさんどうなさるの」「にいさんがなんとかいまうちきまりをつけなくちや」と、此頃このごろめづらしく大人おとなびたくちいたが、健次けんじたゞやながして、あまり相手あひてにしなかつた。

(十四)

それから二三にちして、ちゝ寢床とこはなれ、綿入わたいれかさ襟卷ゑりまきかため、トボ〳〵[Pg 126]出勤しゆつきんするやうになつたが、うちものにもにつくほどやつれて、以前いぜん元氣げんききふせたやうだ。そして每晚まいばん健次けんじかへるまでははさず、えずけてつてるやうになり、たま〳〵かほると、十ねんわかれたにでもつたかのやうに、一分間ぷんかんでもながそばきたがり、なにとかはなしをしかける。それが我子わがこ氣分きぶんそこねぬやうに如何いかにも遠慮勝ゑんりよがち態度たいどである。健次けんじにはちゝ心根こゝろねがよくき、自分じぶんうちにゐなければ心元こゝろもとながつてゐることをつてゐるが、それがかへつ不快ふくわいたまらず、大抵たいていはづしてしまう。

つぎ日曜にちえうには朝餐あさめしむと、ちゝ健次けんじむかへてか、れが雜誌ざつしいた「社會しやくわい文學ぶんがく」とだいするあはせの平凡へいぼん議論ぎろんたいし、馬鹿ばかめをしたうへ自說じせつをもきかけたので、健次けんじ苦笑くせうした。「ひとめられたくてくやうな頓間とんま眞似まねをするものか、幇間たいこもちぢやあるまいし」と、自分じぶん詮方せんかたなくてることが、なんだか他人たにんからめてもらひたさにつとめてるとおもはれるのが不愉快ふゆくわいだ。自分じぶん名譽めいよ接待せつたいあづかりたく[Pg 127]はない。

で、かれちゝまへをそこ〳〵にした。あし行場所ゆきばしよまよつて、つひ麹町かうじまちむかふ。織田おだんでるまちまでて、はうかふまいかと躊躇ちうちよしてゐると、まへの三がいだての二かいまどには、いろくろみゝめたをんなと、あを腹掛はらかけをした辮髮べんぱつをとことがあたまならべて、聲高こわだかわからぬ言葉ことば饒舌しやべつてゐる。路次ろじへだてゝとなり洋服店やうふくてんから、せいたかいろしろ毛皮けがはをぐる〳〵まきつけた西洋せいやう婦人ふじんいぬれてた。二人ふたり支那人しなじんはそれをては面白おもしろさうにわらつた。そのへんちらばつてた子供こども婦人ふじんまへあつまつた。婦人ふじん口笛くちぶゑいたり、なに早口はやくちつて、いぬあやしてゐたが、やがてみせから肥滿ひまんをとこると、一しよいさましくつた。支那人しなじん引込ひきこんでしまう。健次けんじ無心むしんてゐたが、まちもとのやうにさびしくつて、ほこりふくんだかぜかほきつけると、身震みぶるひして路次ろじはいつた。するとむかうから織田おだおほきな身體からだちゞめて、れい壞手ふところででノソリ〳〵やつてて、

[Pg 128]大層たいそうさむさうなかほをしてるね」と、微笑にこ々々〳〵かほふ。

何處どこくんだい」

一寸ちよつと買物かひものに、いま箕浦みのうらてるから御馳走ごちさうしようとおもつて…………きみもいゝとこへた、まああがつてゐたまへ、かへつてる」

健次けんじ何時いつものやうに緣側えんがはからあがつた。座敷ざしき眞中まんなか箕浦みのうらすわつてゐて、瀬戶物せともの火鉢ひばちには藁灰わらばいなかに、どつさり﹅﹅﹅﹅つてある。このまへときよりも部屋へや樣子やうすあかるさうだ、織田おだはゝちやつてて、手短てみぢかに挨拶あいさつをして引込ひきこんだきり、妻君さいくんかほえねば病父びやうふこゑもしない。

しづかだね」と、健次けんじ平生ふだんよりはひくこゑをして、「きみ此頃このごろ此家こゝへよくるさうだね、織田おだはなしふかい」と、箕浦みのうらむかうにこしゑて、そのテカ〳〵ひかつてるかほた。

「いや、滅多めつたんのだが、今日けふ織田おだ端書はがきぼくびつけたのだ」

[Pg 129]「さうか、織田おだきみひたがるのは不思議ふしぎだね、なん用事ようじだらう」

べつ用事ようじていふほどでもない」と、箕浦みのうらましてゐる。

織田おだ多少たせう得意とくいになつてるだらう」

「どうだか、餘程よほどいそがしそうだよ」

「しかし今日けふ御馳走ごちそうするちうんだからめづらしい、」

「そうだ」と、箕浦みのうら返事へんじ空々そら〴〵しいのがにつく。

おなじく交際かうさいふか友人いうじんであれど、健次けんじ織田おだたいすると、つね弱者じやくしやかばうとふやうな態度たいどり、箕浦みのうらたいすると、なんとなくおさえつけるやうな態度たいどつてゐる。そして箕浦みのうられの態度たいど左程さほどいやがりもせず、むしみづから一ゆづつて滿足まんぞくしてゐる。自分じぶん意見いけん批評ひゝやうれにもとめ、いろ〳〵の感想かんさうもそのまへ吐露とろする。しかし今日けふおほかたらぬ。なんとなくへだてをいて、何時いつものやうに詩的してきはなしもせねば、人生觀じんせいくわんみたこともはぬ。

[Pg 130]健次けんじおく病人びやうにんはゞかつて、元氣げんきのいゝくちかず、しばらくだまつてゐた。去年きよねんのまゝで薄黑うすくろくなつてる蚊帳かや釣手つりてが、隙間すきまかぜゆるうごいてゐる。箕浦みのうら呼吸こきふおともよくきこえる。で、たがひににらつてると、次第しだひえんもない他人たにんくさいろ相手あひてかほめる。

此奴こいつどうかしてるわい」と、健次けんじ冷笑れいしやうもらして、皮肉ひにくの一つもつてやらうかとおもふてると、溝板どぶいたおも足音あしおとがして、やがて織田おだかへつてた。

馬鹿ばかかしこまつてるね、どうしたい」と、大人おとなつた音聲こわねつて、目尻めじりげてジロ〴〵二人ふたりかほた。織田おだはこのまへとはつてはり、こゝろ餘裕よゆう出來できたのか、うしろ病人びやうにんのゐるのもわすれてるやうだ。平生ふだんなら箕浦みのうら喋舌しやべるのを默聽もくちやうするのだが、今日けふ自分じぶんから話題わだい持出もちだして氣㷔きえんく。

「だが、仕事しごとつとまるかい」と、健次けんじはなしなかばにくと、

つとまるとも、それに彼店あすこ主人しゆじんぼくうち事情じゞやういて、同情どうじやうしてれてるしね」[Pg 131]と、ます〳〵得意とくいで、仕事しごとはなしまで持出もちだして、「ぼくももう四五ねんしたら、基礎きそかたくなるよ、目算もくさんもちやんとつてる」

生意氣なまいきくちきやがる」と、健次けんじはらおもつた。

妻君さいくんおほきなはらをして、あをかほかみみだしたまゝ、刺身さしみ麥酒びーるはこんでた。健次けんじはこのさむいのにとおもつたが、一二はいあふつて、ひくこゑで、

きみ、おつるさんはゐないか」

「あゝあさからゐない」

いもとでもゐないと、きみうちしなびてるね、」

「なあに、いまぼく後繼者こうけいしやうまれるから、おほひ光彩くわうさいはなつさ、……きみはや後繼者こうけいしやつくたまへ、空論くうろんかないで、」

「四五日はん大層たいそう先輩せんぱいになつたね、箕浦みのうらきみ敎訓けうくんきにるんかね、このひとに」

[Pg 132]「まあ、さうだ」と、箕浦みのうら麥酒びーるれたをハンケチでぬぐひながら、「きみはなすこともあるんだが」と言淀いひよどんだ。

なにを、音樂おんがくくわいことか、」

「いや、そればかりぢやない」

「ぢやはなたまへ」

「まあゆつくり﹅﹅﹅﹅でもいゝ」

こゝでいゝぢやないか」

かへみちはなさう」

因循ゐんじゆんだね」と、健次けんじはもう微醉ほろゑひめて、おもはずこゑたかくなるにづいて一寸ちよつとうしろかへりみ、「ぼくはもうぐにかへるんだから、いまはなたまへ、どうせきみはおつるさんのかへるまでゐるんだらうから」と小聲こごゑつてわらつた。

箕浦みのうらは「そんなこと」とつたばかりでだまつてしまつた。織田おだ無神經むしんけいかほ[Pg 133]微笑びしやうしてゐたが、「今日けふぼくはなしがあつてもらつたんだ」

れいことでかい」

「うん」

「でどうきまつた、きみ重荷おもにはどうなつた」

きみぼくせつもちゐんから仕方しかたがないさ、ぼくかんがなほさなくちや」

「さうか、きみ何時いつにか、箕浦みのうらくん意氣いき投合とうがふするやうになつたんだね」

つたが、健次けんじはらなかで、「織田おだやつ、とうとう箕浦みのうらいもとでも賣付うりつけるんだらう」とおもふと、不思議ふしぎがむしやくしやして、麥酒びーるを二三ばいグイみにして、きふ立上たちあがり「さあかへらう」と、二人ふたり引留ひきとめるもなく緣側えんがはりた。

まぐれなをとこだなあ、なにかんがしたのだらう」と、織田おだ壞手ふところでのまゝしばらしきゐうへつてゐた。

健次けんじあし行場所ゆきばしよまよつたすゑつひに千駄木だぎむかつた。


[Pg 135]

 玉突屋

「二ほんがへり三つ!」と、ボーイはむしつたして大聲おほごゑさけんだ。れはうす座蒲團ざぶとんうへ几帳面きてうめんすわつて、兩方りやうはうそであはせてゐる。年齡としは十五六で、かほあをくてれて、かみうすい。

背廣せびろでつぷり﹅﹅﹅﹅ふとつたをとこは、だいにすりつてかゞめ、鳥差とりさしがとりねらふやうな態度たいどで、キユーを突出つきだした。

「三つ!」と、ボーイは袖口そでぐちからほそぼうして、ゲームばんうごかし、よこいて欠伸あくびをした。

むかうの一だい突手つきてもなく、四つのたまわびしげに片隅かたすみつてゐて、瓦斯がすひかりにぶいが、手前てまへの一だいあかるいひかりしたに、紅白こうはくたまおひおはれつ縱橫じゆうわう無盡むじんにころがつてゐる、ストーブをうしろにキユーをぎやくいて、おびゆるだらし﹅﹅﹅なくしたまゝ[Pg 136]てる角帽かくぼう靑年せいねんは「またやられさうだな」とつぶやいて、相手あひて突振つきぶりてゐたが、きふうしろかへりみて、「中原なかはらあときみもうやらう」とりきんでつた。はしらにもたれてワツフルをつまんでゐた中原なかはらは、時計とけいて、

「もう十二ぢやないか、明日あすにしやう」と落付おちついたこゑふ。

「いや、明日あすしばつて、あのはなしめてなくちやならん」

「なに、しばはういそがなくてもいゝさ」

「だつてはやめなければになつてならん、相手あひて愚圖ぐづだから」

急勝せつかちだね」と、中原なかはらはゲームばんて、

栗山くりやまさん、今日けふ全勝ぜんしようですね」

「へゝゝゝ」と、栗山くりやまはキユーをしごいてゐたが、コツツとおとがして、手玉てだまれたので、「こりやどうした」と、禿頭はげあたまつるり﹅﹅﹅でゝ、いやわらひをして、ストーブのそばた。

[Pg 137]「さあ一キユーでるか」と、角帽かくぼういきほひよく立上たちあがり、チヨークをギシ〳〵けながら玉臺たまだいて、チエツと舌打したうちして「いやたまだね」とくびを二三ひねり、「かうつてかうるか」とだいうへあがつて、邪慳じやけんにキユーをした。兵子帶へこおびだらり﹅﹅﹅れる。

「二つ」と、氣拔きぬけのしたこゑでボーイがぶ。

「おい五だぜ、しつかりとれ、ゲームりならゲームりらしくするんだぜ」と橫目よこめでぢろりとボーイをた。

「五つ」とボーイはかぞなほして、をぱつちりけたが、次第しだい上目葢うはまぶたれてる。生欠伸なまあくびのどいてるのをやうやころしたが、なみだうかぶ。

角帽かくぼうまゆしかめ、くちひねり、くびうごかし、えりゆるくボタンのれたシヤツのひろてるのもかまはず、熱心ねつしんいてゐる。栗山くりやま葉卷はまきさきつめでつゝきながら、「たまいま時分じぶんからよくける、不思議ふしぎなものだ、世間せけんしん﹅﹅としてるとキユーもえて[Pg 138]る」と、ストーブにかほほてつ﹅﹅﹅てゐる。

「ぢや、今夜こんや徹夜てつやしてきますか」と、角帽かくぼうはクシヨンの方向はうかうはかつてゐる。ボーイは氣遣きづかはしさうに栗山くりやまかほてゐたが栗山くりやまは「へゝゝゝ、徹夜てつや面白おもしろいな、明日あす日曜にちえうだし」と、わるくすると徹夜案てつやあん成立せいりつしさうなので、かすかに溜息ためいきをついた。で、すわなほして、あししびれをさすり、ぺこ〳〵のはらちかられ、「二つ」「三つ」と付元氣つけげんきさけんだが、あたま次第しだいさがつてぽうつとする、と、身體からだべたからする〳〵﹅﹅﹅﹅引上ひきあげられるやうなになり、そのまゝとほところつてかれさうになつたが、ガチヤツとおとがしたのでほそけて、「三つ」と夢心地ゆめごゝちさけんだ。十二つた。

栗山くりやまねつあせばんだ白粉こなりかけ、立變たちかはつてキユーをり、「はやものだ、もう十二だ、うちりや、とてもいま時分じぶんまできてらりやしない」

中原なかはら昨夜ゆうべいま時分じぶんはどうだい」と、角帽かくぼう意味いみありげににやり〳〵とわらつてゐる。

[Pg 139]「フヽン」と、中原なかはらはコークスを指先ゆびさきつまんで、ストーブへみ、「おかげ今日けふは二ごろまでてしまつた」

きてはたまき、んぢやてりや、それではるるんだが、どうもかう玉突屋たまつきやにばかり日參につさんしてゝもこまるよ」

「いゝぢやないか、學問がくもんへなきやキユーボーイになるさ、そのはう洒落しやれてるぜ、フツ〳〵〳〵」

「それも呑氣のんきでいゝね、しかし何時いつまでもこんなことをしてあそんでもゐられまいよ」

良心りやうしんとがめるか、きみやそんなことをちよい〳〵かんがすからさけたま上逹じやうたつしないんだよ、」

「さうだね、すくなくともきみたいかすほどにならなくちやしやくさはらあ」と、ワツフルののこりをむしや〳〵たひらげた。

勝負有ゲーム」とボーイは三にんかほ順々じゆん〴〵たが、北風きたかぜ玻璃窓ガラスまどふきつけるので、おと[Pg 140]いたゞけでくびをすくめて兩手りやうて前垂まへだれしたれてせなまるくした。

「さあ、も一」と、角帽かくぼうひからせて、たまならべる。

ボーイはうらめしげなかほつきをして、「栗山くりやまさん、も一ゲーム如何いかゞです」とあはれなこゑつた。

「もうおそいからさうか」と、栗山くりやままよつてゐる。

「一まへか」と、ボーイは獨語ひとりごとのやうにつたが、角帽かくぼうおびなほして威勢いせいよく、「なあに、まだ十二を十五ふんぎたばかりさ、十ぷんもあればゲームになりますよ」とうながすので、栗山くりやま時計とけて、「いま二十ぷんだね、ぢや、やるかな」とキユーをつて、「どうです、十ぐらゐげますかね」

「なあに大丈夫だいじやうぶ今度こんどけたらたまはおめだ」

「いやきみめる〳〵もあてにやならんよ」と、中原なかはらこしけたまゝあし拍子びやうしつてゐる。

[Pg 141]ボーイはゲームばんなほして、「二つ」「三つ」「五つ」とかぞしたが、すこあたりが途切とぎれると、まへかゞみさうになる。ねむりをまぎらしたくも、軍歌ぐんかうたへず、あしうごかせず、うごかぬ。で、詮方せんかたなしにひしばり見詰みつこゝろらしてゐると、かつとした目眩まぶしひかりまへひろがつて、あをだいしろたまあかたまとが、なみうへにでもたゞよふてゐるかのごとえる。しかし無意識むいしきに「二つ」「三つ」とさけんでゐたが、やがてくちゆるんで、こゝろがとろ〳〵になり、自分じぶん故鄉こきやうをとゝれて繍眼兒めじろりにつてるになつた。えだうへみどりはねかさつて、一ところにピー〳〵いてゐる。で、黐竿もちざほつて近寄ちかよらうとしたが、身體からだしばられてるやうでちかづけぬ。矢鱈やたら藻搔もがいてると、ズドンとおとがして、とりんでしまつた。

「おい吉公きちこう」と角帽かくぼう怒鳴どなつて、「居睡ゐねむりなんかしないでゲームをれ、いままでよくかぞへなかつたんだらう、こゑがしなかつた」

「いえ、かぞへてゐたんです」と、出鱈目でたらめかずつて、「十八ゲーム」

[Pg 142]「ふゝん、いよ〳〵取切とりきるか」と、角帽かくぼう微笑々々にこ〳〵してだいまはつてゐる。

「さあ、それがんだら、おれが最後さいごの一げきあたへてかへることにしよう、もうそろそろねむくなつた」と、中原なかはら欠伸あくびをした。

夜番よばん拍子木へうしぎそこからのやうにかすかにきこえる。

ボーイは百ねんも千ねんも「二つ」「三つ」と繰返くりかへし〳〵さけばねば、打倒ぶつたふれて熟眠じゆくすゐ出來できうん脊負せおつてるやうにかんじて、淚聲なみだごゑで「あたりゲーム」


[Pg 143]

 六號記事

わたしれいごとぜんそば新聞しんぶん引寄ひきよせ、朝餐あさめしべながらとほしてゐたが、ふと三めんすみ津坂つさかきん一(木版業もくはんげふ)が二かいからちて即死そくししたとある塵屑ごみくずあつかひの六がう記事きじの一つをんで、ひさしくわすれてゐたこのをとこことおもし、きふ氣分きぶんふさいで、肝心かんじん食事しよくじ不味まづくしてしまつた。わたしのやうななみだもろ人間にんげんは、知人ちじん死去しきよ病氣びやうきほういただけで、ぐになか心細こゝろぼそ手賴たよりなくかんずるのだが、左程さほどふか交際つきあひをしたのでもなく、たゞ偶然ぐうぜんひになり、二三カげつあひだ時々とき〴〵往來わうらいして、ふたゝえんのない道路だうろひととなつた津坂つさかは、かへつ懇意こんい友人いうじんよりもみて、ひとはかくてくかとのかんたれる。れのデツプリふとつた赭顏あからがほも、多少たせう上方かみがたなまりのこれるゆつたり﹅﹅﹅﹅した語調ごてうも、わたしおくみゝなかふかとゞまつてゐて、いまもはつきりとおもうかべられるが、それは最早もはや死人しにんかげぎぬのだ。

[Pg 144]わたしはじめて津坂つさかつたのは、去年きよねんはるはじめ。まだ尾張町おはりちやう淸元きよもと師匠しゝやうの二かいりて、きのえぬくらしをしてゐたときである。師匠しゝやう藝者げいしやあがりの意氣いきをんな。もう四十ぎでかほ小皺こじわえてゐるが、口先くちさきうまくて、情人いろ取持とりもちぐらゐ何時いつでもしてれさうなので、近所きんじよ狼連おほかみれんしきりに出入でいりしてゐた。津坂つさかもその一人ひとりで、ほそくして、がらにないこゑしぼし、「よい初夢はつゆめを三つ蒲團ぶとん」だの「辨天べんてんさんと添伏そへぶしの」だのとうなつてるのを、わたし屡々しば〳〵洩聞もれぎきをしてゐた。で、このをとこ木版屋もくはんや親方おやかた下職したしよくを二三にん使つかつて氣樂きらくくらしてゐること、さけきなこと、釣魚つりきなことなど、師匠しゝやうからうはさいてゐたが、わたしにはほか連中れんぢうちがつたことなく、挨拶あいさつ一つするでもなかつた。しかるにれは、或朝あるあさ無斷むだんで二かいあがつてて、階子段はしごだんそばにどつかりすわり、もう酒氣しゆきびたかほ微笑びせううかべ、「失禮しつれいですが、一寸ちよつとねがひがごあして」といふ。

なんですか」と、わたし振向ふりむくと、

[Pg 145]じつはね、いま師匠しゝやうくと、貴下あなたにおねがひしたらとまをすんで、失禮しつれいですが突然だしぬけうかゞひました」

「で、用事ようじなんです」

まこと御面倒ごめんだう相濟あひすみませんが、じつわたしせがれ亜米利加あめりかまゐつてるのでね、一つ其奴そいつに手紙てがみおくりたいのでごあすが、上書うはがき貴下あなたに一ふでいていたゞきたいとおもひまして」と、重苦おもくるしい調子てうしふ。

承知しやうちしました、いまきませう」と、わたし津坂つさかから手紙てがみ受取うけとり、封筒ふうとうにペンで桑港サンフランシスコ何街なにまちいて、

貴下あなた子息むすこさんはなにをしに彼地あつちつてるのです、矢張やはり木版業もくはんげふですか」

「なあに、たゞなんてことなしにまゐつたんですが、此頃このごろ商店しやうてんはいつて中々おかねれるさうです、日本にほん版木はんぎいぢりしてるよりや結構けつこうでさあ」

「さうでせうね、貴下あなた商賣しやうばい隨分ずゐぶんまる仕事しごとでせう」

[Pg 146]「えゝ、辛氣しんきくさ面倒めんだう仕事しごとですよ、だからわたしども仲間なかまみなさけむか、なん道樂だうらくをしないやつはごあせん、まつたこんきますからね」

「しかし貴下あなた道樂だうらく多過おほすぎるぢやありませんか、釣魚つりもおきださうだし、これもうまいし」と、わたし自分じぶんのどした。

「へツ〳〵〳〵」と、津坂つさかはツル〳〵したほゝでながら「しかしこれで手間てまなまけて日限にちげんくれるてことはごあせん、仕事しごと仕事しごと道樂だうらく道樂だうらくですからな」と、れはおもたい身體からだ持上もたげ、幾度いくど謝意しやいべ、「是非ぜひあそびに被入いらつしやい、わたしうちぐこのうらですから、いづれそのうち沙魚はぜでもおれいつてまゐりませう」と、階下したりたが、門口かどぐちるとなに小聲こごゑうたつてるやうであつた。

それから四五日後にちごわたしある友人いうじんから甲州かふしう土產みやげもらつた水晶すゐしよう印材いんざいさがし、津坂つさからせやうとおもつてたづねてくと、津坂つさか筒袖つゝそで仕事しごとをしてゐる。ひくつくゑうへ凸鏡レンズを置き、ほそ小刀こがたな微細こまかつてゐたが、わたしかほると、「やあよ[Pg 147]らしつた」と、きふ笑顏ゑがほつくつて振向ふりむき、くろ眼鏡めがねはづしてすわなほした。

いへひろくはないが日當ひあたりがよく、主人しゆじん潔癖けつぺきえて諸道具しよだうぐはキチンと整頓せいとんし、ちりぽんもないやうに拭掃除ふきそうぢ行屆ゆきとゞいてゐる。如何いかにも居心地ゐこゝちのよいうちだ。片隅かたすみには弟子でし二人ふたりだまつて一しん仕事しごとをし、つぎには妻君さいくんをんなわらごゑがしてゐる。成程なるほどうなときうなり、ときんでも、仕事しごとにはれるとつたが、このをとこはらしまりのある、しつかりものであらう。この仕事しごとたゞけでも、だらし﹅﹅﹅ないおもむきすこしもえず、版木はんぎ几帳面きちやうめん積重つみかさねられ、のこぎりきり取散とりちらされてはゐない。つくゑそばはしらにはこひかたち花瓶はないけるし、一くき水仙すゐせんしてゐる。

今日けふはおいそがしさうですね、」と、わたし彫刻ほりたのんだあとつた。

なに、さうでもごあせん、此頃このごろ木版もくはん流行はやらなくなつて、ひまこまつてるくらゐでさあ、まあ、ゆつくり﹅﹅﹅﹅はなしてらつしやい、貴下あなたにおたづねしたいこともあるんですよ」と津坂つさか充血じうけつしたをこすり〳〵、稽古けいこときとはつてかはつて眞面目まじめかほふ。

[Pg 148]「ぢや、もすこあそんできますから、わたし遠慮ゑんりよなく仕事しごとをしてください、はなし仕事しごとをしてゝも出來できる」

「いや、わたしやね、道具だうぐつと、ちやんとげるまでくち一つけんくらゐでしたよ、こんなやくざ﹅﹅﹅うででも、さあ仕事しごとだとなると、たましひるんですね、ところ此頃このごろへんですよ、仕事しごととりかゝると、平生ふだんおもひもつかんことがごた〴〵とかんがへられます、もう二十ねんもこの仕事しごとをやつてゝ、こんなことは一もなかつたのですがね、どうも不思議ふしぎだ」とかんがむ。

なうわるいんぢやないですか、あまりさけぎて」

「なあに、わたし身體からださけぐらゐよはるやうなのぢやない」

つて、れい重苦おもくるしいこゑわらふ。それから前夜ぜんや勸工場くわんこうば火事くわじ面白おもしろかつたことを手眞似てまねきではなし、また市區しく改正かいせいとほりの鞄屋かばんや立退たちのかねばならんので、この近所きんじよ家屋敷いへやしきつて新築しんちくするさうだから、自分じぶんいへたか賣付うりつけてやるなどゝ氣燄きえん[Pg 149]いた。その態度たいど話振はなしぶりがすこしも隔意へだてなく、はじめて訪問はうもんしたわたしたいしても、さながらながあひだ知己ちきのやうであるので、わたしうれしくなり、おもはず長座ちやうざをした。そしてれのうへくと、大阪おほさかうまれで、ちさときから酒屋さかや奉公ほうこうしてゐたが、身體からだふとつてるせいか、飛廻とびまはるのがいやで、つひにこの商賣しやうばいならふことゝなつたさうだ。

「さやう、はじめて三文判もんばんしたのが、二十はたちとしですから、丁度てうど二十五ねんこれで御飯ごはんいたゞいてます、しかし木版もくはんなんか、もう駄目だめですな、なにうん﹅﹅もうかるたしかな商賣しやうばいはごあせんか、先日こなひだも、或方あるかたが、これから寫眞版しやしんばんなんかゞ進步しんぽすると、木版もくはんのやうな不完全ふくわんぜんものなくなつてしまふと仰有おつしやるので、心細こゝろぼそくなりましたよ、げんわつしのお受合うけあひしてる新聞しんぶん雜誌ざつし仕事しごとが、大分だいぶん寫眞版しやしんばんふんだくられてしまふんですからね、本當ほんたう心細こゝろぼそうごあすよ、わつし家内かないもらつて一本立ぽんだちになつたとき親方おやかた貴樣きさまはそれだけうでけば、大丈夫だいじやうぶしやう飯櫃めしびつはなれつこはないつて受合うけあつてれたんですが、どうもね、かはりや仕方しかたがごあせんや、」とつて下職したじよくかへりみ、「だから彼奴等あいつら[Pg 150]にもつてかすんです、こんな手賴たよりにならん稼業かげふわかうちはや見限みかぎつて、なにいたたしかな仕事しごとをしろつてね」と、これが淸元きよもとうなつてるをとことはおもへぬほど生眞面目きまじめで、はらそこからかんじてゐるやうだ。下職したしよく一人ひとりおほきな眼鏡めがねごしこつそり﹅﹅﹅﹅此方こちらて、くちあたりわらつてゐる。わたし親方おやかた愚痴ぐちむし可笑をかしくかんじたが、多少たせうなぐさめてやるで、「でも木版もくはん日本にほん特有とくいう美術びじゆつだから、すたれる氣遣きづかひはないでせう、西洋せいやうでも此頃このごろ日本にほん木版もくはんには感心かんしんしてるんだから」

「さうですかな」と、なほ多少たせう不安心ふあんしんらしい。

わたし仕事しごと邪魔じやまおそれて、いて引留ひきとめられるのをしてかへりかけると、津坂つさか跛足びつこくやうにして、おくつてて、「近々ちか〴〵釣魚つりつてどつさり﹅﹅﹅﹅つてますから、そのときやおたくおしかけて一ぱいやりませう」と約束やくそくした。

その四五にち心待こゝろまちにしてゐた甲斐かひもなく、れはさらかほせず、稽古けいこにもぬらしい。無聊ぶれう友懷ともなつかしいわたしは、つひ待切まちきれずして、あるばん此方こちらからたづねてたが、[Pg 151]生憎あひにくれが無斷むだん何處どこかへつたあとで、妻君さいくんは「おたくへお稽古けいこにでもつたことゝおもつてゐました」とつて、氣遣きづかつてる樣子やうす

わたしはあんまり懇意こんいでもないうちへ、度々たび〴〵あそびにくのをへんだとおもつて、それあしけず、ほとんどわすれかけたころ師匠しゝやうわたしむかつて、

木版屋もくはんや親方おやかた腦病なうびやうとかなんとかで、とほりでたほれたんですつてね」と平氣へいきふ。わたし吃驚びつくりして「ぢや腦充血なうじうけつですか、さけぎたんだらう、そして生命いのちはあつたんですね」とふと、

なんでもね、くら〳〵つと眩暈めまいがしてころんだんださうですよ、それでもうちちかくだつたからたすかつたんですわ、まだすこしは性根しやうねがあつたのか、無我むが夢中むちうで四つひをして、やつとこさでうち閾側しきゐぎはまでかへれたのですつてね、隨分ずゐぶん可笑をかしかつたでせうよ、あのふとつたをとこ眞晝中まつぴるなか大通おほどほりをつてあるいたとふんですから」と、師匠しゝやうわらした。

[Pg 152]「それでも、もうよくなつたんですか」

「えゝ、があのとほ丈夫じやうぶなんですもの」

と、はなしはこれだけでんだ。で、わたし一寸ちよつと門口かどぐちまで見舞みまひにつたが、遠慮ゑんりよして病人びやうにんにははなかつた。

それから二十日はつかあまり、まど差込さしこはるめつきり﹅﹅﹅﹅あたゝかくなり、一ふゆ着通きとほしの襟垢ゑりあかみついた下着したぎぎ、かるのび〳〵﹅﹅﹅﹅とした時分じぶんおもひがけなく津坂つさかはいつてた。相變あひかはらずふとつてゐるし、かほあかいが、まへほどいきほひがなく、くちびるくろちてゐる。

病氣びやうきはどうです」と、わたし欄干てすりしてる座蒲團ざぶとんつて津坂つさかかせた。

「へゝゝゝ、どうもよわつちまひました」と、れはくちくのが、如何いかにもるさうだ。

「一たい何處どこわるいんです」

[Pg 153]何處どこつて餘程よほどへんですよ、醫者いしやはな病氣やまひもとだらうつて、切開せつかいしてれたんですが、矢張やはりりよくなりません、なんでもかうあたまはしはうかぜばされさうになるんでね、一にちになります」とひだりあたまでまはす。

「なあに養生やうじやうしてりやなほるさ、さけめて釣魚つりをしたりうたうたつてあそんでたらいゝでせう」

醫者いしや寢酒ねざけすこぐらゐはいゝつていふんですが、なんだかおそろしくて、さかづきると身震みぶるひがして一しづくになりません、どうもめうものです、ぎやぎで身體からださはるなんて、ついぞおもつたことはなかつたんですがね、二十日はつかさけつたのは今度こんどはじめですよ、それで氣晴きばらしに釣魚つりにでもけとすゝめられるんで、二三にちまへ小僧こぞう一緖いつしよきましたが、ひろうみあをなみうごいてるのをると、自分じぶんもそのなかまれさうでこはくてなりません」

「ひどく臆病おくびやうになつたんですね」と、わたしおほきなをとこ悄然しよげ樣子やうす憫然みじめかんじた。

[Pg 154]んながさうまをして笑ひます、何處どこ身體からだくさびゆるんだんですかね、それでよる碌々ろく〳〵つかれませんから、いろんなことをかんがへますが、つまりいま稼業かげふわるいんでさあ、すわつてゝこまかしい仕事しごとを二十ねんも三十ねんつゞけてたから、こんな病氣びやうきとつつかれたんだ、つまり木版もくはん取殺とりころされたのです、それもどつさり子供こどものこほど身代しんだいでも出來できることか、商賣しやうばい衰微すゐびして、このさき糊口くちすぎさへ六ケいんですからね、昨日きのふ氣晴きばらしに銀座ぎんざからまるうちはうあるいてましたが、世間せけんには木版もくはん稼業かげふよりやいゝ商賣しやうばいいくつもころがつてる、何故なぜ自分じぶん酒屋さかや奉公ほうかうめたとき呉服屋ごふくや丁稚でつちにでもならなかつたのだらう、何故なぜ銀行ぎんかう給仕きふじにでもならなかつたのだらう、さうすれば何時いつまでも五たい丈夫じやうぶで、仕事しごと衰微すゐびすりやしないのに、よくも〳〵人間にんげんくづ木版屋もくはんやなんかになつたことかと、つく〴〵いやになりました」

「そんなにふさがなくてもいゝでせう、さけめなけりや、うたでもうなつて陽氣やうきにやるさ、腦病なうびやうぐらゐなほつてしまふ」

[Pg 155]うなつても五たいわるかあないでせうか」

わるいものか、かへつてくすりになりますよ」

「さうですかね、どうもわるいやうながしてならん」

「そんなことはないさ、だいきなものなにもかもふうじてしまつちや生甲斐いきがひがないでせう」

「さうもおもふんですが、どうもこはうごあしてね、くちつばきてもさかづきになれません」と、津坂つさかだるく﹅﹅﹅目葢まぶたこまねいてゐたが、しばらくしてあたま持上もたげ、

御面倒ごめんだうですが、一つ亜米利加あめりかせがれにやる手紙てがみいていたゞけますまいか、わたしくといゝんですが、ふるへてけませんから」

「よろしい、いまでもいてげますが、なんつてやるんです、病氣びやうきのことですか」

「え、病氣びやうきらせてやりたいんですが、あれなに仕事しごとめるときにや、きのたしかな何時いつまでも繁盛はんじやうするやうな仕事しごとえらべと、御面倒ごめんだうですが一ふで書添かきそへくださいまし」

[Pg 156]「それで貴下あなた御病氣ごびやうきでも心配しんぱいするにやおよばん、かへるにもおよばんといてやるんですね」

左樣さやう、どうせれがわたし後繼者あとゝりだから、わたしねばかへらなくちやなりませんが」とつて、きふ厭氣いやきしたか、まゆひそめてかぶりり、「なにまだ大丈夫だいじやうぶですよ、だから心配しんぱいするな、しつかりかせげとおください」

で、わたし洋紙やうしへペンできかけると、津坂つさかすこ伸上のびあがつて、をペンさきくばり、取留とりとめなく用向ようむきをてる。

やがてしたゝをはり、吸取紙すゐとりがみ墨汁いんきうるみをかはかせて、わたしねんのためにんでかせた。

拜啓はいけい當地たうち春暖しゆんだんこう時節じせつさくらきかけまをそろはゝ無事ぶじいもと無事ぶじ御安心ごあんしん相成あひなるべく、ちゝ先月せんげつらい腦病なうびやうにて仕事しごとやすそろが、ほんの輕症けいしやうなれば、べつ御配慮ごはいりよにもおよまをさずそろ先日せんじつ御申越おんまをしこし事件じけん……」云々うんぬんと、宛名あてなまでをはり、

「これでいゝんですか」といた。

[Pg 157]「えゝ結構けつこうです、どうも有難ありがた御座ございます」

と、津坂つさかかしらを二三げたが、わつし手紙てがみ封筒ふうとうれかけるのをて、さも言憎いひにくさうに、「はなは御面倒ごめんだう申兼まをしかねますが、わつし病氣びやうきのことを、もつと、なんとか色艶いろつやをつけていていたゞけますまいか」とふ。

わたし不思議ふしぎおもつて、「ぢやどうくんです、病氣びやうきおもいとつてやるんですか」

「いえ、おもいでもありませんが、せがれがこの手紙てがみめば、親爺おやぢどく可愛かあいさうだと、なみだの一しづくくらゐおとすやうにいていたゞきたいとおもひましてね、」

「だつて、それぢや御子息ごしそく心配しんぱいなさるでせう」

「それもさうですね、」とすこかんがへて、「しかし、わつし手賴たよりにするのはればかりで、此頃このごろ每晚まいばんのやうにれをゆめます、だからわつしさけまずに每日まいにちなにあんじてくらしてる樣子やうすを、よくちるやうにらせてやつてれがわつしことゆめにでもるやうにさせたいんです、さうでもしないと、なか心細こゝろぼそくつてなりません」

[Pg 158]隨分ずゐぶんむづしい御註文ごちうもんだが、ちからぱい工夫くふうしてませう」

と、わたしは三十分間ぷんかんかんがへ、三四書直かきなほして、あはれつぽい文句もんくを二つ三つくはへ、したゝをはつてんできかすと、津坂つさかひざいてみゝかたむけ、かんたれてか、どんより﹅﹅﹅﹅したなみだをさへうかべた。

結構けつこうです〳〵」と、れはむねわだかまりけたごとかんじたらしく、手紙てがみつていさましく二かいりた。

それから五六にちのち津坂つさかわたしにかの水晶すゐしやういんおくとゞけたが、それとともに、多年たねん大切たいせつにした自分じぶん見臺けんだいを、師匠しゝやう進呈しんていしたさうである。わたしもなく轉宅てんたくしたから、その津坂つさかはぬ。手紙てがみ遣取やりとりもせぬ。たゞ遺物かたみいんいま座右ざいうにあり、その面影おもかげいまわたしのこつてゐる。


[Pg 159]

彼れの一日

れ――黑塚くろづか白雨はくう――は九ました。下女げぢよ紙箒はたきおと部屋へや兩隣りやうどなり騷々さう〴〵しくきこえる。電車でんしやおとがギイ〳〵みゝひゞく。れはいままでうつら〳〵﹅﹅﹅﹅﹅﹅あさゆめてゐたのだ――草山くさやまあか鉢卷はちまきして逆立さかだちしてをどつてる。喇叭ラツパ太皷たいこはやてる。自分じぶん手拭てぬぐひあたまつまつてをどらうとする。場所ばしよなんでも七八年前ねんまへんでた西方寺さいはうじの一しつらしい――れはそのゆめかんがへてやながした。しやには素面すめんでカツポレををどひとがあるが、自分じぶんなにかの拍子ひやうしで、一度いちど琉球節りうきうぶしうたつたため、いまおもしても冷汗ひやあせる。なんだつてあんなゆめたことか……

れは身體からだのばして新聞しんぶんり、また寢床ねどこへずりんで、それをひらいた。朝日あさひ障子しやうじ破目やれめとほつて、新聞しんぶんまるうつり、あざやかにひかつた。れは一とほんでしまうと、むく〳〵とき、小走こばしりで洗面場せんめんばつた。五分間ふんかんばか冷水れいすゐ摩擦まさつ餘念よねんがない。これ[Pg 160]は十ねんまへ身心しん〳〵鍛鍊たんれんのためにはじめたので、いまはその必要ひつえうかんじてるのではないが、たゞ習慣しふくわんめられぬのだ。このさむいのに醉興すゐきようなと、ひとへば自分じぶんにもおもふ。しかし苦學くがく時代じだい名殘なごりがまだゑてしまはぬ。

れは朝食あさめしますと、元町もとまち停留場ていりうばから電車でんしやに乗つた。

車掌しやしやう回數券くわいすうけんはさみれるまでは落付おちつかなんだが、おちやみづわたとき、その車中しやちう役目やくめ一安心ひとあんしんした。そしてこまねいた。れはかねて往復わうふく乗車じやうしや時間じかん利用りようして獨逸語どいつご硏究けんきうするつもりで、今日けふ懷中くわいちうにヂヤーマンコースをひそませてゐるが、容易ようゐ取出とりださうともしない。數寄屋橋すきやばしまで二十分間ぷんかん此頃このごろれいにより取留とりとめもない空想くうさうふけつた。空想くうさうつても翠帳すゐちやう紅閨こうけいうかんでるのでもなく、天外てんぐわい無窮むきうきやうおもおよぶのでもなく、れのかほ乾涸ひからびてゐるごとく、その空想くうさう乾涸ひからびてゐる。

あさんだしや新聞しんぶん記事きじ斷片的きれ〴〵あたまうかび、空想くうさうがそれに附随ふずゐしてまはる――。[Pg 161]自分じぶんちからめていた或派あるは議員ぎゐん買收ばいしう記事きじこと〴〵抹殺まつさつされ、今朝けさ新聞しんぶんには一ぎやうてゐない。そしてくだらない記事きじどつさり﹅﹅﹅﹅てゐる。電車でんしや會社ぐわいしや重役ぢうやく手前てまへ勝手かつて意見いけんが、さももつともらしく長々なが〳〵てゐる。あれをいたのは佐々良さゝらちがひない。彼奴きやつなに魂膽こんたんがあつていたのだらう。しからんやつだ。つね新聞しんぶん自分じぶん利益機關りえきゝくわんのやうにもちひる。どうおもつてもしからん。それで洒蛙々々しやあ〳〵としてさらこゝろにもかほにもやましいふうはない。……紙面しめんにぎはひと大憲法だいけんぱふもとには、はりほどのことも仰山ぎやうさん吹聽ふゐちやうして、ひと迷惑めいわくけ、讀者どくしや虛僞きよぎつたへ、やうやく下宿げしゆくれうるからぬの報酬はうしうもらふ。なさけない商賣しやうばいしからん職業しよくげふだ。たま〳〵正義せいぎおもつて破邪はじやふでふるふと抹殺まつさつされる――

