Title: あめりか物語
Author: Kafu Nagai
Release date: February 19, 2011 [eBook #35327]
Most recently updated: March 3, 2021
Language: Japanese
Credits: Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka
明治三十六年の秋十月の頃より米國に遊びて今茲明治四十年の夏七月フランスに向ひてニューヨークを去るに臨み、日頃旅窗に書き綴りたるものを採り集めて、あめりかものがたりと題し、謹んでわが恩師にして恩友なる小波山人巖谷先生の机下に呈す。明治四十年十一月里昻にて永井荷風。
出帆した日、故國の山影に別れたなら、船客は彼岸の大陸に逹する其の日まで、半月あまりの間、一ツの島、一ツの山をも見る事は出來ない。昨日も海、今日も海―――何時見ても變らぬ太平洋の
私は圖らずも此淋しい海の上の旅人になつた。そして早くも十日ばかりの日數を送り得た處である。晝間ならば甲板で
「お這入んなさい。」と私は半身を起しながら呼掛けた。
戶が開いて、「どうした。又少し動くやうぢや無いか。弱つとるのかね。」
「寒いから引込んで了つた。まア掛け給へ。」と云ふと、
「全く寒いな。アラスカの沖を通るんだと云ふからな。」と餘り濃くない髯を生やした口許に微笑を浮べながら、
中肉中丈、年は三十を一ツ二ツも越して居るらしい。
「日本なら今頃は隨分好い時候なんだがな…………。」
「さう、全くだよ。」
「何か思ひ出す事でもありやしないかね。」
「はゝは。其ア君お隣りの先生へ云ふ事だ。」
「うむ。お隣りの先生と云へば如何して居る。又例の如く引込んで居るんだらう。呼んで見やうぢや無いか。」
「よからう。」と私は壁をトン〳〵と二三度叩いて見た。
「ハロオ、カムイン。」とハイカラの柳田君は早速氣取つた發音で呼掛けると、
「有難う。此樣風をして居るですから………。」と岸本君は其の儘佇立んで居る。
「さ、這入り給へ。」と私は長椅子から立つて立掛けてある疊椅子を廣げた。
岸本君と云ふのは矢張三十近くの稍
「ぢや、失禮します。」と鳥渡腰を屈めて椅子に坐りながら、「洋服はどうも寒くて不可んですから、
すると柳田君は、岸本君の顏を見ながら、
「洋服は寒いですか。」と如何にも不審だと云ふ語調で、「私なんぞは、然うすると全く反對ですね。增して此樣航海中なんか日本服を着やうものなら、襟首が寒くて忽ち風邪を引いて了ふです。」
「さうですかなア。其れぢやア、私は未だ洋服に慣れ無いんですな。」
「柳田君、君は
「いや、今夜は餘り欲しくは無いです。唯だ退屈だから
「だから、話をするには
然し岸本君は返事をせず傾けた顏を起して、「又、大分動いてゐる樣ですね。」
「君。何にしても太平洋だよ。」と柳田君は再び薄い
「柳田君、君は例の如くウヰスキーですか。」
「
「成程、少し動搖するね。まア可いさ。今夜は一ツ愉快な雜談會を催したいもんだな。」と柳田君は安樂さうに足を踏み伸したが、和服の岸本君は明い電氣燈の
「どうしたんです。非常に汽笛を鳴らずぢやありませんか。」
「霧が深いからでせう。」と柳田君が說明し掛けた時ボーイは命じた酒類を盆にのせて持運んで來た。そしてベツドの傍の小いテーブルの上に置きコツプへついだ後再び室を出て行く。
「グツドラツク。」と柳田君が第一にコツプをさゝげたので、私等も同じやうに笑ひながらグツドラツクを繰返した。
何時になつたのか遙に時間を知らせる淋しい鐘の音が聞える。波は折から次第に高まり行くと見え、今はベツドの上の丸い船窓へ凄じく打寄せる響がすると、甲板の方に當つて高い
「ねえ、君。自分の身體が安全だと云ふ事を信じて居ると、外を吹いて居る
「眞實、これが大船に乗つた心持と云ふのでせうな。然し若しか、帆前船見たやうなものだつたら、如何でせう。隨分難船しないとも云へませんぜ。」と岸本君は眞面目らしく云つた。
「何事に寄らず皆な然うですよ。一方で愉快を感ずるものがあれば、其の爲めに一方では屹度苦痛を感ずるものが起るです。火事なんぞは燒かれるものこそ災難だが、外のものには三國一の見物だからね。」とウヰスキーの醉が廻つたのか、私は何か分らぬ屁理窟を云ふと、
「眞理だよ、實際眞理だよ。」と柳田君は深くも何か感じたらしい樣子になつて、「君の比喩に從ふと、僕なんぞは正に燒出された方の組なんだな。燒出されて亞米利加三界へ逃げ出すんだ。僕は實際去年日本へ歸つたばかりなんだ、
私も岸本君もとも〴〵熱心に柳田君が今回の渡米に付いての抱負を質問した。鳥渡した話にも柳田君は必ず大陸の文明島國の狹小と云ふ事を口癖のやうにしてゐるので、定めし大抱負を持つて居る事と想像したからである。
「はゝゝは。其樣抱負なぞと云ふ大したものは無いです。
彼は最初或學校を卒業した後、直樣會社員となつて、意氣揚々と濠洲の地へ赴いたのである。そして久振に故鄉の日本へ歸つて來たが、満々たる胸中の得意と云ふものは、最初出立した時の比ではない。舊友の歡迎會を始めとして、彼は到る所逢ふ人每に大陸の文明と世界の商況とを說き且つ賞讃した。豆粒のやうな小な島國の社會は必ず自分を重く用ひてくれるに違ひ無いと深く信じて疑はなかつた。處が事實は本社詰めの飜譯掛にされて了つて、其の月給幾何かと問へば、