れの空想くうさうは一てんして今日けふ晝飯ひるめしかんがへた。蕎麥そば五目鮨ごもくずしあんパンが早速さつそくあたまうかぶ。どれもどれも度々たび〳〵ことはなについてる。たまにやかはつたものしい。――つひに「大新たいしん天麩羅てんぷら」とはらむしさけんで、れはわれらずたもとから蟇口がまぐちしてた。銀貨ぎんくわが六[Pg 162]せんばかりある。入社にふしや以來いらいねん月給げつきう居据ゐすわりで、てんドンは十三せんから十八せんになつた。どうかしなくちやならん正義せいぎよばはりもないもんだ。

まがりますから御注意ごちういを」と、車掌しやしやう大聲おほごゑ機械的きかいてきつた。電車でんしやはげしく動搖どうえうする。つてる乗客じやうかくくつかゝとれの爪先つまさきんだ。れはかどつたうらめしさうに相手あひて後姿うしろすがた見上みあげた。電車でんしや落付おちつくと、れはまたぢる。

ゆめをどつてた草山くさやま現實げんじつかほ憎々にく〳〵しく浮上うきあがつてる。――あの野郞やらう社長しやちやうにおべつかつて、づるいことをしてやがる。俳優やくしや投票とうひやう小說せうせつ懸賞けんしやう募集ぼしふみな彼奴あいつ差金さしがねだ。ていよく社長しやちやういて、しや發展はつてんためだと、おためごかしに自身じしん勢力せいりやく擴張ゝわくちやうをやつてる。出勤しゆつきん時間じかんだつてちつともまもつてゐない。あさおそばんはやかへる。よく注意ちういしててるに、おれの三ぶんの一の仕事しごとさへしてらん。それに世間せけんからは、やれなに新聞しんぶん敏腕家びんわんかだの、新進しん〳〵小說家せうせつか御座ござるの、劇通げきつうさふらふのと、出放題ではうだい稱賛しやうさんをしてゐる。なんだいれが、ろくそつぽに語學ごがく出來できねば、文章ぶんしやうだつておれのからるとちつとも[Pg 163]うまくはない。腕前うでまへへば新聞しんぶんうま利用りようしては本屋ほんや提灯ちやうちんもちをして、そのおれいまづ小說せうせつ賣込うりこくらゐだ。なんでも役者やくしやからの付屆つけとゞけもありや、御馳走ごちさうにもなつてるらしい。昨夜ゆふべだつて大坂おほさか役者やくしや百尺ひゃくせき招待せうだいされたさうだ………おれは新聞しんぶんはいつてから、役德やくとくやあ、あれとれと、招待せうだいも三しきやけてやしない――

空想くうさうはふら〳〵と一てんする。「今日けふなにかう」、輪轉機りんてんきすら一だいもない小新聞せうしんぶんだから、れのごと政治せいぢ智識ちしきとぼしいものも、一しうに一論說ろんせつ割付わりつけられてあるので、今日けふがその當番たうばんだ。れはその問題もんだいさがして、增稅案ざうぜいあん移民ゐみん會社くわいしや取締とりしまりたい朝鮮てうせん政策せいさく、どれも六ケい。國民こくみん驕奢きやうしや攻擊こうげきするか、それとも惡小說あくせうせつ流行りうかう罵倒ばたふするか、どちらが手易たやすいだらうか、小說論せうせつろんにしても、どうろんじたらはや手數てすうかゝらないだらう………とかんがへたが、べつ妙案めうあんまとまりもせず、またいてまとめやうともせぬうち

數寄屋橋すきやばし

れは詮方せんかたなく空想くうさうはらつて電車でんしやりた。ノソ〳〵と二三ちやうあるいてしやくと、[Pg 164]下駄箱げたばこそば草山くさやまでつくはした。

「やあ、今日けふ馬鹿ばかはやいぢやないか」と、草山くさやまはうからこゑける。黑塚くろづかは「それや此方こちつ言分いひぶんだ」と、忌々いま〳〵しくおもつたが、、くちでは尋常じんじやうに、

きみこそはやいぢやないか、ぼく何時いついま時分じぶんる」

「さうか、女房にようぼのないものちがつたものだね」と、草山くさやま晴々はれ〴〵したこゑつて二かいあがつた。黑塚くろづかあとからいてく。

草山くさやま黑塚くろづかよりも三つ歲上としうへだが、學校がくかうおなじくクラスもおなじく、とも苦學生くがくせいで、半年はんとしばかりは一しよ本鄉ほんがうのおてら自炊じすゐしたこともある。黑塚くろづか入社にふしや草山くさやま周旋しうせんによるのだ。しかしいま二人ふたり生活くらしはその着物きもの結城紬ゆうきつむぎ瓦斯織がすおりちがつてるくらゐちがつてゐる。一人ひとりすでに一かま女房にようぼもあり二人ふたりもあり、多少たせう借金しやくきんもある。一人ひとり自炊じすゐから下宿屋げしゆくやうつつたくらゐで、さしたる變化へんくわもない。入社にふしや同時どうじいま下宿屋げしゆくやてんじたので、もう彼此かれこれねんおな部屋へやる。せめて宿やどでもかはつたらばとおもつてゐるが、[Pg 165]おもうばかりで斷行だんかうはしない。

そして草山くさやま屡々しば〳〵

きみなにかんか、ぼく周旋しうせんしよう、きみ原書げんしよめるんだから、そのなか面白おもしろはなしつかるだらう、なんなら、ぼくはなしてれんか、翻案ほんあん材料ざいれうに」

つて、多少たせう生活くらし補助ほじよはかつてやるが、黑塚くろづか何時いつさびしくわらつて、くびとをよこる。

ぼくはとてもけりやしない。それにどうもいそがしくつて、なにをするひまもない」とつて最後さいごは「きみ餘暇よかがあるから結構けつこうだ」と、めるのかうらやましいのかひやかすのか、このをとこ獨得どく〳〵調子てうしふ。これがれのおきまりの返事へんじだ。そしてはらうちでは「なに彼等あれら利用りようされてたまるもんか」と、ひそかに反抗はんかうしてゐる。

れは編輯室へんしうしつはいると、ストーブのそば煙草たばこを一ぽんふ。「給使きうじ、おちや原稿紙げんかうし」とぶ。そのこゑたかちからがある。軍曹ぐんさう新兵しんぺいにでも命令めいれいする口調くてうだ。草山くさやま椅子いす[Pg 166]そりみになり諸新聞しよしんぶん綴込とぢこみをてゐたが、

ひらけない奴等やつらだ。なんだつてこんな眞似まねをするんだらう」と、はなわらつて、新聞しんぶんしたき、「きみんだかい、綾瀨あやせ櫻井さくらゐ喧噪けんくわを」と黑塚くろづかかほた。

「ふん、大變たいへん面白おもしろい、綾瀨あやせ同情どうじやうする、眞劍しんけんだから活氣くわつきがある」

兩方りやうはうとも眞劍しんけんさ、だから可笑おかしい、あの連中れんぢうあさから拔身ぬきみかまへてるんだね」と、草山くさやま無斷むだん黑塚くろづか煙草たばこを一ぽんつてり、「綾瀨あやせ西方寺さいはうじ時代じだいにはよくたものだが、このごろはちつとも姿すがたせん、きみうかい。」

「いや滅多めつたはん、眞面目まじめ勉强べんきやうしてるやうだよ、あのをとこづるところがないからいい」と、黑塚くろづかこゝろなかでは、多少たせう草山くさやまあてこすつたつもりであつたが、草山くさやまつかぬふうで、

馬鹿ばか正直しやうぢきそんばかりしてると、人樣ひとさま同情どうじやうしてもらへるんだが」とわらひ〳〵つた。黑塚くろづか不快ふくわいかほをしてせきについた。れのつくゑ窓際まどぎは沿うて孤立こりつしてゐる。すゞりちり[Pg 167]すみり、およそ二十ぷんも、かんがへてゐると編輯長へんしうちやたので、

問題もんだいはありませんか、緊要きんえう問題もんだいがなければ、小說せうせつ禁止きんしについてろんじてようとおもひます、すこかんがへもありますから」とうしろかへりみた。

「ぢや、それをたまへ」と、編輯長へんしうちやう卒氣そつけない返事へんじをする。

れはふでんで一二ぎやういたが、つぎんので、原稿紙げんかうしまるめて反古籠ほごかごみ、あんなほした。つくゑ左右さいうでは草山くさやま佐々良さゝら、それに編輯長へんしうちやうくははつて競馬けいばだん株式かぶしきはなし

れはつい﹅﹅四邊あたりはなしられ、ふでさら墓取はかどらぬうち時計とけいは一回轉くわいてんする。「なんでおればかりいそがしんだらう」「社長しやちやうはこのさむさに競馬けいばつてる」と、ふやうなかんがへが、四邊あたり話聲はなしごゑしてあたまうかぶ。

黑塚くろづかくん、もう三十ぷんですよ」と、編輯長へんしうちやうてる。

れはあはてゝなになにやらわからぬながらに文字もんじ臚列ろれつし、一だんはんほどきなぐつた。こ[Pg 168]れで一日中にちゞう大役たいやくをはり、二三時間じかんく。で、ストーブにちかよつて、つめたくなつたてんドンをつた。はたらいてうまさをかんじた。めし一粒ひとつぶのこさない。

ストーブのむかうの薄汚うすぎたな新聞しんぶんだいにはをんな記者きしやる。何時いつものとほ地方ちはう新聞しんぶん切拔きりぬきをしてゐる。れは何時いつものとほり「あはれなるをんなよ」とおもつた。もう結婚けつこんぎてかほつやがなくにもちからがないとおもひながら、そのあかふさのついた可愛かあいらしいはさみうごくのをてゐた。

「このかた御面會ごめんくわい」と、突如だしぬけ給使きうじ名刺めいしした。れは言葉ことばすくなにあご指圖さしづした。しかし椅子いすから立上たちあがるにはすこあひだがあつた。をんな記者きしや切拔きりぬきつて無心むしんれをせきてんずる。れも無心むしん應接所おうせつじよく。

來客らいきやく頰髯ほゝひげ見事みごとへたをとこれをると面相めんさうやはらげ、ひかけの卷煙草まきたばこ火鉢ひばち突込つきこみ、

「どうも御多忙ごたばうところを」とうや〳〵しくこしかゞめ、「なに新聞しんぶん鶴見つるみさんが貴下あなたにおねがまを[Pg 169]といふことで」

「はあ、なん御用ごようで」

じつ今日けふ新聞しんぶんわたし學校がくかうことりますが、あれは事實じゞつ相違さうゐ御座ございましてな」と、ぼつ〳〵その理由りいうした。

「ハア〳〵」と、黑塚くろづかれていてもゐなかつたが、相手あひてくちぢるのもたず、「しかし貴下あなたのおのぞどほりの正誤せいごせん、貴下あなたはう新聞紙しんぶんし條例でうれいによつて、取消とりけしでもおしなれば格別かくべつ」と、ゑて嚴然げんぜんとしてふ。れのかほにも活氣くわつきがあつた。

「ですが取消とりけしだけではどうも」と、ひげ容易ようゐ納得なつとくしない。二三押問答おしもんだうのち黑塚くろづかは、

「この新聞しんぶん徹頭てつとう徹尾てつび責任せきにんつていてるんですから、輕々かろ〴〵しく正誤せいごせません」と斷言だんげんして、「すこ用事ようじのこつてますから、これで」と、かる會釋ゑしやくして應接所おうせつじよ[Pg 170]た。

草山くさやまはもう帽子ぼうしかぶつて編輯室へんしうしつ戶口とぐちつてゐたが、

黑塚君くろづかくんきみさがしてたんだ、一寸ちよつとはなしたいことがある」とやさしくつて、應接所おうせつじよれてつた。黑塚くろづかはポカンとして髯男ひげをとこすはつてた椅子いす腰掛こしかけた。

べついそいだはなしぢやないんだが、きみどうだね、三めんれちや、じつは三めんすこ改良かいりやうするので、きみたすけてもらうと至極しごく都合つがふがいゝんだ」

黑塚くろづか不思議ふしぎさうにヂロ〳〵相手あひてて、「だつてぼくは二めんはうがいゝ、政治せいぢ敎育けういく關係かんけいしたはう興味きようみおほい」と、自分じぶんでもしんぜぬことをふ。

「しかし、編輯へんしうをやつてゝは政界せいかいのこともよくはわかるまいし、きみ素養そやうからつても三めんはうてきしてるぢやないか、相互おたがひのためだ、ひとうん﹅﹅つてたまへ……もつといまいま返事へんじをしなくてもいゝがね」と、草山くさやまつえゆかたゝきながら、すこ俯首うつむいてふ。

[Pg 171]黑塚くろづかは、相互おたがひため言葉ことば不快ふくわいかんじ、「でもぼくにやいま受持うけもちがいゝ、すこ抱負はうふもあるから」とつて、はらではなんでこんなをとこした使つかはれるものかとりきんだ。

「さうだらう」とかる首背うなづいて、「けれどね、じつなんだよ、主筆しゆひつもそれをそのんでるんだよ」

主筆しゆひつが」と、黑塚くろづかとがらせ、「なにぼく落度おちどがあるんかい、」

なに、さうでもあるまい」と、あやふや﹅﹅﹅﹅つて、いて笑顏えがほつくり、「まあ、何時いつゆつくり﹅﹅﹅﹅はなさう、どうだいビールでもみにかんか」とお愛相あいそつた。

「いや、ぼくはまだ仕事しごとのこつてる、きみのやうにはやかへれるといゝけれど」

と、黑塚くろづか編輯室へんしうしつかへり、机上きじやう堆積たいせきせる外交ぐわいかう記者きしやもたらした議會ぎくわい記事きじ添削てんさくした。粗末そまつ原稿紙げんかうし曖昧あいまい筆蹟ひつせき辿たどつて「國家こくかねん大計たいけい」だの、「満面まんめんしゆそゝいで演壇えんだんのぼり」だのと元氣げんきのいゝ文句もんくてるうち瓦斯がすがつく。

れは硯箱すゞりばこ仕舞しまふと同時どうじに、草山くさやま言葉ことばきふ毒氣どくきびてうかんでる。「彼奴あいつ[Pg 172]中傷ちうしやうだらう」「あんなやつした使つかはれてなるもんか」と反抗心はんかうしんおこしてゐた。

社員しやゐん一人ひとり二人ふたりる。

れはしばらくつくゑはなれない。反抗心はんかうしん次第しだいゆるんで﹅﹅﹅﹅手賴たよりないになる。

「そうだ、今日けふ綾瀨あやせたづねよう、れは我黨わがたうだ、ぼく同感どうかんしてれるにちがひない、草山くさやまのやうな俗物ぞくぶつぢやない」と立上たちあがり、いま刷上すりあがつた初版しよはん新聞しんぶんつて、自分じぶんいた慷慨的かうがいてき論文ろんぶんみ〳〵階下したりた。下駄箱げたばこまへ社長しやちやうつてゐて、使方つかひかた草履ざうりしてゐる。競馬けいばけたのか、社長しやちやうかほ苦虫にがむし嚙潰かみつぶしたやうだ。「なにはれるか」と、れは胸騷むなさわぎをさせ、うや〳〵しく會釋ゑしやくして、コソ〳〵戶外そとた。

五六けんさきには、をんな記者きしやしろ肩掛シヨールまとうてあゆんでゐる。れもおなみちつた。ほこりくさかぜしなびた路傍ろばうやなぎいた。


[Pg 173]

五月幟

(一)

穗浪ほなみむら人家じんか三百」と、小學せうがく敎師けうしは二十ねんまへから兒童じどうをしへてゐる。この三百の八九漁業ぎよげふ農業のうげふあるひ漁農ぎよのう兼帯けんたい生活くらしてゝゐるが、百八十番地ばんちの「瀨戶せと吉松きちまつ」の一は、はゝ巫女みこ息子むすこ畵工ぐわこうむら不似合ふにあひもつと風變ふうがはりの仕事しごとをしてゐる。で、うみれて不漁ふれうつゞいたり、暴風雨ぼうふうゝ蟲害ちうがいむぎいね充實みのりわるいと商人しやうにん大工だいく石屋いしや疊屋たゝみやも、あるひ僧侶そうりよ神主かんぬしみなその影響えいけうけるのだが、こと吉松きちまつひどい。

しかし今歲ことしれうがよかつた。たいれた、さはられた、漁夫れうしおきつたうをつて、岡山をかやま牛窓うしまどから縮緬ちりめん兵兒帶へこおび疊付たゝみつき下駄げた洋銀やうぎんかんざしやら派手はで手拭てぬぐひやら、土產物みやげものどつさり﹅﹅﹅﹅買込かひこみ、なほ魚籠どうまるには兩手りやうてすくれぬほど銀貨ぎんくわ銅貨どうくわのこしてかへ[Pg 174]た。明後日あさつて舊歷きうれきぐわつ節句せつくであれば、遠海えんかい出稼でかせぎつてるふねも、よく〳〵不漁ふれうでないかぎりは、久振ひさしぶりにくが鹽辛しほからくないめしひにかへり、濱邊はまべにはめづらしく百そうちかくの小舟こぶね親船おやぶねならんでゐる。そして吉松きちまつ諸方しよはうからのぼり揮毫きがうたのまれて、近年きんねん多忙たばうである。

れは日限にちげんまられ、五六にち戶外そとず、よる行燈あんどんそばいてゐたが、いよ々々今いまひとつでをはれるのだ。圖題づだい鎧姿よろひすがた淸正きよまさで、略々ほぼかたちだけ出來できあがつてゐる。れは禿筆ちびふでさき淸正きよまさひげこまかきながら、つかれたかたひだりんだり、すみみた下唇したくちびるんで、ほそながぬの見上みあ見下みおろしてゐる。一ふでごと凛々りゝしい姿すがたあがるのをるにつけて、もつと奇麗きれい繪具ゑのぐしくてならぬ。あの草摺くさずりもその臑當すねあてほかいろいろどつてたい。何時いつぞや大福寺だいふくじ蟲干むしぼしのあつたとき佛樣ほとけさまを二三ぷくせてもらつたが、どれもなつかしい繪具ゑのぐもちひてあつて、てゐてなんといふことなしにいゝ氣持きもちがして、そのまへはなれたくなかつた。あんな繪具ゑのぐなんこしらへるのからんが、[Pg 175]自分じぶんも一ねんに一でも、立派りつぱ繪具ゑのぐ絹地きぬぢいてたいな。

れの左右さいうにはすみかしためし茶碗ぢやわんと、ちいさい朱硯しゆすゞりと、臙脂べこあひ兩緣りやうふちつた小皿こざらがあるばかり。ふで小學せうがく生徒せいと手習てならひようの一ぽんせんか三せんのをれるまで使つかつてゐる。で、道具だうぐには不平ふへいいだいてゐるが、きな仕事しごとではあり、だいかねれるのだから、自然しぜんはげみもついて、身體からだだるいのも我慢がまんして、ふではこばせた。いへ二室ふたまだが、たゞしきゐ區切くぎつてあるのみでふすま障子しやうじもない。上等じやうとうには床板ゆかいたうへ薄緣うすべりめ、つぎには座蒲團ざぶとんがはりに一まいむしろいてある。繪布ゑぬのすそむしろ挾出はみだされ巫女みこばあさんのひざれてゐる。ばあさんは片袖かたそでをまくりげ、ふとつたかひなあらはしてうすいてゐる。居眠ゐねむりをしどほして、あさからかゝつてゝ、まだ一しやうらずのこならぬ。

きちよ、われやまだいてしまはんか」

と、ばあさんは附木つけぎこな搔寄かきよせては張籠はりかごつしてゐる。

[Pg 176]「もすこしでいて仕舞しまわあ、おかあはまだいて仕舞しまはんのか」

「おかあも、もう一握ひとにぎりでえゝんぢやがの、われなかつたら、お晝飯ひるにしやうか、太陽樣こんにちさまもそろ〳〵となりの牛小屋うしごやあたりだした」

「さうかな、もう正午おひるすぎか、そないになるたあおもはなんだ」

「どりやおちやでもわかさう」

と、ばあさんは片手かたてひざおさへ、「うんとしよ」とあがり、凸凹でこぼこおほにはりて、しば一攫ひとつかみ壓折へしをつて茶釜ちやがましたみ、附木つけぎけた。黑烟くろけむりうづいて繪布ゑぬのうへひ、ひく軒下のきしたながる。吉松きちまつあをかほしかめ、いきほひのないせきした。ほそくして戶外そとた。門口かどぐちには五月雨つゆ用意よういしば木片こつぱ堆高うづたかんである。そらえぬが、あざやかにいしころみちらし、帽子ぼうしがはりに頰冠ほゝかぶりして肥桶こえたごになつたをとこが、こしつてとほつてゐる。二三にんくびひ、得意氣とくいげ卷煙草まきたばこき、ゲラゲラわらつてむらわかしゆつてく。「きちマよ」「チビまつ」とこゑけてものもある。[Pg 177]しり端折はしをわら草履ざうり穿いた水汲みづくみをんなちいさいをけになつて二人ふたりにんつゞいてとほつた。井戶水ゐどみづ鹽氣しほけがあり、山蔭やまかげいづみのみが一そん飮料水いんれうすゐとなるので、ぼん節句せつくにはいづみれるとふが、きふ家族かぞくえた此頃このごろ女房かみさんむすめ水汲みづくみが一にち大役たいやくなのだ。

吉松きちまつはその水汲みづくみ一人ひとり後姿うしろすがたて、おたけぢやないかとおもつた。かほをもせず、すた〳〵とつてしまつたが、その眞紅しんくたすきふくらかなしろはぎ、どうも彼女あれらしい。で、れはすこあがつてにつたり﹅﹅﹅﹅わらつた。これをいてしまつたら彼女あれへる。いそでは節句せつくんで、岡山をかやまからうん﹅﹅小間物こまもの仕入しいれてたそうだから、彼女あれかんざしでもくしでもつてやる。目顏めかほしていづみそばやぶくのだ。

二三年前ねんまへから目星めぼしをつけてたおたけと、むつまじい言葉ことばはすやうになつたのは去年きよねんあきわすれもしない、彼女あれ藪下やぶしもかは洗濯せんたくをしてゐた。んだみづがちよろ〳〵とくさなかからながれてる。おたけしぼりの手拭てぬぐひ姉樣ねえさんかぶりにし、はゞひろなめらかないしうへすこかゞんでち、あしかふまでみづひたし、兩足りやうあし調子てうしよくよごものんでゐた。[Pg 178]まわりひとこゑもしない。たゞからすてら屋根やねいてゐるばかり。そのとき此處こゝきたいとおもつた。その姿すがたもそのかほも、このむらにやくらべるをんなはありやしない。それで「わし女房にようぼになるか」とふと、くびよこらなかつた。あんな別嬪べつぴんわし女房にようぼになるんだぞ、むら小若連こわかれん集會よりあひくと、きち野郞やらう二十歲はたちになつて、まだ衒妻げんさい一人ひとりようこさへぬ、意氣地いくぢなしといつて、んなしてひやかしやがるが、どうだうらやましからう。

れはうつとり﹅﹅﹅﹅かんがみ、やがてまたにやり﹅﹅﹅薄氣味うすきみわるわらつてふでつた。で、やうやをはつたころ茶釜ちやがまがジン〳〵おとてる。

きち、おちやいたでえ」と、ばあさんはたなからぜん飯櫃めしびつおろしてゐる。

「おかあ初野はつのはまだもどらんかな」と、吉松きちまつしびれたあしで〴〵ぜんまへすわつた。よね黑々くろ〴〵とした麥飯むぎめし茶碗ちやわん山盛やまもりにし、茶柄杓ちやびしやくちやぶつかける。

彼女あれ今朝けさ飛出とびだしたきり、まだもどつてん、柏餅かしはもちはやこせへてれいとせがん﹅﹅﹅[Pg 179]いて、いままで何處どこあるいとるんだらう」

またみんなにひやかされとるんぢやないか、あの阿房あほうこまるなあ、はや死腐しにくされやえゝのに」

われなにをいふ、阿房あほうでも狂人きちがひでも、われ眞實ほんまいもとぢやないか」と、ばあさんは鐵漿おはぐろまばらなで、漬菜つけなをばり〴〵みながら、金壺かなつぼまなこ吉松きちまつにらんだ。

そがい﹅﹅﹅ふても、初野はつのりやがるんで、物入ものいりがおほうなつて仕樣しやうがない」と、吉松きちまつ慳貪けんどんつた、「それになあおかあ彼女あれると、わしよめれんぞな、うちせまいし、初野はつの大飯おほめしくらうから」

そがい﹅﹅﹅こと心配しんぱいせえでもえゝ、われ苦勞性くらうしやうぢやから、んだれかんだれあんじてばかりるけいど、らんこつちやがな、よめりたけりや、何時いつでもきな女子をなごれていよ、おかあ初野はつのはこのむしろうへへでもりやえゝ、それに彼女あれれて御祈禱ごきとうまわりや、ふくろに一ぱいや二はいのおこめは、何處どこからでももらうてられる、われ一人ひとり[Pg 180]せわにやならんがな」

もらものなんもらうてもえゝけど、乞食こじきたいなことをしてくだんすな、むらものわしとつちやんは狂人きちがひで、おかあ乞食こぢきいもと阿房あほうぢやとふてわらうとるがな」

わらうたてかまうもんか、澤山たんといしものべさへすりや、われことあないでないか」

「おかあはようても、わしつらい﹅﹅﹅がな」

ばあさんは吉松きちまつあはれつぽい小言こゞときながら、緩々ゆる〳〵食事しよくじをはると、よごれた茶碗や小皿こざらすみはうしのけ、すわつたまゝうすそばにじり﹅﹅﹅り、くちうちねむそうな引臼ひきうすうたうたひ、またこなした。

吉松きちまつぬのかはくのをつて、それを白木綿しろもめん大風呂敷おほぶろしきにくるんでそとた。そらにはしろくもたゞよひ、やさしいかぜおきからいてる。海邊うみべちかふとまつかこまれた住吉すみよし神社ゞんじやでは太皷たいこおとがして、子供こどもよろこさわこゑがする。このまへまゐりしたときは、神社じんじやとびら[Pg 181]とざされ、ほこりんだ階段かいだん子守こもりが二三にん腰掛こしかけてるばかり。境内けいだい寂寥ひつそりとしてゐたが、今日けふ馬鹿ばかにぎややかだ。今夜こんや神前しんぜん大漁たいれういはひの集合よりあひがあるさうだが、みや中心ちうしんにして、とほ路々みち〳〵何處どこても景氣けいきいてゐる。そして吉松きちまつ生々いき〳〵した空氣くうきむね鼓動こどうし、わけもなくうれしくなつて、大急おほいそぎにあるした。

(二)

れは小學校せうがくかうも二ねんめた。繪畫くわいぐわ敎育けういくなどさらけたことがない。しかし何時いつにかひとりで工夫くふうしてした。ちいさときから棒切ぼうつきれで地上ちじやういたり、消墨けしずみいたいたりした。草紙さうしへもろく手習てならひはせず、とら人形にんぎやういてゐた。十三さい初夏しよか大酒おほざけのみちゝが、麥刈むぎかり最中さいちう發狂はつきやうしてから、詮方せんかたなく自分じぶん日雇稼ひやうかせぎをして、一活計くらしたすけたが、チビまつ綽名あだなけられるくらゐ身體からだちいさくてよわいため、人並ひとなみ仕事しごと出來できず、一にちくわつと關節ふし〴〵くぢけるやうであつた。とつて一にちなまければ、一にちはずにゐねばならぬ。せま田舎ゐなかだから、力業ちからわざをしなければほか[Pg 182]くちすぎみちもない。いてもさけんでも一しやう野良のら仕事しごとをして、くわ心中しんぢうする覺悟かくごめねばならなかつた。ところある正月しやうぐわつ豐年ほうねんいはひとして、わかしう勸進元くわんじんもとむら芝居しばゐもよほすことゝなり、つてたかつて衣裳いしやう小道具こだうぐあつめ、もの千本櫻せんぼんざくら阿波鳴門あはのなるときまつたが、こまるのは書割かきわりだ。くてもむが、しやう連中れんぢうは、まで大趣向だいしゆこうめぐらし、どえらい﹅﹅﹅﹅ものこしらへて播州ばんしうあたりの本職ほんしよく役者やくしやをもおどろかしてやらうとした。で、村中むらぢう繪心ゑごゝろのあるものさがして、あはせにかすことゝなり、評定ひやうでう結果けつくわ吉松きちまつめいけた。古老こらう指圖さしづで、木綿もめん白布しろぬのや、數枚すうまい繼合つぎあはせた繪畫くわいぐわ用紙ようしに、鳥居とりゐ玉垣たまがきしいなどをいた。それがおもひのほか出來できばえなので、きふれの畫才ぐわさいが一そん漁夫れうふや百しやうみとめられ、次第しだい隣村りんそんにもられるやうになつた。この界隈かいわいの五ぐわつのぼり漁夫れうしあがめる惠比壽ゑびす大黑だいこく掛物かけものみなれのふでわづらはすのである。

* * * * * *

[Pg 183]れは依賴者いらいしやにかの布繪ぬのゑわたして、五六十せんのおれいもらひ、それから磯傳いそづたひに二三げん未納者みなうしやたづねたが、いづれも氣持きもちよくはらつてれる。

きちわれ每歲まいとし上手じやうずになるぜ」「今歲ことし淸正きよまさどえらい﹅﹅﹅﹅元氣げんきがえゝ、厄病神やくびやうがみげてしまう」と、先々さき〴〵めてれる。で、吉松きちまつたもとなかぜにおとをさせ、大得意だいとくいこゝろいても、わざとゆつくり﹅﹅﹅﹅あるいて、おたけさがしにきかけた。やまちかくなり、しほ退きかけ、なかうみ突出つきで駄菓子屋だぐわしや支柱つゝかいぼうは、れたまゝ根本ねもとあらはしてゐる。店前みせさきには多數たすうわか漁夫れうし陣取ぢんどり、あわおこし﹅﹅﹅やら大福餅だいふくもちやら、てんでにつかんではひ、大聲おほごゑわらつたりさけんだりしてゐる。彼等かれら話題わだいのぼものは、大抵たいてい喧嘩けんくわをんなあるひ賭博ばくち、しかも四邊あたりかまはず露骨ろこつ言葉ことば持切もちきりだ。たま〳〵澁皮しぶかはけたわかをんなでもとほれば、ふざけたくちいて、大勢おほぜいでどつとはやてるはおろか、わるくするとみち邪魔じやまをしてつみ諧戯からかひはじめることもある。またなかには諧戯からかはれたがつて、自分じぶんおしかけ、かんざしぐらゐおごらせてやらうとをんなもある。漁夫れうし休日きうじつにはこの駄菓子[Pg 184]だぐわしや倶樂部くらぶになつて、ときには賭博宿ばくちやどねるのだ。

吉松きちまつ何氣なにげなくこの店先みせさきとほりかゝり、ふといてると、意地いぢわる奴等やつらそろつてゐる。牙齒きばかめもゐる、備前びぜん德利とくりよねもゐる。ダニのとら猪首ゐくびつるむらさわがす連中れんぢうみな久振ひさしぶりでかへつてゐる。わるところ來合きあはせた。あれかゝつちやろくことはないと、らんかほ行過ゆきすぎやうとすると、つる素早すばやつけて「吉公きちこうぢやないか、まあれいよ」と呼留よびとめた。吉松きちまつ仕方しかたなしに振向ふりむいて、「今日けふようのこつとるからあすんぢやれん」と、一寸ちよつと世辭せじわらひをしてかうとしたが、「まあそないに云はずにれとうたられいよ」とふとともに、かめて、兩手りやうてひらいてみちふさいだ。

今日けふこらへてれ」と吉松きちまつなさけないこゑつて、くゞりけやうとしたが、かめかたつかまへてはなさない。

「さうらげるならげてい、鳴門なるとうみつたうでぢや」

[Pg 185]吉松きちまつたかつかまつた小雀こすゞめあらそふも無駄むだだから、そのまゝちいさくなつてみせ引摺ひきずりまれた。たもと銀貨ぎんくわがヂヤラ〳〵おとてる。

われ澤山たんとぜにつてけつかるな」と、かめ吉松きちまつたもとにぎつて重味おもみはかり、牙齒きばしてわらふ。

われくことがあるから、まあすわれい」と、年長としかさとら後退あとずさりしてせきけて、吉松きちまつすわらせ、「吉公きちこう何時いつても白瓜しろうりのやうなかほしとる、何處どこ工合ぐあひわるいんか、大事だいじにせえよ、われわづらうと、うちもの乞食こじきせねやかつにぢや」とやさしくつたが、吉松きちまついやがした。自分じぶんねばはゝいもととは乞食こぢきをするのはわかつてゐる。それにはゝ乞食こぢきはぢとするやうなひとぢやない。で、れはがさしたやうに自分じぶん死後しごおもつて、ふさんでだまつてゐると、よねはなしわせてヒツ〳〵とわら《わら》つて、

思案しあん投首なげくびなにをしとる、衒妻げんさいことでもかんがへとるか、われやおたけ夫婦めをと約束やくそくしたちうぢやないか、」

[Pg 186]「さうぢや〳〵、れやらがそんなうはさをしとつた」

われ中々なか〳〵わるさをするのう、私等わしら一寸ちよつとれうむららんに、こつそり女子をなごこしらへるたあ、われもえらいぞ、いはひにさけでもおごらんか、そのたもとぜにで」

と、んなで面白おもしろさうにいろんなことつて、ひやかしてはわらひ、わらつてはひやかす、吉松きちまつ我知われしらずたもとにぎめ、

虛言うそぢや〳〵、そがいなことがあるもんか」と、狼狽あはてゝつて、かほすこあかくした。

かくさんでもえゝわ、ぢやけどわれもおたけだけはあきらめい、あの女子をなごはな、ちやんとぬしきまつとるんぢやぞ」と、とら毛脛けずねして胡座あぐらき、ましたかほ煙草たばこつてゐる。

吉松きちまつは一見廻みまわして、最後さいごまるくして、とらかほ見詰みつめた。

「おたけにやちやんとぬしがある」と、とら繰返くりかへして、「われやまだるまいが、彼女あれ[Pg 187]げんあにものきまつとるんぢや、源兄げんあに去年きょねん土佐とさとき、おたけおらよめにする、五ぐわつ節句せつくかへるまで、彼女あれでもさはつてい、承知しやうちせんぞと、私等わしらけたんぢや、われけい、うつかり﹅﹅﹅﹅しておたけ惚氣のろけでもぬかす﹅﹅﹅源兄げんあにくびたまられるぞ。」

その様子やうす萬更まんざら戯言じやうだんでもなささうなので、吉松きちまつ眞靑まつさをになつてふるえた。あたま奇麗きれい刈込かりこんだ新客しんきやくはいつてて、れうはなし仕掛しかけ、とら仲間なかま最早もはや吉松きちまつ相手あひてにしなくなつた。つる何時いつにかだいいびきをかいてゐる。

吉松きちまつはこそ〳〵とそとた。もう二月ふたつき手入ていれをせぬかみちいさい耳朶みゝたぼおほかくし、こまかい棒縞ぼうじま單衣ひとへはなやかな夕陽ゆふひりつけられ、繪具ゑのぐ名殘なごりくろあをひかつてゐる。とら威嚇おどし文句もんくがまだ耳元みゝもとつてるやうで、れのたましひはくら〳〵してはぬ。げんへば駐在所ちうざいしよ巡査じゆんさおそれて手出てだしをせぬほどあばもの腕力うでぢからつよくて三人前にんまへ仕事しごともするかはり、かんさはると、出刃でば庖丁ぼうちやうかざすのが評判ひやうばんくせだ。十五六で[Pg 188]魚賣さかなうりをしてる時分じぶんから、魚源うをげん命知いのちしらずと、饅頭笠まんぢうがさいて隣村となりむらへもとほつてるをとこだ。とらでもかめでもげんにやみちけて諂言おべつかひとつもふ。れに見込みこまれちや、厄病神やくびやうがみ取付とつゝかれたやうなもの。なんだつてしやおたけなんかおもつたことか。

れはげん下駄げた旅商人たびあきんど滅多打めつたうちにしたこと。大酒おほざけんで素裸すつぱだか村長そんちやううち怒鳴どなんだことなどおもしてぞつ﹅﹅とした。おたけ呼出よびだ計畵もくろみなんかあたまなかからえてしまひ、たゞげんかほばかりうかぶ。何故なぜげんふね土佐沖とさおき沈沒ちんぼつしなかつたんだらう。何故なぜ鳴戶なるとうづまれなかつたのだらう。何故なぜわしかばつてれたひとのいゝ芝居しばゐきの作藏さくざうぢいはやんで、げんのやうなやつ虎烈剌これらにもかゝらぬのだらう。

吉松きちまつ神社じんじやはうむかつていしころみち辿たどつた。みち左右さいうには貝殻かいがらつか所々ところ〴〵きづかれ、真紅しんく石榴ざくろはな白壁しらかべそばいてる。れは夢心地ゆめごゝちでそれをてゐたが、太皷たいこおとすゞおとがます〳〵にぎやかにきこえる。子供こどもまつりででもあるやうに、むれをなして玉垣たまがきまへんだりねたりしてゐる。

[Pg 189]ああよ」と、突如だしぬけこゑがした。

おどろいてると、初野はつの眞向まむかひにつてキヨロ〳〵してゐる。しほたれた單衣ひとへあか扱帶しごきめ、ほこりめる白茶しらちやけたかみわら茶筅ちやせんのやうにむすび、かほからくびへかけてあかられてゐる。

ああよ、おまへときさんにはなんだか」と、なほ前後ぜんご見廻みまはす。

ふもんか、われももううちもどれ、おかあ柏餅かしはもちこしらへてつとるから」と、吉松きちまつると、

柏餅かしはもちか」とつてわらつたが、また藻搔もがいて振放ふりはなし、

「そいでも、ときさんがわしさがしとると、みんながふから、あのひとはにやならんもの」とつぶやいて、鳥居とりゐまへをウロ〳〵してゐる。以前さつきから玉垣たまがきりかゝり初野はつの調戯からかつてよろこんでた連中れんぢうは、此方こちらて「初野はつのさん〳〵、ときさんはお地藏様ぢざうさまつた」とはやてゝ、どつ﹅﹅わらつた。

[Pg 190]本當ほんたうにお地藏樣ぢざうさまつたのかな」といきほひのないこゑつて、初野はつの西にしはうへフラフラあるいてく。

吉松きちまつなさけなくなつてなみだうかべた。この瞬間しゆんかんおそろしいげんことわすれ、たゞ白痴ばかいもと年中ねんぢうむら子供こども玩具おもちやになるのをはづかしくおもつた。そして悄然しよんぼりうちかへると、はゝぜんしたまゝ、いたねむつてゐて、あたまそばにはひとふたつのかすかなおとてゝんでゐる。

(三)

吉松きちまつさけまぬ。うたうたへぬ。漁師れうし仲間なかまとはしやうはぬから、平生ふだんなかのよい友逹ともだちすくない。今夜こんや集合よりあひにもさそひにものもなく、またとてもにもなれぬ。で、はや晚食ばんしよくませ、神棚かみだな燈明皿とうみやうざら燈火あかりをつけ、あがかまちこしけてしづんでゐた。昨夜ゆうべのぼりいそがしくてなんとなくうれしかつたが、今夜こんやからは仕事しごともなくなつた。平生ふだんなら夜業よなべ草鞋わらじつくるのだが、今夜こんやかただるくて氣分きぶんふさいでつちてさうでもな[Pg 191]い。ばあさんは行燈あんどん點火とぼさず、燈明とうみやうひかりいとつむいでゐる。數町すうちやうへだてたみやでは太皷たいこおとがます〳〵にぎやかにこえる。

きちよ、われぜに何處どこいたか」と、はゝはれて、吉松きちまつ振返ふりかへり。

其處そこ戶棚とだなはいつとらあ」とつて、薄光うすあかりに緖卷をまきいとのブル〳〵ふるふのをてゐる。

なんたまつたか」

今月けふは三ゑんばかしもらうてた。まだ三げんのこつとらあ」

そがい﹅﹅﹅れたかい、そいぢやえゝお節句せつく出來できるなあ、おかあ明日あしたはお高姊たかねえうちへお祈禱はらひたのまれとるから、またぜにになるし、むぎの二ひやうや三びやうにはめるわい、われよめるならいま丁度ちやうどえゝ機會しほぢや、れでもきな女子をなごがありやれてい」

わしよめらんでもえゝ、一しやうひとりでくらすんぢや」

「そいでも、今朝けさよめりたいとふたぢやないか、よしでもつるでもうめでもんな[Pg 192]よめがあるんじやもの、われしからうがな」

ばあさんのこゑ欠伸あくびまぜりで、次第しだい絲車いとぐるま間斷勝とだえがちになる。吉松きちまつ時折ときをりはなしかけられてもろくこたへぬ。で、しばらく母子おやこ脊合せなかあはせでだまつてゐると、何時いつにか初野はつの勝手口かつてぐちからノロ〳〵はいつてた。白痴ばかうちでも陽氣やうきさははうではなし、口數くちかずすくな戶外そとるにもかへるにも、大抵たいていしのあしで、うちものにもづかぬくらゐだ。兩方りやうはう袖口そでくちつて、しよんぼり﹅﹅﹅﹅﹅には突立つゝたつたまゝ左右さいう見廻みまわし、