然し柳田君は猶全く絕望して了ひはせぬ。苦痛の反動として以前よりも一層過激に島國の天地を罵倒し始めた。そして再び海外へ旅の愉快を試みやうと決心したのである。
「日本なんかに居つたら、到底心の底から快哉を呼ぶやうな事アありやせんからね。丁度
「さうです。」と岸本君は和服の襟を引合せた。
「大學へでも這入られるですか。」
「さ。其の心算ですが、今の處ぢや全で語學が出來ませんし、未だ事情も分らんですからな………」
「柳田君。岸本君は細君や子供までを殘して學問に出て來られたのださうです。」と私が云ひ添へると、柳田君は身體を前へ進ませながら、
「岸本君。君はもうお子樣があるんですか。」
「えゝ。」とばかり岸本君は稍其の頰を赤らめた。
「其れぢや、非常な大決心を以つて出て來られたのですな。」
「まア、此れまでにして、出て來るには隨分奮發したつもりなんです。親類なぞには
此の人は矢張東京の或會社に雇はれて居たが、將來に出世する見込のないばかりか、何時も人の後に蹴落されてのみ居た、と云ふのは、
けれども、岸本君は此の優しい妻の語に從ふどころでは無い。細君が其の亡父から讓られた財產で、自分は出來る事なら一年なり二年なり米國へ行つて學問して來たいと相談し掛けた。すると細君は決して金を惜む爲めでは無く、唯だ〳〵愛する夫に別れるのが
「ですから、私の考へでは成りたけ時間を短くして何なり學校の免狀を持つて歸りたいと思つて居るです。卒業免狀が妻へ見せる一番の土產なんですから。」
云ひ了つて、岸本君は自ら勇氣を勵ます爲めか、
「うむ。全くお察し申すです。然し其れと共に僕は満腔の熱情を以て君の莊擧を祝するです。」と柳田君は續いてコツプを上げたが又調子を變へて、「然し、何かにつけて思ひ出しなさるでせうな。僕は未だ細君の味は知らないですがね。」
「はゝゝは。もう此處まで踏出して其樣意氣地のない事が………はゝゝは。」と殊更に笑つたが其の樣子は如何にも苦し氣に見受けられた。
カン〳〵と折から又もや鐘を打つ音が聞えた。硝子戶一枚で僅に境されてある
「もう十一時だ。」
「さうですか。大變お邪魔をしました。其れぢやアそろ〳〵お暇しませう。」と岸本君が先に座を立つた。
「まア可いぢやありませんか。」
「有難う。今夜はお
(明治卅六年十一月)
タコマに滯在して居た時分、その年も十月の確か最終の土曜日であつた。
秋は早や暮れ行くので、往來の兩側に植ゑられた
タコマ
「歸り道に此の山の上の
此の時友は
白いペンキ塗の低い垣で境された廣い構内は、人の步む道だけを殘して、一面に靑々とした芝生が其の上に植ゑられた枝の細い樹木や色々な草花と相對して目も覺めるばかり
私等は鐵の門前を過ぎる一條の砂道をばゆる〳〵と自轉車を進ませ、もと來た牧場の方へと下りて行つた。友は色々說明したついでに、
「この癲狂院には日本人も二三人收容されて居るよ。」
何事もないやうに云つたが、私には此れが非常な事件である樣に思はれた………同時に友は、
「皆な出稼ぎの勞働者さ。」と付加へた。
出稼ぎの勞働者と云ふ一語は又しても私の心を動さずには居ない。思返すまでも無く、過る年故鄉を去つて此の國に向ふ航海中、散步の上甲板から、彼等勞働者の一群を見て、私は如何なる感想に打れたらう。
彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱はれ狹い汚い船底に満載せられてゐた。天氣の好い折を見計つて彼等は
彼等は外國で三年の辛苦をすれば國へ歸つてから一生樂に暮せるものとのみ思込んで、先祖が產れて而して土になつた畠を去り、
友はとある木蔭に車をよせて休息するのを幸ひ、私は近寄つて、
「君は知つて居るかね。どうして狂氣なぞに成つたのだらう。」
「あの………勞働者のことかね。」と友は暫くした後初めてその意を得たものゝ如く、「大槪は先づ失望と云ふ奴が原因になるんだが、一人はそればかりぢや無い………實に可哀想な話さ。然しさう云つたやうな話はアメリカには珍らしく無いよ。」
「どう云ふ話だ。」
「僕も人から聞いた話なんだが………いくら日本人の社會が無法律だつたからツて、此れなんぞは隨分激しいと云つていゝね。もう六七年前の事だつて云ふ話だが………」と友は
その頃には丁度シアトルやタコマへ日本人が頻と移住し始めた當時のことで、今日のやうに萬事が整頓して居ないから、種々の罪惡が殆ど公然に行はれて居た。カリフオルニヤの方から彷徨つて來た無賴漢や、何處の海から流れて來たのか
一體日本の農夫が渡米の野心を起す最大の原因は新歸朝者の誇大な話を聞く事であるが、彼も正しく其の中の一人であつた。彼は蕎麥の花咲く紀州の野に住んで居たが丁度その村へ十五年目で
此處で過分な周旋料を拂はせられた後妻は市中の洗濯屋に働き男は市からは十哩ばかり離れた山林の
仕事から歸つて來ると、寂しい此の小屋の中で、新參の彼は三人の仲間から問はれる儘に色々と身上話をする………と親方らしい一番强さうな男が眼をぎら〳〵さして、
「嚊アをシアトルへ置いて來たツて………まア何て云ふ不用心な事をしたもんだ。」と如何にも驚いたやうに、大聲で他の仲間を見廻した。