「おかあうちくらいなあ、ああよ、おみやにぎやかぢやぞ」と、ひくこゑつて、草履ざうり引摺ひきずつてまた戶外そとかけた。

はつあさから御飯ごはんべいで、なにをしとるんなら、もう何處どこへもかいで、はやうお夕飯ゆふはんべなよ」

と、ばあさんは猫撫聲ねこなでごゑつたが、初野はつのは「そいでもうちさびしいもの」と、何處どこへかつてしまつた。

[Pg 193]「またんなになぶられたいんか」と、ばあさんは獨言ひとりごとのやうにつたが、最早もはやむすめにもけず、絲車いとぐるまはなれもせぬ。

吉松きちまつ今宵こよひれたいへを、際立きはだつてくらかんじた。うへあがつて行燈あんどんをつけ、燈心とうしんをかきてたが、隅々すみ〴〵なほくらい。天氣てんきかはつたのか東風こちし、ソヨ〳〵と裏口うらぐちからはいつてる。枇杷びわさわした。みや太鼓たいこおとんだが、ワイワイさけこゑは一そうさかんにきこえる。れはみゝかたむけてゐたが、やがて不意ふい起上おきあがつて、こゑするはうむかつた。三日月みかづきすでしづんで、てんとほほしちからよわひかつてゐる。

れは小暗こぐらみちとほつて、玉垣たまがきそばたゝずんだ。鳥居とりゐ根本ねもと出入でいり提灯ちやうちんひかりらされ、松葉まつばおほはれた敷石しきいしあかるくなりくらくなつてゐる。醉漢よひどれこゑとほくなりちかくなる。神社やしろとびらひろひらいて、神前しんぜんにはおほきな蠟燭らうそくひかりかゞやき、左右さいうにはすう十の漁夫れうし居並ゐならび、なかには片肌かたはだいでるもの胸毛むなげあらはしてるもの怒鳴どなつてはみ、んでは怒鳴どなり、言葉ことばあやわからず、たゞさわがしい蠻音ばんおんひとつになつて、さけにほひととも[Pg 194]かみ境内けいだいみなぎつてゐる。神社やしろ周圍まわりには小兒こどもむらがりたはむれてゐる。つねさゞなみおと松風まつかぜばかり。うしつには呪咀のろいをんな白裝束しろしやうぞく蠟燭らうそくかしらいたゞき、呪文じゆもんじゆしてまつみきに、むねうらみをめた五すんくぎつと、はゝからいてゐるが、そのさびしい淨地じやうちは、一そん勸樂くわんらくちまたとなつてゐる。

吉松きちまつはそのこゑきそのぎ、くまごとかいなをまくつた人々ひと〴〵いさましい姿すがた垣間見かいまみてゐた。しかし團樂まどゐ飛込とびこみもしない。

あゝよ」とうしろから突如だしぬけこゑがした。かへりみると初野はつの依然いぜん兩方りやうはう袖口そでくちつて、無心むしん身體からだゆすぶつてゐる。

あゝはおみやなかかんのか」と、あにかほ不思議ふしぎさうにた。

われやまだ此處こゝるんか、んなになぶられんに、はやうちもどれ、おかあつとる」と、吉松きちまつつねになくやさしくつて、いもとそでとらへやうとすると、初野はつのひるがへしてまつかげげた。

[Pg 195]くもひがしやまからされて、そらひろがつてゐる。

明日あしたあめか」と、チヨンまげ老漁夫らうぎよふいぢかり﹅﹅﹅﹅また石段いしだんりた。

くした空德利からどくりげた千鳥足ちどりあし鳥居とりゐ左右さいうつてゐる。先立さきだつたのとおくれたのとたがひにんではこたへ、「畜生ちくしやうめ」「馬鹿ばか野郞やらう」のこゑかしましくやみからやみつたはる。吉松きちまつ彼等かれら今宵こよひいたところ賭博とばくふけり、をんなたはむれるさま想像さう〴〵して、うらやましくねたましくかんじた。

大勢おほぜいあとから、手拭てぬぐひくびむすんだ一群ひとむれが、社内しやないて、お百いし取圍とりかこみ、なに小聲こごゑはなつてゐる。とらもゐる。かめもゐる。しきりに首肯うなづいてゐるのはげんらしい。とおもふと、吉松きちまつ空想くうさうえてきふ恐氣おぢけがつき、玉垣たまがきかげちいさくなつた。そして彼等かれら鳥居とりゐくゞるのをち、しづかにかへりかけた。

ほしのこりなくかくれた。おきにはつね漁火いさりびひとつもなく、舟唄ふなうたきこえず、くらなみくろくもせつして、たゞかぜにもまれた滿汐みちしほおとたかい。

[Pg 196]あゝよ、おきにや海坊主うみばうずるんぢやなあ」と初野はつのやみなかからこゑけた。吉松きちまつだまつていもとつてうちかへつた。はゝかげ障子しやうじうすうつつてゐる。絲車いとぐるまおときこえる。

(四)

翌日よくじつあめかぜすこくははつた。ばあさんはすゞつて、おたかあねえうち生靈いきりやう退治たいぢかけた。初野はつの柏餅かしはもちはらぱい詰込つめこみ、津蟹づがにはさみいとしばつてもてあそんでゐたが、やがていたのか、からかささずに、あめおかして當度あてどなくつた。吉松きちまつたゞ腹匐はらばひになつて戶外そとながめる。

びしよ﹅﹅﹅れの水汲みづくみをんな昨日きのふおなじく、跡切とぎれ〴〵にかよつてゐる。つて銅鑼どらごゑうたつてとほものおほい。たけ皮鼻緒かははなを足駄あしだひきずり德利とくりげた子供こども俯首うつむいてぜにみ〳〵とほつた。番傘ばんがさかついで萌黃もえぎ重箱ぢうばこづゝみさきぶら﹅﹅げた小娘こむすめちまきかぢりながらとほつた。どれもどれも見馴みなれたかほだ。

[Pg 197]れはでは戶外そとながら、こゝろでは昨日きのふ出來できごとおもうかべた。他鄉たきやうらずしよまぬれには、ゆめにもうつゝにも一そん事件じけんすべての智識ちしきであり想像さうぞうであるのだ。で、今日けふれのあはれな智識ちしきまき繰廣くりひろげてたが、その全世界ぜんせかいにはげんもゐる、かめもゐる。彼等かれら繪本ゑほんつな金時きんときのやうなうでつて、一そん跋扈ばつこしてゐる。彼等かれらけるかぎりこのむら泰平たいへいではない。わしのやうな痩腕やせうでかなうものか。

れはまたたけのことをおもした。その機織はたおり姿すがた田植たうえ姿すがた印象いんしやうつよあたまにあり〳〵とうかび、ねてのひそ〳〵﹅﹅﹅﹅ばなしも、いまごとかんぜられたが、ふとげんことおもおよぶと、たのしいゆめは一えてしまひ、はたしておたけげんおもつてるのか、とら吿口つげぐちまことであるか戯言じやうだんであるか、しづかにかんがへるいとまがない。たゞれをたんとしてげんこぶしにぎつてる姿すがたえて、自然しぜんつむつた。

あめきふつよくなり、戶外そとは一そうくらくなつた。いたには藁屋根わらやねからしづくれる。となりのうし大儀たいぎさうにえる。らぬにおたけかすり前垂まへだれをかしらいたゞいて軒下のきした[Pg 198]てゐた。

きちさん、かさしておれんか」

吉松きちまつ幻影まぼろしでもあらはれたやうにギヨツ﹅﹅﹅として、まるくした。

わしんとこにかさがあるもんか」と、わざよこいた。

うちにやれもらんかな」

「むん」

と、かすかにつたのみで、吉松きちまつ薄緣うすべりかほをすりけてゐる。

きちさん、先日こないだはなしはどないするんかな、かんがへちやらんのかな」と、おたけ小聲こごゑふ。吉松きちまつだまつてゐる。

「ちつとは小降こぶりになつた」と、おたけそらあふいで、「なあきちさん、お節句せつくんだらふねるからておれな」とあまえてつて、前垂まへだれかぶつたまゝ尻端折しりはしおつてした。

[Pg 199]吉松きちまつかしら持上もちあげて、ゆめたやうにそのうしろ見送みおくり、姿すがたえなくなるとまたそべつた。何故なぜもつとはなさなかつたらう、はなかつたらうと後悔こうくわいした。「ふねたらはう」、節句せつくめばおたけちゝおきて、彼女あれひまになる。げんかめうみく。さうなればおたけこゝろたしかめられる。とおもふと一希望きぼううかばぬでもない。明日あす明後日あさつて明後々日しあさつてと、れはゆびつて、「八日やうかにはうでつよおそれんやつは、しまむかなみあらおきてしまう」と、にやり﹅﹅﹅わらつた。

しかし子供こども時分じぶんからむねきざんだ不安心ふあんしんは、いませず、ちよろ〳〵したす。れにはむらこわいのだ。盂蘭盆うらぼんとか氏神祭うじがみまつりとか、四折々をり〳〵にぎはひには、屹度きつと下駄げたなたび、血塗ちまみさわぎのおこるにきまつたこの殺伐さつばつむらこわい。なんだつてんながなかよく面白おもしろくらさんのだらう。せめて命知いのちいらずのげんんだなら、このむらすこしはおだやかになるかもれぬ。喧嘩けんくわかずすくなくならう。かめよねげんそゝのかされて付元氣つけゞんきあばまわるんだから、親分おやぶんげんがゐなければ、あんなに無理むり非道ひだう人困ひとこまらせをせ[Pg 200]んにきまつてゐる。

むらため自身じゝんためげんんだら〳〵」と、二十ぷんも三十ぷんもそればかりかんがへた。驟雨ゆうだち模樣もやうのドシヤりがとほると、密雲みつうんうすらいで戶外そと稍々やゝあかるくなつた。初野はつのもてあそんでゐた津蟹づがにあわきながら、吉松きちまつあたまそばつてた。れはふとおもつて、いと手繰たぐつて、かにはしらしばりりつけ、塵紙ちりがみ寫生しやせいはじめた。かにいかりふくんで藻搔もがす、かみにもその藻搔もがいてるさま生々いき〳〵あらはれた。きよういて五まいまいつゞけたが、やがて惜氣おしげもなくはなをかんで、まるめてそとげた。軒下のきした羽搔はがいちゞめてコロ〳〵といてたとりは、ゑばおもつたか、反古紙ほごかみをつゝきした。ひくいしころみち番傘ばんがささして、白裝束しろしやうぞくはゝあかかほしたいもととがかへつてる。

本當ほんまに〳〵、げんしにぞこないおぼえてやがれ」と、はゝ怒鳴どなつて、初野はつのうち引上ひきあげた。初野はつのぼんやり﹅﹅﹅﹅つてゐたが、かににつくと、はしらからはなして居間中ゐまぢうひきまはす。

[Pg 201]「おのれくそげん獄道ごくだう」「罰當ばちあた」と、かしましいこゑひゞわたる。吉松きちまつ呆氣あつけられて、はゝかほ見上みあげ、

「おかあ、どうしたんなら」

「どうしたもなにもあるもんか、われまあいてれい、おたかねえのとこからもどりに、米公よねこうまへとほると、初野はつの眞赤まつかかほをしてはだかになつとるぢやないか、なにをしとるんかとおもうてはいつてると、われげんかめ大胡床おほあぐらかいてさけくらうとりやがつてなあ、初野はつの無理むり無體むたいさけませてをどらせとるんぢやでな、そりをて、わしはらつて〳〵、とびんでしかりつけてやると、われなほことんなが惡戯氣ふざけしやがる、しまひにやわしつとるすゞして、はやしちや馬鹿踊ばかをどりをはじめやがる、大事だいじすゞよごれちや、わしいのちられたもおなじでないか、いまれ、いのころしてやるぞ」

口惜くやしなみだそゝいだ。吉松きちまつこゝろでは怖氣おぢけがついたが、それでもはゝなぐさめるつもりで、

そがい﹅﹅﹅おこらいでも、わしかたきつてげらあ」とつたが、はゝむしやく[Pg 202]しや﹅﹅﹅﹅﹅﹅して、つねになく邪慳ぢやけんに、

われくちばつかりで、げんうでかなふもんか、われ弱虫よわむしじやから、初野はつのまでんなに意地いぢめられるんぢやがな」

「さうひなさんな、わしをとこぢやもの」と、吉松きちまつ不快ふくわいかほをした。はゝすゞながめて血相きつさうへてゐる。

(五)

晩餐ばんさんをはると、はゝ絲車いとぐるまけたが、もう落付おちついたらしく、慳貪けんどんくちかなくなり、顏色かほいろ平生ふだんとほりにむさうだ。あめがまだまぬのではや戶締とじまりをして、初野はつのよひくちから寢間ねまはいつた。遠方ゑんぱうからかすかなこゑかぜにつれてむのみで、今夜こんや昨夕ゆふべちがつてしづかだ。

きち、もうえよ、おかあるから」

わしやまだむたうない」

[Pg 203]吉松きちまつ村長そんちやうたく繪本ゑほんでもせてもらひにかうかとおもひ、門口かどぐちまでた。かぎてのない暗黑あんこく世界せかいうしろやまみやまつやみぼつして、てんにもにも豆粒まめつぶほどのひかりもない。で、きふおそろしくなつていへなかんだ。くすぶつた金比羅こんぴら神社じんじやのおふだまへに、燈火ともしび丁子ちやうじむすんでゐる。れは燈明とうみやうて、あぶらぎ、そのまへ端坐たんざして、一安穩あんおんかい泰平たいへいねがひめた。初野はつのゆめ泣聲なきごゑてゝ、「あゝよ、れ、こわいがな〳〵」とさけんで、くちからよだれれてゐる。

吉松きちまつ自分じぶんいもと一人ひとりかばうことも出來でき腑甲斐ふがひなさをおもつた。親子おやこにん雨風あめかぜさらされ、乞食こぢきになつて流浪るらうするさまおもはれた。

でも、かんがへてるうち何時いつとなくいもとそばもぐり﹅﹅﹅み、木枕きまくらをして眠入ねいつた。えにくるしいゆめおそはれたが、ふと芥溜ごみためひろつたびた瓦釘かはらくぎもつて、みやまつげんのろつてはち〳〵してゐると、愕然がくぜんめた。いもとれの肚腹ひばらつてゐる。燈明とうみやうえかゝつてゐる。

[Pg 204]丑三うしみつはいま時分じぶんだらう、みやまゐつてげんのろころしたい。れがぬりや一そんわざわひけるとおもんだ揚句あげく自分じぶん自分じぶんおそろしくなつて、蒲團ふとんなかくび引込ひつこめた。

* * * * * *

翌日よくじつは五ぐわつ五日いつかあめ名殘なごりなくれ、えたひかりは一そんつゝんでゐる。吉松きちまつ晝餐ひる御馳走ごちさうにと魚買さかなかひにた。みち左右さいう葺屋わらや瓦屋かはらや家々いへ〳〵かどには五ぐわつのぼりいさましくひるがへつてゐる。小兒等せうにら諸方しよはうのぼり見物けんぶつまわつてゐる。吉松きちまつなんとなく得意とくいになつてそら見上みあげてゐると、げんかごげてちかづき、

吉公きちこうわれ壯健たつしやか、久振ひさしぶりじやのう」と笑顏ゑがほをして、「沙魚はぜたんと﹅﹅﹅もらうたから、われにもけてやらう、さあそのなべ此方こちらせ」吉松きちまつ返事へんじもせず棒立ぼうだちちになつてゐる。すゞしい鹽風しほかぜかほかすめる。


[Pg 205]

村塾

寄宿舎きしゆくしやのはづれ、まつおほはれた櫓風やぐらふうたか古堂ふるだうから、ドン〳〵と太鼓たいこつて、擂鉢すりばちそこのやうな平地へいちして、むかうのやまひゞわたる。その最後さいごおとえぬに、はかまけた二十歲はたちまへ少年せうねんが、正門せいもん通用門つうようもんからうちつゞいて、幾人いくにんとなくあらはれてる。校舎かうしや石壁いしべいにして丁字てうじがたほそ道路だうろあふれて、むぎなか菜種なたねなかにもらばつた。

今澤いまざわ定吉ていきちもその一にんだ。文章ぶんしやう軌範きはん靖獻せいけん遺言ゐげんとを、布呂敷ふろしきにもつゝまずひだりわきかゝへ、みぎ木綿もめん兵子帶へこおびはさみ、おな年頃としごろ通學生つうがくせいくん無邪氣むぢやきはなしをしながら、草履ざうり穿きで畦道あぜみちつたつた。この學生がくせいとは四五日前にちぜんに、東京とうきやう雜誌ざつし交換かうくわんやくしてから、きふ懇意こんいになつたので、每晚まいばん往來わうらいして、文章ぶんしやう議論ぎろんなどをして居る。

きみ何故なぜ寄宿舎きしゆくしやはいらんのだ」

[Pg 206]ぼくはいりたいんだけれど、親爺おやぢ寄宿舎きしゆくしやきらつてるから」

「そうかい、昨夕ゆふべ谷村たにむら蒲團蒸ふとんむしにされたさうだな、寄宿舎きしゆくしややつ亂暴らんぼうだ」

なんだかまかなひ征伐せいばつをやるとりきんでるやつがある、喜公きいこう生意氣なまいきだからなぐるとつてるよ」

寄宿舎きしゆくしやものあ、ろく勉强べんきやうもせんで、そんなことばかりかんがへとる、ぼく矢張やはり通學つうがくして、餘暇よかには文章ぶんしやうでもいたはうがいゝねえ、きみ」と、Aくんはさもふかかんじたようにふ。

やがてAくん支道えだみちわかれた。

「ぢや失敬しつけい

今夜こんやぼくうち來給きたまへ、紅葉亭こうえふていはう散步さんぽしよう」

今澤いまざわは「あのをとこ面白おもしろいいゝ人間にんげんだ」とおもつた。此頃このごろすべてのひとなつかしい。あたらしい知合しりあひになつたむらひと學友がくいうも、すべなつかしい。

二三すると、むぎむぎとのあひだをんなせなえる。よくると宿やどむすめだ。十七だと[Pg 207]ふが、いろしろえくぼがあつて可愛かあいらしく、そして親切しんせつだ。これもなつかしい一にん

むすめ藁畚ふごからくさつたつかして、はたけなからしてゐたが、れがちかづくと莞爾につこりとして、よごれたあたま手拭てぬぐひり、うや〳〵しく挨拶あいさつして、

「もうおかへんなさるかな」

「いゝや、今日けふ午後ひるからおやすみだから、ちつとの何處どこかであそんでかへります、ひる御飯ごはんゆつくり﹅﹅﹅﹅でよろしい」

左樣さうかな、最少もすこしすると、むかひの叔父おぢさんも魚市いちからもどつてませうから、なにかおさかなつてれませう」

「ぢや、それまでぼくはらへらしてる。」

今澤いまざわ肥料こやしにほひが、はたけなかからあがるのにまゆひそめ、いそいでとほけた。小溝こみぞ丸木橋まるきばしわたり、道側みちばたからうまほどたかくなつてる空地あきちあがつた。やはらかいくさが一めんへてゐて、ころぶとひじ首筋くびすじひやり﹅﹅﹅れる。それがなんとなくいゝ[Pg 208]きもちだ。雌摑めくぬぎゆがんだまだらにそらさへぎつて、眞晝まひるひかりまぶしくはない。雲雀ひばりこゑひとせはしく、ちかとほきこえる。

れは今年ことしの三ぐわつ――明治めいぢ二十五ねん――はじめて兩親りやうしん膝下しつかはなれ、この山間さんかんの百姓家しやうやに、自分じぶん寢床ねどこをのべ、ひとさびしくるやうになつてから、天氣てんきさへよければ、ほとんど每日まいにちこの空地あきちる。ときには國民こくみん新聞しんぶん少年園せうねんゑん漢書かんしよあひだはさみ、放課はうくわ時間じかんみにることがある。ある大家たいかの「熱海あたみだより」に「かみ幽禽ゆうきんさへずるをき、しも淸瀨せいらいむせぶをき、ヲルヅヲルスのじゆさふらふ」とあるをんで、ちいさいむねとゞろかせ、自分じぶんもその境涯けうがいいて、ヲルヅヲルスのかはりに、靖獻せいけん遺言ゐげん屈原傳くつげんでん朗讀らうどくしたこともあつた。ときにははゝ手紙てがみつてて、繰返くりかへし〳〵暗記あんきするほどんで、はるかに故鄕こきやうはるおもつたこともある。あるひたもと駄菓子だぐわしふくろれて、この木蔭こかげはらぱいむさぼつては、のどかはくと、篠笹しのざゝすがつてうしろ渓流けいりうくだり、淸水しみづくちひたすこともある。

[Pg 209]しかし今日けふよむべき雜誌ざつし新聞しんぶんつてゐない。ふべき菓子くわしつてゐない。たゞころんではる空氣くうきよくしてゐるばかり。やがて兩手りやうて頰杖ほゝづゑついて、目前めさきにちらちらする糸遊いとゆうながめ、ピイツク〳〵と雲雀ひばりくち眞似まねをした。それもくと、なんだかねむくなつて、しばらくウト〳〵してゐた。

車力しやりきおとゆめけて、たなりひらくと、數町すうちやうさきれの宿やどあたり﹅﹅﹅から、あはけぶりあがつてゐる。

悠長いうちやうはなうたともに、みち曲角まがりかどから竹籠ざるかついだ逹公たつこう――宿やどむすめ所謂いはゆる叔父をぢさん――があらはれた。

貴下あなたなにをしてゐなさる」

なんでもない、おまへかへるのをつとるんだ。おいしさかながあるかな」

「あるとも、まありてなされ」と、竹籠ざるしたいて、鉢卷はちまきつて、それをまわしてかぜぶ。

[Pg 210]今澤いまざわされてる書物しよもつひろつて、懷中ふところにねぢんでりた。逹公たつこう竹籠ざるしばけて、

「そうれ、黑鯛ちぬもあらあ、針魚さよりもあらあ」と指示さしゝめした。

うまさうだな」と、今澤いまざわはさもしさうにつて、針魚さよりながくちばしつまんでる。あをしまけてかゞやく。逹公たつこう自分じぶん子供こどもでもあやすやうに、

「さあ一しよかへりませう、かへつて料理れうりしてげます」と、竹籠ざるふたをしてになつた。

野道のみちには通學生つうがくせいえて、寄宿生きしゆくせいはまだ散步さんぽない。逹公たつこうくろあしふとすぢかせて、きにつてく。今澤いまざわ肩上かたあげのあるあらかすりあはせて、ばらつよ食慾しよくよくかんじて、あとからついてく。

逹公たつこう本職ほんしよくはたけ仕事しごとかたはら魚賣さかなうりをして、三日みつかに一ぐらゐは三あまりもある海邊うみべ出掛でかける。總領そうりやう喜助きすけ寄宿舎きしゆくしや賄方まかなひかたはいつてゐる。そして今澤いまざわ宿やど逹公たつこういへむかかひつてゐるので、風呂ふろにもはいりにく。怠屈たいくつときはなしをしにく。はじめ逹公たつこう[Pg 211]かほこわかつたが、はらなかやさしい親切しんせつひとらしく、二三うとこれもなつかしい一にんとなつた。家族かぞくものんなして可愛かあいがつてれる。入學にふがく當時たうじ旅窓りよそうさびしさ怠屈たいくつさをこの家族かぞくによつてどれほどなぐさめられたであらう。「貴下あんたはこんなやまなかて、おいしものべられんからおこまりぢやらう、不味まづものべてせちや、くにのおかあさんがきなさる。」とは、逹公たつこう女房かみさん口癖くちぐせで、團子だんごやおはぎ出來できるとかならつてれる。魚市いちくと屹度きつとさかなとゞけてれる。そして今澤いまざわはゝからおくつて小使錢こづかひぜになかばは、この魚代さかなだいはらつてしまう。

れの宿やどまへ欝蒼うつさうたるやま木樵きこりおのおとるやうにきこえる。れははなした部屋へやめしひ、はゝへの手紙てがみしたゝめてゐると、「御勉强ごべんきやうですか」と、靑脹あをぶくれのたかをとこさへぎつてまへつた。壯太さうたつて、喜助きすけおなじく、寄宿舎きしゆくしや賄方まかなひかただが、中々なか〳〵大志たいしいだいてゐて、ひまがあれば學課がくゝわ傍聽ばうちやうしてゐる。まへからこのうちへはあそびに[Pg 212]てゐたが、今澤いまざわとは同國どうこくだといふので、つひ懇意こんゐになり、古雜誌ふるざつしなどをりてく。

きみ今日けふ講義こうぎきにましたか」と、今澤いまざわ手紙てがみいて仰向あふむいた。

「いやきません、今日けふはごた〳〵してゐましたから」

きみ今日けふ靖獻せいけん遺言ゐげん大層たいそう面白おもしろかつた、中野なかの先生せんせいうまいなあ」といつたが、壯太さうた何時いつものやうに乗出のりだしてない。

「さうですか、ぼくはもうひまもらつてくにかへらうかとおもひます」と、なんとなくしほれたいろえる。

何故なぜかへるんです、え、きみ」と、今澤いまざわすこおどろいてめた。

なんでもありません、たゞくにこひしくなりましたから」

「だつて、きみ此校こゝうん﹅﹅勉强べんきやうするつもりでたんでせう」

「しかしもう﹅﹅いやになりました、學問がくもんいやだし、このむらものいやだし」

[Pg 213]今澤いまざわはらなかで「へんだな」とおもひ、相手あひてかほをジロ〴〵て、「きみ寄宿舎きしゆくしやものあ、まかなひ不平ふへいつてるさうだな、なにかあるんですか」

「さあ、なんだからんが、いま騷動さうどうがあるでせう」

まかなひうちでは喜公きいこうにくまれとるさうだが、どうしたんでせう、あれもいゝひとだがなあ………昨夕ゆふべおそくこのうちてゐた」

「さうですか、どんなはなしをしてゐました」と、壯太さうたいやこゑひくくして、ゑた。

「どんなはなしだかぼくつちまつたからりません」

「ふゝん」とつて、壯太さうたかんがへてゐたが、しばらくして「ぢや貴下あなたはよく勉强べんきやうなさい、當分たうぶんかゝれんかもれません」とつて、お辭義じぎをしてつくゑまへはなれた。

むすめかどかまいでゐる。壯太さうたかゞんでむすめなにはなしをしてゐたが、やがてむすめ小突こづいて、おこつたかほをしてスタ〳〵とつてしまつた。今澤いまざわおどろあきれた。そしてきさしの手紙てがみむかひ、むらしづかで景色けいしよくいこと、住民じうみん善良ぜんりやうなること、學課がくゝわ面白おもしろ[Pg 214]ことなどを美文調びぶんてういて、それをふうじながら、壯太さうたことかんがへた。

このうちにはよるになつて、よくむらの百しやう寄宿舎きしゆくしや賄方まかなひかた連中れんぢうあそびにる。しかし世間せけんばなしばかりで、べつかはつたこともない。壯太さうた宿やど老爺ぢいさんきな狐鮨きつねずしつてて、父娘おやこ二人ふたり自分じぶん行末ゆくすゑ大望たいまうはなしなどしてかへるばかりだ。壯太さうたはよく「わたしだけは他國よそものだから、どうも仲間なかま折合をりあひわるい」とこぼしてゐたが、逹公たつこう度々たび〴〵宿やどむすめむかつて、「今澤いまざわさんなんか、遠方ゑんぱうからてゐなさるんだから、不自由ふじいうなことがおほからう、をつけておげよ、他國よそひと大事だいじにせねばならん」と注意ちういするほどだから、他鄉よそもの虐待ぎやくたいするわけはない。

で、れはしばらうたがつてたが、べつ壯太さうたふか關係かんけいがあるのでもないから、もなくわすれてしまひ、こゑして靖獻せいけん遺言ゐげん復習ふくしふをした。折々おり〳〵たふれるおと木樵きこりうたきこえる。復習ふくしふをはつたころ、そのうたやましづかになり、はるやまはいつた。せま谷間たにまだから、かくれるのがはやいが、容易よういくらくはならぬ。あは長閑のどか夕暮ゆふぐれなが[Pg 215]つゞく。今澤いまざわしきゐ腰掛こしかけて、おぼろにかすんだ逹公たつこう藁屋わらやながめてゐると、宿やどむすめ

むかひに風呂ふろいたからおはいりなさい」とらせてたので、何氣なにげなく、

壯太さうたさんは播州ばんしうかへるさうですね、どうしたのからん」

くと、「わたしぞんじません」と、卒氣そつけない返事へんじをして、何時いつもの愛嬌あいけうせてれなかつた。しかし今澤いまざわ不思議ふしぎにもかんじない。そして丸裸まるはだかになつて、ちいさい野菜やさいばた橫切よこぎり、野天のてん据風呂すゑふろ飛込とびこんだ。半月はんげつ次第しだいあかるくなるのをながめて、やはらかいつかつてゐると、裏口うらぐちから逹公たつこうふとしば無雜作むざうさにへしつてはべる。

「よくいてるから、もうよろしい」とつても、

大事だいじかぜでもかせちやならん」と承知しやうちしない。今澤いまざわあがの、逹公たつこう頑丈がんじやうあかかほらすのをてゐたが、

叔父をぢさんはちからつよいだらうな」

つよいとも、十人力にんりきだ、貴下あんたぐらゐひらでさしげらあ、むらわかものでもわしにや[Pg 216]こうさんするからな」とおほきなこゑつて、ハツ〳〵とわらひ、「學問がくもんするひとは、なんみなよわいんだらう」

「そりやいろんなことをかんがへるから、百しやうしてるやうにボンヤリしちやれんもの」

と、今澤いまざわがマセたくちくと、逹公たつこうはへゝんと嘲笑あざわらつて、

「百しやうでもボンヤリしちやりませんぜ、貴下あんたなんかこそいまうちほんんでたつさかなでもべとりや、ほか云分いひぶんはないんだから結構けつこうだ、しかし貴下あんただつていま心配事しんぱいごと出來できる、屹度きつと出來できる、今歲ことし十四におなりなさるんだから、卒業そつげふまでまだあとねんだ、このむらにゐるうちに、もうそろ〳〵﹅﹅﹅﹅慮見方れうけんかたちがつてまさあ」

「そんなことほんんでつてらあ」

「さうでないて、壯太さうたなんかゞな、エラさうなくちくと、わしつてかせます。わしにやおまへたちはらいてるつてね、逹公たつこう明盲あきめくらでもあたまちやん﹅﹅﹅と四しよきやうそなはつとるんですぜ、だからせがれにもちつとばかりの學問がくもんをせんでも、親爺おやぢをし[Pg 217]をよくけ、それで澤山たくさんだとふんです、せがれもあれで親爺おやぢだ、ヘマな眞似まねをしてはぢくやうなことはしません」と、息子むすこ自慢じまんをして、ひとりでわらつた。今澤いまざわゆで﹅﹅だこのやうになつていてゐた。

その今澤いまざわ散步さんぽからかへると、寢床ねどこはいり、あさまでゆめひとずに熟睡じゆくすゐした。きるとれいごとあぜづたひに學校がくかうむかつた。通學生つうがくせいたまりへはいると、すでに四五にんあつまつてにぎやかにしやべつてゐたが、その一にん今澤いまざわると、

「ぢや今澤君いまざわくんいてたまへ」といふ。

なんだい」と、今澤いまざわけてそのむれはいつてをきよろ〳〵させた。

きみはまだらんのか、昨夕ゆふべ賄方まかなひかた喧嘩けんくわを、喜公きいこうたれたさうだぜ」

「え、喜公きいこうれに」

壯太さうたといふやつに」

[Pg 218]本當ほんたうか、何故なぜだらう」

「だからきみくんさ、きみ二人ふたりともよくつてるから」

今澤いまざわおどろいてよくくと、壯太さうた刃物はものつてゐたので、ほかものおそれてちかづかず、喜公きいこうおもふさまたれた。そして壯太さうた昨夕ゆふべから寄宿舎きしゆくしやにゐないさうだ。

このうはさ放課はうくわ時間じかんごと話題わだいのぼり、逹公たつこうまかなひ部屋べや怒鳴どなつてるさま報吿ほうこくするものもあれば、その原因げんいん硏究けんきうするものもある。學校がくかうは一にちこれでにぎはつた。

學課がくゝわをはると、今澤いまざわれい木蔭こかげやすんで、書物しよもつくさにほひにしたつて、最早もはや喧嘩けんくわ原因げんいんなどを念頭ねんとうおかなかつた。

そのばんれは近頃ちかごろおぼえた詩吟しぎんをしながら、谷川たにがは沿うて散步さんぽした。宿やどむすめくわあらつてゐる。そばには二三の百しやう脚胖きやはん草鞋わらじしてあしあらつてゐる。こゝでもたかこゑ喧嘩けんくわうはさだ。

[Pg 219]喜公きいこう意氣地いくぢのないやつだのう」「播州者ばんしうものなんかになぐられるなんてむら名折なをれだ」「彼奴あいつがまだむらにゐようなら袋叩ふくろたゝきにしてやるになあ」と、口々くち〴〵憤慨ふんがいしてゐる。

なんでも壯太さうた野郞やらうわるいにちがいない、ちつとばかりの學問がくもんはなにかけて、漢語かんごなんか使つかやがつて、平生ふだんから小憎こにくらしいやつだつた」

全體ぜんたい彼奴あいつ生意氣なまいきだ、新田しんでんたつむすめ艶書ふみをつけたといふぜ、をんな口說くどくに小六こむつしい艶書ふみにもおよぶまい」

他國たこくやつをんならされてたまるもんか」とんなでわらつた。宿やどむすめくわかついでいそいでかへつた。入違いりちがつて逹公たつこう佛頂面ぶつてうづらをしてたが、今澤いまざわしやがんでみちふさいでるので、

「そうら、退いた〳〵」と邪慳ぢやけんつて、れを突飛つきとばすやうにして、うまをザブリとみづれた。みづ四邊あたりびかゝる。

たつさん、壯太さうた行方知ゆくへしれずか」

[Pg 220]なんであんな無茶むちやことをしたんだらう」と、左右さいうよりひかけた。

播州ばんしうやつ畜生ちくしやうだ、穩順おとなしさうなつらしてやがつて」と、逹公たつこうすごかほをして、手綱たづなうまつた。

今澤いまざわまるくして恐々こは〴〵てゐたが、やがてげるやうに川下かはしもくだつた。みづ月光げつくわうせて耳語さゝやくやうに足下あしもとながれてゐる。れはうまれてはじめて他鄉たきやう孤獨こどくかんおぼえた。


[Pg 221]

空想家

(一)

單調たんてう自分じぶん生涯しやうがいでも、三十五さいいまから過去かこ振返ふりかへつてると、らぬ幾多いくた波瀾はらん經過けいくわしてゐる。何故なぜあんなことかんがへてゐたのだらうと、むかし幼稚えうち自分じぶん冷笑れいせうしたくなるが、それとともに五年前ねんまへ年前ねんまへなつかしく、あゝいまあんなになりたいなどとおもはぬでもない。

自分じぶん學校がくかう卒業そつげふする十年前ねんまへ雜多ざつた空想くうさう希望きばう取留とりとめもなくあがり、一人ひとりうれしかつたり氣遣きづかはしかつたりしたとき山吹町やまぶきちやう素人宿しらうとやど下宿げしゆくすることゝなつた。普通ふつう下宿げしゆく騷々さう〴〵しいから、しづかなうちうつつて、うん﹅﹅勉强べんきやうして卒業そつげふ社會しやくわい準備じゆんびをしやうぢやないかと、もつとしたしい細野ほそのとほる相談さうだんして、やうやさがてたのが五十ばかりの寡婦くわふと十四五のをとこ二人ふたりりのあるうちべつ生活くらしこまるのではない[Pg 222]が、小人數こにんずさびしくはあり、うち不用ふようがあるのだから、温和おとなしひとにならしてもいゝといふのを、或所あるところから聞込きゝこみ、早速さつそく談判だんぱんして承諾しやうだくたのである。ながあひだれぬとえ、いへ隨分ずゐぶんふるびてゐるが、せまいながらも、にはもあり、こと自分じぶんどもりた二かいからは早稻田わせだもりまで一めん見渡みわたされる。

で、二人ふたり引越ひきこしたとき籖引くじびきせきさだめ、細野ほその西にし自分ゞぶんひがしつくゑえ、勉强べんきやう時間じかんめて、そのあひだけつして無駄むだばなしをしないことにした。たがひけぬやうにんではかんがへ、かんがへてはみ、時々とき〴〵小聲こごゑはなしをするほかつねしづかにつくゑむかつてゐるので女主人かみさん非常ひじやう感心かんしんし、自分じぶんどもむかつて「貴下方あなたがた屹度きつと御出世ごしゆつせなさる」とめそやし、ひまかせて、五月蠅うるさくらゐなにかの世話せわいてれる。そのうへひとひとに、自分じぶんうはさ持出もちだす。それもばあさんのくせとして、つまらぬことまで仰山ぎやうさん吹聽ふゐちやうするので、二かいいてゐても可笑をかしくなる。「ほんとに今時いまどきめづらしい書生しよせいさんですよ、おさけ召上めしあがるぢやなし、寄席よせきに一らつしやるぢやなし、」とめられるのは當前あたりまへ[Pg 223]だが、ときとすると「御飯ごはんだつてちよんびり﹅﹅﹅﹅﹅しか召上めしあがらない」と、さも感心かんしんしたらしくめることがある。

或日あるひ細野ほそのがまだ學校がくかうからかへらず、自分じぶん一人ひとりひがしまどけて初秋はつあきんだそらあふぎ、ぼんやりしてゐると、階下した女主人かみさん來客らいきやくむかつて、べちや〳〵お喋舌しやべりをしてはわらつてるのがきこえる。相變あひかはらず自分じぶんども自慢じまんをもしてゐるらしい。しばらくしてそのはなしごゑえると、まどした垣根かきねわかをんなあらはれ、自分じぶん見上みあげたが、きふおどろいて俯首うつむいて、すた〳〵ととほぎた。いろしろほつそりしたをんなで、かみ束髮そくはつ葡萄色ぶだういろ羽織はおりてゐた。自分じぶんうつつてえたこの姿すがたおもうかべ、なつかしくてたまらないがする。いま女主人かみさんはなしてたをんなちがひないが、何處どこものだらうと、得意とくい空想くうさうたくましうして、かつあるところ出會であひ、たがひにこひ打明うちあけやうとするうちなにかにさへぎられ、わかわかれになつたをんなではないかなどと、かんがへてゐた。するとむかひのうちにはから椽側えんがはあがり、障子しやうじけてうちはいをんなえる。後姿うしろすがただけだが、束髮そくはつ葡萄色ぶだういろ羽織はおり首筋くびすじ[Pg 224]なめらかでしろい。自分じぶん意外いぐわいおどろいたが、わけなくうれしかつた。「隣家となりには宮内省くないしやう役人やくにんんでゐて、別嬪べつぴんむすめさんがゐる」と、女主人かみさんはずがたりをしたことがあつて、自分じぶんべつにもめなかつたが、あのをんなつたのだ。そばにゐながら自分じぶんは一たことがなかつたが、細野ほそのはこの窓側まどぎわるんだから、屹度きつとてゐたにちがひない。

で、まどはなれずに、それからそれとかんがへてゐるうち細野ほそのれいごとく、ながかみをふは〳〵させ、しづんだかほをして、白木綿しろもめん風呂敷ふろしきづゝみいだいてかへつてた。

郊外そとがよくなつたね、ぼくは『經濟けいざい』をやすんで、一時間じかん落合おちあひはう散步さんぽした」

と、細野ほそのつゝみけて、書物しよもつ筆記帳ひつきちやう取出とりだし、キチンとつくゑうへかさねた。

「さうか、これからまた戶山とやまはら讀書とくしよ出來できるね」といつて、わざ平氣へいきで、「きみむかひのむすめたか」とふた。

「むん、なんだからんが、わかをんなを一二たよ」とつて細野ほその微笑びせうした。ほゝ[Pg 225]すこ紅味あかみびる。

美人びじんだね」

ひんのあるをんなだ」

これだけのはなしで、自分じぶんもとつくゑもどり、近世史きんせいしみかけたが、しきりにこゝろ動搖どうえうしてページ墓取はかとらない。

そも〳〵自分じぶん細野ほそのしたしくなつたのはこのときから一年前ねんまへあきである。それまで陰氣いんき因循いんじゆんな、なんとなく齒切はぎれのわるをとことのみおもひ、打解うちとけてはなしをすることもなかつた。ところあたゝかき小春日こはるび自分じぶん落合おちあひはう散步さんぽくと、土手どて木蔭こかげせなしづかなあきらして一しん讀書とくしよしてるをとこがある。よくると細野ほそのだ。好奇心こうきしんからちかづいて會釋ゑしやくし、

なにんでるんです」

と、小形こがた書物しよもつをのぞくと、カツセルばんの「ウエルテルの悲哀ひあい」である。

[Pg 226]小說せうせつですか」とふたゝふた。

「まあそんなものです」と、細野ほその書物しよもつぢてふところれたがうるむでゐる。自分じぶん不思議ふしぎかんじて、

「それはあはれな小說せうせつですか」とくと、

「え、主人公しゆじんこう失戀しつれん苦悶くもんして自殺じさつするんです」

きみはそんなもの同感どうかんしますか」

細野ほその躊躇ちうちよして、「きみはどうです」と問返とひかへした。

ぼく無論むろん同感どうかんします、きみは」

ぼくおなことです」

「そうですか、ぼくきみこひひととはらなかつた。」と、自分じぶんはステツキでさくらえだたゝきながら、「どうです一しよへん散步さんぽしませんか」とうながすと、細野ほその立上たちあがつて衣服きものほこりはらひ、土手どてりた。

[Pg 227]で、二人ふたりりつはなれつ、鐵道てつだう線路せんろ橫切よこぎつて田圃たんぼみちあゆみ、小說せうせつはなしからこひ議論ぎろんをした。そのあひだにも細野ほそのみゝまして、しんみりした周圍しうゐ景色けしきあぢはつてゐるやうである。すで初雪はつゆきつたといふ富士山ふじさんしろ正面しやうめんそびえ、てんふかんで、くももなくかぜもなく、たゞ兵士へいし射的しやてきのみが、物凄ものすご空氣くうきさはがせてゐる。