「だつてお前さん、此の國へ來たからにや稼ぐのが目的だから、嚊と別れて居る位な事は覺悟の上だア。」と新參の彼は然し悲しさうな調子で云ふと、彼男は續いて、
「乃公の云ふのは然うぢや無え。それアお前さんの云ふ通り稼ぎに來たからにや其れ位の覺悟は無くちやならねえが、女一人をシアトルへ置くなア、
「へーえ。どうして。」
「お前さん、まだ來たてだから知らねえのも無理は無え。シアトルてえ處は………シアトルばかりにや限らねえ、此のアメリカへ來た日にア、何處へ行つたつて女一人を安隱にさしとく處はありやアしねえ。まア
「全くさね。用心するがいゝよ。」と他の一人が付加へた。以前の男は暫く無言で、泣き出しさうな顏をして居る新參者の様子をば上目でぢろ〳〵見遣つて居たが、大きなパイプで煙草を一吹しながら、
「この國へ來たら、何樣
新參の彼は眼に淚を浮べて居た。と云ふものゝ今の身分では如何する事もできない。以前の男は他の仲間二人と暫く顏を見合して何やら互に合點したやうに目と目で頷付き合ひながら、
「此うしたら如何だね。一
「何ぼ何だつて、其樣事が………。」
「出來ねえと云ふのかね。其れア表向は何うか知らねえが、此の山の中の一軒家で、日本人は
恁う云はれたが、然し彼は此の意見に對して同意する力も無ければ、又不同意を
暫時は事もなく、彼は幸福に妻と共に其の日を送つて居たが、丁度今日は日曜日と云ふのに朝から雨が降出し、一同は外へ遊びにも出られず、一日小屋の中で酒盛りを始めて、飮むやら唄ふやら、何時しか夜も晚くなつた。最う寢床へ行かうと云ふ時になると、彼男は座を立ちかけた新參者をば、
「おい、鳥渡相談があるんだ。」と呼び止めて他の仲間と目を見合せた。
小屋を蔽ふ
「何です。」
「鳥渡お願ひがあるんだ。」
「何です。」
「外でも無い。今夜一晚嚊を貸して貰ひてえんだが………。」
「はゝゝゝは、大變醉ツてるね。」
「おい。醉つて云ふんぢやねえ。冗談でも無い、洒落でもない。相談するんだが、どうだい。」
「はゝゝゝは。」と新參者は餘儀なさゝうに笑つた。
「相談するのに笑ふてえ奴があるかい。」と今度は他の一人が「どうだい、兄弟の
「…………………」
「物は相談だ。どうだい。不承知なんかね。不承知ならまアいゝや。然し能く考へて見な。此の山ン中で、四人此うして働いて居てよ。お前一人好い目をして居るからつて、其れでお前は氣が濟むのか。能くある事ツた、風の吹く晚に山火事が起つたら、乃公逹四人は死なば一緖だ―――一人ぼツち仲間を置き去りにして逃げる譯にも行くめえ。本部からまかり間違つて食料が屆かない事でも有りやアお互に食ふものも半分づゝ分けなきやアなるめえ。人間は皆な兄弟分。自分ばかりが好きやア其れで好いと云ふもんぢや無えんだぜ。乃公逹はな、此のアメリカへ來てからもう五年になるんだが、たまに一遍だつて柔かい手に觸つて見た事もねえんだ。お前の寶物は誰のものでも無え、チヤンとお前樣の物だと云ふ事は分つて居らア。だからな、乃公逹はそれを無理無體に
「早い話しがよ。お前は乃公逹の持つて居ねえものを持つて居るから、それを分けてくれと云ふのよ。」
「どうだい。話が分つたら、早く返事を聞かうぢや無えか。」
男は死んだ人の如く眞靑になり總身をぶる〳〵顫すばかり。女はその足許に泣き倒れて早や救を呼ぶ力さへ無い。
風雨は猶盛に人なき深山の中に吠狂ふ。やがて小屋の中には一聲女の悲鳴。……それを聞くと共に男は失心して其の場に倒れて了つた。
彼は蘇生したが、それなり氣が狂つて再び元の人間には立返らなかつた、彼は
* * * *
私は殆ど茫然として了つた。友は早や草の上に橫へた自轉車を引起し、片足をペダルに掛けながら、
「然し仕方がないさね、然う云ふ運命に遇つたのが不幸と云ふより仕樣がないさね。我々は自分より强いものに出遇つたら、何をされても仕方がないよ。」と云つて二三間車を
一人彼は愉快さうに笑つて、夕陽の光眩き牧場をば、一散に車の速度を早めたので、私は無言の儘彼に遲れまじと、頻にペダルを踏みしめた。
何處からともなく野飼の牛の頸につけた鈴の音が聞える。南の方ポートランド行の列車が野の端れを走つて居る。
(明治卅七年一月)
最初この亞米利加へ來た當座、私は暫く語學の練習をする目的で、その時滞在して居た
市俄古を出てから四時間ほど。何處を見ても眼の
私は茫然として何の事か其の意を解し兼ねて居るにも關らず、老人は猶満面に笑を浮べて、
「ミスター渡野とは日本においでの時から御存じなのですか、又は
校長は私が日本人である處から、此の學校に居る同國人の渡野君を尋ねて來たものとのみ早合點して了つたので。然し此の誤解は直樣無邪氣な一場の笑ひとなり、私は續いてミスター渡野なる人に紹介された。
年は三十七八でもあらう。破れぬばかりに着古した縞の背廣に、色の褪せた黑い襟飾―――
彼は校長が私に言つた言葉とは全然違つて、最初私を見ても別に嬉しいと云ふ色も見せず又意外だと驚く氣色もなく、無言で握手した後は殊更らしく天井を見て居た。
然し三月程經つた或る土曜日の午後である。私が此の地へ來たのはさほど寒くはない九月の末であつたから、其の頃には深綠の海をなした玉蜀黍の畠も今は暗澹たる灰色の空の下に一望遮るものなき曠野となつて居る。
午後の四時を過ぎたのみであるが太陽は早くも見渡す地平線下に沒し去り、灰色の空の間に低く一條の力なき
「荒れ果てた景色ですなア。」とぢツと私の顏を見詰めた。
私は異樣な樣子に驚いて直には何とも答へられなかつた。渡野君は俯向いたが今度は獨言のやうに、
「人は
其れなり無言で二人は靜に岡を下つた。彼は突然私を呼掛けて、
「一體、君は如何思つて居られる。人生の目的は快樂にあるか、或は又………。」と云ひ出したが、不意と自ら輕率な問を發した事を非常に恐れた如く銳い目で私の顏色を窺ひ、更に、「君は
私は信じやうとして未だ信ずる事が出來ない。然し信ずる事の出來た曉には、
「懷疑派ですね。よろしい〳〵。」と腕を振動かしたが、軈て靜に、「君の懷疑說は如何云ふのだね。私も無論アメリカ人見たやうな信仰は持つて居ないのだから………一つ君の說を伺はうぢや無いか。」
此處で私は、遠慮無く私の宗敎觀や人生觀なぞを語つたが、すると、其れは不思議にも彼の感想と大に一致する處があつたのでもあらう。彼は生々させた目の色に非常な内心の
誰に限らず未知の二人が寄合つて、幾分なりとも互に思想の一致を見出した時ほど、愉快な事は恐らくあるまい。それと同時に又此れ程相互の感情を親密にさせるものも他にはあるまい。
それからと云ふもの、私等二人は朝夕相論じ相談ずる親しい友達になつたので、問はず語りに私は渡野君の經歷も先づ大槪は知る事が出來た。彼はある資產家の一人息子であつた。七年程前に洋行して、東部の大學で學位を取り、その後は暫く此れと云つて爲す事もなく
彼は無論生活の爲めに職業を求むる必要がないとは云ふものゝ、此くも
私はこの畏敬すべき友と寒い〳〵米國の一冬を甚だ平和に愉快に送過して、やがて四月といふ
私は林檎の花咲く果樹園を
或夜のこと私はその居室に訪問れて、無理にも想像しかねるその原因を聞きたゞし、出來るものなら幾分か慰めても見やうと思つて、その室借をしてゐる下宿屋の門口まで行つて見たが、いざとなつて見ると何となく妙に
その時分には瘦衰へて居た一株の枯木にも、今は雪の樣な林檎の花が咲き亂れ、云ふに云はれぬ
魔術が作出したやうな夢とも思はるゝ異郷の春の夜。
私は忽ち恍惚として自分ながら解せられぬ優しい空想に陷つて居たが、突然後から肩を叩いて、「君」と一聲。思ひ掛けない渡野君である。彼は何か用あり氣に、「今、君の處をお尋ねした。」
「私の處を………。」と私は彼が室の戶口を叩き兼ねた事は云はずに了つた。
「實は急にお話したい事がある。それで君の處へ出掛けたのですが………。」
「何です、何樣事です。」
「まア此處へ坐らうぢやありませんか………。」と彼は私よりも先に林檎の花の下に坐つたが、暫くは無言で。大方私と同じく、大平野を蔽ふ春の夜の神祕に打たれたのであらう。然し忽ち我に返つた如く、私の方に向直つて、
「私は二三日中に君とお別れするかも知れない。」
「え。何處へかお出でになるんですか。」
「もう一度紐育へ行つて見やうと思ふです。或は
「何か急用で………。」
「いや、私の事だもの別に用は無い。只感ずる處があつたから………。」と云つたが力ない
「何をお感じなすつたのです。」と質問すると彼は一寸息をついて、「それを今夜君にお話したいと思つたのです。君との交際は未だ半年になるかならないが、何となく十年もお交際したやうな心持がするのです。だから、私は萬事殘らずお話して、そしてお別れしたいと決心したのです。然し又何處かでお會ひ申すでせう。君も此れからアメリカを漫遊なさると云ふのだから。」淋しく微笑んだ後彼は靜に語り出した。
日本の大學を卒業してから間もなく私は父親に別れてその儘家產を讓受けたので、此の財力と新學士と云ふ名前とで、此後は自分の思ふ儘の方向に世を渡る事のできる頗る幸福な身分となつたのです。私の修めた學科は文學でしたから私は自分の周圍に集つて來る多くの友人の勸告する儘に一つの會を組織し、人生と社會問題の考究を目的に立派な月刊雜誌を發行する事とした。
兎に角私の名前は已に學生の時代から、折々投稿して居た雜誌新聞なぞの所說で多少一部の人には知られて居たので、今や父から讓られた資產を後盾にして堂々と世の中へ押出した景氣は先づ大したものでした。私の代表した團體は今度始めて世間へ出た若手の學士ばかりで組織されたのですが、其の機關雜誌は廣吿を出したばかりで、未だ初號を發行せぬ以前から、もう世間一二の有力な雜誌の中へ數へられて居ました。私の周圍には無論
その時私は年齢二十七、まだ獨身でした、
で、私は兎に角自分の持つて居る或力が、異性の心情に對して、微妙な作用を爲すものだと云ふ事を自覺せずには居られなくなつた―――自覺すると同時に何とも云へぬ愉快を感じたのです。そして其の愉快は自分の主義と自分の人格が、世間から重く迎へられて居ると云ふ事を自覺した時よりも、更に深い快感であつた。何と云ふ事でせう。私は如何に自分を辯護しやうとしても致し方がない。其の一瞬間、其の一刹那に、私の情が然う感じたのですから。
私は
私はもう此の聲の奴隷です。出來るだけ自分の姿を綺麗にして、
然し或日の事、私は東京の人目を避ける爲めに、或る