ぼく每日まいにちこの界隈かいわい散步さんぽします」と、細野ほその上目うはめそらあふぎ、「ぼくあをそらたり、しろくもたゞようてるのをると、身體からだうへからふら〳〵んでくやうながするんです、自然しぜんというものじつ神々かう〴〵しいうつくしいものだ、それに何故なぜ人間にんげんばかりはきたないことや殘酷ざんこくなことをして下品げひん生活せいくわつおくつてるんでせう、昨日きのふもねかぜいてさむかつたけれど、此處こゝ散步さんぽして、がさら〳〵とあめるやうにちて、小鳥ことりあはれさうにいてるのをいてると、たましひとろける﹅﹅﹅﹅やうになりました。きみはどうです、自然しぜんてそんなかんじはしませんか。」

自分じぶん左程さほどふかくはかんじないのだが、細野ほその言葉ことば感心かんしんしたところだから、いて同意どうい[Pg 228]て、

ぼくきみ同感どうかんです、つまり人間にんげん慾望よくばううちもつと神聖しんせいものは、自然しぜんあいするこゝろ戀愛れんあいとでせう」

自然しぜんこひひか」と、細野ほそのぎんすゞでもらすやうなこゑで、朗吟らうぎんしてふかみづからかんじてゐる。自分じぶんはじめてれを面白おもしろをとこだとおもつた。

で、これまで經歷けいれきくと、れは作州さくしう津山つやまうまれ、けん中學ちうがく卒業そつげふするとたゞちに上京じやうきやうしたが、學資がくし支給しきう充分じふゞんでないので、二三ねんげいをつけ、自活じくわつしたうへ兩親りやうしん世話せわまでせねばならぬ。そのためむなく私立しりつ學校がくかう政治科せいぢくわ入學にふがくしたものゝ、元來ぐわんらい政治せいぢ法律はふりつこのましくない。だから學科がくゝわ勉强べんきやうするかたはら小說せうせつんでなぐさめてゐるので、時々とき〴〵自身じゝんでも新體詩しんたいしなどをつくるとのこと。

先日こないだ天使エンゼルつくつたんです、靑年せいねん男女だんぢよ純潔じゆんけつこひ物語ものがたりてん使つかひ白雲しらくもうへいてゐて、永久えいきうこひめぬやうに神泉しんせんみづそゝぎかけてやるところうたつたのです、[Pg 229]近日きんじつきみせませう、批評ひゝやうしてください」

「そりや面白おもしろい、是非ぜひせてたまへ、二三日間にちゝう訪問はうもんしますから」

自分じぶん同級どうきふ友人いうじんおほくが、るとさはるといたづらに悲歌ひか慷慨かうがいして天下てんか國家こくかだんじ、あるひ淫猥いんわいはなしふけるのをこゝろよおもはず、ことさけんで下女げぢよたはむれたり、遊廓いうくわく出入しゆつにふするのを苦々にが〳〵しくかんじ、卑俗ひぞく下劣げれついやしみ、自分じぶん趣味しゆみおなじい學友がくいうのないのを遺憾いかんおもつてゐたところだから、細野ほそのつたのを無上むじやうよろこび、翌日よくじつ學校がくかうかへりに、れの下宿げしゆく立寄たちよつた。四疊半でふはんとこもない部屋へやだが、さつぱりと取片付とりかたづけてある。

「よくましたね」と、情愛じやうあいのあるこゑむかへられると、もうなつかしくてうれしくてたまらなかつた。それから奇麗きれい文字もじ滿ちた天使エンゼル朗吟らうぎんき、自分じぶん批評ひゝやうどころではなく、一こと〳〵感動かんどうさせられ、自分じぶんもこんなつくつてたいと、心底しんそこから細野ほそのさいうらやましくなつた。情死じやうし是非ぜひ自殺論じさつろん精神せいしん自由說じいうせつ社會しやくわい俗趣味ぞくしゆみ攻擊こうげき、それからそれとはなしゆるひまなく、つひ晚飯ばんめしともにして、の十ごろ[Pg 230]までこしえた。

かくて二人ふたり二の親友しんいうとなつたのである。

(二)

「おかみさん、いまてたをんなむかひのむすめですか」と、晚餐ばんめしぜんむかつてくと、女主人かみさんゆびきで長火鉢ながひばちふちをこすりこすり、微笑びせうして、

貴下あなた御覽ごらんなすつて」

「え、一寸ちよつとました」

「いゝをんなでせう、づこの近所きんじよでは天神町てんじんちやう煙草屋たばこやむすめか、となりかが評判ひやうばんをんなですけれど、どうして角力すまふになるものですか、だいひんちがひまさあね、それにつゝみのお多津たつさんは、學問がくもん大變たいへん出來できなさるし、生花いけばなであれ裁縫ぬいものであれ、なにひとをんなげいけたものはないので御座ございますよ、もう十九ですから彼方あちらからも此方こちらからも、およめれろつて、やい〳〵つてるさうですがね、中々なか〳〵親御おやごしつかりものだから、お[Pg 231]いそれとはかないんで御座ございますよ、それにもつとげい仕込しこんで、何處どこしてもはづかしくないものにしたいつてね」と、女主人かみさん一息ひといき喋舌しやべつて、湯沸ゆわかしをチヤブだいき、「貴下方あなたがたつゝみさんへ御遊おあそびに被入いらつしやいましな、いま旦那だんな御用ごよう西京さいきやうはうらしつて、無人ぶにんさびしがつてゐられるんだから、おはなし相手あひてでも出來できると、屹度きつとよろこびなさいますよ、ちつともけぬ氣持きもちのいゝうちでね、わたしどももよくうかゞつては長話ながばなしをするんで御座ございますよ、昨日きのふおくさんに貴下方あなたがたのおはなしいたしますと、大變たいへんめていらつしやつたんですわ」

自分じぶん平生ふだん女主人かみさん物事ものごと仰山ぎやうさんふのを苦々にが〳〵しくおもつてゐたが、隣家となりはなしについてはすこしもうたがひさしはさまなかつた。それに自分じぶんことをもとなりの家族かぞくむかつて大袈裟おほげさ吹聽ふゐちやうしたことゝさつせられるが、それがすこしもいやがせぬのみか、かへつうれしいがした。

しかし、自分じぶんはよくらぬうちおしかけて勇氣ゆうきのあらうはずなく、たゞ時々とき〴〵まどからとな[Pg 232]りのには緣側えんがは見下みくだし、その姿すがたあらはれるかと空賴そらだのみするのみであつた。となりは平屋建ひらやだてゞ左程さほどおほきくはないが、古色こしよくびて由緒よしありげにえ、には可成かなりにひろ秋草あきくさ垣根かきねしげ片隅かたすみにはちいさなはたけがある。自分じぶんはその家庭かていをも連想れんさうし、氣品きひんのあるはゝと、古風こふうちゝと、かの素直すなほむすめとがおだやかな生活くらしをしてゐるさまおもうかべ、源氏げんじ物語ものがたりなどにあるゆかしい住居すまゐてゐるやうにかんじた。よるになり、えたつきがそのくさへた屋根やねらし、には草叢くさむらではむししきりにすと、むかひのいへゆめ世界せかいになる。自分じぶん憧憬あこがれもつてそれをながめ、てのない空想くうさううかび、うれしいかなしみがむね滿ちる。

こんなふうで二三にちおくつたが、あのをんな自分じぶん念頭ねんとうらぬことは、すこしも細野ほそのかたらない。細野ほそのまた卒業後そつげふご責任せきにんかんじながら、えず新體詩しんたいしこゝろられ、いまも『られぬこひ』などをつくつてゐる。それで晚食ばんめし散步さんぽしながら、學問上がくもんじやう議論ぎろん卒業後そつげふご生活せいくわつ方法はうはふについてたがひにかたときも、何時いつにか肝心かんじんはなしれて、人生じんせい[Pg 233]問題もんだいこひ如何いかん話題わだいのぼり、熱心ねつしん感想かんさう意見いけんたゝかはす。細野ほその屡々しば〳〵ダンテの悲慘ひさんなる失戀しつれん同情どうじやうせてき、「人生じんせいえうするに悲慘ひさんだ」とおきまりの結論けつろんをする。ロメオの悲戀ひれん、ハムレツトの煩悶はんもん細野ほそのはそれ物語ものがたりすゞしいこゑ詩的してき調子てうしもつはなし、自分じぶん眞面目まじめいて、間接かんせつ其等それら主人公しゆじんこう同感どうかんし、自分じぶん彼等かれらおなじく、浮世ゆきよあはれをにひし〳〵とおぼえてゐる一人ひとりだとしんじてゐた。それとともにそのあはれをかいしない我々われ〳〵仲間なかま俗物ぞくぶつだとの自負じぶしん多少たせうないでもなかつた。

(三)

舊曆きうれきぐわつの十五、これから散步さんぽやうとしてるところ女主人かみさんが二かい入口いりぐちくびして、

「ね槇田まきたさん、いまとなりからお使つかひがましてね、今夜こんや月見つきみをするから、太郞たらう女主人かみさん)と、それから貴下方あなたがたにも是非ぜひらしつてくださいとふのですよ、つて御覽ごらんなさい、わたし一人ひとりでお留守番るすばんしますから」とすゝめた。

[Pg 234]自分じぶん飛立とびたつやうであつたが、わざ躊躇ちうちよていで、

「さうですね、細野君ほそのくんくかい」

「でもらんうちくのはへんだね」

「だつて太郞たらうもまゐるんですから、いゝぢやありませんか」

と、女主人かみさんしきりにうながす。

「ぢやつてるかな、きみは」とくと細野ほその同意どういした。

で、二人ふたり太郞たらうについて、裏木戶うらきどからには橫切よこぎつた。太郞たらう緣側えんがはつて、

叔母をばさんましたよ、んなをれて」と大聲おほごゑんだ。すると四十ぐらゐ小柄こがらをんな太郞たらうおな年輩ねんぱいかほあををとこおくからて、

「よくらしつた、さあおあがんなさい」と、しきりに後退しりごみする自分じぶんを、引張ひつぱりげるやうにして座敷ざしきとほした。

自分じぶん窮屈きうくつかしこまつてたゞ「はい〳〵」と受答うけこたへをしてゐたが、妻君さいくん愛想あいそよく、[Pg 235]くわいくわつ調子てうしで、絕間たえまなくいろんな世間せけんばなし持出もちだすので、自分じぶん何時いつにか釣込つりこまれて、れいむすめ枝豆えだまめ白玉しらたまぼんせてはこんでときは、最早もはやひざくづれてゐた。

わたし面倒めんだうくさ世態話しよたいばなし大嫌だいきらひな性分しやうぶん御座ございましてね、わかかたと一しよになつて、つみのないおはなしをするのが一ばん面白おもしろいんで御座ございますよ、ですからどうか度々たび〳〵らつしてくださいましな、此頃このごろ主人あるじ留守るすだし、小人數こにんず本當ほんたうさびしくてね、退屈たいくつで〳〵こまつてるので御座ございますよ」と白玉しらたまをコツプにつて、砂糖さとうをぶつかけてれた。妻君さいくんせてした小皺こじはがあるが、顏立かほだちむすめによくてゐる。むすめ岐阜ぎふ提灯ぢやうちん點火ともしてのきるし、はゝそばすわつた。太郞たらう緣側えんがは白玉しらたま頰張ほゝばりながら、靑白あをじろ子息こどもと、蟲籠むしかごもてあそんでゐる。

今夜こんやはいゝお月樣つきさまだ」と、妻君さいくん仰視あふむいてそら見上みあげた。

わたしはこんなばんにはあはれな音樂おんがくきたくなります」と細野ほそのつた。

音樂おんがくがおきなの、では此女これがもつと上手じやうずだとおかせまをすんですけれど」

[Pg 236]ことがお上手じやうずだつてふぢやありませんか、きかせていたゞくといゝんだが」

「だつてしばらくお稽古けいこめてますから」とむすめひくこゑつて、すましてゐる。細野ほその自分じぶんいてもとむる勇氣ゆうきはない。

細野ほそのくん新體詩しんたいし朗讀らうどく上手じやうずです、まつた音樂おんがくてきです」と自分じぶん座興ざきようすやうにと差出口さしでぐちいた。

「おやさう、是非ぜひきかせてくださいましな」と、妻君さいくんうながすので、細野ほそのはじ一寸ちよつと辭退じたいしたが、つひ中音ちうおんで「天使エンゼルうた」をぎんじた。こんな場合ばあひ細野ほその性質せいしつとしてべつ氣取きどりもせず羞耻はにかみもせぬから、如何いかにもこゑ自然しぜんうたぶり面白おもしろかつた。妻君さいくんくちきはめてめ、むすめ莞爾につこりして「いゝこゑだわねえ」とはゝつた。

槇田まきださんもなにかくげいがおありなさるでせう」と、妻君さいくん自分じぶんはうる。

「いえぼく駄目だめです、詩吟しぎんぐらゐだから」と自分じぶん氣乗きのりもしなかつたが、あまりにめられるので、詮方せんかたなく簡短かんたん漢詩かんし怒鳴どなつたが、あまり感心かんしんはされなかつたらし[Pg 237]い。それから太郞たらう軍歌ぐんかがあつて、たがひに打解うちとけてると、妻君さいくんはトランプでもとしたが、自分じぶん後日ごじつして宿やどかへつた。

これからつゝみ家族かぞく懇意こんいになり、二三たづねてもき、そのたびごと妻君さいくん機嫌きげんよくむかへてれるが、むすめ何時いつ口數くちかずすくなく、ツンとした態度たいどつてゐる。自分じぶん東京とうきやうわかをんなまつた知邊しるべのないためか、これにたいしては一しゆおそれをかんじてり、ことつゝみむすめ神々かう〴〵しいやうで、あまりれ〳〵しく言葉ことばけると、無禮ぶれいとがめられはせぬかとおもつた。で、たまたま「欝陶うつとうしいお天氣てんきですこと」とか、「どちらへ御散步ごさんぽいらつしやつたの」とか、なんでもない挨拶あいさつをされただけで、非常ひじやう愉快ゆくわいかんじてゐた。

何故なぜあのをんなはあゝコールドなんだらう」と細野ほそのふと、細野ほそのは、

肉感にくかんとぼしいからだらう、純潔じゆんけつをんなひやゝかにえるんだ、しかしあれでこひかんじやうなら、かほ生命いのちあらはれて溫味あたゝかみびてるよ」と鹿爪しかつめらしくく。

「さうかもれん、しかしあのをんなはまだこひかんじたことがないんだらうか。」

[Pg 238]いとも、こひしたこひしないとは、ちやんと區別くべつがある。」

「さうかね」と、自分じぶんは一も二もなく同意どういして、たゞそのこひするたいとおもつた。しかし自分じぶんがこの二かいで、やはらかい空想くうさうつゝまれながら、矢鱈やたら勉强べんきやうする平和へいわ時代じだいながくはつゞかなかつたのである。

(四)

或日あるひ同鄉どうきやう友人いうじん葛原くづはら勇吉ゆうきちたづねてて、さかんにこの宿やどめ、「ぼくすこ勉强べんきやうしたいから、しづかなうちうつりたい、此家こゝにはいてれんだらうか」とつたが、自分じぶんはこのをとこ騷々さう〴〵しいのをきらつてゐたから、「ほか部屋へやもないやうだし、人出ひとでがないから大勢おほぜいめるわけかんだらう」とあきらめさせた。すると葛原くづはら階下したりて、二三十ぷんかん女主人かみさんはなしてたが、どうきつけたのか、太郞たらう勉强べんきやう部屋べやかりることにめたさうだ。口先くちさきのうまため女主人かみさんいやへなかつたのであらう。

あんとほりこのをとこてからは、一空氣くうきちがつてしまう、自分じぶん細野ほそのとは三[Pg 239]食事しよくじとき女主人かみさんはなしをするのみで、はしくと直樣すぐさまかいあがるのだが、葛原くづはら煙草たばこうて一時間じかんはなみ、時々とき〴〵太郞たらう將來しやうらいについても親切しんせつさうに相談さうだん對手あひてになつてやる。我々われ〳〵とはちがひ、快活くわいくわつ調子てうしのいゝ洒落しやれうまをとこだから、二三にちうちに、すつかり女主人かみさんつた。自分じぶん勉强べんきやう身持みもちがよいとめられてもかれはしない。葛原くづはら午寢ひるねをしやうと、夜深よふかしをしやうと、人間にんげん面白おもしろくて、さびしいいへにぎやかにするのだからかれないわけがない。土曜日どえうびばんには屹度きつとぽんつけさせ、微醉ほろゑひ落語らくご眞似まねをしたり、色話いろばなしをする。細野ほその夕陽美せきやうび講釋かうしやくや、新體詩しんたいし說明せつめいよりは、どんなに面白おもしろく、女主人かみさんみゝひゞいたであらう。或晚あるばん葛原くづはら自分じぶんまへいて一ぽんたひげて、さらに一がふだけを强請ねだり、くぼんだふちあかくし、とがつたあご突出つきだし、

「だつておつかさん、ぼくなんかさけでもまなけりやつまらないさ、こんな御面相ごめんさうで、情婦いろ一人ひとり出來できるんじやなしさ。」

[Pg 240]いまからおさけなんか召上めしあがるから、なほ出來できないんぢやありませんか」

「しかし槇田君まきたくんだつて細野ほそのくんだつて、まだ戀人こひゞとといふやつ出來できんのは不思議ふしぎだ、みがげればみな色男いろをとこたる風采ふうさいつてるんだがね、我黨わがとうふるはざるひさしだ、ハツヽヽヽ」

「どうして槇田まきたさんなぞは、卒業そつげふさへなされば、どんないゝ奧樣おくさまでもおこの次第しだいですわねえ、つゝみのおじやうさんだつて、槇田まきたさん〳〵つて大騷おほさわぎなんだから」と、女主人かみさんはさも眞實まことらしくふ。自分じぶんは「あゝまたばあさんが捏造ねつざうはじめたな」とおもつたが、多少たせうゝれしくもかんぜられた。

本當ほんたうかい槇田君まきたくん」と、葛原くづはらまるくして眞顏まがほいた。

「そんな馬鹿ばかなことがあるものか」と、自分じぶん苦笑くせうした。

「なにね、槇田まきたさんは御存知ごぞんぢなくつても、むかうでは屹度きつとおもつてらつしやるにちがひない」と老婆ばあさん意地惡いぢわるたしかめた。

眞實ほんとでも虛僞うそでも、そんなうはさつだけでも名譽めいよだ、ひとおごたまへ、なんならこれ[Pg 241]ぽんけてくから」と瓶子てうしつた。

くだらんことをつてらあ」と、自分じぶん取合とりあはずに二かいあがつた。さら〳〵とあめふくんだかぜまどあたり、むし絕間たえまなくこえ、折々をり〳〵葛原くづはらたか笑聲わらひごゑきこえる。しばらくして細野ほそのそばて、「いま女主人かみさんつたこと本當ほんとかい、きみがゐなくなつてから、いろんな皮肉ひにくつてたよ」と、ひくこゑで、なんだか氣遣きづかはしさうにつたが、れのむね鼓動こどうしてるやうだ。

馬鹿ばかな、そんなことのあるはずがないぢやないか、滅多めつたにあのうちきやしないしさ、たゞ老婆ばあさんなんでもないことを意味いみありげにひたがるんだ」

「でもまつたたねのないこともはないだらう」

屹度きつとなんだよ、あのなにかの拍子ひやうしぼくこといたのだらう、それが老婆ばあさんくちのぼると、あんなに誇張こちやうされてしまうんだからいやになつちまう」

「さうかねえ」と、細野ほその安心あんしんしたふうだ。

[Pg 242]しかし自分じぶんは、女主人かみさん言葉ことばに、あるひ多少たせう事實じゝつふくまれてはゐないかともおもひ、またいてさうおもふやうにした。で、萬一まんいちさうであつたらどうしやう、如何いかなる障礙しやうがいやぶつても、こひ成遂なしとげるのほかはない。葛原くづはら揶揄やゆされやうとも老婆ばあさんあざけられやうともかまうものか、自分じぶんをんなしづかなところ清貧せいひんなる生涯しやうがいおくればそれでつてゐる。をんなとても世俗せぞく榮華えいぐわ追求つひきうするふうはないから、自分じぶん理想りさう同意どういするにちがひない。

にち二日ふつかこんな取留とりとめのない空想くうさうあたまなやましてゐたが、あえをんなつて心中しんちうたしかめやうともしない。葛原くづはらつゝみ妻君さいくんとも懇意こんいになり、太郞たらうれてしきりに出入しゆつにふすれど、自分じぶん細野ほその滅多めつた機會きくわいがない。そして自分じぶん葛原くづはら隣家となりしたしくなり、妻君さいくんにもチヤホヤされるのが不快ふくわいでならなかつた。自分じぶん渇仰かつかうする聖殿せいでん泥足どろあしけがされるがした。

或晚あるばん葛原くづはらが、「隣家となりでは今夜こんや大將たいしやう留守るすだから、トランプをるとつてたよ、一[Pg 243]しよかうぢやないか」と自分じぶんすゝめた。

「トランプはらんもの」

らなくたつていゝさ、ひとすくないと面白おもしろくないから、是非ぜひ付合つきあつてたまへ、きみもあまり勉强べんきやうるとどくだよ、すこしは呑氣のんきあそはうがいゝよ」

「ぢやつてやう」

と、太郞たらうともすべて四にん隣家となりおしかけた。

叔母をばさん、んな引張ひつぱつてましたよ」と、葛原くづはらはずんずん座敷ざしきあがつた。れは宿やど女主人かみさんをおつかさんとび、つゝみ妻君さいくん叔母をばさんとひ、むすめをお多津たつさんとぶのだ。

「お多津たつさん、今日けふけたものがおごるんですよ」

「えゝ〳〵、よう御座ござんすとも、どうせけやしないから」と、むすめちがだなからふだ取出とりだし、一どうをなした。で、葛原くづはらふだつて順々じゆん〴〵いてつたが、その[Pg 244]手際てぎはうまいものだ。自分じぶん細野ほそのたゞをそはつたとほ機械的きかいてきにやつてるのみでべつ興味きようみもない。むすめ夢中むちうになつて、身體からだゆすぶりふだつたをもぢ〴〵させて勝敗しやうはい氣遣きづかつてゐる。葛原くづはらさけんだりわらつたり、あたまいたりしたしたり、一人ひとりさわいでにぎやかにする。自分じぶん折々をり〳〵うつとり﹅﹅﹅﹅して、この家庭かてい行末ゆくすゑおもひ、葛原くづはらのやうな卑俗ひぞくをとこ出入しゆつにふして、おだやかなゆかしい生活くらし搔亂かきみだし、下等かとう趣味しゆみそゝみ、一堕落だらくしてしまうことを氣遣きづかひ、「なにかんがへていらつしやるの、貴下あなたばんぢやありませんか」と、そば妻君さいくんからしかられるくらゐであつた。

つひ細野ほその自分じぶんとが劣敗者れつぱいしやまり、蕎麥そばおごらされた。葛原くづはら萬歲ばんざいとなへ、むすめはほつといきき、「あゝよかつた」と莞爾につこりする。自分じぶん如何いかにもつまらない。それでいまむすめしてほかもの同意どういしたが、自分じぶん二人ふたり辭退じたいしてかへつた。かへつて二かいまどけて、星影ほしかげあふいでゐると、つゝみ座敷ざしき燈火あかりかすかにえる。まだトランプをやつてるのであらう。

[Pg 245]こまるね、葛原くづはら侵入しんにふしては、此家こゝだつて、あのをとこてから、すつかりばアさんの態度たいどちがつてしまつた。が、それはまあいゝとして、つゝみうちつちやこまるよ、うちばアさんなんか、どうせ趣味しゆみひくいんだから、葛原くづはら感化かんくわされるのも當然たうぜんだがね、となりの家族かぞく敎育けういくもあり品位ひんゐそなへてるのに、何故なぜ葛原くづはら勸迎くわんげいするんだらう」と、自分じぶん細野ほそのはなしかけると、

「さうだね」と細野ほそのくびかしげ、「ぼくとなりの母子おやこけつして葛原くづはらよろこんでやしないとおもふ、擧動きよどう顏色がんしよくでさうさつしられるぢやないか、ことむすめむねなにかのくるしみがあつてたまらないから、それでトランプや馬鹿ばかばなしわすれやうとしてるんだ、あのたしかにうつくしいものきよこひもとめてるといふふうだ」と、上目うはめそらて、落付おちついたこゑつた。

自分じぶん細野ほそのせつにはすこしの根據こんきよもないとおもつたが、「さうかねえ」とつて、べつ反對はんたいもしなかつた。平生ふだん自分じぶんおのれの希望きばう想像さう〴〵について、多少たせううたがひをいうしてゐた[Pg 246]が、細野ほそのけつしてそんなことなく、何事なにごとについても一しゆ意見いけんいうしてゐて、自分じぶんいてすら、幼稚えうち空想くうさうだとおもこと確信かくしんしてゐた。

で、かく自分じぶん細野ほそのごと樂觀らくゝわんしてゐられぬ。つゝみのために、葛原くづはらとほざける工夫くふうかうぜぬばならぬと、はらなか藻搔もがいてゐた。ところがその翌晚よくばん葛原くづはら女主人かみさん太郞たらうとをれて寄席よせつたあと

御免ごめんなさい、叔母をばさんはお留守るす?」

勝手かつてはうこゑがする。自分じぶん留守番るすばんあふせつかつてゐるから、早速さつそくりてると、それがお多津たつである。萩餅おはぎつてれたのだ。

「まあおあがんなさい、みんな留守るすだけれど」

葛原くづはらさんも」

「えぼく細野ほそのくんだけです、」

昨夕ゆふべけなすつて、今夜こんやまた留守番るすばんではつまらないわねえ」と、わらひをふく[Pg 247]んでれ〳〵しい態度たいど

ぼく寄席よせきらひだからきたくはないんです、トランプだつてちつとも面白おもしろくはないし、けたつて口惜くやしくはありません」といつたが、今夜こんやめづらしくお多津たつ態度たいど打解うちとやすいやうであり、また他人ひとまじへずに差向さしむかひではな機會きくわいまたられぬのであるから、おもつて、

ぼく是非ぜひ貴女あなたにおはなししたいことがあるんですが、此方こちらあがつていてれませんか」と、しづめて、言葉ことばいておだやかにした。

なんのおはなし」と、いつもひやゝかな調子てうしつて、勝手かつていたこしおろし、橫向よこむきに自分じぶんかほ見詰みつめた。

なんつてべつなんでもないが」とドキマギした揚句あげく、「ぼく貴女あなたはじめ、家族かぞくかた尊敬そんけいしてるんです、おたくくと優雅いうがしつとり﹅﹅﹅﹅した空氣くうき滿ちてるやうにかんぜられるんです。貴女あなた幸福かうふく家庭かていうまれて純白じゆんぱく生涯しやうがいおくるんだから」と、またよど[Pg 248]んだ。

「あらそんなおはなし、槇田まきたさんも隨分ずゐぶん可笑をかしなかたね」と、お多津たつなかおこした。

「だから貴女あなたてんからさづかつた純白じゆんぱく性質せいしつきづゝけんやうにしなくちやならん、下品げひん趣味しゆみ野卑やひ談話だんわ貴女あなたにはてきしないんです。」

槇田まきたさんはむつしいことばかり仰有おつしやるのね、お說敎せつけうでもきいてるやうだわ」とわらつて、

下品げひん趣味しゆみといふのはなんですか、トランプをること」

「さうでもないんだが、かく葛原ゝづはらなんかに感化かんくわされちや駄目だめですよ」

「え、葛原くづはらさんがどうかしたの」

「あのをとこ面白おもしろ人間にんげんだけれど、どうも趣味しゆみ下品げひんだからいかん、貴女あなたもそのつもりで御交際おつきあひなさるがいゝ」

わたし趣味ゝゆみ下品げひんだつていゝのよ」と、れいのツンとして立上たちあがつた。

ぼく貴女あなた尊敬そんけいしてるからつたのです、わる意味いみらないやうにしてください」

[Pg 249]と、自分じぶん狼狽うろたへた氣味きみ

「つまり葛原くづはらさんとお交際つきあひするなと仰有おつしやるんでせう、貴下あなた何故なぜ友逹ともだち除物のけものになさるの、葛原くづはらさんは被入いらつしやたびに、貴下あなたがたをおめなさるのに、貴下あなた葛原くづはらさんの惡口わるくちなんかつて、」

「さうぢやないさ、しかし貴下あなたはまだ御存知ごぞんぢないだらうが、葛原くづはらはこれまでズボラで評判ひやうばんわるをとこだから、あんなをとこ家庭かてい侵入しんにふさすと信用しんようくわんするとおもつてつたのです、ぼく貴女あなたはじめておかゝつたときから、貴女あなた品性ひんせいすぐれたかたおもつて、一しやう天使エンゼルのやうな生涯しやうがいおくるやうにねがつてゐます。」

多津たつすましたかほ不審いぶかしげに自分じぶんかほて、「わたし尊敬そんけいされたり、天使エンゼルとかになりたくはありませんわ、貴下あなたこそ餘程よつぽどめうね……おはなしつてそれつり」とつて、會釋ゑしやくしてかへつてしまつた。自分じぶん失望しつばうして二かいあがると、細野ほそのが、

きみなにはなしてたんだ」

[Pg 250]むかひのむすめたから葛原くづはらひとりをかせたけれど、薩張さつぱわからない、矢張やはり平凡へいぼんをんなだね」

ぼくはさうおもはない」と、細野ほそのをんな月世界げつせかいからつてをんなのやうにおもつてゐるらしい。自分じぶん葛原くづはら大事だいじたから踏碎ふみくだかれ、また理想りさうをんなから愛相あいそつかされたごとかんじ、きふにこの宿やどいやになり、轉居てんきよしやうと决心けつしんし、細野ほその同意どういもとめたが、細野ほその面倒めんだうくさいからといふ口實こうじつ賛成さんせいしない。

で、その翌日よくじつから學校がくかう歸途きと自分じぶん一人ひとり宿やどさがまはり、二三にちうちに、やうやいたところつけた。いよ〳〵轉宅てんたくきまつたに、葛原くづはらは二かいて、

あきらめてすんか」と、皮肉ひにくひ、「きみはひどいな、レデイにむかつてぼくこと趣味しゆみひくやつだとつたさうだが」

なにさうぢやないよ」と、自分じぶんすこあかくなつて辯解べんかいしやうとすると、葛原くづはら無邪氣むじやきくちけてわらひ、

[Pg 251]「それはどうでもいゝさ、しかし、きみをんなむかつて趣味しゆみ高下かうげろんずるなんか、野暮やぼきよくだぜ、レデーでもエンゼルでもおさつよろこんで召上めしあがるんだもの」

(五)

自分じぶん轉居てんきよきは雜司ざうしの百姓家しやうや藁葺わらぶきのきかたむき、かべほねし、たゝみりむけてあしひつかゝるほどだが、まへ大根たいこんばたがあり四はうならもみ取圍とりかこみ、ほか人家じんかとかけはなれて、荒寺あれてらのやうである。下町したまちのさる富豪ふがう所有しよいうで、やがて地代ぢだいあがるのをまちうりはなすはずだが、それまで番人ばんにんとして、獨身ひとりもの作藏さくざうぢい無代むだい貸與たいよしてゐるのだ。自分じぶんはこのぢいさんの白痴はくちごと逹人たつじんごとく、なんとなく世間せけんばなれしてゐるのを面白おもしろかんじ、一しよ引割ひきわりめしひ、時々とき〴〵大根だいこ蟲取むしとりの手傳てつだひをもしてやり、無論むろん學問がくもんおこたらなかつた。で、山吹町やまぶきちやうへはまつたあしけぬ。細野ほその屡々しば〳〵たづねてては、楢林ならばやしした落葉おちばいて、あきながめて、ゆめのやうなはなしふけつてゐた。しかし自分じぶんつゝみむすめことなるべくくちさぬやうにし、細野ほそのかたらなかつた。

[Pg 252]しかし細野ほそのもなく山吹町やまぶきちやう宿やどて、戶塚町とつかまち植木屋うゑきやの一り、卒業そつげふまで其處そこらしたのである。

卒業後そつげふご二人ふたりとも一にちはや職業しよくげふもとめねばならぬ。こと細野ほその鄉里きやうり家族かぞく補助ほじよする義務ぎむさへあつて、自分じぶんよりも糊口こゝう方法はうはふあせらねばならぬのだ。しかるにれは試驗しけんむと、一生涯しやうがい重荷おもにおろしたで、衣服きもの敎課書けうくわしよ賣拂うりはらつて、相州さうしう葉山はやま旅行りよかうした。そして或日あるひ自分じぶん先輩せんぱい訪問はうもんして職業しよくげふ周旋しうせん依賴いらいし、あせほこりにまみれてかへると、れからの手紙てがみてゐた。

「…………ぼくいま相模灣さがみわん見下みおろした小高こだかてら寄寓きぐうし、菜食さいしよく滿足まんぞくし、肉慾にくよくわすれてれい生活せいくわつをしてゐる。あさはやきて、まだ人影ひとかげもなく、うみ神秘しんぴ水氣すゐき閉籠とぢこめられてゐるころ明神崎みやうじんざきつて、岩蔭いはかげきよして作詩さくし工夫くふうらし、ひるてら廣間ひろまころんで、海風かいふうみゝあなまででられて、キーツやヲルヅヲルスの朗讀らうどくしてゐる。僧侶そうりよ讀經どくきやうかけひ水音みづおとは、やはらかにぼくはらわたまでむ。いま夕暮ゆふぐれ磯傳いそづた[Pg 253]ひからかへり、こけおほはれた石段いしだんあがつてゐると、かね永遠エターニチーひゞきをつたへ、ぼく宇宙うちう神靈しんれいれたごとかんじ、希悅きえつなみだた。こひ絕望ぜつばうんだいにしへひとが、寺院じゐんのがれたのは、さもあるべきことおもはれる。……」

しるし、最後さいご現在げんざいこゝろだとして、キーツのソンネツト"Oh! How I love, on a fair summer's eve"の全體ぜんたいうつへた。

れはほとんど生活せいくわつ方針はうしんなどを念頭ねんとういてゐないらしい。歸京きゝやうしてからでもあえ齷齪あくそくとしてしよくあさるでもなく、月給げつきうとりとなり一かまへるよりも、あき郊外かうぐわい散步さんぽ出來できときつてるやうだ。超然てうぜんとしたその態度たいど純潔じゆんけつなその精神せいしん自分じぶん細野ほその尊敬そんけいせずにはゐられなかつた。

さいはひにして自分じぶん細野ほその會社員くわいしやゐんくちついたが、自分じぶん大阪おほさか細野ほその東京とうきやうわかれ〳〵につとめねばならぬ。で、自分じぶん出立しゆつたつの二三日前にちまへ二人ふたりきりで離別りべつくわいもよほし、自分じぶん將來しやうらい活動くわつどう計畵けいくわくくはしくかたり、細野ほその理想りさう神靈しんれいきよこひなどについてうる[Pg 254]しいゆめかたつた。

それから四五ねん細野ほその機會きくわいはなかつた。はじめのうち書信しよしん往復わうふく頻繁ひんぱんであつたが、つきかさぬるにつれ次第しだいげんじ、のちにはほとんど音信おんしん不通ふつう、たまの手紙てがみきはめて簡短かんたんで、きみ無事ごぶじにや、ぼく無事ぶじ殘暑ざんしよきびしくそろくらゐぎぬ。

このあひだ自分じぶん生活せいくわつ狀態じやうたい餘程よほどかはつた。さけむ、遊廓いうくわくへもく、上役うはやく目顏めがほ注視ちうしするやうにもなつた。月日つきひいたづらにはやぎて、豫想よさうひとつ〳〵はづれてくこともつた。しかしまだわか血潮ちしほれてはゐない。んでき、會社くわいしや冷遇れいぐういきどほり、あるひ戀人こひゞととも淵川ふちかはとうずるの勇氣ゆうきがないでもなく、したがつて多少たせう波瀾はらんが一身上しんじやういておここつたが其等それら他日たじつしてこゝにはかたらぬ。

さて或年あるとしなつからうじて一週間しうかん休暇きうか上京じやうきやうした。久振ひさしぶりであり、ふべき先輩せんぱい友人いうじんおほいけれど、つてたきは細野ほそのとほるながらく消息せうそくせつしなかつたのだが、どんなにかはつてるだらうと、大手町おほてまち會社くわいしやたづねると、先頃さきごろ退社たいしやしたとかで[Pg 255]宿所しゆくしよわからぬ。で、二三げんまわつて、やうや移轉先ゐてんさき突留つきとめ、早速さつそくゝるまけつけたのだが品川しながは御殿山ごてんやま門構もんがまいかめしいうち此處こゝなにをしてゐるのだらうといぶかりながら案内あんないふと、玄關げんくわんたのが細野ほそのである。「ヤア」と自分じぶん見張みはつて、れのせてあをはなばかりとがつたかほてゐたが、れもおどろいて「きみ非常ひじやうちがつたね、會社員くわいしやゐんらしくなつた」と、かくそば書生しよせい部屋べや案内あんないした。

きみ會社くわいしやしたさうだね、いまなにをしてるんだ」と、自分じぶんすわるやいなくと、

「このとほ書生しよせい部屋べやにごろ〳〵してる、しかし突然とつぜんきみつたので、なんだかほか世界せかいてるがするよ」と、自分じぶんをのぞきんでしづんだこゑひ、うるんでゐる。

ぼくいそがしいもんだから、つい手紙てがみおこたつてまなかつた、そのきみはどうしてゐた、なんだか身體からだわるさうぢやないか」

「うんすこよわつてるがね、たいしたこともあるまい」と、れはひさして、きふに「こほりでもつてやう」とつた。あと自分じぶん羽織はおりいで、扇子せんすはげしく使つかひ、[Pg 256]あせかはかせながら、部屋へや隅々すみ〴〵るに、衣紋竿えもんざをにかけた衣服きものも、ちいさい本箱ほんばこも、茶道具ちやだうぐまで四五年前ねんまへ下宿げしゆく時代じだいとあまりかはつてゐない。たゞ海邊かいへん水彩畵すゐさいぐわが一まいかかつてゐるのが目新めあたらしいぐらゐ本箱ほんばこけてると、矢張やはりキーツやシエレーの詩集ししふがあつて、まへよりも手垢てあかがついてゐる。つくゑには二三てう半紙はんしせ、感想錄かんさうろくやうのものきかけてゐる。

昨夜さくや公園こうえん散步さんぽして瞑想めいさうふける、うつくしき世界せかいよとの感切かんせつにして、随喜ずゐきなみだにむせんだ。夕暮ゆふぐれあかくもいろうしなひ、一まつもや大崎おほさき平地へいちめ、あちこちの燈火とうくわ水中すゐちう浮動ふどうしてゐるやうであつたが、やがて際立きはだつてあかい一てん燈火とうくわが、大蛇だいじやまなこごとひかつて、もや突破つきやぶつて疾驅しつくして、轟々ぐわう〴〵おとのみのこして姿すがたかくすと、もや次第しだい々々〳〵せ、月光げつくわうくまなくわたり、たにへだてた彼方かなた欝蒼うつさうたる森林しんりんから、したちいさい藁小屋わらごやまで、風情ふぜいある世界せかいゆかしきゆめさととなつてしまつた。人間にんげんこゑもせぬ。かぜおともせぬ。たゞ停車場ステーシヨンむかう、もり右端いうたん白雲しらくも渦卷うづま[Pg 257]てるとほき〳〵ところに、電光でんくわうするどひかつてるばかり。つばさひかりなかたゞよひたくおもつた。えた月影つきかげこひするをとここひするをんなせて、とほ光明くわうめうさとおくるにてきしてゐる。」

き、なほつきく」とだいをつけ、なにをかかんとしてゐる。

自分じぶんはこれをんで、「まだこんなことをかんがへてるな、身體からだ非常ひじやうをとろへてるがこゝろむかしとほりだな」とおもつてゐると、ドアがいて、

細野ほそのさん、蟲干むしぼしをするんだから、一寸ちよつと新座敷しんざしきくださいな」と、美人びじんかほし、自分じぶん引込ひつこんだ。

もなく細野ほそのかへつてた。

いま美人びじんきみびにたよ、あれは此家こゝむすめかい」

「うん」

「一たいなん緣故えんこきみ此家こゝはいんだ」

一寸ちよつとした關係かんけいるやうになつたのさ」

[Pg 258]なに目的もくてきがあるのか」

ほかみちがないから」

「しかし玄關番げんくわんばんはひどいぢやないか、なにほか仕事しごとがあるだらうに」と、自分じぶんまゆひそめたが、細野ほそのあえてそれをにもしないふうだ。れは無限むげんそらあふいでき、んでくことがおほいけれど、自己じこ境遇けうぐうについてしほれることはない。

ぼく放浪はうらうすべき運命うんめいつてるんだ。定職ていしよく拘束こうそくされてゐたくてもゐられない。しやめたのも、自分じぶんでいやでめたのでもなし、あえ免職めんしよくさゝれたのでもない。たゞなんとなくめるやうになつたのだ。運命うんめいだね。此處こゝたのも、ほんの偶然ぐうぜんことさ。しやある友人いうじんれられて、此處こゝ古畵こぐわせてもらひにとき主人しゆじんはなしをしたら、此處こゝ主人しゆじんすこ變物へんぶつえてね、ぼく感想かんさう面白おもしろいとふんだ。それから懇意こんいになつて、食扶持くひふちはなれたときころがりむことになつたんだが、なにながるつもりはないんさ。一體いつたいぼく祖父ぢいさんてるさうだがね、祖父ぢいさん維新前いしんまへ西國さいこく[Pg 259]こく巡禮じゆんれいたびばかりして、最後さいご善光寺ぜんくわうじ往生わうじやうしたんだ。面白おもしろい一しやうぢやないか。ぼく昨夜ゆふべその祖父ぢいさん巡禮じゆんれい姿すがたゆめたよ、くもつて、せなには負笈おひづるには金剛杖こんがうづゑ菅笠すげがさには同行どうぎやうにんいてある。二人ふたり一人ひとりぼくかもれん、ぼく多少たせう旅費りよひ出來できたら、都會とくわい巡禮じゆんれいくらしてたい」と、つて微笑びせうした。が、れのおもては四五年前ねんぜんよりもさら俗氣ぞくきすくない。