私は其の儘再び目を閉ぢたが、考へると今頃此樣處で私が此樣有樣をして居るとは世の中に誰が知つて居やう。世の中は唯だ潔白なる論客として自分のある事を知つてゐるのみだ。さう考へ出すと私は
こゝで私はいよ〳〵悔悟の時期に入る事となり、此後は斷じて俗世界の快樂には近寄るまいと決心した。同時に一日も早く獨身生活の危險を避け、自分の決心を斷行する助けともなるやうな神聖なそして賢明な妻を持たうと云ふ心を起したのです。
私は如何なる婦人を妻に選びましたらう。
それは看護婦でした。
その頃私は激烈な風邪に冒されて醫師の注意する儘に一人の看護婦を雇ひ、其の手に介抱されて居た。看護婦は其の時二十七歲の處女で、
私は病中屢夜半に眼を覺ます事があつたが、其の時には必ず私は黃いランプの
彼女は驚く心をぢつと押靜めて徐ろに辭退しました。然し私は無理にその手を取り今迄の罪惡を殘りなく懺悔して、私は神聖なる彼女の愛に因つてのみ世の快樂世の罪惡から身を遠ざけ誠の意味ある生活に入る事が出來るのだ………と云ふ事を話すと、彼女はぢつと聽入つた後、忽ち感激の淚を
然し其れは非常な誤りでした。單に誤りならばまだしも、其れは一層私の身を不幸ならしむる原因になつた。私は彼女をば救の神として其手に賴り縋ると共に、彼女に對して満身の愛情を注がうと企てたが、然しかの暖い柔い戀愛の情は如何しても湧いて來ないのです。單に彼女に對する尊敬の念を起し得るのみで、つまり二つの精靈を一つに結付けて了ふ心地には如何してもなれなかつた。
春の日の事、私は彼女と唯だ二人、强ひて色々な談話を私の方から仕掛けながら家の
私は其の儘座を立つて獨り木立の方へ步いて行つた。彼女は別に尾いて來るでもなく矢張元の處に腰掛けて例の如く沈んだ眼で折々空を見上げて居るのでせう。軈て小聲に讃美歌を歌ふのを聞きましたが、其の讃美歌の調子が、此の瞬間には、何とも云へず不快に聞きなされた。私は實に自ら解するに苦む。讃美歌の調子と云へば私は以前放蕩の生活をして居る最中でさへ、折々星の靜な夕なぞ會堂の窓から漏れるその歌を聞く時には、如何にも人の心を休める靜な音樂として、少くとも不快な感を起した事などは無かつた。私は幾分か情無いやうな心地になつて一度に譯も分らぬ色々な事を考へながら、木立の中を過ぎて裏庭の方へ步いて行きました。
そこは
爛漫たる桃の花が目についた。すると忽ち此の桃花の間に女の姿………私は覺えず立止つた。桃の花は家の屋根を隱すほどに咲亂れた丁度その木蔭の低い肱掛窓に、女は兩肱を載せ橫顏をば
一月程前に家へ行儀見習ひとかで奉公に來た小間使、年は十九とやら。然し私は其樣事を考へる暇は無い。忽ち綺麗な蝶が一つ、ひら〳〵と飛んで來て、紅色を呈した女の愛らしい
私はもう世の中の事も自分の身の上も何も彼も忘れて居ます。無論此の瞬間には自分は此の女を愛して居るか否かと云ふ事も意識しては居ません。唯その傍へ行つて、燃えるやうな頰に觸つて見たいと、私の身中を流れて居る血が私に
實に
と云つて私は此儘に打捨てゝは置けない。一度妻と選んだからには如何しても彼女を愛さねば成らないのです。私は半分夢中で如何にかして彼女に對する嫌惡の情を取去りたいと焦せれば焦せる程、事實は增〻惡くなるばかり。遂には何となく氣が變になつたやうに思はれました。或夜私は睡眠中に不意と何か物音を聞き付けたやうに思つて、喫驚して眼をさましたが、すると何時の間にか彼女が眞白な看護婦の着物を着て、
これから每夜のやうに陰氣な聖書の聲が聞え出して安眠する事が出來ない。一
夜の深け行くまゝに糸の樣な彼女の寐息が耳につき始めます。絕えやうとしては又續く其の呼吸につれて、彼女の肉體に宿つてゐる靈魂は、次第々々に彼女が絕えず夢みて居る天國へと夜の
此う云ふ風に每夜不眠の結果から身體は著しく疲勞して、辛くも晝間の轉寐に幾分かの休息を得ると云ふ有樣。此うなつては是非とも彼女の傍を遠ざかる必要が出來て來ます。彼女と同じ屋根の下に生活して居る間は到底如何なる手段も無効であると思ひ、餘儀なく私は旅行と云ふ事を思ひ付いて遂に外國行と云ふ事に決心したのです。
私は早速勉學の爲めと稱して米國へ行く事を妻に話しました。彼女は例の如く
その後の事は一々お話しする必要はありますまい。御存じの通り、何しろ此の米國と云ふ所は人間社會の善惡の両極端を見る事の出來る所です。人は
私は兎に角一通り米國社會の大體を見たからは此の上此の地に止まる必要もない。何時でも日本へ歸つて
私は自ら好んで此のイリノイス州の淋しい片田舎にもう三年近くを送つたのですが、私はまだ自分から安心する事は出來ません。私はもう一度都會の生活、都會の街に輝く燈火を見るつもりです。そして私は此後の生活について最後の決斷を與へるつもりです。
私は明日
(明治卅七年十二月)
千九百四年の夏、
それはS――と呼ぶアメリカ人で
汽車の窓から河向うにセント、ルイス市の街端れの屋根が見え出す頃になると、北米新大陸の諸所方々から此の中部の都會を終點として集り來る鐵道の線路は蜘蛛の巢を見るが如く、