「それも面白おもしろからう、きみ生存せいそん競爭けうさう渦中くわちゆうとうずるひとぢやないんだから。しかしくに家族かぞくはどうする、きみみつがなくてもいゝんかい。」

「いやくにぢやこまつてるだらう」

「ぢや、きみ一人ひとり仙人せんにんになるわけにもかんぢやないか、だい經濟科けいざいくわはいつたのが、すできみ自身じしんこのみぢやなくつて、一ことおもつたからだもの」

無論むろんさうだがね」と細野ほそのおもてにもすこしは憂色いうしよくあらはれたが、それもまたゝうちせ、「しかしぼく鄉家くにことばかりかんがへちやゐられない、それで彼方あちらから手紙てがみでも[Pg 260]ると、いやがしてならんから、なるべくまんやうにしてる」

「だつて、何時いつまでもそれぢやゐられまい、きみだつてすでに二三ねん會社くわいしやはたらいてたんだから、多少たせう事務じむ經驗けいけんんだらうしね、さがしたら相當さうたうしよくられるだらう、なんならぼく周旋しうせんしやうか」

當分たうぶん見合みあはせる、それにぼくにや經驗けいけんやくたんから駄目だめだよ。もつとしやてるあひだやうや一人ひとりまへことだけ出來できんでもなかつたがね、しやるとぐにその經驗けいけんえてしまつたがする。しやにゐたときでも、帳簿ちやうぼむかつてると、なんだかかう、せないしでも脊負せおつてるやうで、呼吸いきくるしくなるんだ、それでしやからかへりに堀端ほりばたて、あの石垣いしがきまつると、きふ重荷おもにりて淸々せい〳〵するよ。で、しまひには算盤そろばんつてなにかやつてゝも、まへ石垣いしがきがちら〳〵することがあつたくらゐだ」

何時いつまでもきみかはらないね、そのてんうらやましいが、すこしは生活せいくわつかんがたまへな」

「あゝそのうちどうかする」

[Pg 261]それから二人ふたりは、こひだんかたり、人生じんせい憂苦いうくたんじた。細野ほそのかほやつれて、如何いかにも世路せいろつかれてるやうにえるが、こゝろむかしのまゝだ。人間にんげん冷熱れいねつ世路せろ艱難かんなんれのにくほねけづつても、そのこゝろきづゝけることは出來できぬのであらう。れの胸中きやうちゆうにはとこしへにけがされぬ靈花れいくわひそんでゐる。自分じぶんこゝろにもまだ多少たせうむかしかげのこつてるのかれのはなしくと胸躍むねおどつて、俗事ぞくじぼつするのがいとはしく、社長しやちやう重役ぢうやう俗氣ぞくき紛々ふん〴〵たるかほつばきでもきつかけたくなる。

とき山伏町やまぶしちやうばアさんはどうしたらう、きみはちつともかないか」と、自分じぶん突如だしぬけいた。

「むん、ばアさんには一はないが、先月せんげつだつたか、あの近所きんじよつたからね、餘所よそながらどうなつたかやうとおもつて、迂廻まわりみちしてつてると、もうまへいへはない、打壞うちこわして新築しんちくりかゝつてる」

「で、つゝみうちはどうだ」

[Pg 262]「あれはもととほりだ、うちものにははないが、妻君さいくんはなしごゑはしてゐたよ、それでぼくはいろんなことかんがへられて、しばらくあのまへをうろ〳〵してゐたよ、きみぼくんでた二かいはもうたほされてかげかたちもないのだ」と細野ほそのかんじをめたこゑで、白目しろめせてふ。

「あの二かい時代じだいぼくの一しやうで一ばん愉快ゆくわい空想くうさう時代じだいだつたがね、もうこわされたかね。そしてつゝみむすめはどうしたらう、無論むろん何處どこかへ片付かたづいたらうが、きみらないか」

らんよ」

「さうか、ぼくはね、いまだからふんだが、あのをんなにラブしてたよ」と自分じぶんはじめて他人たにん打明うちあけた。

「さうか」と細野ほそのおどろいたふうもなく、「きみひとりでおもつてただけか」

無論むろんさ、いまならあのくらゐをんなおそれをいだきやしない、成功せいこう失敗しつぱいか、かくあたつてるがね、あのとき奇麗きれいをんなりや、てんから天女てんによのやうながして、うつかり[Pg 263]てだしは出來できやしない、たゞおがんでばかりゐたんさ、」

「しかしあのをんな純潔じゆんけつだよ、ぼくいまでもあのをんなおもふと、一しゆ刺激しげきける。そしてしか彼女あれ卑俗ひぞくをとこ結婚けつこんしてゐやしないかとおもふと、非常ひじやうあはれにかんぜられる、」

「なあにあれだつてたゞをんなだらう、で、きみはどうだつた、あのをんな思召おぼしめしがあつたか」

細野ほそのすこほゝあかめて、「あのをんなは一ぼく理想りさうだつたんさ、無論むろん結婚けつこんしたいのなんのといふかんがへはさらになかつたがね、そのかは他人たにんとも結婚けつこんしないやうにのぞんでゐた、結婚けつこんすれば堕落だらくする、だから何時いつまでも獨身どくしんで、女神めがみで一しやうおくるやうにねがつてたんだ」

「だが、いくきみだつて、いまあのをんなつたら失望しつばうするだらう、理想りさう女神めがみ先生せんせい、もう子供こども一人ひとり二人ふたりんで、所帶しよたいみてるだらう、」と、自分じぶん冷笑れいせうして、「あれ[Pg 264]から、葛原くづはら大將たいしやう何處どこにゐるだらう、ぼくつゝみやつよりも葛原くづはらひたいよ」

「あのをとこ凾館はこだてにゐるさうだ、物產ぶつさん會社くわいしや多少たせうおももちひられて、いま彼地あちら派遣はけんされてるさうだ」

「さうか、葛原くづはら理想りさうのない俗物ぞくぶつだが、どうもエライところがあるよ」

(七)

自分じぶん大阪おほさかかへつて、半歲はんとしほどつきに二三かなら細野ほその手紙てがみおくつてゐたが、次第しだいおこたがちになり、以前いぜんおなじくまつた音信おんしんえるやうになつた。で、ほとんどれのをすらおもうかべなくなつた。ところ或日あるひまつたえんのないひとかられの變死へんしうはさいたのである。自分じぶんおどろいてくはしいことをたづねたが、明瞭めいれうにはわからない。たゞある山間さんかんたにちてんだとばかり、自殺じさつやら過失くわしつやら、それもわからぬ。で、自分じぶん色々いろ〳〵想像さう〴〵してた。巡禮じゆんれいがけうへで、なにかんがんであしすべらしたのかもれぬ。水中すゐちゆう天女てんによかげ飛込とびこんだのかもれぬ。しかしれは生活せいくわつ困難こんなんため自殺じさつ[Pg 265]するやうなをとこではない。ウエルテルに同感どうかんしてゐたけれど、けつして失戀しつれんため自殺じさつするをとこではない。自分じぶん生活せいくわつこひくるしみも、自分じぶんからはなしてて、いたりわらつたりしてゐたをとこだと、一人ひとりめて、あえ細野ほそのについて、れの鄉家くに友人いうじんから事情じゞやうかうともしなかつた。それから五ねんのち自分じぶん東京とうきやう支店してんつとめることゝなり、飛立とびたつやうによろこんで上京じやうきやうし、小石川こいしかはに一かまへた。このときすで結婚けつこんをして子供こども一人ひとりまうけてゐたのである。

或夏あるなつ午後ごゞ仕事しごとませ茅場町かやばちやう會社くわいしやて、電車でんしや停留場ていりうぢやうけてあるいてると、むかうからつばひろいパナマの帽子ぼうしかぶつた大柄おほがらをとこが、綱引つなびきつきくるまけてる。稍々ややちかづいてると、それが葛原くづはらのやうだ。もしやとうたがひながらそのかほ見詰みつめてゐた。するとそのをとこ自分じぶんかほ不審ふしんげにてゐたが、摺違すれちが機會とたんに、れから大聲おほごゑで、「槇田君まきたくんぢやないか」とつてくるまめた。

[Pg 266]葛原くづはらくんですか、どうもさうだらうとおもつた。久振ひさしぶりだねえ」

「いゝところつた、色々いろ〳〵はなしもしたいんだが、今日けふ急用きふようがあるんだからね、近日きんじつあらためてはうぢやないか、かた約束やくそくしてかう」とたがひに住所じうしよ交換かうくわんしてわかれた。

この自分じぶんは二三葛原くづはらつて、れのおともをして料理屋れうりや待合まちあひばいりをしてかすこともある。或時あるときれにむかつて、

ぼく山伏町やまぶしちやう時代じだいにはむしきみきらつてたが、いまぢやきみ感服かんぷくする、きみはあの時分じぶんから世間せけん心得こゝろえてたからね、たしかにぼくより十ねん進步しんぽしてゐたのだ」とつて細野ほそのはなしをすると、葛原くづはら久振ひさしぶりで細野ほそのおもしたらしく、

「あのをとこには一停車場ステーシヨンつたよ、あれがにに旅行りよかうするときだつたらう、元氣げんきのないかほで、ぼんやりつてたよ」と面白おもしろさうにわらひ、

山吹町やまぶきちやうにゐたときなんでもきみ一人ひとりほかうつつたあとでね、餘程よほど面白おもしろかつた。細野ほそのとなりの美人びじんれてゝ、ひとりで煩悶的はんもんてきのことをやつてたさ、或時あるときなにかんがへたかね、[Pg 267]夜中よなかきて、裏木戶うらきどからつゝみにははいんでうろ〳〵してたんだらう、其處そこ書生しよせいれかにつかつて、大騷おほさわぎになつたんだがね、隨分ずゐぶん滑稽こつけいだつたよ。みづんだのも、流行りうかう失戀しつれんてき煩悶はんもんなにかの結果けつくわだらう」と、冷笑的れいせうてきふ。しかし自分じぶん細野ほそのにはしのんだのも、なにかのゆめさそはれたので、べつ意味いみもなからうとおもふ。れのについては偶然ぐうぜん故意こいか、れもらぬ。たゞ葛原くづはら細野ほそののことをはなごとに、「へんをとこだ」とか「あれぢやめしへん、きてられるわけがない」とか、一口ひとくちあざけつてしまうのがれいで、自分じぶん同意どういはする。しかし時々とき〴〵細野ほそのそらあふいでる姿すがたおもし、れが白雲しらくも徂徠そらい感淚かんるゐにむせんでる五分間ふんかんと、葛原くづはらの一だい事業じげふと、いづれがあぢふかいだらうかとうたがふこともある。


[Pg 269]

株虹

太平洋岸たいへいやうがん激浪げきらう怒濤どとう東北とうほく地方ちはう荒凉かうれうたる光景くわうけい見馴みなれてゐるが、これはどうもしやうはぬ。それでこのあき局面きよくめんへて、瀨戶内海せとないかい沿岸えんがん寫生しやせい旅行りよかうをした。つた土地とちには五日いつかでも六日むいかでも滯在たいざいし、いやになれば夜中よなかにでも出立しゆつたつする。贅澤ぜいたくつくたびでもなく、名所めいしよ舊蹟きうせき遍歷へんれきするのでもなく、たゞ海岸かいがんめぐつてやはらかいなみおとき、よくくらひよくねむるをよろこんで一月ひとつきばかりをすごした。そのうち旅費りよひとぼしくなり、歸京きゝやうせまり、申譯まをしわけばかりのスケツチも、大分だいぶん量張かさばつたころある無名むめい海岸かいがん最後さいご旅裝りよさういて數日すうじつおくることゝした。

よるおそいて撰擇せんたくひまもなく、酒樓しゆらう兼帶けんたいちいさい薄汚うすぎたな旅人宿はたごや宿とまつたが、案外あんぐわいによくねむれたので、翌日よくじつ早朝さうてうから畫板ぐわばんひつさげて海邊かいへんた。藻草もくさにほひやさかなにほひはするが、すではなれて、それがなんとなくいゝ氣持きもちがする。つぶやごと足下あしもとなみ[Pg 270]おとくと、うしほなか全身ぜんしんひたして、骨髓こつずゐまで海氣かいきみたくなる。山間やまがにはあきあはれささびしさが露骨むきだしにあらはれてゐやうが、すくなくも瀨戶内海せとないかい潮風しほかぜには、しんみり﹅﹅﹅﹅したおだやかなにほひたゞようてゐても、萬物ばんぶつ凋落てうらくせしむるふくんでない。

は二三十分間ぷんかんおもむろに滿うしほたいし、りくから十ちやう乃至ないし海中かいちゆううかんでる二三のちいさいしまあひだから、一つ二つ夜漁やれふふねかへりかけてるのをのち、スケツチにとりかゝつてると、らぬうしろからたれやらのぞいてゐて、「うまいものだな」と無遠慮ぶえんりよこゑけた。旅行中りよかうちゆう寫生しやせいたびごと田舎物ゐなかもの取卷とりまかれて、たかこゑ奇妙きめう批評ひゝやうかされるのにれてゐるから、べつにもめなかつたが、このをとこまへつて、如何いかにもれ〳〵しく、

貴下あなた何處どこからおいでなすつた、岡山をかやまですか、上方かみがたですか」とける。

へんおもつて見上みあげると、たけみじかい筒袖つゝそで鼻下びかひげたくはへたをとこで、釣竿つりざほかたにかけ、魚籠びくげてゐる。言葉ことばつきから態度たいどまで、たゞ漁夫れうしとはおもへない。[Pg 271]ふとつた柔和にうわかほには微笑ゑみふくんでゐる。

東京とうきやうです」と、簡單かんたんこたへると、

「はゝは東京とうきやうですか、わたしも十ねんまへ彼地あちらまゐつたことがあります」と、多少たせう自慢じまんいろせて、「そして、いま何處どこ宿やどをおりですか」と、さも懇意こんいさうにはなしかける。

日野屋ひのやといふうちです」

「うん、彼家あすこですか」と、まゆひそめて、「ぢや八釜やかましくておこまりでせう。あれは下等かとううちでさあ、とても東京とうきやうかたがお宿とまりなさるところぢやありません。とつて、ほかにいゝ宿やどもないんですが」と、たのみもせぬに、くびかしげてかんがへてゐたが、やがて、「ぢや、どうです、わたしうちへおでなすつちや、丁度ちやうど離座敷はなれいてゐますから、おまをしても差支さしつかへありません」

「はあ、都合つがふでおねがひにまゐりませう」と卒氣そつけない返事へんじをして、あまり取合とりあはな[Pg 272]かつたが、れは「是非ぜひでなさい」と繰返くりかへし、「あのみやうしろです、鶴崎つるざきといやあわかります」と、あごをしへて、丁寧ていねいに一れいし、くひつないである小舟こぶね飛乗とびのつた。はその姿すがた見送みおくり、田舎物ゐなかもの呑氣のんきへだてなきをうらやましくかんじた。それからぞろ〳〵﹅﹅﹅﹅あつまつて鼻垂はなた小憎こぞう子守こもりなどを相手あひて寫生しやせいしたり、無邪氣むじやきはなしをして一にちくらした。で、宿やどかへると、据風呂すゑふろはいつてのち相宿あひやど旅商人たびしやうにん世間せけんばなしをしながら、夕食ゆふめしつてゐたが、ふとをとこおもし、お給仕きうじ女主人かみさんむかひ、

女主人おかみさん鶴崎つるざきといふうちがあるだらう、なにをするうちかね」

くと、女主人かみさん頓狂聲とんきやうごゑして、

なにもしちやゐなさらん、お金持かねもちだもの」

ひげのあるひとは、あれが鶴崎つるざき旦那だんなかい」

「ありや若旦那わかだんなだあ」

「ぢやあのひとつりばかりして、あそんでらしてるんかい」

[Pg 273]「えゝ、つりにもきなさるし、れうにもきなさる。結構けつかう身分みぶん御座ございまさあ」

「ぢやつりれう上手じやうずだらうな」

「なあに、去年きよねん鐵砲てつぱうねらひを間違まちがへて、柴草しばくさつてるをんなあしきづをつけたんで御座ございまさあ、それからちうものは、若旦那樣わかだんなさま鐵砲打てつぱうゝちになさると、芝刈しばかりくらゐだ」と女主人かみさん鐵漿おはぐろ齒莖はぐきしてにつたり﹅﹅﹅﹅わらつた。

鶴崎つるざきといやあ、この界隈かいわいで一ばん家柄いへがらでさあ、隨分ずゐぶんむらことにやかたれたもので、この海端うみばた道普請みちぶしんなんか一人ひとりでやつたものでね、むらものがおれい石碑せきひてたほどだ。むらにやたいした恩人おんじんで、鶴崎つるざき屋敷やしきにや落書らくがきひとつするものがないていふ評判ひやうばんだつたが、いまちがつてた」と、旅商人たびあきんど素麺屋そうめんやは、薄黑うすぐろめし鵜呑うのみにして、あかかほ歎息たんそく樣子やうすせた。「ねえ、おかみさん、いま鶴崎つるざき大將たいしやうわるいぢやないか、まる八のかゝ引掛ひつかけてるちうぢやないかい」

「そんなうはさだがな、こまつた若旦那わかだんなだ。去年きよねんきちどんがまぐろりに土佐とさつた留守るす[Pg 274]も、なんだかあつたやうだしな」と、女主人かみさん小聲こごゑつた。

大將たいしやうかねはあるし懷手ふところであそんでるから、そんなことでもせねやつまい。それにまる八も鶴崎つるざきうちにや親爺おやぢだいから借金しやくきんがあるし、世話せわになつてるんだから、をつぶつて我慢がまんしてるんだらう。かゝあのおとぎ借金しやくきん利息りそくのやうなものだ、ハツヽヽヽ」

はこんなはなしいて、好奇心かうきしんあがり、きふ鶴崎つるざきたづねてたくなり、めしむと、女主人かみさん案内あんないさせ、提灯ちやうちんぶらげて、そのうちつた。潜戶くゞりはいると、庭前にはさき盲目めくらをとこ唐臼からうすき、かの若主人わかしゆじんうすそばつて、なにやら小言こごとつてゐたが、ると、ぺこ〳〵二三あたまげて、「よくおくだすつた」と、らぬばかりにして、座敷ざしきとほした。

旅行中りよかうちう見聞談けんぶんだんいとぐちとし、主人しゆじんつりはなしれうはなしをぺら〳〵と絕間たえまなくて、しまひにはくらから書畵しよぐわを一かゝへも持出もちだして、一々所由いはれ說明せつめいはじめる。舊家きうかほどあつて、[Pg 275]山陽さんやう文晁ぶんてう竹田等ちくでんとう眞筆しんぴつもあるが、なかにはひどい贋作がんさくまじつてゐる。

御覽ごらんとほりの貧乏村びんばふむらで、ほか書畵しよぐわなんかつてるうちは一けんもありませんがね、わたしうち祖父ぢゞだいから、多少たせう風流氣ふうりうぎがありましてな、矢鱈やたらにこんなものあつめたのです。この竹田ちくでんのなぞは祖父ぢゞが九しうまゐつたとき、わざ〳〵たのみましたので、丹山翁たんざんおうもとめにおうずとある丹山たんざんは、祖父ぢい雅號ががうですよ」

「しかし隨分ずゐぶんあつめになつたものですな、これだけあれば東京とうきやうつてゝもたいしたものですよ」

と、てれば、主人しゆじんは「へゝゝゝ」とわらつて、「なあにこればかりぢや、まだ自慢じまんになりません、わたしひと奮發ふんぱつして名作めいさくあつめたいとおもつてゐます。で、どうでせう、折角せつかく近付ちかづきになつたんですから、貴下あなたにもひといていたゞわけきませんか、大切たいせつにして子孫しそんつたへます」

「どうしてわたしどもものが」

[Pg 276]「いえ是非ぜひねがまをしたい。こんな好機會かうきくわいはないんですから」

と、東京とうきやうでは埃屑ごみくづごとを、天下てんか大美術家だいびじゆつかでゝもあるやうに、しきりに嘆願たんぐわんし、

「こんな田舎ゐなかでもね、むかしからねんに二や三は、書家しよかだの歌人うたよみだのが、わたしうちたづねて、幾日いくか逗留とうりうしてきますよ、貴下あなた御遠慮ごゑんりよなくわたしうちへおしになつて、五でも六でも御逗留ごとうりうなすつて、ゆつくりおください、明日あすあたりつりにでも御案内ごあんないしませう」

はこれほど尊敬そんけいされ優待ゆうたいされたことは、かつれいがないのだから、多少たせう得意とくいになり、二三形式的けいしきてき辭退じたいしたのち翌日よくじつから此家こゝ離座敷はなれうつることをやくした。

そんなかばたゝみのないいへで、障子しやうじかはりにむしろれてるほどだが、そのあひだつて鶴崎つるざきうちは一小城廓せうじやうくわくおもむきがある、四はう練塀ねりべいかこみ、屋敷内やしきうち數畝すうほ菜園さいえんもあり、土藏どざうふたつ、母屋おもやは百餘年よねんたもので、はしらむしばんだあともあるが、如何いかにも手丈夫てじやうぶ宏壯こうさう出來できてゐる。

[Pg 277]若主人わかしゆじん丁度ちやうど三十さい小學校せうがくかう卒業後そつげふご近村きんそん漢學塾かんがくじゆくまなんだのみで、左程さほど學問がくもんをしたらしくはない。いまは一主權者しゆけんしやだが、なんきまつた仕事しごともなく、一そん問題もんだいにもすこしも關係くわんけいせぬさうだ。

「しかし貴下あなたむら指導しだうなさらなくちや、ほか適任者てきにんしやはないでせう」と、うと、れはひげひねつて鹿爪しかつめらしく、

「いやこのむらやつみな野獸やじうのやうでしてね、目上めうへものうやまうことをらず、行儀ぎやうぎ作法さはふわきまへんのですから、指導しだうなにもありませんよ、だからわたしむらものなにをしやうと、一さいかまはないで、自分じぶん自分じぶんきなことをして氣樂きらくくらしてゐます。しかし四五年前ねんまへからわたしきにつてくわい淨瑠璃じやうるり稽古けいこはじめました。そのために多少たせう上品じやうひん氣風きふう出來できたやうです、明日あすあさから師匠しゝやうはずですが、貴下あなたくわいにおくはゝりなすちや如何いかゞです」

「えゝ有難ありがたう、しかし田舎ゐなかにゐると長命ながいきをするわけですね、わたしもどうかして、こんな[Pg 278]風景ふうけいのいゝ田舎ゐなか遊民いうみんになりたいものだ」

と、染々しみ〴〵れの境遇けうぐううらやんだが、れはそれを當然たうぜんごとおもつて、「ぢやどうです、此地こゝ永住えいじうなすつちや、むかひのしまわたしうちつてるんですが、おのぞみならば、あれを全部ぜんぶまをしてもいゝ。いま近所きんじよものしてるんですが、なに何時いつだつて取上とりあげりやいゝんでさあ」

と、こともなげにつて、大口おほぐちけてわらふ。

「はあ、わたしもうんとかせいで財產ざいさんつくつたら、しま拜借はいしやくして、別莊べつさうでもてるんですね、しかししまひと御自身ごじしんものだと、貴下あなたまる王樣わうさまのやうですね」

と、相手あひて煽動おだてると、

「いや、このちいさいむらですが、はたけの三ぶんの一ばかりはわたし所有しよいうです、全體ぜんたいこのむら草分くさわけわたし先祖せんぞで、代々だい〴〵むらのためにはつくしたものです。だから明治めいぢはじめに頌德碑しやうとくひてゝ、おまつりをしたくらゐですが、どうもなか風儀ふうぎわるくなりましたね、いまじや[Pg 279]石碑せきひ滅茶めちや々々〳〵きづがついてゐます。ひとつはいま學校がくかう敎育けういくわるいんですな、貴賤きせん區別くべつをしへるぢやなし」

と、おほい憤慨ふんがいした。それから下女げぢよがわざ〳〵隣村りんそんからつてさけ御馳走ごちそうがあり、は十ぎに宿やどかへり、旅商人たびしやうにんと一しよに、ふすまもない居室へやねむつた。

その翌朝よくてうから鶴崎つるざき賓客ひんかくとなり、三々々取立とりたてのさかなきやうせられ、絹夜具きぬやぐかされ、「先生せんせい」とばれて、二三にちおくつた。で、主人しゆじん日常にちじやう生活せいくわつてると、れはあさはやきて、褞袍どてらたまゝ胡座あぐらをかき、煙草たばこひながら、作男さくをとこ指圖さしづし、自身じゝん時々とき〴〵はぶらり〳〵畠廻はたけまはりにくらしい、うちにゐるあひだは一時間じかんに一ぐらゐ下女げぢよ下男げなん妻君さいくんれかにかつて、なにつては怒鳴どなつてゐる。屡々しば〳〵屋敷やしき周圍まはり懷手ふところてでぶらつき、偶々たま〳〵落書らくがきでもやうなら、すさまじいこゑ下男げなんんでけづらせ、惡戯者いたづらものでもつけたらば、子供こどもであらうとをんなであらうと引捕ひつとらへてしばあげる。しかしたいしてはおだやかで親切しんせつで、まつたくひとちがうやうだ。妻君さいくんせてあをく、大抵たいていおく[Pg 280]引込ひつこんでゝ、いへことにはあまりかまつてゐないやうだが、一人ひとりへんをとこ始終しよつちう出入でいりして、下男げなん下女げぢよ以上いじやう特權とくけんもつてゐるやうだ。婢僕ひぼくはこのをとこ馬鹿市ばかいち々々々とかげんで居るが、主人しゆじんには餘程よほどのおりとえ、なにをしても小言こゞとつたことがない。たけひくくてかほ圖拔づぬけおほきく、智慧ちゑらんやうなところもあるが、またきはめて敏捷びんしやうで、樹登きのぼりや屋根傳やねづたひをさすと、飛鳥ひてうごとはこぶ。それに不仁身ふじみであつて、たれてもなぐられてもいたくはないといふ。

或晚あるばん主人しゆじんは、まへにこの馬鹿市ばかいちび、むちつてぴしやり〳〵脊中せなかち、「不思議ふしぎぢやありませんか、これでなんともかんじないんですから、さあ貴下あなたひとつて御覽ごらんなさい、實際じつさい當人たうにん苦痛くつうはないんです」と、むちまへいてすゝめたが、如何いかにも殘酷ざんこくがして、座興ざきようにもそんな眞似まね出來できず、そのかはりにさかづきしてやると、市公いちこうつゞざまに五六はいあほつて、そのさとれるごとなるがごとかほあかくして、船頭唄せんどうゝたうたつた。こゑもいゝしうた面白おもしろいが、にはなんとなくあはれにかんぜられる。

[Pg 281]で、主人しゆじんむかつて、「一たいこのをとこ何物なにものです」とくと、

孤兒こじですよ、親爺おやぢ鳴門なると難船なんせんしてぬる、阿母おふくろ旅商人たびあきんど駈落かけおちする、あと一人ひとりのこされてたのを、可愛かあいさうだから、わたしどもそだげてやつたんです、いま舟乗ふなのりになつて、糊口くちすぎだけは出來できるんですが、まぐれもので、何處どこつてもながくはつとまらんのです」

「しかし孤兒こじぢや可愛かあいさうですね」と、市公いちこうて、同情どうじやうひやうしたが、れは平氣へいきかほをして、主人しゆじんとを見比みくらべてゐる。

出立しゆつたつ前日ぜんじつ、スケツチてうひとつを材料ざいれうとし、主人しゆじん約束やくそくちいさい風景畵ふうけいぐわ申譯まをしわけだけにげ、ひと屋後おくごをかはたけあぜ散步さんぽし、感興かんきようふけつた。中秋ちうしうそら底深そこふかみ、したにはしづかなうみひろがり、一そんやはらかなひかりびてねむれるがごとく、せきとして人語じんごなく、たゞ漁船れうせんから物打ものうおとがコト〳〵とかすかにひゞくのみ。小徑こみち左右さいうには大木たいぼくはなく、山間さんかんのやうに落葉おちばむのきようはなけれど、灌木くわんぼくしげつて、そのあひだ[Pg 282]女郞花をみなへし濱萩はまはぎまじつてゐる。此等これらはな雜草ざつさううちから、一ぽんづつしてはり、花束はなたばつくりながら、無意識むいしき菜畠なばたけよこぎつてると、うしろから怒鳴どなこゑがする。かへりみると一ちやうほどへだてゝ頰被ほゝかむりをした大男おほをとこくわをついてつてゐる。べつにもめず、ずん〳〵あるいてると、をとこものをもはず、いきなり、うしろから後腦こうのうつた。ちからこもつてるのでもないが、痩身やせみにはひどこたへて、まへへのめつたのを、やうやまつて、「なにをするんだ」と、身構みがまへすると、

馬鹿ばかなにをするもあつたものか、おれの大事だいじはたけ何故なぜみやがつた、いまくわれたばかりぢやないか」

と、おそろしい劍幕けんまくに、吃愕びつくりして、一口ひとくち返答へんたふ出來できず、ぼんやり相手あひてかほてると、突如だしぬけまへ市公いちこうあらはれて、

「このひと若旦那わかだんな大事だいじなお客樣きゃくさまだぞ」

相手あひてしかり、つて、さも保護者ほごしやでゝもあるやうな態度たいどをして、大股おほまた[Pg 283]あゆした。むねしづめて、

彼奴あいつれだ」とふと、

まる八といふやつさ」とふ。

「うん、あれか」とひとりで首肯うなづいて「いちさん、おまへ鶴崎つるざき旦那だんなのことをつてるだらう」

「そりやつてるとも、なんでもつてらあ、あの旦那だんなはえらいひとだ、れでも意地いぢめるものがあつたら、旦那だんなにさへひつけやうなら、かたきつてれらあ、なにしろ我等おいらあ、旦那だんなのおりだもの」と、大得意だいとくゐふうをして、「それで我等おいらあ、むらものが、旦那だんな惡口わるくちつてると、吿口つげぐちをしてやらあ、旦那だんなよろこぶせ」とくびをすくめてかほをのぞき〳〵、その吿口つげぐちれいはなす。

市公いちこうれられて、宿やどかへつたが、百しやうなぐられたことは一言ひとことかたらず、ひと離座敷はなれ引籠ひきこもり、かばん整頓せいとんし、翌朝よくてう出立しゆつたつ用意よういをなし東京とうきやう友人いうじんてに、二三の[Pg 284]はがきしたゝめて居ると、母屋おもやはうで、主人しゆじん怒鳴どなごゑがして、しづかなそらするど異樣ゐやうひゞく。またはじめたなと、障子しやうじ隙間すきまからのぞくと、主人しゆじん小高こだか緣側えんがはすわり、そのした石段いしだんに、かの見覺みおぼえある百しやうしやがんでゐる。すこへだつてるため言葉ことばあやはよくわからぬが、ところ白洲しらすのおさばきといつたふうだ。

主人しゆじんまばらなひげひねつて尊大そんだいかまへ、まゆいからせて相手あひてにらみつけてゐたが、百しやううつむいて、くちつぐみ、しばらくして挨拶あひさつもせずにかへつてしまつた。

主人しゆじんたいして、不快ふくわいきざし、優遇いうぐう有難味ありがたみがなくなり、この平靜へいせい漁村ぎよそん多少たせうやになりした。

すると主人しゆじん微笑にこ〳〵してはいつてて、

散步さんぽしていらしつたんですか、いまね、市公いちこうきゝますと、馬鹿奴ばかめ貴下あなた大變たいへん御無禮ごぶれいこといたしたさうで、どうも無敎育むけういくもの仕方しかたがありませんよ、それについてわたし申譯まをしわけがないとおもひましてな、早速さつそく彼奴あいつびつけて小言こゞとつときました。なあに[Pg 285]不都合ふつがふやつには、田地でんぢ取上とりあげてやりますよ、あの田地でんぢだつてみなわたしものですからな」

と、自身じゝん威光いくわうよとはぬばかりのふうをする。

「だつて、それくらゐことで、あんな貧乏者びんばふもの田地でんぢ取上とりあげるのは可愛想かあいさうぢやありませんか、どうせわたしわるいんだし」

「いや〳〵、あんなむしけら同然どうぜんものにはくちをしへたつて駄目だめです、ふにもこまるやうになつたら、すこしは性根しやうねるでせう」

と、れは百姓共しやうどもいやしいきたな生活くらしさま說明せつめいして、しきりに「むしけら同然どうぜんです」を繰返くりかへしたのち、「どうです、つりにおでなすつちや、わたし御案内ごあんないゝたしませう」とすゝめる。今日けふかぎ釣魚つりこゝろかなかつたが、この一にち瀨戶内海せとないかい見收みおさめであれば、いてこゝろ引立ひきたてゝ承諾しやうだくした。

で、市公いちこう釣道具つりだうぐかつがせて、一足ひとあしさきへやり、主人しゆじんとはあとからいそたが、何時いつものとほ肥桶こへたごかついだ老農夫らうのうふあみいてるチヨンまげ漁夫れうしも、みなちがざま[Pg 286]鉢卷はちまきつてうや〳〵しく挨拶あひさつし、主人しゆじんあご會釋ゑしやくして村王そんわうしめす。なかにはたいしてもこしかゞめるものもあつたが、ふと埠頭場はとばあつまつて艫綱ともづなつくつてる二三のわか漁夫れうしが、たがひにてはあざけつてるやうなのがについた。ほんの耳語さゝやいてるのであらうが、田舎者ゐなかものなれば、自然しぜんこゑおほきくて、過敏くわびんみゝにはひゞいてる。

「あの人間にんげんをぶんなぐつたら、田地でんぢ捲上まきあげられるんぢやちうぜ」

彼奴あいつ馬鹿市ばかいち相棒あひぼうだらう、馬鹿ばか旦那だんな御機嫌取ごきげんとりに遠方ゑんぱうからたんさ」

「おれたちうでさへありや、五りやうや十りやう何時いつでもかせげらあ、船板ふないたしやくした地獄ぢごくきまつてるんだから、れだつてこわかあないさ、」

「さうとも、あの大將たいしやうまた漁場れふば邪魔じやまをしにきやがらあ、ふぐでもるんかい」

と、彼等かれら一人ひとりむかつて握拳にぎりこぶし突出つきだしてせ、くつ〳〵わらつてゐる。不快ふくわいたまらなくなつた。主人しゆじんにはきこえぬのかきこえたのからぬが、高聲たかごゑつり講釋こうしやくをしながら、ふねり、市公いちこうには閼伽あかをすくはせ、自分じぶんではあやつる。へさきたゝづんで[Pg 287]煙草たばこかせてゐたが、不快ふくわいねん容易よういらぬ。

ふねあぶらながしたやうな水面すゐめんすべつて、島蔭しまかげた。主人しゆじんてゝ水棹みさほり、

うをにもがあります、だからつりもそのつけてからでなくちや、いく上手じやうずでもれるもんぢやありません」と、ふねをそのうをそばめ、市公いちこういかりおろさせた。あをんだみづそこ藻屑もくづしげり、ちいさいうを水面すゐめんあがるのをると、心躍こゝろおどり、さき不快ふくわいわすれてしまう。此處こゝにはすでに二三さう漁船れうせんがゐて、一しんつりをしてゐたが、我等われらふねると、漁夫れうしへんかほをして、あひついで他方たはうげてく。

「そら疫病神やくびやうがみが」とつてるやうにえる。

わたしると、ほか漁夫れうし妨害ばうがいになるんぢやありませんか」

と、氣兼きがねをすると、

「いや、此處こゝわたしつけたので、わたし領分れうぶんのやうなものです、何卒どうぞ御遠慮ごゑんりよなくおりなさい」

[Pg 288]と、主人しゆじん小蝦こゑびにくえさにして、釣針つりばりれると、おほきな沙魚はぜれた。市公いちこうをそはつてはつりれ、不馴ふなれなですら二三時間じかんに、沙魚はぜ海鯽ちぬあるひふぐすうれた。

りの面白おもしろさに、我等われらおほはなしもせず夕方ゆふがたまでこの島蔭しまかげたゞよひ、つてはうをふねそこれ〳〵してゐた。

「どうです一ぷくやりますか」と、主人しゆじん釣竿つりさをいてマツチをつた。

成程なるほどよくれますね、これだと商賣しやうばいになるでせう、ぼくめて漁夫れうしになるかな」と、舟底ふなぞこかさなりつてるうをが、ばしや〳〵おとをさせるをき、漁村ぎよそん秋氣しうきはらわたまでむをおぼえた。かぜはます〳〵ぎ、ちぎれ〴〵の夕雲ゆふぐもそら固定こていしてるやうだ。

主人しゆじん兩膝りやうひざいだいてくは煙管ぎせるで、「どうだ、市公いちこう水練すゐれん御覽ごらんれちや」と、むかひ、「此男これ水潜みづくゞり名人めいじんです」とつたが、市公いちこうはその言葉ことばみゝらぬほど、一しん[Pg 289]そらつめ、

「や、株虹かぶにじた、大風おほかぜだ〳〵」とさけんだ。

主人しゆじんもそのはう見上みあげて、「御覽ごらんなさい、あのにじを、あれがると、屹度きつと空模樣そらもやうかはるんです」

やまには、ふとみじかにじ物凄ものすごくかゝつてゐた。この内海ないかい大嵐おほあらしはどんなであらう。歸京後きゝやうごゑがいた大作たいさくは、三にん舟中しうちうでこのにじところである。


[Pg 291]

凄い眼

工場こうぢやうおくたゝみいた一室ひとまがある。せまい一ぽうぐち丁度ちやうどふくろのやうだ。滅多めつた掃除さうじもせねば隅々すみ〴〵にはほこりもり、かべは一たいくろずんでゐる。たなにある磨滅まめつした活字くわつじひらいてるからかさすぼめてるからかさちらばつてる衣服きものおび、この居室ゐまにあるものひとつとしてよごれめのないものはない。それに空氣くうき流通りうつうわるい。時候じこう梅雨つゆで二三にちらいあざやかな日光につくわうまどガラスをとほつたことはない。異樣ゐやう臭氣しうき室内しつないみなぎる。

しかしこの廢物はいぶつ同樣どうやう居室ゐまも、數多あまたひと利用りようされてゐる。さわがしい社會しやくわいかくとなつてゐる。仕事しごとつかれたいたる社員しやゐんが、こつそり此處こゝしのんで、肱枕ひぢまくらこしたゝいてゐることもある。丸髷まるまげ女工ぢよこう火鉢ひばちまへ立膝たてひざをして二三ぷく煙草たばこうてく。夜勤やきんの四五にんがジメ〳〵した座蒲團ざぶとん取捲とりまいて、片肌かたはだいで花札はなふだもてあそぶ。折々をり〳〵なまめかしい言葉ことばさへかれるさうだ。

[Pg 292]そして集金しふきんがゝり帆田ほだ常造つねざうは十數年すうねんらい此處こゝ起臥おきふししてゐる。年齡としは五十をしたばかりだが、かほなびてほゝくぼみ、櫛梳くしけづらぬかみ野生やせい雜草ざつさうごとく、星明ほしあかりにばんだ痩腕やせうでしててゐる姿すがたはこのひとともおもはれぬ。あさ職工しよくこう威勢いせいよくはいつてて、周圍まはりさわぐのにまされ、ヒヨロ〳〵と起上おきあがつて、あしひきずり ふやうにして階子段はしごだんりる。かほあらふとうら屋臺店やたいみせ鹽餡しほあん大福餅だいふくもちを三つつてて、應接所おうせつじよ車夫しやふだまりで、かほぢゆうをモグ〳〵させてふ。うてしまふと水道すゐだうみづ茶椀ちやわんに一ぱいんで、自分じぶん居室ゐまかへる。それから外出そとで身仕度みじたくをして草鞋わらじ穿き、風呂敷ふろしき脊負せおひ、ほそたけつゑをついて、トボ〳〵と集金しふきんまはる。あめると番傘ばんがさたけつゑへるのみで、一 にちたりともやすんだことがない。けばぶやうな身體からだおもさうなかさをかついで、風雨ふうゝいてあるいてゐるのは、外目よそめには悲慘みじめかんぜられるが、當人たうにんにもしない。めいぜられたとほりに賣捌店うりさばきてんじゆんぐりにめぐつて、夕暮ゆふぐれには時刻じこくたがへずにかへつてる。それからあしすゝいで、晩餐ばんめし取掛とりかゝるのだが、晩餐ばんめしあさおな[Pg 293]ひとつ一せん大福だいふく鐵砲卷てつぱうまきたゞあさ生水なまみづますのに、ばんには小使こづかひ 部屋べやからあたゝかいちやもらつてむだけちがつてゐる。よるはこの居室ゐまには不似合ふにあひ電燈でんとうした腹這はらばひになつて、珠盤そろばんまへ帳簿ちやうぼ調しらべ、一せん相違さうゐもないのを幾度いくたび見屆みとゞけて、はじめて安心あんしんしてごろり﹅﹅﹅よこになる。もつと時々とき〴〵自分じぶん財產ざいさん調しらべもするので、胴卷どうまき金庫きんこから幾重いくへにも白紙はくしつゝんだ紙幣しへい取出とりだし一まい々々〳〵調しらべて押頂おしいたゞき、またもととほりにをさめて 胴卷どうまきまくらしたにかくしてねむる。この財產ざいさん調しらべのをりには、人目ひとめはゞかるのとうれしいのとで元氣げんきのない活々いき〳〵してる。貯蓄額ちよちくがくはせい〴〵二三百ゑんであらうが、社員しやゐんうはさでは千ゑんにはたつしたとめられてゐる。費用つひへおそれてつま離緣りえんをも勘當かんだうして、ひとりぼつちでものはずに貯蓄ちよちくしてなににするのであらうとは、わか社員等しやゐんら疑問ぎもんで、屡々しば〳〵調戯からかひ半分はんぶんいてるが、れは薄氣味うすきみわるわらふのみで相手あひてにもしない。一にち仕事しごと――食事しよくじもこのひとにはたのしみではなくて仕事しごとひとつだ――ををはると、居室ゐま片隅かたすみ他人ひと邪魔じやまにならぬやうに煎餅蒲團せんべいぶとんひたひまでかぶつてる。てからはたゞ[Pg 294]あすつばかりで、そばれがなにをしてゐようと、すこしもこゝろめぬ。輪轉機りんてんきおと植字歌しよくじうたあめおとあらしひゞき職工しよくこう喧嘩けんくわ口論こうろんも、みな老人らうじんみゝわづらはさずにえてく、ねむりをさまたぐるものもない。