私は列車を下りて群衆と共に長いプラツトフオームを行き盡し、高い鐵柵の戶口を出ると、其處は高い屋根、下はセメント敷の廣場に、男女の帽子は海をなして居る。私を出迎ひに來てくれた彼のS氏はかう云ふ混雜には能く馴れて居るアメリカ人の事とて、早くも私の姿を見付けて駆け寄り、「How do you do」と元氣の可い聲で私の手を握つた。
私は挨拶などは
「あの靑く塗つてある
汚い小屋と
私は此の林を愛すると叫ぶと、S――氏は嬉しさうな顏をして、「僕の住んで居る處は恁う云ふ楓樹の林の中に立つて居る小な村で、靑々とした草とリボンの樣な水の流、何時も靑い空、此れより外には何にも無い所だ。然し私の宿つて居る家の
云ふ中に大方その村の事であらう。矢張靑々とした樹の間に、石造の大きな寺院が聳えて居る人家の間を過ぎて、道は
下りて見ると、成程
「
S――氏が此う云ふのに何で私は反對しやう。丁度此邊の村では
その翌日からは早速博覽會の見物である。先づ第一にS――氏の出品を訪はねばならぬ。
私は彼と共に電車で博覽會の裏門に着し、林の間を潜り拔けると直樣三棟に分れて居る美術館に逹する。中央の一棟が合衆國の出品陳列場で此の中に彼の作品も陳列されて居ると云ふ。私は直樣その場への案内を賴むと、彼は先に立つて陳列室を幾室も素通りした後、やがて稍狹く細長い一室に這入つて、鳥渡立止りながら此方を振向き、
「あれです。」と西側の壁に掛けてある一面の裸體畫を指した。
「私の一番苦心したのは無論この
私は何れとも答へられずに猶無言で見入つて居ると、彼は直ぐ言葉を續けた。
「尤も此う云ふ題目は美術の中に這入るべきもので無いかも知れん。私は以前懇意だつた佛蘭西人の實驗からふと此う云ふ作品を試みやうと云ふ考へを起した………。」
猶語り續けやうとしたのであるが、此の時室の中には五六人の女連が高聲に話し合ひながら這入つて來たので、彼は鳥渡その方を振向きながら、
「どうです。そろ〳〵見て步きませう………參考品の陳列場にはミレーやコローを始め英佛の大家の作も少しは集めてあります。」
我々は其の方へと步いて行つた。遂に中央館の出品も大槪は見了つたので、今度は東側の建物に這入り、此處に陳列せられた
此處は周圍七哩以上もある會場中最も壯觀を極むる處である。遙か彼方の正門から、高い記念碑と幾多の彫像の立つて居る廣場を望み、宏壯な各部の建物が城のやうに並び立つて居る間に湖水とも見ゆる廣い池が、我々の頭上に聳ゆる高い水盤から、階段の間を流れ流れて落ち込む瀑布の水を受け、凄じい噴水の周圍に種々の小舟や
やがて夕日は場内の何處かで打出す鐘の音と共に後方の森に沈み盡すと、望む限りの眞白い建物は一樣に靑く赤く取り〴〵のイルミネーションに飾られる。すると蒼白い空の下に立並んで居る無數の裸體像は燈火の光を浴びて、階段の周圍や各館の屋根の上から、今しも其の眠りより覺め、彼方此方で奏し出す折からの
S――氏は口の中で頻と嚙煙草を嚙み碎きながら、階段を上つて來る群衆の姿をば一人〳〵眺めやる中にも、殊に若い綺麗な
「モデルになる樣なのがありますかね。」と訊くと、彼は噛煙草の唾をば無遠慮に吐き捨てながら、
「滅多に有るものぢや無い。然しモデルにはならないまでも、兎に角肉付の可い若い女を見るのは非常に愉快なものだ。此の愉快は我々が神樣から
私は云ひ置く事を忘れたが此のS――氏は非常な佛蘭西好きの男である。然し未だ佛蘭西へ行つたこともなし、その國語も其れ程深く知つては居ないが、彼は一世紀程前に新大陸に移住した純粹の佛蘭西人の血統を受け、殊に其の祖父なる人が佛蘭西から來た女優と結婚したと云ふことを以て、彼は確に美術家たるべき血液を持つて居ると信じて居る。そして意志の强い、頭腦の餘りに明瞭な亞米利加人は、決して美術に成功すべきものでは無いと獨斷して居るのである。
彼は噛煙草を吐きすてゝ、今度は
「あの男の硏究は我々には實に價値あるものでした。モツシユー、マンテローと云ふ男でしたがね、亞米利加へ來た當座は此樣殺風景な國には到底居られたものではない。意氣な作りの女なぞはさて置き鼻の突尖ツた猶太人と唇の厚い
如何した
アメリカの街には何處にでもある
彼は此處で容易く此う云ふ事を發見しました。此の雜種の婦人は文明國の婦人の樣に種々技巧的な身振や樣子、又は思はせぶりな談話の中に餘韻を殘して男の心を飜弄し、而して自ら愉快とするやうな望みは少しも持つて居なかつたが、其の代りに、身體中の神經が感じ得られる愉快は餘す處なく睫毛の細かい戰ぎから微妙な指の先の働きに至るまで、出來得る限り强い愉快を感じやうと企てゝ居ることでした。
其の晚は丁度寒い冬の事で、彼女は其の室をば
已にして、彼女は男と二人して一二本の卷煙草をも喫み了ると、今度は、彼女の身にとつては寶石よりも尊い
マンテロー君は此の珍奇な發見に對して大に滿足する所があつたのでせう。三月ばかりの間は一晚とても缺した事なく其の室を訪れて居ましたが、然し此う云ふ男の常としてふいと氣候が變り出すと同時に、何か知ら他に變つたものが見たくなつて來たのです。で、彼女を見るのも、いよ〳〵今夜ぎりで止めて了はうと決心したばかりでは無い、彼は
「當分の中仕事が急しいから遊びには來られない。」
と云ひ置いて歸つて來たが、さて翌日の夜になつて每も晚餐を準へる料理屋まで行つて見ると街の燈火に行きかふ婦人の姿が晝間よりは更に風情あり氣に見られる。彼は