ところがこの二三にち帆田ほだ老人らうじんこしのあたりにビリ〳〵かすかな疼痛いたみかんじて、容易よういつかれぬ。かねて醫藥いやくれうにと物干臺ものほしだいかはかした蕺草どくだみ枇杷びはなどの藥草やくさうせんじてんでも利目きゝめがない。で、今日けふ――六ぐわつ二十三にち――も蒲團ふとんよこになると自分じぶんこしでゝ小聲こごゑ呻吟うめいてゐたが、不圖ふと枕許まくらもと自分じぶんこゑがする。

きみひとつおたのみがあるんだがね」と、夜勤やきん宇野うのくつのまゝたゝみうへつて、「いま香川かがはから電話でんわかゝつたんだが、赤坂あかさかんでかねらぬのでかへれんそうだから、きみむかへにつてたまへ」とふ。

帆田ほだ白布しらぬの夜具やぐからし、かほしかめて宇野うのたが、しばらく返事へんじをしない。

「ねえきみつてたまへ、かねいま會計くわいけいからりてつててるんだ。使賃つかひちんすよ」

[Pg 295]つてもえゝが、今夜けふ氣分きぶんわるいでなあ」と、皺枯しやがごゑつた。

「二十せんすよ、一時間じかんつてられるんだから、先日こなひだよりやわりがいゝよ」

帆田ほだなほ躊躇ちうちよしてゐたが、やがて、

「ぢやかうかい」と、蒲團ふとんからした。寢衣ねまき菱形ひしがた腹當はらあてのみをけ、脊骨せぼねたかあらはれてゐる。破扉やれドアふたつをあはせた衣桁いかうから衣服きものおろして、ゆる〳〵身體からだきつけ、胴卷どうまきをぐつとめ、尻端折しりはしをつてつた。ぬかのやうな五月雨さみだれつてゐるなかかさもさゝず、電車でんしやにもらぬ。小石こいしつまづいてもたふれさうなあし踏占ふみしめ〳〵、たけつゑ手賴たよりに赤坂あかさかまで往復わうふくした。

二十せん銀貨ぎんくわ財布さいふれ、こしいたみを我慢がまんしてあるいたが、次第しだいつかれて、しやちかくなるとみちへたばり﹅﹅﹅﹅そうになる。のどかはいてる。そしてふつと﹅﹅﹅﹅さけみたくなつた。さけふものつきに一むこともまれだが、今夜こんやはよく〳〵へがたくなつて、使賃つかひちん半分はんぶんてるつもりで、ギヨロ〳〵まはした。酒屋さかやもビアーホールも左右さいうにあ[Pg 296]れど、電燈でんとうかゞやいてうつくしく、氣臆きおくれがしてとてもはいれそうにない。で、わざ〳〵しやまへ行過ゆきす迂道まはりみちして、大根だいこん河岸がしむかうの繩暖簾なはのれんくゞつた。ランプは薄暗うすぐらく、土間どま連日れんじつあめしめり、くさつたにほひがたゞようてゐて、ほかきやく一人ひとりもゐない。れはべた〳〵よごれた腰掛こしかけにぐつたり身體からだげてすわり、燒酎せうちうすゝつた。一ぱいが五せんだ。

についたしづくほゝになすくり、十五せん釣錢つり財布さいふれて戶外そとたが、あたまあしも一しよふら〳〵﹅﹅﹅﹅する。手拭てぬぐひ鉢卷はちまきをしてほそあめなかをどるやうなつきでとほつて

「ア、コラ〳〵」と皺枯しやがごゑ拍子ひやうしつてしやはいつた。

大變たいへん景氣けいきがいゝね、きみさけんだのははじめてた」

と、宇野うの微笑にこ々々〳〵してつた。

帆田ほだは「へゝゝ」とわらつておくきかけたが、また後戾あともどりして、ふところから鉛筆えんぴつ受取書うけとりがき宇野うのわたした。

受取うけとりなんからないのに」

[Pg 297]「でも間違まちがひがあつちやならん」

つて、帆田ほだまた「ア、コラ〳〵」をつゞけて、自分じぶん居室ゐまはいると、電燈でんとうそば職工しよくこう四人よにん花札はなふだならべ、銅貨どうくわおとをさせてゐた。

物珍ものめづらしそうにうへからのぞくと、そのうち一人ひとりが、

帆田ほださん明日あすまで五十せんばかりしてれませんか」

と、かほげた。

帆田ほだはへゝゝとつたきり、すみ寢床ねどこころんだ。れた衣服きもののまゝ鉢卷まちまきをもらずグツスリてしまつた。

それから一時間じかん香川かがはあかかほをして、ビシヨれでかへつてた。上衣うはぎいでくろずんだ肉色にくいろのシヤツ一まいになり、宇野うのにぎやかにはなしてゐたが、けて、周圍あたりしづかに、繁吹しぶきにくもつた玻璃窓ガラスまどから、柳葉りうえうかぜみだれてゐるのがえる。

「さあかへらうか、電車でんしやのあるうちに」と、宇野うの椅子いすはなれた。

[Pg 298]ぼくようか」と、香川かゞはねむそうな時計とけい欠伸あくびをした。

可愛かあいそうだね、そんなおほきな身體からだをして宿やどるにいへなしぢや、」

「うゝん」

宇野うのくつおとえると、香川かゞは椅子いすを二きやくづゝ兩手れうてげて、となりの豫備よび應接室おうせつしつはいつた。此處こゝには新聞しんぶん綴込とぢこみが保存ほぞんされ、テーブルと椅子いすゑつけられてゐる。ひかり廊下らうか電燈でんとうすみはうからうすらすばかり。香川かゞははテーブルを片寄かたよせ、椅子いすを四きやくづゝ二れつにくつゝけてならべ、そのうへ毛布けつとき、あつ冬夜具ふゆやぐをかけ、素裸すつぱだかになつてぐりんだ。書物しよもつまくらくびだけしててゐたが、蒸暑むしあつくて身體からだあせばんでるので、我知われしらず夜具やぐこしからしたおしのけ、胸毛むなげのあるあからんだどうらし、ひとふたおそふのもらずに眠入ねいつた。

けて電車でんしやえ、街上がいじやうしづかに、あめあるひきふあるひゆるりつゞけてゐる。香川かゞはさけひにわか血汐ちしほこゝろよくめぐつて、ゆめず、片足かたあしして、ふと[Pg 299]ゆるいきをしてねむつてゐる。帆田ほだは一わすれてゐた疼痛いたみまたおこつては、屡々しば〳〵ゆめやぶられて呻吟うめいてゐる。

工場こうぢやうおく電燈でんとうされた。くらなか老人らうじんひく呻吟うめき香川かゞはたか鼾鼻いびきとがたゞようてゐた。そのあひだ階下したでは輪轉機りんてんきおと新聞しんぶん積出つみだおとがしてゐる。

むなしき編輯局へんしうきよくには時計とけいが一ち、二つ。三たんとしたころ香川かゞはくちをもが〳〵させつばきんでゐたが、やがてはならしてふかいきひ、ほそくして寢返ねがへりをした。のどかはく。

で、椅子いすて、はしらくぎつるした洋服やうふく上衣うはぎ裸身はだかみまとひ、階下したりて水道すゐだうみづをガブみしてかへつた。

此頃このごろくせになつていま時分じぶんめる。今夜こんやさけいきほひで睡過ねすごしたが、それでもまだみじかいよるけんともせぬ。空氣くうきえてて、身體からだがゾク〳〵する。れはくさめをした。椅子いすあしにからまつてる夜具やぐ引上ひきあげてくびまでかぶつた。

[Pg 300]天井てんじやうきいろいかみれ、連日れんじつあめ黴臭かびくさにほひが、締切しめきつた居室ゐまうち何處どこからともなくる。

れのえてふたゝつかれぬ。筋肉きんにくたくましいうでちからめ、脊延せのびをして、

「おれも何時いつになつたら滿足まんぞくたゝみうへられることか」とおもつた。グツと夜明よあけまでれゝばよいが、くらうちくと、屹度きつとこの惡念あくねんとりつかれる。ことつてさわいだばんはひどい。

しかしつたあひだなにうたつたか、なに喋舌しやべつたか、んなにしてをんなたはむれたか、れのあたまにはハツキリのこつてゐない。たゞボンヤリ「面白おもしろかつた」とかんじがうかんでる。それにつれて、「明日あす辨當代べんたうだいもなくて、こんなことをしてゐたつて」とかんじがはげしくむねひゞゐてる。

れはまたつよくさめをした。それがさびしい居間ゐまわたる。

「まだけるにがあらう」と、あたま持上もたげて玻璃ガラスしに廊下らうかると、工場こうば[Pg 301]入口いりくちからコソ〳〵と草履ざうり足音あしおときこえる。そとあめくらい、足音あしおと次第しだいちかづいて寢室しんしつそばまでた、「いま時分じぶんれだらう」とうたがつて、薄氣味うすきみわるおもつててゐると、薄光うすびかり幽靈ゆうれいのやうな帆田ほだ半身はんしんあらはれた。かすかに呻吟うめきながら階子段はしごだん手摺てすりもたれた。

香川かゞははこのせさらぼへる老人らうじんが、自分じぶんおなじように一人ひとりぼつちで、おくてゐることをおもした。で、ドアをけてくびし、

「おぢいさん、なにをしてる」と、陽氣やうきこゑうた。

はらいたくつて」と、帆田ほだ牡蠣かきのやうなけて、むしふ。

「そうかこまつたね、醫者いしやでもんでようか」

「なあにそれにやおよばん」

帆田ほだふやうにして階下したりた。かはやへでもつたのだらう。

香川かゞは階子段はしごだんすみ玻璃ガラスまどけてつめたい空氣くうきうた。暗澹あんたんたるくもひく屋根やね[Pg 302]屋根やねれて、曙光しよくわうはまだめられてゐる。

れはふたゝ寢床ねどこかへつたが、帆田ほだ老人らうじんことになる。あれでかねばかりめてゝなにをするんだらう。いへもなく、病氣びやうき看護かんごもされず、紙幣さついてんでしまう。それつきりだ。それ以上いじやうになすべきこともないのだ。しかし自分じぶんとしわかい、身體からだつよい、すべきことがおほい。すべきときなにもせず、いたづらに帆田ほだのやうな骸骨がいこつになるのは無念むねんだ。「あゝかねしい」帆田ほだには無用むようかねだが、自分じぶんにはきてやくつ。となり同士どうしてゐて、老人らうじん何時いつぬかもわからぬ。財產ざいさん相續人さうぞくにんもなく、財產ざいさんたかつたひとはない。

で、香川かゞは夜具やぐかほおほうて、それからそれと雜念ざつねんおそはれてゐたが、周圍まはり騷々さう〴〵しくなるに氣付きづいて、くびすと、何時いつにかけて、小使こづかひ掃除さうじをしてゐる。

香川かゞは雜念ざつねんごとえてしまう。で、元氣げんきよくきて、洋服やうふくけ、かほ[Pg 303]あらつてのちひげひねりながら、無心むしん社内しやないぶら﹅﹅ついてゐると、應接室おうせつしつ帆田ほだ後姿うしろすがたえる。朝餐あさめしひながら、まへ算盤そろばんいて帳簿ちやうぼ調しらべてゐる。

香川かゞはうしろからちかづくと、老人らうじんおどろいたやうにむねてゝ振向むりむいた。

「もう病氣びやうきはよくなつたのかね」

「もう大丈夫だいじやうぶだ」

「でも大事だいじにせんといかんよ、一にちくらゐやすんでもいゝだらう」

「はゝゝ、やすわけにもかんでな」

ぼく代理だいりまはらうか、ぼくきみあやかつて金持かねもちになりたいから」

帆田ほだ鹽餡しほあん大福だいふく豆粒まめつぶほど千切ちぎつてはくちれて、相手あひてみゝさず、ふるへる指先ゆびさき算盤そろばんはじいてゐた。

きみぼく養子やうしにしてれんかね、二人ふたりうちつてかせいだはうがいゝぢやないか、ぼく親爺おやぢがないんだから、きみじつおやのやうにして孝行かう〳〵するよ、ねえ、そのはうがい[Pg 304]いぢやないか」と、香川かゞはわらひながら五月蠅うるさふので、帆田ほだものをもはず、帳簿ちやうぼいだいて應接所おうせつしよつた。

時間じかんには帆田ほだ草鞋わらじ脚絆きやはん身裝みづくりをして、集金しふきんかけた。二時間じかん香川かゞはくるまつて政黨せいとう本部ほんぶ官省くわんしやうまはつた。

この帆田ほだ一手柄ひとてがらをしたつもりで新聞しんぶん材料たねつてた。ことがボンヤリしてよく要點えうてんないが、なんでも本鄉ほんがう弓町ゆみちやうへん人殺ひとごろしがあつたのださうだ。被害者ひがいしや高利貸かうりかし殺害さつがい原因げんいん借金しやくきん催促さいそくしたからだとふ。

老爺おぢいさん、またゆめでもたのだらう」

先月せんげつ公園こうえんくびくゝりがあつたつてらせてたが、あれでも社員しやゐん意識いしきがあるからだらう。態々わざ〳〵らせにるだけ感心かんしんだ」

くびくゝりか人殺ひとごろしか、何時いつかもくだらない小泥棒こどろぼううはさつてた。老爺おぢいろくこと[Pg 305]ないんだね」

と、三めん連中れんちうはあまり取合とりあはず、探訪たんぼうをも特派とくはしなかつた。

帆田ほだかほあしとを水道すゐだうあらつて、自分じぶん居間ゐまあがつた。れちがひにかへつて職工しよくこうはいつて職工しよくこう階子段はしごだんかさしづくでズブれになつてゐる。はやれて、電燈でんとうはジメ〳〵したたゝみらしてゐる。老人らうじんれいによつて帳簿ちやうぼ調しらべをしようとおもつたが、疲勞ひらうはらいたみによわつて、晩餐ばんめしはずに寢床ねどこはいつた。なんとなく寢苦ねぐるしい。それにひる人殺ひとごろさわぎが折々をり〳〵おもしたようにむねうかぶ。

で、ながあひだめつした揚句あげく眞夜中まよなかごろ人氣ひとけのないのをて、藥湯やくとうみ、唯一ゆゐいつたのしみの財產ざいさん調しらべをはじめた。

老爺おやぢさん、さびしいだらう」と、香川かゞは突如だしぬけはいつてた。さけいきいてゐる。帆田ほだはモグ〳〵くちなかつたが、それは香川かゞはにはきこえない。

「いよ〳〵工場こうば建增たてましをすることにきまつたそうだから、この部屋へやこはされるのだ[Pg 306]らう。そしたら老爺おぢいさんも何處どこかへ立退たちのかなくちやなるまい、どうするつもりかね」

と、詰責きつせきするような調子てうしうたが、老人らうじんなんともこたへない。こゝろではたゞ自分じぶんたのしみの妨害者ぼうがいしやいかつてゐた。工場こうぢやう建增たてましのうはさ時々とき〴〵老人らうじんみゝにもはいつてるが、それが別段べつだん刺激しげきをもあたへない。過去くわこ將來しやうらいはこの老人らうじんおとろへたあたまなやますにらぬのである。

で、香川かゞはつたのちは、なに不安ふあんらしく、有合ありあはせの板片いたぎれ入口いりくちおほうてねむりいた。翌朝よくてうあめで、かほると人々ひと〴〵みないやな天氣てんきたんじてゐたが、帆田ほだひとだまつて仕事しごとた。衰弱すゐじやくせるうへ氣候きこう不順ふじゆんそこなはれて、かほ死人しにんのようであるが、れもあやしむものはなく、氣遣きづかつてやるものもない。

香川かゞはなほ夜中よなかめるくせまぬ。めると雜念ざつねんおこる。雜念ざつねんうちには帆田ほだ老人らうじんまれる。かの無用むよう財產ざいさん自分じぶんにあらば幸福こうふく使つかへるのだとのおもひは夜々よゝかさまつてる。をとこぴきなか活躍くわつやくするの地步ちほもつくれるともおもはれる。[Pg 307]そして香川かゞは老人らうじん牡蠣かきのやうなすご暗中あんちうにもおもうかべるようになつた。二人ふたりなんとなく關係くわんけいがあるやうながする。宿世しゆくせゑん成立なりたつてゐるやうながするのであつた。

るかくもるかの鬱陶うつとうしい梅雨期ばいうきがつゞく。そのうち老人らうじん衰弱すゐじやくかさねて、あゆむにもへかね、あるばん階子段はしごだんたふれたなり、つひとこいてなくなつた。

小使こづかひかゆもらふばかりで、れにもかへりみられず看護かんごされず、ほどんど存在そんざいをもみとめられずに、かすかな呻吟うめき昏睡こんすゐとをつゞけてゐた。

たゞ香川かゞはのみはなか好奇心かうきしんから、時々とき〴〵見舞みまつてやるが、老人らうじん不快ふくわいけて、すこしもよろこふうはない。うらめしいやうなおそろしいやうなかほをして、そばられるのをいやがり、痩腕やせうで防禦ばうぎよするやうな身構みがまへをすることもある。あるばん夢心地ゆめごゝちで、「この野郞やらうまだおれを意地いぢめにるか、もうおやでないぞ、とはおもはんぞ」とさけんで、なほ不明[Pg 308]ふめいれうこゑ獨言ひとりごとつた。香川かゞは理由わけわからないが、なんとなくおそろしくなつてげてかへつた。そして老人らうじん職工しよくこうなどがいく周圍まはり立騷たちさわがうと、自分じぶんひやかしてゐやうと、無感むかん無覺むかくでゐるが、香川かゞはると面相めんさうかはつてる。

何故なぜだらう」と、香川かゞはあやしんで宇野うのはなした。

なにわるいことをしたんぢやないか、かねでもりたんぢやないか」

「あの老爺ぢいさんなんひとかねすものか、それにぼくだけが多少たせう同情どうじやうしてるんだから、感謝かんしやすべきはずだ」

きみかほ老爺ぢいさん息子むすこにでもてるんぢやないか」

「なあに彼奴あいつ身體からだせてゝ、親爺おやぢのやうなこわをしてるそうだ」

かくきみひどやつ見込みこまれたものだね」

氣味きみわる老耄おいぼれだよ」

香川かゞははそのからめると、暗中あんちゆうにかのすごふるえることがある。で、二三[Pg 309]にちするとつひへかねて、詮方せんかたなくほか轉居てんきよした。

しばらく老人らうじんことわすれて、かね苦面くめんなやんでゐたが、ある不圖ふとしやまへれに出會であつた。病氣びやうきなほつたのかなほらぬのか、たづねても、けたくちをもぐ〳〵させたばかりでわからなかつたが、風呂敷ふろしきづゝみ脊負せおうて、フラつくあしつた。

香川かゞはまゆひそめてかほそむけた。


[Pg 311]

世間並

(一)

わたし半時間はんじかん東片町ひがしかたまち加瀨かせ宿やどさがした。れとは今年ことしになつて、一相會あひあふの機會きくわいがなかつた。またいてひたくもなかつた。ところ昨夜ゆふべ情熱家じやうねつか豐島とよしまわたしうちて、加瀨かせこひかたつて憤慨ふんがいした。れのこひ熱烈ねつれつでない沈痛ちんつうでない、浮薄ふはくだ、キザだ、見得坊みえばうだ、柔弱じうじやくだと罵倒ばたふつゞけ、しまひにおきまりのバイロン、ハイネをさけんでかへつた。加瀨かせこひ々々々々、わたしみゝには多少たせう面白おもしろひゞく。それできふたづねてたくなり、あめをもいとはず大久保おほくぼから遙々はる〴〵るにはたが、さて容易よういうちつからぬ。先頃さきごろ久振ひさしぶりで、引越ひつこし通知つうちねて手紙てがみれたけれど、れに用事ようじはないと、そのまゝ反古ほごにして仕舞しまつたので、番地ばんちわからぬ。○○かたふ○○もはつきり﹅﹅﹅﹅記憶きおくとゞまつてゐない。たゞ小山こやまとか戶山とやまとかやまのあつたことはおぼえてる。それから

[Pg 312]ぼく宿やどたづねんとならば、垣根かきね沿える椿つばきはな目印めじるしとなさるべくそろ」と、あのをとこ相應さうおう文句もんくへてあつたことはおぼえてゐる。

わたしいくつも路次ろじとほつた。かさ必要ひつえうもないほど春雨はるさめつてゐる。下駄直げたなほしのつゞみおと煑豆屋にまめやすゞおとが、ゆるやかなそらひゞいてゐる。わたし無理むりあせつてたづねるもなく、「つたつて格別かくべつはなしもないんだもの」と、とほりへ突拔つきぬけやうとすると、往來わうらい安全あんぜん瓦斯燈ぐわすとうむかうに眞紅しんく椿つばきはなあざやかにうつつた。はたして小山こやまといふ門札もんさつえる。せまもんいて、りのあたらしいくるまみちふさいで、玄關げんくわんさきよこたはつてゐる。

案内あんないまでもなく、はなした座敷ざしき加瀨かせ立姿たちすがたえた。ひかるやうなフロツクコートをて、ながかみ奇麗きれいけ、しきりに衣紋いもんたゞしてゐる。わたしれを見違みちがへるほどであつた。

「さああがたまへ」と、れはしづかつて、いろしろくて目鼻めはな尋常じんじやうな、しかし皮膚ひふこわばつたかほかすかに微笑びせううかべた。

[Pg 313]出掛けるのか」と、わたし座敷ざしきとほつて、中折なかをれをかぶつたまゝ、椅子ゐすこしけた。

「ウン」と加瀨かせかろ首肯うなづく、ちいさい丸髷まるまげつた、ひく痩身やせぎすの、もう老婆ばあさんつてもよささうなをんなが、緣側えんがは山高やまたか帽子ぼうしちりはらつてゐたが、わたしると、「オヤ被入いらつしやいまし」と、もう二三つたひとのやうに馴々なれ〳〵しいかほをした。わたしぢろり﹅﹅﹅老婆ばあさんたばかりで、あまりかまひつけず、「何處どこくんだい」と、ふたゝ加瀨かせいた。

菊坂きくざかまで、ぐにかへつてるから、つてゐたまへ、折角せつかくれたのに失敬しつけいだが、約束やくそくしてあつて是非ぜひかなくちやならんのだ」

「さうか、ぢやつてたまへ、ぼく此處こゝ晝寢ひるねでもしやう」

加瀨かせ老婆ばあさんから帽子ぼうしつて、「失敬しつけい」とゆるく﹅﹅﹅つたきり、姿勢しせいたゞしくすましたあしりで玄關げんくわんりた。老婆ばあさん見送みおくつてゐる。

わたし腰掛こしかけたまゝうごかなかつた。居室ゐまはフロツクコートの住人じうにんには不似合ふにあひで、天井てんじやう[Pg 314]ひくたゝみ茶色ちやいろになり、とこやうや花瓶くわびんせるだけのふかさしかない。しかしには割合わりあひひろく、數種すうしゆ椿つばきほか几帳面きちやうめん沈丁花ぢんちやうくわはつてゐて、にほひおくつてる。春日楓かすがもみぢ鉢植はちうゑも五ツ六ツならんでゐる。いへといひにはといひ、大久保おほくぼわたしうち大差たいさがないが、加瀨かせ財產ざいさん以前いぜんよりもはるかにゑて、舊態きうたい依然ゝぜんたるわたしとは比較ひかくにならぬ。衣紋竿ゑもんざをには糸織いとおりであらうか、いやにひかつた着物きものけてある。鼠色ねづみいろ縮緬ちりめん襦袢じゆばん袖口そでくちえる。ふつくり﹅﹅﹅﹅した座蒲團ざぶとんも四五まいかさねてある。めぬはず英書えいしよふたつ、本箱ほんばこにギツシリまれ、テーブルのうへには金蒔繪きんまきゑ卷煙草まきたばこいれ毛糸けいとのランプしきはさみ耳搔みゝかき小道具こだうぐまで、ちやんとそろつてゐる。

老婆ばあさんちやんでテーブルにき、らかつた白縮緬しろちりめん兵子帶へこおび、キヤラコの紺足袋こんたびなどを片付かたづけながら、「每日まいにちいけないお天氣てんき御座ございます」とか、「上野うへのはもういたで御座ございませう」とか、しきりにはなしをしかける。

五月蠅うるさいとおもつたが、返事へんじをせぬわけにもかず、よい加減かげんあしら﹅﹅﹅つてゐると、[Pg 315]ばあさんはビスケツトをつてて、椅子ゐすまへすわんだ。わたし餘儀よぎなく相槌あひづちちながら、加瀨かせ變遷へんせんおもつた。老婆ばあさんはなし自分じぶん追想つゐさうとがごつちやになつて、加瀨かせ面影おもかげあたまなか動搖どうえうする。

れが上京じやうきやうしたのは一昨年おとゝしはる同鄉どうきやうえんしばらわたしいへ同居どうきよしてゐた。普通ふつう學資がくしぐらゐせぬ身分みぶんでもないから、何處どこかへ入學にふがくするのだらうとおもつたら、すこしもそんな希望きばうはない。そしてわたしらぬ先輩せんぱい歷訪れきはうして、その紹介しやうかいある女學ぢよがく雜誌ざつし記者きしやとなつた。訪問はうもんには洋服やうふく でなくては不便ふべんだとつて、ぐに有合ありあはせの三ゑんらずのかねで、しろ小倉こくら夏服なつふくつくつた。わたしさんざ﹅﹅﹅﹅ひやかしてやつた。しかしれはにやり﹅﹅﹅〳〵わらふばかりで、なんともおもはぬ。職業しよくげふると同時どうじに、最早もはや人前にんまへになつたつもりか、わたしうち植木屋うゑきや離座敷はなれりた。持物もちもの月々つき〳〵 ゑてく。國訛くになまりの目醒めざましくえるとともに、身體からだどろ次第しだいけてくやうだ。なつすゑには襦袢じゆばん柾目まさ下駄げた穿く。わたしれよりも五歲いつゝ年長者ねんぢやうじやで、十ねん東京とうきやう[Pg 316]つてゐるが、身裝みなりれが半歲はんとし進步しんぽにもおとつてゐる。で、ふと目顏めかほ口先くちさき揶揄からかつてやる。「いくら鍍金めつきしたつて肥桶こえたご肥桶こえたごだぜ」とふと、「ぼく虛榮みえるんぢやない、自分じぶん氣持きもちがいゝからだ」と落付おちついてこたへる。雜誌ざつししやものくと、このをとこ社中しやちうだい一の勉强べんきやうで、器用きようでもあり主任しゆにん信用しんようあついさうだ。月給げつきうもずん〳〵のぼつてくらしい。れにはコツ〳〵むつしい敎科書けうくわしよいぢりをするよりは、雜誌ざつし 記者きしや飛廻とびまははう面白おもしろいのだ。成程なるほど生活せいくわつのためにいや〳〵﹅﹅﹅﹅つとめるのとはちがつて、らねばくにからおくらされる身分みぶんの、二十二三の靑年せいねん雜誌ざつし道樂だうらくなら面白おもしろからう。そしてしやものは「加瀨かせさんは大變たいへん大人おとなつたひとですね、おこなひ謹直きんちよくだし、非常ひじやうにしつかりしてる」とめるが、わたしには矢張やはりとし相當さうたうのおつちやんだ。無口むくちでマセてはゐるが、わたしには小憎こぞえる。あまやつえる。實際じつさいはさうでなくても、わたし自身ゞしん無理むりにさうおもつてる。むかうからしたしんでても、此方こつちからはうしても打解うちとけるになれぬ。これが二三年來ねんらいわたし性分しやうぶんで、またしゆあはれなプライドとなつてゐるのだ。

[Pg 317]そのれは越前堀えちぜんぼりうつつた。江戶えど趣味しゆみ硏究けんきうのためか、綠雨りよくう文集ぶんしふ買集かひあつめて熟讀じゆくどくしてはつた文句もんくせん圈點けんてんし、餘白よはくにはしきりに感歎かんたんらしてゐたのもこのとき女學ぢよがく雜誌ざつしすみはうに三四ぎやうづゝの皮肉ひにくしたのもこのときわたしてこすつたつもりか、あるがうには「われ貴族きぞく主義しゆぎなりとふものあり、われ平民へいみん主義しゆぎなりとふものあり、あるとき埃及えじぷと煙草たばこひ、あるとき朝日あさひふをわらふものあり、彼等かれら變通へんつうみちらぬ徒輩しれものなり、晴天せいてんにも足駄あしだ穿いてあゆひとなり、われつきはじめには辨當べんたううなぎ牛肉ぎうにくひ、つきをはりには饂飩うどん麺麭パンにてます、このおもむき拘泥派こうでいはところにあらず」といたが、これなどがれの警句中けいくちう壓卷あつくわんであつて、隨分ずゐぶん一人ひとり合點がてん無意味むいみものおほかつた。

しかし越前堀えちぜんぼり移轉ゐてん以後いごはあまり往來わうらいしない。學校がくかう生活せいくわつをせぬれは、眞味しんみ友人いうじんすくないので、時々とき〴〵わたしむかつて人懷ひとなつかしい手紙てがみおくつてるが、わたしはあまりかまひつけぬ。で、しばらくれの發展はつてんらなかつた。

[Pg 318]

(二)

加瀨かせさんは本當ほんとにおやさしいんで御座ございますね、それにおわかくせによくなににでもがおきなさいますし」と、老婆ばあさん指先ゆびさきみゝうしろで〳〵、世間せけんばなしから加瀨かせうはさうつつた。

しばらくはんうち非常ひじやうにハイカラになつた」と、わたし獨言ひとりごとのやうにつて、「加瀨かせめかしてばかりゐるんでせう」と、わらひ〳〵いた。

「え、そりや大變たいへん御座ございますよ」と、老婆ばあさんすこ乗出のりだし、「あぶらをつけたり、チツクででたり、每朝まいあさ出掛でかけまでひと仕事しごと御座ございますわ、それになんであんなにかみをおのばしなさるんでせう、さぞお五月蠅うるさいでせうのに」と、をんな有勝ありがち皮肉ひにく口付くちつきつた。

「ハイカラになるのも容易よういぢやありませんね、一たい加瀨かせれの紹介しやうかいでおたくたのです?自分じぶんさがしたんですか」

[Pg 319]なにね、わたしをひがあのかたおな雜誌ざつししやつとめてゐますのでね、二三たくへもあそびに被入いらつしつたのが御緣ごえんで、ついおしなさるやうになつたので御座ございます。無人ぶにんでとても人樣ひとさまのお世話せわなんか出來できませんのですが、ついねえ……こんな窮屈きうくつところで、さぞおこまりだらうとおもひますのにね」

わたし老婆ばあさん顏色かほいろんで、「いやかへつ貴女あなたはう御迷惑ごめいわくでせう、この通人つうじん先生せんせい、そんなことにはおのつかんはうだし、それに不愛相ぶあいそけるをとこだから」

「いゝえ、どうしてお愛相あいそがよくて、中々なか〳〵はなしがおきで被入いらつしやる、十ごろからおちや召上めしあがつて、每晚まいばんはなしがはずむんですよ」

「そりや不思議ふしぎだ、なにはなすんです」

「あのかたなんでもよく御存知ごぞんぢなんですね、あたまものからあしうらまで、なににでもよくがおつきなさいます」

「あれがそんなはなしをするんですか」と、わたしすこおどろいたふうをすると、老婆ばあさん[Pg 320]して、

「えい〳〵、わたしたちよりもよく御存ごぞんじで被入いらつしやる、くし小形こがた流行はやるの、羽織はおり桔梗納戶きゝやうなんど色合いろあひがいゝのと、そりやおどろいてしまうんですよ、一昨日おとゝひばんたく歌留多かるたを取とりまして、むすめさんがたが四五にん被入いらつしやると、あのひとにはなに似合にあう、このひとにはなに似合にあうと、一々お見立みたてをなさるんですよ」

雜誌ざつしにでもあるんでせう」と、わたしわらつて、すこくだけた口振くちぶりで「加瀨かせ色女いろをんながあるとふぢやありませんか、」とうた。

なんだかそんなことををひまをしてりますがね、」と、老婆ばあさんは窪くぼんだ微笑びせうたゝえてゐる。

れでせう、」

御自分ごじぶんではいろんな﹅﹅﹅﹅こと有仰おつしやるんですから、見當けんたうねますが、なんでもおらくといふをんなに一ばん御執心ごしふしんのやうで御座ございますよ、下谷したやました時分じぶんからむすめのお友逹ともだち[Pg 321]ちよい﹅﹅﹅〳〵たくへもまゐります、大變たいへんなハイカラで、きも可成かな上手じやうずださうで御座ございますよ、先日せんじつ加瀨かせさんがぼくはあゝつた肌合はだあひきだと有仰おつしやるから、ぢやおもらひなすつたらとまをしますと、さうさうしやうかとかんがへて被入いらつしやるのです」

「ぢや、まだをんな出來できたとわけぢやないんですね」

「えい〳〵、まだこうときまつてるのぢや御座ございますまいよ、もつともね、加瀨かせさんのことですからほかにどんなのが出來できてゐるのか、ちつともぞんじませんけれど」と、老婆ばあさんいきき、「なにしろあのかたですから」と、ひくこゑ無意味むいみことつて、兩手りやうてひざうへみながら、「何時いつかもをひとおさけ召上めしあがつて、おはなしがはずんだときに、ぼくをんなれさせてまはるのが面白おもしろいと有仰おつしやるのです、なんでも品川しながはにも銀座ぎんざにもおまるものがあるそうでしてね、をひはよく戯談じやうだんに、ぼくが一しよかなくちやまくかんのだから厄介やくかい仕方しかたがない、ぼくまる若樣わかさまのお幇間たいこのやうなものだ、無給金むきうきんで、加之おまけに時々とき〴〵持出もちだしまでして、こんなくだらないことはないとまをすんで御座ございますよ」と、さも[Pg 322]面白おもしろさうにふ。つぎではむすめがクツ〳〵わらつてる。

「さうですかねえ」と、わたし冷淡れいたんつて、てんじてテーブルのうへのバイブルをひるがへして、老婆ばあさんにはあまりみゝさなかつた。

しかし老婆ばあさんはずがたりに加瀨かせうはさ――頓間とんま江戶えど子振こぶり、辻褄つじつまはぬ裝飾方しやれかた變梃へんてこ田舎ゐなか言葉ことば丸出まるだしのやさしい惡罵あくば――をめなかつたが、やがて臺所だいどころ魚屋さかなやこゑのするのを機會しほつてつた。

加瀨かせ容易よういかへつてぬ。わたし日曜にちえうじつまち甲斐がひのないひとつてごすのがおしくてならぬ。かへらうかと立上たちあがつたが、またおもかへしてたゝみうへよこになつた。雨垂あまだれがちてはまたちてゐる。あらたにいゝにほひがにはからきつける。うしろでは車井戶くるまゐどおとがギイ〴〵ときこえる。わたしねむくなつた。ゆるんだ。すると、ふとおしづにくくないなとおもはれた。わたし寢卷ねまきのまゝかほあらつてゐると、派手はでかすり道行みちゆきて、勝手口かつてぐちからかさをすぼめてはいつてをんな可憐かれん姿すがた身體からだ華奢きやしやかみくて、島田しまだおもみに[Pg 323]へぬとつたふうに、首垂うなだがちのその顔付かほつき。こんなことが此頃このごろわたしにはめづらしくうかんだ。しかしぐに自分じぶん自分じぶんあざけつてて、もなくつねこゝろになつた。

やがてよい氣持きもち眠入ねいつた。

しばらくして自分じぶんいへにゐるで、ほそけてあがると、加瀨かせ緣側えんがはひざいてニコ〳〵してゐる。

「よくてるね、どうしたんだ、昨夕ゆふべ夜更よふかしでもしたんぢやないか」

「もう何時いつかね」と、わたしをこすり〳〵臺所だいどころかほあらひにつた。老婆ばあさんむすめとが膳立ぜんだてをしてゐる。むすめ顏立かほだち老婆ばあさんて、左程さほどうつくしくもないが、年頃としごろだから皮膚ひふ艶々つや〳〵しい。わたしむすめから西洋せいやう手拭てぬぐひりてかほぬぐひながら、ぬすむやうにして相手あひてかほた。むすめ不快ふくわいかほをしてよこいた。子供こどもときからわたし目付めつきひと馬鹿ばかにしてゐるとはれてゐたが、ことにこのごろ毒氣どくきくははつてたのか、何氣なにげなしにてさへ相手あひてによつて、薄氣味うすきみわるかんずるさうだ。ましてこのごろわたしおだやかにおとな[Pg 324]しくひとせつすることが出來できぬ。冷笑れいせうするやうな、蔑視べつしするやうな、はらそこまで見拔みぬいてやるぞとつたやうな氣持きもちになつてよろこんでゐる。

わたし緣側えんがはもどつて、「このいへは一たいなにをしてるんだ」と小聲こゞゑいた。加瀨かせたもとから淸心丹せいしんたんしてした絹手巾きぬはんけちあかくちびるのあたりをき〳〵、

「これでもむかしはちよつといゝ旗本はたもとだつたさうだが、いまぢや親爺おやぢ元町もとまち女學校ぢよがくかう會計くわいけいをしとる、月給げつきうわづかだが、多少たせうゝち財產ざいさんがあるから、氣樂きらくくらしとるやうだ」

家内かないは三にんりかい」

「うん、むすめ跡取あとゝりで養子やうしでもするんだらう」

「そんな大事だいじ一人ひとりむすめそばに、きみのやうな美男子びだんしがゐちや危險きけんだね」

馬鹿ばかな」と、加瀨かせかすかなこゑつて、ニヤ〳〵わらひをつゞける。

「しかしこんなうちにゐちや窮窟きうくつぢやないか」

[Pg 325]べつにそんなかんじはしない、かへつて家庭的かていてき居心地ゐごゝちがいゝ」

「だが、越前堀えちぜんぼり江戶えど趣味しゆみから退化たいくわしたぢやないか、ぼくきみ早晩さうばん藝者屋げいしやゝ長火鉢ながひばちまへすわをとこだとおもつてゐたんだが、矢張やはりやま野暮やぼくさうちきみがら相當さうたうしてるんかね」

下町したまち衞生ゑいせいわるいから」

「うまく言譯いひわけするね、しかしきみのことだからなにひそかに理由りいうがあるんだらう」と、わたし卷莨入まきたばこいれをテーブルからおろして、加瀨かせそばよこになつて煙草たばこひながら、「きみ東京とうきやうてから大分だいぶいであるいてるが、いまはなあしつかれてしまうぜ、きみはな銳敏えいびんはうぢやないがね、それでもきみ親爺おやぢのとはちがつてるから、」

なんだ、なぞのやうなことをつて」と、加瀨かせ淸心丹せいしんたんにほひをいて、相變あひかはらず氣樂きらくかほ微笑びせうしてゐる。

いまなぞけるときる」とつたきり、わたしくちつぐんだ。加瀨かせもくしてたゞには[Pg 326]ながめてゐたが、やがてなにおもつたかしやく八をつてした。かほすこ紅味あかみび、なが前髮まへがみふるはせ、しろ指先ゆびさきかろあざやかにうごかし、わたしをば相手あひてにせぬやうなふう勝手かつていてゐる。これはこのをとこくせで、こゝろではわたし訪問はうもんしたのをよろこんでゐるのだが、さてはなすこともなく、打解うちとける手段てだてもない。で、わたしはうからそれ相應さうおう話題わだいでも持出もちださぬかぎりは、詮方せんかたなしに、主人しゆじん主人しゆじん、おきやくはおきやく態度たいどるのだ。しかしれのこゝろづくしは何時いつものやうに食卓しよくたくあらはれてゐる。

老婆ばあさんむすめとは甲斐かひ々々〴〵しくチヤブだいはこんだ。いろ〳〵の御馳走ごちさうが一ぱいならべられた。ビールさへうてゐる。

加瀨かせしやく八をしたき、「サア」とコツプをわたしまへして、おきつぎをした。わたしはそれを尻目しりめて、

きみしやく八がうまくなつたね、つゞいて稽古けいこをしてるんか」

「いやべつ稽古けいこもせん、退屈たいくつすると出鱈目でたらめくだけだ。」

[Pg 327]きみしやく八をくとおもす、きみ上京じやうきやうとき手紙てがみよこして、⦅一くわんふゑたづさえてみやこはなたづまをすべし⦆とつてゐたぢやないか、此頃このごろはどんなはなたづねてる、きみ田舎ゐなかにゐた時分じぶんから風流ふうりうたしなみがあつたさうだし、ぼくとはちがつて五くわん發逹はつたつしとるんだから、東京とうきやうあぢすこしやあぢはつたらう」

「それよりやさかなでもたまへな」と、加瀨かせ不味まづさうに二三くちビールをすゝつて、兩膝りやうひざいて、わたしてゐたが、「きみ矢張やはり學校がくかうてるのか」と、わかつたことをく。

いやでも仕方しかたがないからね、月給げつきう三十五ゑん先生せんせいで、朝寢あさねは一しうに一しきや出來できん、あはれむべき生涯しやうがいだらう」

いやならしてなに面白おもしろ仕事しごともとめりやいゝぢやないか、世間せけんひろいのに」と、加瀨かせ不愛相ぶあいさうふ。こゑ態度たいど大人おとなつてゐる。わたししばらく無言むごんで二三のさらたひらげてのちひくこゑ何氣なにげなく、

[Pg 328]きみもハイカラのおらくとかをんなつてるとふぢやないか」

「それがどうかしたのか」と、加瀨かせすこほゝあかくした。

なに、どうもしないが、きみがあのをんなれとるとふから」

馬鹿ばかつてる」と、加瀨かせすましてゐる。

「いやぼく眞面目まじめだ、ぼくにはこひ經驗けいけんがないが、きみ年少ねんせうにしてそのみち硏究者けんきうしやだから、よくいろんなことをつてるだらう、すこかせてたまへな」

硏究けんきうなにもないぢやないか、こひこひだから」とつたきり、加瀨かせはあまりはなしれぬ。すでつてゐれど、わたしむかつてはめう腹帶はらおびめて、他所行よそゆき言葉ことばばかり使つかつて本音ほんねかぬ。そしてわたし不思議ふしぎ好奇心かうきしんは、ます〳〵つのる。このをとこおとして、見得みえ自惚うぬぼれし、表面うはべでもはらなかでも、しんしほかへらせてたい。一でも腑甲斐ふがひなさ、あぢにがさをかんじさせてたい。

わたしはこんなことをおもひながら、くちでは途切とぎれ〴〵になんきようもないみじかい會話くわいわ[Pg 329]やりして、午餐ひるめしをはつた。跡片付あとかたづけんでまた緣側えんがはて、しばらくまへのやうな平凡へいぼん對話たいわをしたり、あめおとこゝろませてゐると、

「やー、お客樣きやくさまか」と、小柄こがらをとこ帽子ぼうしかぶつたなり、ニコ〳〵はいつてた。

小山こやまくん昨夕ゆふべはどうだつた」と、加瀨かせわたしたいするときとはつてかはつて、快活くわいくわつ口調くてうふ。

「えゝ、またやられたよ、運命うんめいかみ見放みはなされたのだね」と、薄唇うすくちびるおほきなくちぢてハツ〳〵とわらひ、「どうだい、歌留多かるたは、今夜こんや二三にん美人びじん招待せうたいしといたよ」とつてうしろかへりみ、「くすちやんおちやをおんな」とさけぶ。このをとこまゆみじかくびながく、一寸ちよつとしやくつ﹅﹅﹅﹅かほるからつみがなさゝうだ。加瀨かせ紹介しやうかいたずとも、老婆ばあさんをひふことはわかつてゐる。わたしともぐに懇意こんいになつた。

貴下あなたばんまであそんでゝ歌留多かるたをやつちやどうです」

ぼく歌留多かるたらんから駄目だめです」

[Pg 330]「いゝぢやありませんか、加瀨かせくんだつてきはめて下手へたなんですもの、隨分ずゐぶん美人びじんるからてゐらつしやい。加瀨かせくん御馳走ごちさう美人びじん見物けんぶつをするだけでもとくですからね、これで此頃このごろ每晚まいばんのやうに歌留多かるたをやるんですが、じつ歌留多かるたゑばをんなるんです」と、無遠慮ぶゑんりよこゑ喋舌しやべてた。

馬鹿ばかつちやいかんぜ」と、加瀨かせ障子しやうじあたまもたたせ苦笑くせうした。

老婆ばあさんむすめ菓子皿くわしざら茶盆ちやぼんつてて、それを機會しほ團樂まどゐなかはいつた。んな笑顏ゑがほをしてゐる。小山こやましきりに歌留多かるた仲間なかま品評ひんぴやうはじめ、一はこれに相槌あひづちつて、しばらく陽氣やうきにぎはつた。加瀨かせもこれまで東京とうきやう孤獨こどく月日つきひおくつてゐたのだから、この一あたゝかい空氣くうきよくして、さもうれしさうだ。

そらはます〳〵くらくなつて、あめみさうでない。外出ぐわいしゆつ面倒めんだうであり、たづぬべきひともなくすべき用事ようじもなければ、わたし引留ひきとめられるまゝ、つひ晩餐ばんさん御馳走ごちさうにもなつた。無駄むだばなし聞厭きゝあいた。加瀨かせしやく小山こやま都々一どゞいつ聞厭きゝあいた。わたしけむたさうにして[Pg 331]ゐるむすめかほ見厭みあいた。やがて一人ひとり二人ふたりわかをんなをとこあつまつてたが、加瀨かせ新顏しんがほごとうれしさうなふうをする。そしてふたつのあかるいランプは、大勢おほぜいさわぎの中心ちうしんとなつた。

(三)

わたし歌留多かるたむれらず、たゞ傍觀ばうくわんしてゐた。しろくろいそがはしく入亂いりみだれるのを超然てうぜんとしててゐた。一うちもつと熱心ねつしんとぼしいのがおらくで、老婆ばあさん豫報よほうしたとほり、派手はでしま銘仙めいせんに八ぢやう羽織はおりてゐる。廂髮ひさしがみだがハイカラふうでもなく、ほかをんなどもくらべると顏付かほつきなんとなく意氣いきえる。お納戶なんど襦袢じゆばんゑりしろ首筋くびすぢつた加減かげん馬鹿ばか色氣いろけがある。けても左程さほど口惜くやしがるふうはない。そして加瀨かせてき味方みかたむかつて、加瀨かせはうから奪掠だつりやくしかけても、あえあらそはんともせず、仲間なかまから小言こごとはれると、「だつて加瀨かせさんがズルイんだもの」とあまえたくちく。加瀨かせ口元くちもと微笑びせうしながら一しやう懸命けんめい

[Pg 332]二三ばん勝負しやうぶあつて、中休なかやすみとなり、んながいきいた。わたし一人ひとりすみはう欠伸あくびをした。そして加瀨かせとおらくとはかはる〳〵てゐたが、たゞ加瀨かせがおらくはうとき上目うはめ使つか氣味きみがあるだけで、べつこひなかつたふう素振そぶりもない。

小山こやまはお喋舌しやべりの間々あひだ〳〵加瀨かせひやかしてゐたが、不意ふい藝競げいくらべを主張しゆちやうして、

「おらくさんの長唄ながうたしばらくかんから今夜こんや是非ぜひ拜聽はいちやうしたい、」

といふと、加瀨かせさかんに賛成さんせいする。いやだとものは、小山こやま下駄げたかくしてかへさんと强迫きやうはくして、一五六にんのこらず特意とくいげいした。宿やどむすめくす常磐津ときはづ米屋こめやむすめ義太夫ぎだいふなど、いづれも大喝采だいかつさい遞信省ていしんしやうをんな判任官はんにんくわんのおすぎ女史ぢよしひとりでうかれて、小山こやま催促さいそくたず、かたそびやかし下唇したくちびる突出つきだして、「んだとおもつたおとみさん」とれかの假聲こはいろ使つかつたが、んなにわらはれてきまりがわるそうにくちつぐんだ。

それから小山こやま卷舌まきじた端唄はうた、おらく長唄ながうたよひち」があつた。おらくのは本物ほんものだ。一りをしづ視線しせんうたかほあつめていてゐた。加瀨かせくびかしげて恍惚うつとりとし[Pg 333]てしまう。白粉おしろいくさ生若なまわかをんなにほひがみなぎせま部屋へやに、つやつぽいこゑやはらかにみゝかすめてとほる。るから加瀨かせ極樂ごくらく淨土じやうどにゐるようだ。小山こやま駄洒落だじやれ連發れんぱつをんなれをわらはせ、餅菓子もちぐわし蜜柑みかんとで、主客しゆかく陶然とうぜん醉心地ゑひごゝちになつてる。

何時いつもこんな馬鹿ばか眞似まねをしてあそんでるんか」と、わたし突如だしぬけ加瀨かせうた。かれてゐる連中れんぢうは一わたしかほた。

面白おもしろいぢやないか、きみうちでも時々とき〴〵やりたまへな、ぼく大勢おほぜい引連ひきつれてかう」と、加瀨かせは一棟梁とうれう氣取きどりだ。

須崎すさきわたし)さんだけは、まだなにげいをおしになりませんね、お突合つきあひにひとつおかせなすつちや如何いかゞです」と、老婆ばあさんわたしかへりみた。小山こやま加瀨かせ左右さいうからるやうにしてすゝめる。

「そんなふざけた﹅﹅﹅﹅眞似まね出來できるか、しかし是非ぜひぼくのがきたけや、加瀨かせくん親爺おやぢがよくやる權兵衞ごんべゑ種蒔たねまきのをどりでもやらうか、ふと素裸すつぱだかになつてこしつてやつ[Pg 334]てたのを、ぼくも覺えとる。きみも幼い時分じぶんによく親爺の眞似まねをしとつた。ねえ、さうだらう」と、わたしふと、加瀨かせだまつてしまつた。

「だがぼくだつて長唄ながうたぐらゐは出來できる。おらくさんでも三味線さみせんいてれゝば」と、わたしいやおもひをしてつて、まへした。もう二三ねんにならうか、わたしはおしづから戯言ぢやうだん半分はんぶんに「越後えちご獅子じゝ」をならつたことがある。あの時分じぶんでも音曲おんぎよくきなはうではなかつたが、おしづくち眞似まねをしたり、わらつたりわらはれたりするのがうれしかつた。いまではそれをおもしても不快ふくわいだが、小山こやま周旋しうせんで、三味線さみせんがおらく押付おしつけられたので、詮方せんかたなくおらくならんで、うろおぼえのひとくさりをうたつた。調子てうししどろもどろ﹅﹅﹅﹅﹅﹅である。加瀨かせすこおどろいたふうで、

きみ何時いつならつた」

不思議ふしぎだらう、まだ十八番おはこがあるんだ。そりやこの次つぎにしやう、なんなら近々きん〳〵ぼくうち演藝會えんげいくわいをやるからんなで來玉きたまへ、おらくさんも三味線さみせんつて」

[Pg 335]「そりや面白おもしろい、是非ぜひおやんなさい、わたし周旋役しうせんやくになるから」と、小山こやましきりにすゝめた。

(四)

ふたゝ歌留多かるたはじまつたので、わたし退屈たいくつつて、一人ひとりいとまげて薄暗うすくらがりのつめたい戶外そとた。そして電車でんしや飛乗とびのつたが、ぐに大久保おほくぼへはかへらなかつた。

すうぷんのちにはかさかついで、土州橋としうばしうへあるいてゐた。中洲なかすはう小雨こさめけむつて、提灯ちやうちんひかりそらんでゐる。足下あしもと荷船にぶねひるきたな姿すがたをかくして、ゆめのやうにあは水面すゐめんうかび、しめつたひかりがチラ〳〵して、寢呆聲ねぼけごゑれてる。はしわたると早足はやあしみぎまがつて、玄關げんくわんくらく二かい燈火ともしびはなやかなうちあがつた。わたしは一ねんぢかくこのうちかよつてゐるのである。

安逹あだちはら鬼婆おにばゞあから毒氣どくきいたやうな老婆ばあさんわたしかほると、して、「貴下あなた新奇しんきなのがましたよ」といふ。これがおきまりだ。老婆ばゞあわたしたいするこつ[Pg 336]つてゐる。たゞ新奇しんきだ」といふ。どんなのだらう。昨年さくねんねん今年ことしいまゝでわたし注意ちういき、こゝろやさしさあたゝかさをおぼえるのはこればかりである。階子段はしごだん足音あしおと廊下らうかづたひの衣摺きぬずれのおと障子しやうじおとわたしはそれをいてゐるときにのみ生甲斐いきがひかんずるのである。うつくしいまゆなめらかなはだたましひとろけるのではない。やさしい言葉ことばいろつぽい素振そぶりにむね湧立わきたつのではない。たゞめづらしいの」「新奇しんきなの」を待設まちまをけては、かはこゝろうるほさうとするにぎぬ。

わたし上京じやうきやう年間ねんかんゆたかならぬ學資がくし學問がくもんをした。卒業後そつげふご敎師けうしをしてゐる。交友かういうおほくはなく、自分じぶん出入しゆつにふ目睹もくとしてゐる社會しやくわいひろくはない。しかし最早もはや努力どりよくして榮逹えいたつはか微塵みぢんもない。高名かうめいひとしてうたはれようとねがこゝろさらにない。こゝろゆるひともなければ、他人たにんこゝろゆるされようともおもはない。知友ちいううちにはわたしを「落付おちついたしつかりしたをとこだ」とひやうするものがある。また冷酷れいこく無情むじやうをとこだ」とひやうするものもある。有望いうばう靑年せいねん愚昧ぐまい男子だんしか、他人たにんのお世話せわたずして、自分じぶん自分じぶん[Pg 337]つてゐるのだ。圖拔づぬけた天分てんぶんもないが、努力どりよくすればなみひとにはけぬと確信かくしんしてゐる。處生しよせいはふぐらゐ心得こゝろえてゐる。たゞそのわづらはしさがいやだから見合みあせてゐるのだ。

すべてがわづらはしい。そして友人いうじん落魄らくはく榮華えいぐわあはれともかんぜぬうらやましくもおもはぬ。昨年さくねんから引續ひきつゞいてあに叔父をぢんだが、それすらわたしにはつたくらゐかんじをしかあたへなかつた。

明日あすわたしはどうなるか、いまわたしはこんなふう死運しうんるまできてゐる。

(五)

「あれは如何いかゞでした」

「さうだね、くちびるかはこわい」

隨分ずゐぶん此頃このごろましたから、せい〴〵をつけときまして」

わたし老婆ばゞあ見送みおくられてそとた。糠雨ぬかあめ身體からだりかゝれど、所々ところ〴〵くもげて、[Pg 338]んだ靑空あをぞらあらはれてゐる。わたしふたゝ土州橋としうばしわたつたが、「明日あす天氣てんきだ」とおもふのみで、ほかなにをもあたまうかべなかつた。そして電車でんしやるとこまぬねむあたままどにもたせ、半醒はんせい半眠はんみん終點しうてんたつし、つきんで、人氣ひとけえた大久保おほくぼ宿やどかへつた。明日あすつとめをおもうて、ぐに寢仕度ねじたくをし、二三の郵書いうしよたが、そのうち故鄕こきやうからの手紙てがみもあつた。ちゝはゝみ、おとうと小賣商こうりしやうをして一わづかにくちしてゐるので、救助きうじよ願書ぐわんしよえたつきはない。今月こんげつのはことながい。わたし卷紙まきがみなかばをまぬうちに、眠氣ねむけさしてへられぬので、それをつくゑひろげたまゝとこうちはいつた。

翌朝よくてう下女げぢよ雨戶あまどけるおとかすかにきながら、きもやらず寢返ねがへりして、なほウト〳〵してゐたが、そのあひだめづらしく故鄕こきやうゆめた。――兄弟きやうだいにんうらはたけてゐる。樹木じゆもくすくなをかからなゝめふもとまではたになつてゐて靑々あを〳〵むぎなみち、あぜには蓮華草れんげさうあか緣取ふちどつてゐる。まぶしいくらゐつてる。あに被頰ほゝかぶりしてあせばんだはたたがやし、わたしおとうと紙鳶たこばした。風箏うなりしづかなそら氣持きもちよくつて、あか繪具ゑのぐ[Pg 339]つた紙鳶たこかげちいさくなる。わたしきようつてはたをかのぼり四はうまはると、おとうとあとからあえぎ〴〵うてる。やがてわたしまとうたいとかぎ手繰たぐしたが、運惡うんわるいとえだ引掛ひつかゝつて如何いかにするもはなれない。そのあひだ紙鳶たこいとつてフワ〳〵そらんでく。わたしおとうとあに仰向あふむいてその行衞ゆくゑながめた。――目醒めざま時計どけいおとおどろいてゆめえた。歸國きこくごと亡兄ばうけいわたしむかつて、「いま田地でんぢさへあらさなければ、うちのものは生活くらしこまりやしない、おまへ學才がくさいがあるんだから、うちこと心配しんぱいせんで勉强べんきやうしてはや出世しゆつせしてれ」とつて、自身じゝん死際しにぎはまでくわはなさなかつた。この手紙てがみによるとおとうと此頃このごろ反物たんもの脊負しよつて近村きんそんまわつてゐるらしい。そして一そろうてわたしうはさをしてゐるとある。わたしまたえず故鄕こきやう家族かぞくおもつてゐることと向定むかうぎめにめてゐる。わたし手紙てがみ座右ざいう反古籠ほごかごれて、こゝろさびしく肌寒はださむかんじた。

(六)

[Pg 340]この宿雨しゆくうれて、敎員室けうゐんしつ花見はなみうはささかんであつた。日課につくわをはつてうちかへり、和服わふく着替きかへてゐると、豐島とよしまわたし所謂いはゆる情熱家じやうねつかたづねてた。同鄕どうきやうおな中學ちうがくにゐたをとこで、加瀨かせがこのうち同宿どうしゆくしてゐたころしよくうしなつてころがりんだこともある。はぬとき顏色かほいろあをく、言葉ことばすくなく、るんでゐるが、すこしでもひがまはると、悲憤ひふん慷慨こうがい滿心まんしんつて、自身じゝん一人ひとり世界せかい角力すまふでもいきほひだ。れの所謂いはゆる「お利口連りこうれん」をのゝしつてなみだうかべることもある。加瀨かせなどはあたまから「馬鹿野郞ばかやらう」「あをさい」「僞善者ぎぜんしや」の百萬べんあびせかけられる。

今日けふは七ゑひだ。格子戶かうしどをガラリとはげしくけると、「大將たいしやうるか」と怒鳴どなつて、帽子ぼうしげて、座敷ざしき眞中まんなか胡床あぐらいた。

大分だいぶ元氣げんきがいゝね、ちつとはまうかつたんだらう、おれにかねでもれにたのぢやないか」と、わたしおびめながら相手あひて見下みおろしてつた。

馬鹿ばかへ、かねなんかあるもんか」

[Pg 341]宿やど矢張やはり下谷したや天井裏てんじやうゝらか」

馬鹿ばかへ、とつくに轉居てんきよしていま四谷よつやにはひろうちにゐる、ちかいから學校がくかうかへりにでもれ、アブサンをましてやらあ」

「さうか、モー天井裏てんじやうゝらにゐないんか、ぢやすこ堕落だらくしたはうだね、ぼくきみがあの二かいにゐるのをかなしむよりもむししゆくしてゐたのだがなあ、ねづみふん蜘蛛くもなかで、蠟燭らうそく點火とぼして文章ぶんしやういてるのをると、ぼくおがみたいやうながした。むかし天才てんさい義人ぎじんによくあるれいだからね。」

「うんにやぼくはもう方針はうしんへた、どんな卑屈ひくつ眞似まねをしてもかねまうけるつもりだ、なか俗物ぞくぶつばかりだから、これまでのやうにしちや馬鹿ばかるからな、もう主義しゆぎ變更へんかうだ。」

「しかしきみはどうしてかねまうける、何處どこからたつて素質そしつはないぢやないか、きみ俗物ぞくぶつになるのは加瀨かせあたまが五分刈ぶがりになる時代じだいだらう」

[Pg 342]加瀨かせなんかゞ」と、豐島とよしまげつけるやうにつて、「あんなをとこで八ぱう色女いろをんな出來できるんだらうか、馬鹿野郞ばかやらうに」とさけんで、つばきほとばしらす。

「そうだねえ、ぼくきみにやてども〳〵雌猫めねこぴきつてないんだからね」

「つまりなんだよ、きみぼく自分じぶんくつしてやさしくなれんから駄目だめなんだよ、おたがひにかね出來できにやをんな出來できん、けれどぼくあこれからやる、こひもするしかねる、きみもさうしろ、そのはうとくだもの、どうせ利口りこう奴等やつらにやぼくこゝろわかりやせんのだから、」と豐島とよしまうでをまくつて、あかふとつたほゝをこすりげつゝ、充血じうけつしたしばだたく。

ぼくもせい〴〵心掛こゝろがけやうよ、しかしきみいまなにをしとる、夜學校やがくかうはう革命論かくめいろんなにかやつてめたそうだが」

講義錄こうぎろく關係かんけいしとる、大著述だいちよじゆつにも着手ちやくしゆしとる、もすこ餘裕よゆう出來できたら、新運動しんうんどうはじめる、まだはつきり﹅﹅﹅﹅わけかんが、ふでけんにしてくちからほのほいて、惰眠だみん[Pg 343]むさぼつてるいま社會しやくわい震動しんどうさすんだ、きみ我黨わがとうだから、そのとき片端かたはしになつてれ」

すこ矛盾むじゆんだね、さつきにや金儲かねまうけの計畵けいくわくをしたぢやないか」

馬鹿ばかふな、ぼくはこんなうすのろい我慢がまん出來できんのだ」

同感どうかん々々〳〵はやくその活劇くわつげきせてれ、ぼくきみの「馬鹿野郞ばかやらう」のこゑ日本國にほんこく地響ぢひゞきすることをのぞむんだ」

屹度きつとやる〳〵」と、豐島とよしま頰杖ほゝづゑついて、なにをかかんがへてゐたが、やがてぶつ﹅﹅たふれていびきをかきした。すそれたあはせから毛脛けずね足袋たび穿かぬあしちりにまみれてゐる。わたしはぢつとてゐたが、やがて毛布もうふしてそつとかたにかけてやつた。で、れが前後ぜんごわすれてなにかいゝゆめてゐるあひだに、わたし學課がくゝわ下調したしらべをしてゐた。

「お客樣きやくさまはもうおかへり」と、緣側えんがは障子しやうじやぶからのぞいたをんなが、「あれてゐらしつて」とつぶやいた。

わたし障子しやうじをそつとけた。おしづつてゐる。すこあをざめたかほながまゆくろ[Pg 344]肉付にくつき不足ふそくほゝに、はなのみがたかあざやかにきざまれた、左程さほどうつくしくないをんなだ。しかしそのあはれつぽい樣子やうすが一二年前ねんぜんわたしにはうれしかつた。

「お花見はなみにはゐらつしやらないの」と、おしづくせとして一寸ちよつとくちゆがめてわらつた。わたしはそれにはこたへず、なか書物しよもつながらおだやかに、

「まだ日本橋にほんばしかないんかね」

「もうかへらなくちやならんのですけど、身體からだがよくなつたら明日あすにもれなくちやこまるつて、いま手紙てがみたのですけど、わたしもうあんな騷々さう〴〵しいところき〳〵しましたから」としほれたこゑつた。かほにもしほれたいろうごいたのであらうが、わたしはよくなかつた。

「だつて仕方しかたがないぢやないか、かなくちやおつかさんが承知しやうちしないんだらう」

「だつてわたしいやで〳〵、とてもこのうへ半歲はんとし辛抱しんばうしちやゐられませんもの」

「さうかねえ、しかしなかはどうしたつて氣樂きらくとほれりやしないんだから、まあ[Pg 345]わかうち我慢がまんして苦勞くらうするさ、おしづさんなんかをんなはよし氣立きだてもいゝんだから」と、わたし辭書じゝよき〳〵、ちらとかほた。をんなうるんでゐる。

「そんなひどいことをつて」と、こゑ四邊あたりはゞかつて、かほつき不平ふへいうつたへる。

何故なぜ、おしづさんなんかこそ、出世しゆつせするうんつてるぢやないか、去年きよねんからおつかさんがたび自慢じまんしてゐたよ、大商人おほあきんどうち奉公ほうこうして、大變たいへんつてるんだつて、いまでもうちむすめが〳〵と五月蠅うるさいほどつてるよ。」

近所きんじよではおしづをさる穩居いんきよめかけであるとか、あやしい商賣しやうばいをしてゐるとか蔭口かげぐちいてゐるが、わたしはそれをたしかにはしんじてゐない。二三年前ねんまへにこそ一こゝろ浮立うきたつて、しのび〳〵にもてあそむでは、なか出初でぞめのさびしさくるしさをわすれたこともあつたが、いまでは初戀はつこひおもたゞ人事ひとごとのやうながしてゐる。おしづはさうはおもつてゐない。わたしにもむかし心持こゝろもち繰返くりかへすものとおもつてゐるのであらう。

「おつかさんはわたしまはしてんだつて、なんともおもつてやしないんですもの、人中ひとなか[Pg 346]して氣骨きぼねらせておつかさんはわたしをどうしやうとおもつてるんでせう、先日こないだもおはなしたあのことでね」と、おしづ首俯うつむいて、なみだぐんだこゑをする。

「おい〳〵先日こなひだはなしはもうねがげだよ、みゝたこ﹅﹅出來できほどかされたんだからな、そんなことをつてクヨ〳〵しとるから病氣びやうき取付とりつかれて、あをくなつてなくちやならん、くだらないぢやないか、それよりやはや手賴たよりになるをとこでもさがして、面白おもしろおくはうがいゝぜ、一昨年おとゝしだつたか、日本橋にほんばしまへにや大變たいへん元氣げんきのいゝことつてたぢやないか」と、あのときしづわたしとの關係かんけいけろり﹅﹅﹅わすれたやうにして、たからやまへでもはいで、日本橋にほんばしとかへ旅立たびだ時分じぶん得意とくいさまおもつた。

しづはシク〳〵した。で、いまにも一昨日おとゝひのやうに、うらんだ言葉ことば自棄やけになりさうな文句もんくで、わたしこゝろうごかさうとするだらうと待設まちまうけながら、書物しよもつページばせてゐると、ザーツと手水鉢てうづばちみづれるおとがした。あたまげると下女げぢよがバケツをつて、不思議ふしぎさうにおしづてゐる。

[Pg 347]樹木じゆもく草花くさばなもないせまにはかげつて、となりの二かいかべにのみえたひかりとゞまつてゐる。下女げぢよ勝手かつてまはりながら、まだ振返ふりかへり〳〵てゐる。

豐島とよしまました。片頰かたほゝあかたゝみかたのこして、こぶしをこすつてゐる。

「おしづさんぢやあ明日あすばんにでもゐらつしやい」と、わたし外方そとむかつて笑顏ゑがほやさしくつて障子しやうじめ、

「もうめたかい、茫然ぼんやりしてるね」

「うん」と起上おきあがつて、おびをキチンと締直しめなほし、ひと欠伸あくびをして、「さあかへらう」

「まあいゝぢやないか、なにぼく用事ようじはないんか」

「うん、用事ようじもあるんだが、また二三日中にちうちよう、これから本鄉ほんがうくから、加瀨かせうちへもるかもれん」

「あまり彼奴あいつ意地いぢめるなよ」

豐島とよしまほか急用きふようでもひかへてゐるやうに、いそいでもんた。あとに「敷島しきしま」のふくろ置忘おきわす[Pg 348]てゐた。ふくろなかには煙草たばこが二ほん白銅はくどうふたはいつてゐる。

わたしはこの故鄕こきやうおとうとへの手紙てがみいた。なかには「出來できるだけのことをして、それでもへなければ仕方しかたがない、一こぞつて乞食こじきになつて諸國しよこく流浪るらうしやうぢやないか、おれもその仲間なかまになつてもよい、なにをしても一しやうだ」と、ふで拍子ひやうしでこんなことまでえた。

(七)

わたし學校がくかう生徒せいと人望じんばうのあるはうでもないが、あえ不評判ふひやうばんでもない、職務しよくむ精勤せいきんするはうではなく、やまひしやうして缺席けつせきすることもおほいが、免職めんしよくされるほどなまけはせぬ。增給ざうきう覺束おぼつかなけれど、これで當分たうぶんひはづしもないから不平ふへい必要ひつえうもない。衣食いしよくよくすくなく、ほか娯樂ごらくもとめるのでもない。そして豐島とよしまなどの二三の友人いうじんがちよい〳〵たづねてるので、無聊ぶれうくるしときすくない。此頃このごろ豐島とよしまほかに、加瀨かせ宿やどつた小山こやま屡々しば〳〵かほすやうになつたが、この新奇しんき友人いうじん初對面しよたいめんをりからスツカリわたし[Pg 349]つた。此方こつちからくだけてはなしかけると、わたしふところはいつてる。その呑氣のんきらしい容貌ようばうこゝろ微塵みじん苦味にがみ辛味からみのなく、ポカンとして無駄むだぐち工合ぐあひ面白おもしろい。で、「きみはなせる、學校がくかう先生せんせい連中れんちうもとよりだが、豐島とよしまだつて加瀨かせだつて娑婆しやばくさくつてはなちもならん、きみ流石さすが江戶えどだ、社會しやくわいのろつて革命かくめいとなへるでもなし、加瀨かせのやうに見得坊みえばうでもなし」と感服かんぷくすると、小山こやま多少たせう得意とくいになつて、「加瀨かせくんのやうにしてちや、さぞ氣骨きぼねれるこつでせう」とわらふ。

或日あるひ正午ひるぎに上野うへの散步さんぽしてゐると、小山こやましま羽織はおりはかまけ、不似合ふにあひ山高やまたか帽子ぼうしかぶり、すこ仰向あふむいてくちけ、ひだりつきたもとをして廣吿隊くわうこくたいあとからましてあるいてたが、その樣子やうすはなは面白おもしろかつた。わたし呼止よびとめて、一しよ夕方ゆふがたまであそくらしたが、れはをんなあるりから、その心理しんりじやう生理せいりじやう批判ひはんくだすとつて、左右さいうかへりみては、どくのない毒語どくごはなち、

うまいもんでせう、加瀨かせくんにもよくをしへてやるんですよ、ぼく多年たねん經驗けいけんから歸納きなう[Pg 350]した結果けつくわですから、一々いち〳〵的中てきちうします」

自慢じまんした。たびごとにおらくうへ加瀨かせ秘密ひみつも、面白おもしろさうにはなして、多少たせうのお景物けいぶつまでへる。「おらくことは、もう加瀨かせ先生せんせいちやんと﹅﹅﹅﹅一人ひとり呑込のみこんでる、おれが見込みこんだらどんなをんなでもいやとははせんと、自分じぶん確信かくしんしてるんです」とか「貴下あなたのこともよくれいいて、あのをとこはとてもをんなかれりやしないとつてる」とか、調子てうしつて喋舌しやべる。

このをとこられて、わたしはおらくうちへもつた。おらく從姉いとこ二人ふたり徒士町おかちまちある小役人こやくにんの二かいりて自炊じすゐをしてゐる。遞信省ていしんしやうをんな判任官はんにんくわんで十二三ゑん月收げつしうがあるらしい。

わたしたづねたときは、おらく役所やくしよからかへつて、はかまたゝんでゐた。部屋へやひろくないのに、簞笥たんす鏡臺けうだい針刺はりさしや、諸道具しよだうぐ一通ひとゝほそろつてゐるのだから、非常ひじやう窮屈きうくつだ。小形こがたひくつくゑうへには加瀨かせ編輯へんしう婦人ふじん雜誌ざつし貸本屋かしほんや小說せうせつのつてある。

[Pg 351]小山こやま餘程よほど懇意こんいだとえて、いきなり﹅﹅﹅﹅胡床あぐらいて、「おい、おらくさん、今日けふ加瀨かせかはりに須崎すさき先生せんせいれてたよ、御馳走ごちさうしないか」とつた調子てうし、おらくはあまり馴々なれ〳〵しくもなく愛嬌あいけうらず、初々うい〳〵しくわたし挨拶あひさつをした。わたしはろくにくちかず、たゞ小山こやま喋舌おしやべりとおらく擧動きよどう注目ちういしてゐた。このをんな田舎ゐなかには兩親りやうしんがあるのださうだが、何故なぜ歲頃としごろになつて結婚けつこんもせず、こんなふうらしてゐるのだらう、加瀨かせあいしてゐるとつて、それがどのくらゐ進行しんかうしてゐるのだらう、小山こやまからいたゞけではちぬことがおほい。

小山こやままどしきゐこしけ、ひざかさねて貧乏搖びんばふゆるぎをしながら、

今夜こんやねえさんは何處どこかへつたのかい」

「えゝ、一寸ちよつと道寄みちよりしたのよ、もうかへるでせう」

かへつたらんなで散步さんぽしようか」

わたし散步さんぽなんかいやだわ」

[Pg 352]「おらくさんは消極的せうきよくてきだからいかん、もつと活潑くわつぱつにハキ〳〵しなくちや駄目だめだよ」

「さうですかねえ」と、おらく不愛相ぶあいさうふ。そしておちやんで、あと几帳面きちやうめんすわつて身動みうごきもしない。

今日けふはおらくさんはどうかしてるね、加瀨かせれてんから不平ふへいなんぢやないか」と、小山こやまひやかすやうにつたが、おらくなんともこたへず、すこ俯首うつむいて、ひざうへ指先ゆびさきをいぢつてゐる。

過日こなひだ加瀨かせ何處どこかへ散步さんぽしたさうだね、あのときらくさんがこんなことつてたつて、みんなぼくはなしたよ、それでね加瀨かせ近々きん〳〵うちつとつてしきりに準備じゆんびをしとる。おらくさんのためにもしゆくすべきことだね、二かいりをしてお役所やくしよがよひなんかしないでもいゝんだから」と、小山こやま相手あひてかほいろには無頓着むとんちやくふと、おらくはツンとして、

小山こやまさんは何時いつひと馬鹿ばかにしとるのね」

何故なぜぼくはおらくさんには敬意けいゝはらつてるから、その幸福かうふくのために盡力じんりよくしてるんぢ[Pg 353]やないか」

「もう澤山たくさん!」

「ぢやそのはなしそう」と、小山こやまわたしはうき、「きみ近々きん〳〵大久保おほくぼであのくわいをやらうぢやありませんか、そのときやおらくさんも是非ぜひでよ、このひとうち演藝會えんげいくわいをやるんだから、ぼくが一しよきやねえさんもなんともやあしないだらう」

わたしもう何處どこへもかないわ」

「だつて須崎すさきくんうちならいゝぢやないか、このひとぼくにも加瀨かせくんにも親友しんいうだし、大變たいへん學者がくしやだから。こんなこはかほをしてるけれど、これでかる面白おもしろひとだよ、時々ときどきあそびにつて御覽ごらん二人ふたり長唄ながうたでもうたつて陽氣やうきにやるも、加瀨かせくん差向さしむかひでニヤリ〳〵わらつてるよりやいゝよ」

わたし退屈たいくつして苦笑くせうして、「もうかへらうぢやないか」と小山こやまうながした。

小山こやま容易よういかへらうともせず、「ねえさんはどうしたのだらう」と氣遣きづかつてゐたが、しば[Pg 354]らくすると無斷むだん階下したりた。だれかと高聲たかごゑはなしてゐる。

わたし窓際まどぎはへすりつて、正面まともにおらくた。以前いぜん加瀨かせ宿やどときよりは、すこいろわるもあのときほどえてゐない。

小山こやまくんはよくるんですか」

「えゝ、一にちぐらゐらつしやるんですわ」

なにをするのです、あのひと面白おもしろいでせう」

「えゝ、お喋舌しやべりばつかりして」と、まゆひそめて、さも不愉快ゆくわいさうだ。

「あれほど毒氣ゞくけのない秘密ひみつのないをとこもない、だからんなにかれるんです、加瀨かせなんかもあのひとにはなにもかも打明うちあけるとえて、ぼくのやうなながあひだ友人いうじんらんことまで小山こやまくんつてゐます」

「ですけど小山こやまさんにだつて、秘密ひみつはあるでせう、人間にんげんれにだつて秘密ひみつはあるんですもの」と滅入めいつたこゑだ。

[Pg 355]「さうですかねえ、しかし小山こやま加瀨かせ秘密ひみつといつて、たかがきつと情婦いろをんなこしらえとくくらゐのことだらう」とひやゝかにわらつて、殊更ことさら侮蔑ぶべつするやうな目付めつきでジツと相手あひてた。それがおらくには身震みぶるひするほどかんじをあたへたらしい。つツとつて階下したりた。わたしあと見送みおくつて姿すがたのいゝをんなだとおもつた。すくなくもおしづよりは生々いき〳〵してゐる。そして小山こやまふやうにこのをんな加瀨かせこひしてゐるとおもふと、なんとなく不愉快ふゆくわいへんかんじがする。

しばらくしてわたし階下したりた。小山こやま緣側えんがはふとつたをんなひそかになにかたひ、おらく長火鉢ながひばちまへ夕刊ゆふかん新聞しんぶんみながら、橫目よこめでそのはう偸見ぬすみゝしてゐた。

「あれはれだ」と、かへみち小山こやまくと、

「おらくあねさ」と、簡單かんたんこたへて、何時いつものお喋舌しやべりつゞけない。

「おらくめうをんなだね、」

「あれも馬鹿ばかいてるときと、めうひねくれ﹅﹅﹅﹅ときとある」

[Pg 356]このからおらくわたしあたまひとつのわだかまりとなつてのこつた。なつかしくもゆかしくもおもふのではないが、たゞ一二年前ねんぜんしづわかれて以来いらいわたしれいのない一しゆのインテレストを惹起ひきおこしたのだ。何故なぜだらう、わたしはおらく加瀨かせこひ疑問ぎもんいだいてゐるので、その經過けいくわたいとおも好奇心かうきしんから、らず〴〵おらくわたしこゝろらなくなつたのだらうとおもつた。で、おらくもつと﹅﹅﹅打解うちとけてはなして、あの淺薄せんぱく加瀨かせがどんなふうをんなこゝろうつつてゐるか、眞相しんさうさぐつてたいが、容易ようい懇意こんいにはなれぬ。

このしばらくわたし土州橋としうばしわたることがしげくなつた。それにつれて財政ざいせい平調へいてうやぶれた。

(八)

大久保おほくぼ躑躅つゝぢいてひと出入でいりおほくなつた。わたしうちへも來客らいきやくおほい。わたし財囊ざいのう缺乏けつばふかんじて、内職ないしよく原稿げんかうかせぎでもしようかとおもつてゐたが、手近てぢかところさばぐちがない。加瀨かせたのむのはいやだ。駈廻かけまはつて面識めんしきあさひと嘆願たんぐわんするのもあさましいがす[Pg 357]る。まだ二十七さいわか身空みそらで、あふ幻影まぼろしもなく、たゞ刻々こく〳〵肉慾にくよくたさんがために、わづかのかねもとめてゐる自身じゝん可笑おかしくかんぜられた。

或日あるひ加瀨かせ小山こやまとが躑躅つゝぢかへりに立寄たちよつた。加瀨かせくちびる臙脂べにをさしたやうにあかい。しろほそながゆびきいろい指環ゆびわめてゐる。

此頃このごろ徒士町おかちまちへよくくかね」と、わたし加瀨かせるとぐにうた。

ぼくよりや小山こやまくんはうがよくく」と、加瀨かせはニヤリ〳〵わらふ。

きみもよくくぢやないか、しかしね須崎君すさきくんきみ徒士町おかちまちであまり評判ひやうばんがよくないよ、なんだか意地いぢわるさうなひとだとつてる、ぼくしきりに辯護べんごするんだけど」

「さうかねえ、こまつたものだねえ」

きみわざつ﹅﹅﹅をんな侮蔑ぶべつするやうな態度たいどるからさ、やさしくさへすればをんなよろこんでる、きみくだらないとふだらうが、それでをんなもてあそんでりや、面白おもしろいぢやないか」と加瀨かせめづらしく氣焔きえんく。

[Pg 358]きみ小山こやまくんくち眞似まねをするやうになつたね、ぼくきみこひ眞面目まじめなんかとおもつてたのに、ぢや浮氣うはきなんだね」

浮氣うはきでもない、それがこひ本體ほんたいさ。せつぱつまつたやうなこひ駄目だめだからね、餘裕よゆうのあるこひでなくちやぼくはいやだ。面白味おもしろみ其處そこにある」

きみ進步しんぽしたもんだね」と、わたし加瀨かせがこのうち同居どうきよしてゐた時分じぶん追想つゐさうした。いまれのは、邪推じやすゐらぬがわたしあはれむやうにえる。

なにしろ加瀨かせくんかねがあるからかなはない。ほかてんではあえて一ゆづらんがね」と、小山こやま歎息たんそくした。

加瀨かせ勝利者しやうりしやごとわらつて、「このひといまこひくるしみをしてるんだよ」

わたしかさねてかうともしなかつた。加瀨かせ拍子ひやうしけがして、よこいて小山こやま小聲こゞゑはなした。

徒士町おかちまちあねはう夜遊よあそびをするさうだ、あのうち妻君さいくん皮肉ひにくつてたがかゝ[Pg 359]るよ、以前いぜん隨分ずゐぶんはくのあつたをんならしいからね」

はや結婚けつこんしてしまへばいゝぢやないか」

ところうまくさういかんよ、いざとなるとげてしまうし」

いもうととはちがうね」

いもうとだつてわかるものか」

「ハツ〳〵、きみをんながない、いもうと純潔じゆんけつなものだ、役所やくしよはうでも評判ひやうばんがいゝし、あんなになまけないではたらいてるんだもの、そだちがいやしいのに似合にあはず、あれだけに仕上しあげたんだからね、」

きみ成功者せいこうしやだが」と、小山こやま溜息ためいきいた。

小山こやまくん婦人學ふじんがく理論りろんのみだね」と、わたしよこからひやかすと、小山こやまは「さうでもないさ」とつて、グツタリくびれた。その樣子やうす可笑おかしくてならぬ。

しかし小山こやましづんだ調子てうしもなくえて、にぎやかな世間せけんばなしとなつた。

[Pg 360]彼等かれらひとしきりさわいで、ランプをつけるころかへつた。徒士町おかちまちかうと二人ふたり約束やくそくして、わたしをもさそうたが、わたしはそれにおうじなかつた。

夕餐ゆふめしをはると戶外そとた。無意味むいみ散步さんぽして、散步さんぽしながら加瀨かせ小山こやまとが徒士町おかちまちの二かいたはむれて現拔うつゝぬかしてゐるさまおもうかべた。二人ふたりとも年中ねんぢうきもせずにあそんでゐる。加瀨かせやつ仕事しごと愉快ゆくわいだとふ。やがて雜誌ざつし主任しゆにん昇進しやうしんするさうだ。案山子かゝしにフロツクコートをせたやうなをとこ通用つうようするなかだとおもふと可笑をかしいと、わたしいてあざけつて冷笑れいせうしてやつた。