恁うなつては今更引返す譯にも行かない。其の儘女の室の戶を叩くと出迎へた彼女はもう今夜ぎり來られないと云つた彼の言葉に對して、少しは驚くか或は喜びでもするかと思ひの外、
さてこそ前夜もう來られないと云つた時別に殘り惜しいと云ふ樣子もせず如何にも
女の身體の熱い事まるで燃える火のやうです。彼はその熱度をば握り締められた手で直接に一分間とは感ぜぬ中に、其の胸は忽ち息苦しい程
「今夜ぎりお出でになら無いんですか。」と極めて沈着いた聲で云ひましたが彼はもう答へる氣力が有りません。
ぢーツと見詰めた其の眼には明かに、お前は如何に逃げやうと急つても私が一度見込んだからには何處までもお前を自由にせずには置かないのだから………と云ふやうに思はれ、彼は全身を通じて顫を感ずると共に、もう何樣事をしても駄目である。自分は此の女の
哀むべし。マンテロー君は最初の中こそ、自分は男である、主人であると云ふ自信を持つて、彼女をば馴れた柔順な家畜として愛し戲れて居たのですが、何時の間にやら、知らず〳〵、彼女の身體を包んで居る怪しい見えざる力の下に壓せられて、それから脫する事が出來ないものとなつて了つた。此う云ふ話は貴君も已に御存じかも知れない、
彼は如何かして彼女から遠かりたいと絕えず悶えて居ながら、依然として其の傍へ引寄せられて居る中、さうです、一年ばかり過ぎた後の事でせう。非常に健康を害して米國の寒い冬を避ける爲め一先佛蘭西へ歸り、伊太利の暖地へ行きましたが、不圖砂漠の風が持つて來る熱病にかゝつたので、衰弱しきつて居た身體では到底たまりません。到頭其處で死んで了ひました。」
S――氏は語り了ると共に微笑みながら私の顏を眺めて、
「君は如何思ひます、マンテロー君は軍人が戰爭で死ぬと同じく、己の好む道に
S――氏は久しく腰を下した
夏の夜の涼しさに池の邊や廣場の木影には幾組の男女その數を知らず、今やイルミネーシヨンに耀き渡る不夜城は諸有る音樂と諸有る歓喜の人聲に湧返つて居る最中である………。
春來れば花咲き鳥歌ふ田園とは事變り、石と鐵、煉瓦とアスフアルトで築き上られた紐育では、
風の吹く三月は過ぎ折々
自分は色彩の變化に富む此の國の流行を喜ぶ一人なので、晴れた日を幸ひに出盛る人々を眺めやうと、
並樹道の兩側に据付けたベンチには此の豪奢の有樣をば見物の人々列をなす中には自分も軈て席を占め、一輛々々と過行く車の主を眺めて、そが流行の選擇嗜好の
する中、遠くの彼方から四つの車輪と御者の
居並ぶ腰掛の人々は何れも奇異の思に驅られたらしく、「あの男は一體何處の國の人だらう。」
「メキシコ人ぢや有るまいか。」
「あの眞黑な毛の色合はどうしても
と云合ふ者もあつた。
車は馭者の打振る鞭の下に近く眼の前を行過ぎて、直樣後から引續く車と車の間に隱れて了つた。
見物の人々の
そも如何なる日本人であらう。車を共にして居た
幸ひにも一週日ならずして自分はこの抑へ切れぬ好奇心を滿足させる事が出來た。それは或處で去頃コロンビヤ大學を卒業し今では紐育の或新聞社に關係して居る日本人の一友に出遇ひいろ〳〵雜談の末に、何氣なく其の事を話すと、彼の友はさも豫期して居たと云はぬばかりの語調で、
「さうでしたか、あの男を御覽になつたのですか、全く鳥渡見には日本人とは見えますまい。」
「如何云ふ人ですか、御存じですか。」
「よく知つてゐます。丁度私と一緖の船でアメリカへ來たのですし、其後私がコロンビヤ大學に這入りました時も矢張一緖になりましたから………。」
自分は次の樣な物語を聞いた。
かの男、その名を藤ケ崎國雄と云ひ資產ある伯爵家の長男です。米國に留學してコロンビヤ大學に這入りましたが、然し敎場へ出るのは、
一年二年と過ぎ三年目の夏休みが來た。私は學費を充分に有たぬ身分故、夏休中に講師某博士の家の藏書畫を整理して幾何の報酬を得る事にしたが、さう云ふ必要のない國雄は北米大陸の
間もなく秋になり大學は再び開始され學生は四方から歸つて來たが、國雄は何處へ行つたのやら音沙汰が無い。
私は想像した。國雄はもう學校が厭になつて了つたに違ひない。彼の性質としては其れも無理はない。讀書する事よりは遊ぶ事が好き―――遊ぶと云ふよりは寧ろ安逸無為に時間を消費する事が好きな男である。私は日頃彼が其の居室の長椅子もしくは木蔭の靑芝の上に身を安樂に橫たへ葉卷の烟をゆつたりと
忠告しても無論
併し一向に返事がないので、私は稍失望しつゝも或日の夕方散步がてらに其の家を訪問すると、出て來た宿の主婦から國雄は二週間ほど以前に、一先歸つて來るや否や、直樣公園西町の○○番地へ轉居したとの話に力を得て、早速その番地をたよりにして行くとセントラル、パークに面した十階ほどの高いアツパートメント、ハウスに行き當つたです。
私は紫色の
廣い建物の事とて外の物音は一切遮られ、廊下の空氣は大伽藍の内部のやうに冷に沈靜して居るので、私の押した鈴の音が遠く室の彼方で鳴響いてゐるのが能く聞取れます。稍暫く取次を待つて居たが一向人の出て來る
私は帽を脫つて丁寧に禮をなし、「藤ケ崎と云ふ日本人に面會したいのですが………。」
すると婦人は私を
婦人はさうです………年頃はもう二十七八かとも思はれます。