はなつて靑葉あをばやはらかかぜそよいでゐる。のきランプもない薄暗うすぐらわたしいへまへには、子供こども大勢おほぜいさわいでゐるのがきこえる。

わたし小徑こみちを五六ちやう行戾ゆきもどりして、いへそばまでると座敷ざしき障子しやうじ燈火あかりうつつてゐる。してはずだが、れかきやくでもたのかと、多少たせうゝれしかつた。

座敷ざしきあがつてると、おしづ片隅かたすみ兩袖りやうそで搔合かきあはせてすわつてゐる。矢張やはりかほあをくちびる[Pg 361]いろせてゐれど、このまへほどいやかんぜられなかつた。

また日本橋にほんばしつたといてたが、まだるんだね」

「まだ身體からだがよくなりませんから、……どうせ駄目だめなのですから」と、こゑえせずいやおんだ。

けれどわたしはあまりにくまれぐちかなかつた。ひややかしもしなかつた。かつわたしてゝ他所よそつたこのをんな火鉢ひばちへだてゝ差向さしむかひで、夜更よふけるまで物語ものがたつた。下手へたうそつてるなと折々をり〳〵こゝろあざけりながら、をんな苦勞くらうばなしいてやつた。

(九)

その翌日よくじつあさはや出勤しゆつきんまへ豐島とよしまからのハガキがいた。「午後ごゞ學校がくかうたづねてくからまつてゐてれ」と鉛筆えんぴついてある。どうせろく用事ようじでもあるまいとおもつたが、べつ歸宅きたくいそぎもせぬから、わたし同僚どうれうみな引擧ひきあげたあと居殘ゐのこつて、この宿直しゆくちよく長沼ながぬま土臭つちくさ番茶ばんちやすゝりながらはなしをしてゐた。長沼ながぬまわたしよりもなゝ年上としうへで、子供こども[Pg 362]二人ふたりもあるのに、月給げつきうかへつわたしよりもすくなく、生計くらしには隨分ずゐぶん苦勞くらうしてゐるのだが、人間にんげんが一ぷうかはつてゐて、敎場けうぢやうとり眞似まねをしたり、めう身振みぶりをして生徒せいとよろこばせてゐる。同僚どうれううちでは一ばんわたしはなしはうだ。

今日けふぼくあさんざ失敗しくじりましたよ、晚酌ばんしやくをやりすごして下讀したよみなまけたもんだから、くだらんことで間違まちがひを仕出しでかして、生徒せいとやつうん﹅﹅あぶらられました。そのうへ校長かうちやう先生せんせいから手嚴てきびしい忠吿ちうこくひましてな、敎場けうぢやう飄輕ひやうきん眞似まねをしちやならん、敎場けうぢやう神聖しんせいところだからくまでも眞面目まじめでなくちやならんと懇々こん〳〵說諭せつゆされて、イヤハヤ面目めんぼくもない次第しだいですよ、しかし飄輕ひやうきんだからまだ、わたしみやくがあるんですが、これで御說諭ごせつゆどほ辛蟲にがむしかみつぶした間違まちがひをやつてたにや、生徒せいとはう承知しやうちしません、校長かうちやう先生せんせい殘酷ざんこくなことをまをされるもんです、」と長沼ながぬま安値やすきざみ煙草たばこひながら眞面目まじめふ。

「けれどきみ間違まちがひをけるだけ眞面目まじめなんです、それだけ正直しやうじきなんだ、たか[Pg 363]丁年ていねん未滿みまん子供こどもぢやありませんか、口先くちさきでうまひまるめりやいゝんですよ」と、わたしこともなげにふと、

「まあそんなものですがね」と、長沼ながぬまはヒツ〳〵とあぢのないわらかたをして、「わたしはどうも敎育けういくだけはほかこととはちがつてる、たつとものだとおもうのでしてな、生徒せいとかほると、忠實ちうじつによくをしへてやりたいすこしでもはや學業がくぎやうすゝむやうにみちびいてやりたいとおもうんですが、其處そこがそれ、わたし學識がくしきらんもんですからな、どうも不行屆ふゆきとゞき汗顏かん〴〵いたりにへんわけです、とつて辭職じゝよくすればほか糊口くちすぎみちがあるぢやなし」

「それだけ眞面目まじめなら貴下あなた立派りつぱ敎師けうしです、すこぐらゐ誤謬ごびやうつたへようと、飄輕ひやうきん眞似まねをしようと差支さしつかえないさ、ぼくなんか少年せうねんあいするもないから、はじめから敎授けうじゆはいつたことはないのです」

「そりやきみ子供こどもがないからですよ、自分じぶんがあつてりや、他人たにん矢張やはり可愛かあいい、よく敎育けういくしてやりたくなりますよ、なに經驗けいけんだ、まあつて御覽ごらんなさい、[Pg 364]なかがらり﹅﹅﹅かはつてますからね」

つと敎場けうぢやう飄輕ひやうきん眞似まねをして、生徒せいと御機嫌ごきげんるやうになるんですね」とわらふと、長沼ながぬま苦笑くせうして、

「まあ、そんなものさねえ」とつて、風呂敷ふろしきなかから講談かうだんの「佐倉さくら義民傳ぎみんでん」を取出とりだし、「今夜こんやはこれをおぎで宿直しゆくちよくするのだ」と、つくゑうへひろげて小聲こゞゑした。言分いひぶんらぬのか、もうわたし相手あひてにしない。しばらくして豐島とよしま下駄げたのまゝ敎員室けうゐんしつはいつてた。わたしほん﹅﹅型式的けいしきてき長沼ながぬま紹介しやうかいした。豐島とよしまは「今日けふ馬鹿ばか蒸暑むしあついぢやないか」と、あはせそでひたひあせぬぐふてをパチクリさせ、それから一りんはなも一ぷくもない薄汚うすぎたな敎員室けうゐんしつ見渡みわたした。

なに急用きふようか」と、わたしはうからふた。このをとこなんでもないことに、さも急用きふようのあるらしく、あわただしさうにたりはいつたりするをとこだが、今日けふもそのかほつき大事だいじひかへたひとともえぬ。

[Pg 365]ぼく辭職じゝよくした」と、豐島とよしま大聲おほごゑ簡短かんたん明瞭めいれうつた。

「さうか」とつたきり、わたし折返をりかへして理由りゆうきもしなかつたが、長沼ながぬま片手かたて書物しよもつおさへ、ヂロ〳〵豐島とよしまかほて、聞耳きゝみゝてた。

ぞくことかにやらんのだから、しやくさはつて、ぼくはうからてしまつた。もうむかうからたのんだつて、あんな仕事しごとをやりやしない」とひとりでりきんだ。

「それもいゝさ、きみにはあんな俗務ぞくむ不適當ふてきたうだからな、これからきみ本音ほんねして活動くわつどうするさ」

「むん、………それからきみにおねがひだが、當分たうぶんきみうちいてれんか、迷惑めいわくだらうが」とすこ言淀いひよどんだ。

ぼくうちにか」と、わたし躊躇ちうちよしたが、「ぢや來玉きたまへ、今夜こんやからでも」

有難ありがたう、二三うち荷物にもつつてく、そうすりやぼく安心あんしんして活動くわつどう出來できる」とつて、豐島とよしまふたゝ室内しつない見渡みわたした。夕日ゆふひはガラスまどとほして、ほこりふのが[Pg 366]える。

長沼ながぬまみづからつて澁茶しぶちやんで、豐島とよしままへいた。豐島とよしま一息ひといきして、

此處こゝきたな學校がくかうだね、しかしきみのやうな熱烈ねつれつ人間にんげんれてるんだから、校長かうちやうもえらい」

(十)

前夜ぜんやわたし物好ものずきにやさしい素振そぶりせたので、おしづはもう以前いぜん燒木杭やけぼつくひふたゝもえあがつたになつて、せつせとちかづいてたが、わたし最早もうくさつた菓實くだものぐやうで、おもはずかほそむけたいほどになる。そして「調しらものがある」とか、「金儲かねもうけをしてるんだから當分たうぶんれるな、そのかはり一二ねんつてりや、おまへきなことをさしてやる」とかつて、追退をひのけるやうにした。もなく豐島とよしまが、しててからは、おしづとほざけるに都合つがふがよくなつた。

豐島とよしま柳行李やなぎかうりつくゑとの總財產さうざいさん持込もちこんだ。なに著述ちよじゆつをしてゐるようであるが、大抵たいてい[Pg 367]外出ぐわいしゆつして夕方ゆふがたうてかへることがおほい。かへつての土產みやげばなしには俗物ぞくぶつ同情どうじやうすべきひととの消息せうそくつたへる。れの世界せかいはハツキリこの二しゆ人間にんげん分類ぶんるゐされてゐるので、かの長沼ながぬまごときはぐにその同情どうじやうされるひととなつた。「きみ、あのをとこ保護ほごしてやりたまへ」と、度々たび〳〵こゝろそこからわたしたのむことがある。またれの崇拜者すうはいしやもあつて、折々をり〳〵たづねてて、夜更よふけるまで熱烈ねつれつ議論ぎろんたゝかはされる。

社會しやくわい反抗はんこうするのもいゝが、そのまへ生活くらしはふぐらゐかんがへとかうぢやないか」と、わたし注意ちういすると、

「なあにぼく一人ひとりだ、生活せいくわつなんかかんがへる必要ひつえうはない、ぼくへなけや放浪はうらうする、みづばかりんでゝも、すだけのことはしてせる」と取合とりあはぬ。

「ぢや何時いつかの俗化ぞくゝわ主義しゆぎはおめだね」

めざるをないんだ、きみもどうせれられんのだから、放浪はうらう生活せいくわつをしろ、ぼくと一しよにやらう」

[Pg 368]きみから經驗けいけんして見玉みたまへ、面白おもしろけりやぼくもやるよ」

そしてれは繩暖簾なはのれんをくゞつて、泥醉でいすゐのち突如とつぢよとして汗臭あせくさ勞働者らうどうしやうでにぎり、その硬張こわばつたひら熱淚ねつるゐそゝぎ、「ぼくきみ兄弟きやうだいだ」とさけんで、周圍まはりきやくおどろかすこともあるが、かれ自身じゝんあえてそのきな放浪はうらう無宿むしゆくひとともならぬ。鶴嘴つるはしたうともせぬ。わたしいへによくて、よくみよくつてゐる。

つにつれて、收入しうにふの一ていしたわたし財政ざいせい次第しだい窮境きうけうおちいる。豐島とよしまのためにもみだされたのだ。しかしれはわたししんつてゐる。わたし迷惑めいわくなどは微塵みぢん念頭ねんとういてゐない。「こまつたら二人ふたり放浪はうらうするさ」と、放浪はうらうゆめゑがいてせるが、わたしにはそれがなん興味きようみもない。れは放浪はうらう流離りうり薄命はくめい文字もじてすらむねおどらすであらうが、わたしにはつやにほひもないくう文字もじたるにぎぬ。それでれが無職むしよく貧民ひんみん無理强むりぢいに交際かうさいむすび、彼等かれらかいがた氣燄きえんいてたのしみとしてゐるあひだに、わたし小山こやまひ、加瀨かせぱいうはさいて、ねむつたこゝろさましてゐた。

[Pg 369]

(十一)

豐島とよしま同居どうきよ以來いらい小山こやま前程まへほど繁々しげ〳〵たづねてぬ。豐島とよしまきらつてか、戀事いろごとせわしいためかであらう。わたしはこのひとばかりはひたくなるので、或日あるひ學校がくかうかへりに立寄たちよつたが、あさからかへらぬさうだ。

わたし失望しつばうした。しばら上野うへの電車道でんしやみちつて、何處どこかうかとかんがえた。そしてとがらせて停留場ていりうぢやうあつまつてゐる數多あまた男女だんぢよてゐたが、ほそながかほまるかほみな夕日ゆうひびて、あせほこり鈍染にじみ、つかれたいろをしてゐる。ひさしくあめそらえぬいろをして、その一ぱうきいろくにごつてゐる。とゞかぎ生氣せいきえぬ。若々わか〳〵しいいろもない。

わたし屈託くつたくした。

その揚句あげくふとおらくたづねるになり、徒士町おかちまちあしけた。おらくには小山こやまのおともで二三つたきりでしたしくないのみか、わたしはあのをんなはゞかられてゐるのだ。しかしそ[Pg 370]はゞかられてゐるところおしかけてくとふことが、わたしんだこゝろ刺激しげきして多少たせう活氣くわつきいてる。

威勢ゐせいよく格子戶かうしどけて、宿やど妻君さいくんに「小山こやまさんはてゐませんか」とくと、「いまらしつてぐおかへりになりました」といふ。

「ぢやおらくさんは」

「ゐらつしやいますよ」

わたしはそれだけいて、無遠慮ぶえんりよにつか〳〵二かいあがつた。おらく俯首うつぶしになつて手紙てがみんでゐたが、あはてゝ居住ゐずまひをなほして、わたし見上みあげげた。ニコリともせず澁々しぶ〳〵座蒲團ざぶとんした。

小山こやまくんてるかとおもつて」と、わたし言譯いひわけをして、わざとやさしく馴々なれ〳〵しいふうをして、「どうです、ぼくうちへもあそびにませんか」

「はあ」と、をんな手紙てがみいて封筒ふうとうれた。小山こやまうはさ加瀨かせはなしと、つとめて相手あひて[Pg 371]さそつても、むかうからつてない。ほこり吹寄ふきよせるかぜいとうて障子しやうじ締切しめきつてあれば、ふゆ洋服やうふく着用ちやくようわたしには暑苦あつくるしくて窮屈きうくつだ。で、物好ものずきにこんなところにゐるにもあたらぬとおもつたが、今日けふ不思議ふしぎこしすわつてうごかない。

わたし加瀨かせ結婚けつこんするまへに、不意ふいにこのをんなうばつて、加瀨かせはなかせたら面白おもしろからうとおもつた。小山こやまやその叔母をば從妹いとこまへならんで、加瀨かせにぶ神經しんけいおどろかしてやりたい。わたし嫉妬しつとからかうおもふのではない。たゞわたしにはいまでもポンチえる加瀨かせに、自分じぶん自身じしんをそのやうにかんじさせてたい。

そしてをんな口說くどくになん苦心くしんらう、失敗しつぱいづるわたしではない。他人たにん後指うしろゆびにするわたしではない。かねて電車でんしや飛下とびおりるくらゐ冒險ばうけんさへすれば、是非ぜひはせず、をんなものしんじてゐるのではないか、かつておしづにぎるだけで充分じふゞんであつた。かうおもつたが、おもふほど尙更なほさらくち活動くわつどうしなかつた。

らく女學ぢよがく雜誌ざつしした。むよりも屛風びやうぶがはりにしてわたし視線しせんけるのかも[Pg 372]れぬ。わたしは「なに面白おもしろいことがいてありますか」と、雜誌ざつしひつたくるやうにつて、ひるがへしてた。表紙ひやうしうらに「△△女史ぢよしていす」といて、した加瀨かせ雅號ががうがある。おらくうらめしいかほつきをした。

「△△つて貴女あなたですか」と、わたしひやかすやうにつて、ジツとその文字もじ見詰みつめてゐたが、フイとおらくうつすと、おらくなみだたゝえてゐる。

なに御用ごようがあつて被入いらしつたんですか」と切口上きりこうじやうふ。

「えツ、べつ用事ようじもないんです」と、わたしおどろいてつた。

「ではなにしに被入いらしつたのです」と、わたしから雜誌ざつし奪返うばひかへし、表紙ひやうし引裂ひきさちかられてまるめながら、「貴下あなただつて加瀨かせさんだつて、わたし調戯からかいに被入いらつしやるんだわ、」

何故なぜ! そんなわけはないぢやありませんか、小山こやまくんかくぼく加瀨かせにそんな惡意あくいはないさ、こと加瀨かせ貴女あなた敬意けいゝひやうしてるんですもの」

加瀨かせさんとかゞうなすつたつて、わたしちつとも係合かゝりあひはありませんわ」と、おらく[Pg 373]なみだぬぐつて、「なに面白おもしろくつて、みなさんは五月蠅うるさわたしうち被入いらつしやるんでせう、わたしねえさんのやうに惡戯ふざけたお相手あひて出來できませんから、わたし一人ひとりときには、もう何方どなたもおくださらぬやうにおねがまをします」と、きつとした口調くてうつた。

わたし多少たせうきまりがわるくないでもなかつたが、それよりもこのをんな不思議ふしぎかんじて、なほたうとはせぬ。

「そんなに我々われ〳〵きらはなくつてもいゝでせう、なに事情じゞやうがあるんですか」と、わたし微笑びせうしながらしづかにつた。

らくしばらくだまつてゐたが、きのむごい﹅﹅﹅言葉ことばどくかんじたのか、きふやさしい聲音こはねで、「此頃このごろ身體からだ加減かげんですか、人樣ひとさまにぎやかなおはなししますのが、なんだかつらいんですから、いつはじめからおにかゝらんはうがいゝとおもひますわ」

「さうですか、東片町ひがしかたまちへもあまりかんのですか」

「えゝ。ちつとも、何時いつ歌留多かるたくわいがあつて、貴下あなた被入いらしつたときまゐりましたきり、[Pg 374]あのは一うかゞひませんの、」

「だがあの連中れんぢうはよく此家こゝるんでせう」

「はあ、………あの方逹かたゝち何故なぜあんなおはなしばかりなさるんでせう、雜誌ざつしにおきになつてることゝはまるちがつてますのね」おらくかほこゝろ落付おちついたやうだ。で、身體からだしなやかにげて、雜誌ざつし默讀もくどくしてゐたが、また起直おきなほつて雜誌ざつし指先ゆびさきでいぢくり﹅﹅﹅﹅ながら、「貴下あなた學校がくかう先生せんせいをしてらつしやるんですつてね」

「さうです、ちいさい私立しりつ學校がくかう敎師けうしだから、月給げつきうやすいし、加瀨かせのやうに贅澤ぜいたく出來できません、これで十ねんぢかくも苦學くがくして、こんな境遇けうぐうですからね………だが、貴女あなた何故なぜ二人ふたりつきりで部屋へやりをして、役所やくしよがよひなんかしてるのです、もつと小山こやまくんからは貴女あなたことをよくいてるけれど」

小山こやまさんがなにつたつててになるものですか、あんな淺薄せんぱくひと」と卑下さげすむやうにつて、「わたしどうかして一じつはやあねわかれて、一人ひとりくらしたいとおもひます、」

[Pg 375]こゝろぼそいことをひますね、なにかんがへがあるんですか」

をんなでも學問がくもんしなくちやなりませんわね、わたしなんか小學校せうがくかう卒業そつげふしたばかりですから………」

「それで澤山たくさんさ、橫文字よこもじならふよりや三味線さみせんでもならつたはうをんならしくていゝ」

「ですけど、わたしちいさときから三味線さみせんなんかならつたのを後悔こうくわいしますわ、なんだかはやわすれてしまひたいやうながしますのよ」と、邪氣あどけないふうえる。

そしてわたし學校がくかう敎師けうしであるためか、わたしむかつて女子ぢよし學問がくもん方法はうはふ西洋せいやう音樂おんがく硏究けんきう順序じゆんじよ質問しつもんした。明治めいぢ女子ぢよし心掛こゝろがけ、あたらしい家庭かてい道德だうとくなど、女學ぢよがく雜誌ざつしからたとおもはれる問題もんだい提出ていしゆつして、漢語かんごまじりでわたし解答かいたふうながした。こんな問題もんだいならさぞ﹅﹅加瀨かせには興味きようみがあるであらうが、わたしみゝにはノンセンスだ、で、いゝ加減かげん返事へんじをして、「休日きうじつわたしうちへおでなさい」とつて、戶外そとた。

うちかへると、豐島とよしま垢染あかじみた單衣ひとへ肱枕ひぢまくらころんでゐたが、わたしると、あを[Pg 376]かほ持上もちあげて、「今日けふはいやな天氣てんきだからあたまおもい」と、くちをもが〳〵させた。

さけまんからだらう」

「うん、かねがないから」

意氣地いくぢがないね」

すこつてたのを、いま乞食こじきにやつちまつた、………今日けふまたあのをんなたよ、あをかほをんなが、めうやつだね、なにをしにるんだらう、きみはどうしてつてるんだ」

以前いぜんこのとなりんでたのだ、あれのおふくろめしいてもらつたこともある、なにつてたか」

「いや、かへつちやつたが、あはれつぽいをんなだね、ぼく同情どうじやうする」

このれは豪語がうごかず、古行李ふるかうりけてかびへた浴衣ゆかたそで千切ちぎれた綿入わたいれ古雜誌ふるざつし古書物ふるしよもつ引出ひきだして整理せいりしてゐた。わたし散步さんぽがてらおしづうち周圍まはり迂路うろついて、うちものぬすんでおしづ引出ひきだした。鈍色にぶいろくもほしかくれ、をんなかほはつきり﹅﹅﹅﹅[Pg 377]えなかつたが、わたしかほようともせぬ、こゑきたくもない。そしてひるたおらくやわらかいはだえ黑闇くらやみうちおもうかべながら、おしづそでれ、おしづいきれてゐた。

そのも二三しづつた。つたのち何時いつ不快ふくわいかんへぬので、豐島とよしまむかつて、「彼女あれまたたら追拂おつぱらつてれ、性質たちわるをんなだから」とたのんでく。しかし豐島とよしまは「同情どうじやうすべきをんな」とめてしまつて、わたし留守るすにも座敷ざしきとほしてむつまじくはなしをするやうになつた。

(十二)

てにもしないが、萬一まんいちらくわたしたづねてるかもれんと心待こゝろまちにすることもあつた。小山こやま十日とをかかほせぬ。

そのうちぐわつれる。わたし豐島とよしま同居どうきよ影響えいきやうして、月末げつまつはらひにこまつた。豐島とよしまきみ苦樂くらくともにするとつて、よごれた衣服きもの賣飛うりとばしたが、それが幾何いくらにならう。で、[Pg 378]いつるに甲斐かひなきいへたゝんで下宿げしゆくをしようか、豐島とよしま追出おひだ口實こうじつにもなるし、それにおしづるに都合つがふもよしとおもひ、そろ〳〵安下宿やすげしゆく捜索さうさくはじめた。或日あるひ散步さんぽねて宿やどさがすつもりで、電車でんしやつたが、おもひがけなく向側むかうがは小山こやまがゐて、突如だしぬけに、「きみ大變たいへんへんこと出來できてね」と、くちとがらせてつた。

「そうか」と、わたしなに仰山げふさんさうにとこゝろではおもつてゐた。

徒士町おかちまち美人びじん二人ふたりともゐなくなつたよ、あのうちいても何處どこにゐるかわからないんだ、それに役所やくしよへもかんらしいよ、餘程よほどへんだよ」

「だがきみらせんとは不思議ふしぎだね、きらはれたのか」

どうだかね、此頃このごろいたのだが、あねはう隨分ずゐぶんはくのあるやつで、いろんなをとこ關係くわんけいしてたやうだがね」

きみもその一人ひとりぢやないか」

「だつてぼくすこしもかねつかはんからいゝさ」と、とぼけたかほをする。

[Pg 379]加瀨かせ失望しつばうしてるだらう」と、わたし加瀨かせ悄氣しよげ樣子やうす想像さう〴〵してひやゝやかにわらつた。

「いや、あのをとこはそうでもない、あんなをんないくらもあらあとすましてゝ、此頃このごろしきりに品川しながは鳥屋とりやかよつてるよ」

と、つて、大聲おほごゑわらつて電車でんしやりた。

わたしはおらく行衞ゆくゑ不明ふめい愉快ゆくわいにもかんじたが、また何處どこつてなにをしてゐるかりたくもおもつた。をさへがたき一しゆ好奇心かうきしんられて、わざ〴〵徒士町おかちまち舊宅きうたくたづねたが、妻君さいくん猜疑さいぎわたして、「ぞんじません」と卒氣そつけない返事へんじをして、とりつくしまもない。そのうちわたしわづかの家財かざい賣拂うりはらつて、こつそり﹅﹅﹅﹅いち下宿げしゆくうつつた。豐島とよしまべつ不平ふへいはずからつぽの古行李ふるかうり古机ふるづくゑとをつてつた。豐島とよしまにははなれ、むを些少させう借金しやくきん片付かたづき、おしづには住所じうしよらせねば、むかうからたづねることも途絕とだえ、わたし以前いぜんごとしづかなおくり、たゞ小山こやまとのみ往來わうらいして、加瀨かせうはさ靑年せいねん消息せうそくかたつてはひやかしたりあざけつたりしてよろこんでゐた。箱崎町はこざきちやうがよひももととほり。

[Pg 380]平坦へいたんれて平坦へいたんける。煙草たばこんでいく時間じかんすごすこともおほい。痴鈍ちどん長沼ながぬまにもわたし不思議ふしぎえたのか或日あるひ敎員室けうゐんしつで、

きみ田舎ゐなかいへがあるんだから、敎師けうしなんかしないで、田舎ゐなかかへつたらいゝぢやないか」と眞面目まじめでいつた。

ぼく田舎ゐなかおもしてもぞつ﹅﹅とする、これで東京とうきやうればこそ、れがなうとわづらはうと、いぬねこ同樣どうやうてゐられるんだが、田舎ゐなかはそういかんからね」

語調ごてうするどかつたのか、長沼ながぬまわたし見上みあげて呆氣あつけられてゐたが、

ぼくはまだ老人らうじんでもないが、生活くらしちや田舎ゐなか引込ひつこんで氣樂きらくおくりたいとおもふ、きみたち都會とくわいにゐたがるのは、まだ一苦勞くらう經驗けいけんせんからだ」

十八番おはこはじまつたね」

と、わたしれい敎員けうゐん尻目しりめにかけた。長沼ながぬま腕力わんりよく俸給ほうきう智識ちしきわたしおよばぬが、たゞ年齡ねんれいおいて一じつちやうがあるので、どうかすると、「きみわかいからねえ」とか「まだ經驗けいけん[Pg 381]らんから」とかつて、わづかにあはれなる自己じこ主張しゆちやうしてゐる。

わたし或時あるとき長沼ながぬまのためにあらそつた。校長かうちやうれを無能むのうとして排斥はいせきしかけたのをさへぎり、れのためこぶしにぎいからせて辯護べんごした。わたし意見いけんもちひられて無事ぶじおさまつたが、返事へんじ次第しだい校長かうちやう毆打おうだせんとまで息込いきごんだのだ。長沼ながぬまわたし俠骨けふこつよろこび、下宿げしゆくなみだながらに感謝かんしやした。しかしわたしふか同情どうじやうかられを擁護えうごしたのではなくて、たゞまぐれにぎぬのであつた。退屈たいくつさましのたはむれにぎぬのであつた。

(十三)

或日あるひ小山こやまはようやく「おらく住所じうしよわかつた」と、さもほこがほわたしげた。

何處どこにゐる」

しばこくまち二十三番地ばんちさがすのにこまつたよ、學校がくかうつてたそうだがね、いまはそれどころぢやない。大變たいへんこまつてる、なんでもあねわるをとこひつかゝつたので、いもうと貯金ちよきんまでしぼられたらしいよ、それであねいもうとはなれて何處どこかへつて、おらく一人ひとりきの[Pg 382]なみだらしてらあ、いゝ氣味きびさ、ぼくだましやがつた天罰てんばつだ」

加瀨かせ保護ほごしてれるだらう」

「なあに、加瀨かせはもう結婚けつこん準備じゆんびせわしいから、おらくのことはわすれてる」

「さうか、相手あひてれだ」

「おくすぼく從姉いとこだ」

「ぢや加瀨かせきみとは親類しんるゐになるんだね」と、わたしはおくすのブク〳〵ふとつた身體からだとおチヨボぐちおもうかべながら、

加瀨かせ方々ほう〴〵いであるいたが、つまりは手近てぢかところあはすんだね、」

叔母をば不賛成ふさんせいだつたが、まあ輕便けいべんでいゝさ」

と、小山こやま利害りがい相關あひくわんせずとつたふうだ。

そのわたし久振ひさしぶりで加瀨かせ手紙てがみおくつた。

「もう結婚けつこんするさうだね、お目出度めでたう御披露ごひろうせつぼくまねいてたまへ、吉例きちれい[Pg 383]うたひくらゐうたはうよ、かくきみうらやましい、徴兵ちやうへい檢査けんさむと、苦情くじやうはずに結婚けつこんする、やがてまれるだらう、やがてきみかほしわ出來できるだらう、」

加瀨かせからの返書へんしよほゞ一尋ひとひろもあつた。つゝしんだ手跡しゆせきで、さもかんがへたらしい文句もんく滿ちてゐた。そのうち

結婚けつこん以前いぜんには、わかいをんなこと〴〵ぼくたいしてこびていしてゐるやうにおもはれたが、女房にようぼきまつてからは、全然まるで態度たいどが一ぺんしたやうにかんぜられる。ひとみそこはうひやゝかにわらひながら、おまへさんはもう駄目だめですよ」とつてゐる。におれが女房にようぼもらつたかどうだか、らずの世間せけんをんなわかわけがない、所爲せいだと安心あんしんしてるが、矢張やはりり『駄目だめだ〳〵、白羽しらは東片町ひがしかたまち屋根やねうへ』とつてゐて相手あひてにしない」と文句もんくがあつて、をはりに「きみよ、こひすべし、結婚けつこんすべからず」と、世路せろいたひとひさうな文句もんくえてゐる。

わたしかへつれに飜弄ほんろうされたやうにかんじてヂレた。れは何時いつまでも太平たいへいである。[Pg 384]だうらく仕事しごとをして道樂だうらく逹觀たつくわんしたやうな皮肉ひにくつて、そして道樂だうらくこひをし結婚けつこんもしてゐる。

で、このときれを冷笑れせうする勇氣ゆうきもなかつた。そしてこの一二三年來ねんらい反抗心はんこうしんえて、なんとなく人懷ひとなつかしくなつた。

今朝けさからの梅雨つゆ夕立ゆふだち模樣もやうになつて、むかひの屋根やねには水煙みづけぶりて、はげしいおと降濺ふりそゝいでゐるのにおそれず、宿やど飛出とびだした。小山こやま氣樂きらくはなしきたいのでもなく、おしづあをかほたいのでもなく、たゞ一圖いちづ豐島とよしまひたくなつた。れのうるんだたい、れの情熱じやうねつ言葉ことばきたい。


  正宗           定價六拾錢
     著  紅塵(三版)
  白鳥           郵稅八錢

明治四十一年十月十八日印刷   何處へ奧付
明治四十一年十月廿五日發行     定價八拾五錢
        著作者  正宗白鳥
         東京市麹町區飯田町六丁目廿四番地
  不 許   發行者  西本波太
         東京市小石川區久堅町百〇八番地
  複 製   印刷者  山田英二
         東京市小石川區久堅町百〇八番地
        印刷所  博文館印刷所
     ――――――――――――――――――
        東京市麹町區飯田町六丁目二十四
 發行所        易 風 社
             振替口座一二〇三四番

Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)

原文 珈珈店こーひーてん(p. 3)

訂正 珈琲店こーひーてん

原文 良體からだ(p. 4)

訂正 身體からだ

原文 「如何いかにして(p. 5)

訂正 如何いかにして

原文 あらあね」、(p. 13)

訂正 あらあね」

原文 微錄びろく(p. 17)

訂正 微祿びろく

原文 武具ぶく(p. 18)

訂正 武具ぶぐ

原文 ほとんど(p. 23)

訂正 ほとんど

原文 言葉ことばた(p. 25)

訂正 言葉ことば

原文 被入いらつらやる(p. 29)

訂正 被入いらつしやる

原文 わわし(p. 30)

訂正 わたし

原文 かべはは(p. 31)

訂正 かべには

原文 しばららく(p. 34)

訂正 しばらく

原文 外戶そと(p. 38)

訂正 戶外そと

原文 はじめて間(p. 39)

訂正 はじめの間

原文 たゝへ(p. 40)

訂正 たゝ

原文 いて(p. 44)

訂正 いて

原文 ほどでもないだけど(p. 45)

訂正 ほどでもないんだけど

原文 あづけんのです(p. 45)

訂正 いただけんのです

原文 面白おもしはい(p. 45)

訂正 面白おもしろ

原文 きいてゝても(p. 48)

訂正 きいてゝも

原文 たくなつたの」。(p. 49)

訂正 たくなつたの」

原文 おりなさいな」。(p. 49)

訂正 おりなさいな」

原文 ふですか(p. 51)

訂正 ふのですか

原文 出入しゆつにい(p. 52)

訂正 出入しゆつにふ

原文 健次けんじなどか(p. 52)

訂正 健次けんじなどが

原文 まぬかれる(p. 53)

訂正 まねかれる

原文 一寸ちよと(p. 53)

訂正 一寸ちよつと

原文 さだる(p. 64)

訂正 さだまる

原文 こゑをかける、(p. 65)

訂正 こゑをかける。

原文 月初つきはじで(p. 67)

訂正 月初つきはじめで

原文 ならべるか(p. 67)

訂正 ならべるが

原文 記行きこう(p. 68)

訂正 紀行きこう

原文 もららした(p. 70)

訂正 らした

原文 ひどいは(p. 74)

訂正 ひどいわ

原文 如何どうにして(p. 74)

訂正 如何いかにして

原文 つてゝ(p. 81)

訂正 つてつて

原文 そのたくて(p. 83)

訂正 そのたく

原文 あがかるか(p. 84)

訂正 がるか

原文 なにだか(p. 86)

訂正 なんだか

原文 あにさん(p. 86)

訂正 にいさん

原文 主婦しうふ(p. 89)

訂正 主婦しゆふ

原文 御馳走ごちさうなんか(p. 89)

訂正 御馳走ごちそうなんか

原文 叙情的じよじやうきて(p. 90)

訂正 叙情的じよじやうてき

原文 氣心きこゞろ(p. 91)

訂正 氣心きごゝろ

原文 やがで(p. 94)

訂正 やがて

原文 それには(p. 95)

訂正 それにね

原文 つゞけてやつけば(p. 96)

訂正 つゞけてやつてけば

原文 うたへる(p. 96)

訂正 うつたへる

原文 起上おきあつた(p. 99)

訂正 起上おきあがつた

原文 つぶやいた(p. 101)

訂正 つぶやいた

原文 滅入めついつた(p. 101)

訂正 滅入めいつた

原文 はなを(p. 103)

訂正 はなし

原文 躊躇ちうよよ(p. 106)

訂正 躊躇ちうちよ

原文 以前いせん(p. 107)

訂正 以前いぜん

原文 つてる(p. 108)

訂正 うつつてる

原文 焦慮ぢれで(p. 108)

訂正 焦慮ぢれ

原文 終始しゞう(p. 111)

訂正 終始しゆうし

原文 あざいて(p. 111)

訂正 あざむいて

原文 はたく(p. 112)

訂正 はたら

原文 女供をんなども(p. 115)

訂正 女共をんなども

原文 土古耳とるこ(p. 117)

訂正 土耳古とるこ

原文 なんんだつて(p. 117)

訂正 んだつて

原文 「ほそく(p. 119)

訂正 ほそ

原文 駄目だめだ」。(p. 120)

訂正 駄目だめだ」

原文 かんへて(p. 123)

訂正 かんがへて

原文 あにさん(p. 125)

訂正 にいさん

原文 身分じぶん(p. 129)

訂正 自分じぶん

原文 麥酒て《びーる》(p. 132)

訂正 麥酒で《びーる》

原文 しきみ(p. 133)

訂正 しきゐ

原文 あほくて(p. 135)

訂正 あをくて

原文 縦橫無盡じゆうわうむじゆん(p. 135)

訂正 縦橫無盡じゆうわうむじん

原文 しやく(p. 139)

訂正 しやく

原文 兩手れうて(p. 140)

訂正 兩手りやうて

原文 詮方せんたか(p. 141)

訂正 詮方せんかた

原文 うたたれる(p. 143)

訂正 たれる

原文 入被いらつしやい(p. 146)

訂正 被入いらつしやい

原文 甲裴かひ(p. 150)

訂正 甲斐かひ

原文 こはうであしてね(p. 155)

訂正 こはうごあしてね

原文 がれれ(p. 155)

訂正 せがれ

原文 ずりんて(p. 159)

訂正 ずりんで

原文 で(p. 162)

訂正 

原文 ちがつたものんだね(p. 164)

訂正 ちがつたものだね

原文 言葉ことばすくない(p. 168)

訂正 言葉ことばすくなに

原文 突込つきこみ。(p. 168)

訂正 突込つきこみ、

原文 堆積せきたい(p. 171)

訂正 堆積たいせき

原文 二十歲はなち(p. 178)

訂正 二十歲はたち

原文 にぎやがた(p. 181)

訂正 にぎやかだ

原文 られるぞ」。(p. 187)

訂正 られるぞ。」

原文 くし(p. 187)

訂正 かく

原文 見廻みまはず(p. 189)

訂正 見廻みまは

原文 くて(p. 190)

訂正 だるくて

原文 んだか(p. 193)

訂正 んだが

原文 あかるるく(p. 193)

訂正 あかるく

原文 大床胡おほあぐら(p. 201)

訂正 大胡床おほあぐら

原文 ながめめて(p. 202)

訂正 ながめて

原文 ひろつた(p. 203)

訂正 ひろつた

原文 吉公きちまつ(p. 204)

訂正 吉松きちまつ

原文 口眞似にちまね(p. 209)

訂正 口眞似くちまね

原文 さきき(p. 209)

訂正 さき

原文 逹公たつこうな(p. 210)

訂正 逹公たつこう

原文 かほか(p. 211)

訂正 かほ

原文 ひまがあれが(p. 211)

訂正 ひまがあれば

原文 かせます(p. 216)

訂正 かせます。

原文 むすめさんか(p. 224)

訂正 むすめさんが

原文 どうでず(p. 227)

訂正 どうです

原文 げた(p. 230)

訂正 けた

原文 貴下方あなたがたも(p. 231)

訂正 「貴下方あなたがた

原文 世態話しよたいばはし(p. 235)

訂正 世態話しよたいばなし

原文 こまつて(p. 235)

訂正 こまつて

原文 つだけても(p. 240)

訂正 つだけでも

原文 すゝめた(p. 243)

訂正 すゝめた

原文 あふせつかたつて(p. 246)

訂正 あふせつかつて

原文 尊敬そんけいしてるんでず(p. 247)

訂正 尊敬そんけいしてるんです

原文 ぼくも(p. 255)

訂正 「ぼく

原文 きかけゐる(p. 256)

訂正 きかけてゐる

原文 後園こうえん(p. 256)

訂正 公園こうえん

原文 それ白面おもしろもからう(p. 259)

訂正 それも面白おもしろからう

原文 渦中くわちうゆ(p. 259)

訂正 渦中くわちゆう

原文 える(p. 264)

訂正 える

原文 て、自分じぶんは(p. 264)

訂正 で、自分じぶん

原文 山吹町《やまぶしちやう》(p. 266)

訂正 山吹町《やまぶきちやう》

原文 はじある(p. 274)

訂正 はじめる

原文 取立とりてて(p. 279)

訂正 取立とりた

原文 自身じゝんには(p. 279)

訂正 自身じゝん

原文 のこをとこ(p. 281)

訂正 このをとこ

原文 そだけて(p. 281)

訂正 そだげて

原文 險幕けんまく(p. 282)

訂正 劍幕けんまく

原文 こもつてるのでもないか、(p. 282)

訂正 こもつてるのでもないが

原文 にらみつけてゐたか(p. 284)

訂正 にらみつけてゐたが

原文 散步さんぽしていらしつたんですが(p. 284)

訂正 散步さんぽしていらしつたんですか

原文 あざげつてる(p. 286)

訂正 あざけつてる

原文 梅雨つゆて(p. 291)

訂正 梅雨つゆ

原文 いて(p. 297)

訂正 いで

原文 持上もちあけて(p. 300)

訂正 持上もちあげて

原文 かねたか(p. 302)

訂正 かねだが

原文 おそばれて(p. 302)

訂正 おそはれて

原文 門札もんさつか(p. 312)

訂正 門札もんさつ

原文 加瀨せせ(p. 314)

訂正 加瀨かせ

原文 さんだ(p. 315)

訂正 さんざ

原文 御存知ごぞんじじなんですね(p. 319)

訂正 御存知ごぞんじなんですね

原文 「新奇しんきだといふ」(p. 336)

訂正 「新奇しんきだ」といふ。

原文 あせばんた(p. 338)

訂正 あせばんだ

原文 死際しにぎはまて(p. 339)

訂正 死際しにぎはまで

原文 たのぢないか(p. 340)

訂正 たのぢやないか

原文 こいい(p. 324)

訂正 

原文 か(p. 354)

訂正 だれ

原文 衣食いしよくよくすくなく(p. 348)

訂正 衣食いしよくよくすくな

原文 ですけと(p. 354)

訂正 ですけど

原文 フロツツコート(p. 360)

訂正 フロツクコート

原文 飄輕ひやうひん眞似まね(p. 362)

訂正 飄輕ひやうきん眞似まね

原文 子供こどもぢまありませんか(p. 363)

訂正 子供こどもぢやありませんか

原文 く(p. 366)

訂正 

原文 あさかぬ(p. 369)

訂正 あさから

原文 らつしやるんてすつてね(p. 374)

訂正 らつしやるんですつてね

原文 なるものてすか(p. 374)

訂正 なるものですか

原文 たづぬて(p. 377)

訂正 たづねて

●文字・フォーマットに関する補足

句読点は原則として原著のそれを維持したが、カギ括弧を閉じた後に読点「、」が振られている場合は、誤植とみなして読点を省いた。

「空想家」では「山吹町」と「山伏町」が混在しているが、そのままにした。

原文で印刷の不明瞭な部分、誤植と思われる部分は一九八三年刊行正宗白鳥全集第一巻(福武書店)を参照し確認したうえで訂正した。

片仮名の「ネ」をあらわす漢字の「子」に似た字は「ネ」の字で代用した。