案内された客間に一人殘されて私は國雄の來るのを待つて居ると、隣の室で大方國雄に語るらしい婦人の聲が聞えた。やがて戶をあけて、「どうも失禮しました。」と國雄は一寸私の顏を見て何か氣まづさうに俯向いた。私は極く無頓着な調子で、
「さぞ御愉快でしたらう旅行は………。時に如何です、學校の方は。」
「ア、學校ですか。つい行きそびれて了ひました。もう止めです。」
「今お止めになつちや惜しいものです。もう後一年か二年も敎場にさへ出て居れば兎に角學位ぐらゐは取れるぢやありませんか。」
「私も此れなり退學して了ふ心ぢやないのですが、つい朝………つい朝晚くなつて了ふものですから………。」
私は云ふべき語を失つて其儘默つた。薄い霞のやうなレースカーテンを引いた窓越には公園の黃み掛けた木立に午後の日光が靜かにさしてゐる。忽ち隣の室で如何にも徒然らしく
國雄は聞くともなく聽き澄まして居たが忽ち何か決心した樣に、「君の御深切は全く
「さうですか。其れなら私も强ひてとは云はないですが、然し君、一體如何して其樣決心をされたのです。」
何氣なしに云つたのであるが、私の「決心」と云ふ語が、彼には深く意味あるものに聞えたと見え、彼は
「いや、別に決心した譯でもないです。唯少し讀書にも飽きましたから、保養がてら暫く遊んで居たいと思ふんですよ。」
此の日は其の儘歸宅したが四五日過ぎて、晴れた秋の夕暮、私はハドソン河畔の大通りを散步して居ると、偶然にも彼と其の家の婦人とが一輛の馬車に相乗しつゝ行くのを見た。
此の國では男女の相乗などは何の珍しい事もないのであるが、私は殆ど何と云ふ意味もなく若しや二人の間に何かの關係がありはせまいか。國雄の廢學した原因も其の邊に潜んでは居まいかと、疑ふともなく、ふと此樣事を疑つて見ると、誰しも一種の好奇心に驅られるが常で、私は自分の疑心が作り出した事實を確かめたいばかりに、其の後はそれとなく引續いて國雄を訪問しました。
度重る此の訪問は國雄には定めし迷惑であつたかも知れないが、私に取つては頗る興味がある。私の推察の當らずとも遠からざる事が次第々々に確められて來るやうです。
私は何時も取次に出て來る
二人が戀して居る事だけは明瞭になつた。
私は進んで、其の事の
「何して
私は更に問を進めると、
「
「一口に云へば浮氣性とでも云ふんでせう。小說などを讀んで面白いと思ふと、直ぐ自分も其樣身の上になつて見たくて堪らないと云ふんですからね。結婚してから一年も經たない中にポーランドから來た
私は意外の驚きに打たれ、「君、君は………其樣不德な婦人と知つて居ながら、平氣で彼の女を愛して居るんですか。」
國雄は無論だと云はぬばかりに默つて微笑む。私はいよ〳〵驚いて、
「一體、君はあの女から愛されて居ると思つて居るんですか。其樣怖しい女なら………一步讓つて愛されて居るとしても、ほんの一時で、直に又、他の男に手を出すかも知れないぢやありませんか。」
「其ア何とも請合へません。併し、私には一時でも
彼は再び微笑して讀書ばかりして居る私には學問以外の事が何で分るものかと寧そ蔑むやうに私の顏を見ました。
私は全く解釋に苦みました―――聞くも恐しいやうな夫人の身の上を知りながら國雄は如何して愛情を催す事が出來るのであらう。
他日私はドーデーのサツフオーなどを讀んで、男と云ふものは或る事情の下には隨分淺間しい經歷の女をも、非常な嫌惡の情と共に、又非常に熱烈な情を以て愛し得るものである事を知りましたが、國雄の彼の夫人に對するのは其れとは又全く趣を異にして居るやうです。
私は彼を見る度々種々なる方面から遂に其の眞相を探り得た。一時私は一種厭な感に打たれて彼の面に唾したいやうにも思つたが、更に一步深く觀察した後には一轉して私は世にも不幸な性情に生れ付いた男であると、同情の淚を禁じ得ないやうになつたのです。
國雄には堂々たる强い男性的な愛の感念が微塵も無い。全く男女の地位を反對にして男の身ながら女の腕に抱かれ、女の庇護の下に夢のやうな月日を送りたいと云ふ、俗に
日本に居た時分に彼は多くの靑年が誘惑されると同樣に丁年に逹せぬ前から早く狹斜の地に足を蹈み入れた。金は有り家柄はよし、其れに美男と來て居るから、隨分向から熱心になる若い美しい女もあつたけれど、彼は其等には見向きもせず、己をば弟か何かのやうに取扱つてくれる或老妓の情人になつて得々として居た。
世には金錢上の慾心から年上の女に愛されたいと思ふものが多いが、彼のみは富よりも猶高價な名譽と地位とを
此れではならぬと伯爵家では遂に彼をば外國へ追ひやるに如くは無いと決して、此處に國雄は米國に遊學したのである。然し運命の惡戲とでも云はうか。伯爵の若殿は幾千哩の外國まで來て再び美しい魔の捕虜になり、其の身は愚今は家をも國をも忘れて了つたのです。
私は繰返して運命の惡戲と云ひませう。國雄はもうかれこれ二年ほども、彼の夫人の下に養はれて居ますが、其の間絕えず彼が如何に飽かれまい、見捨てられまいと苦心しつゝあるか。笑止と云ふよりは寧そ淚の種です。
私は云ふに忍びない話を澤山知つて居ますが、此處に其の一つを話せば貴君が公園で御覽になつたと云ふ彼の長い髮の理由です。
一體女と云ふものは男が下手に出れば出る程暴惡に專制に成り易いものであるが、殊に彼の夫人のやうに世間から排斥され、云はゞ長く逆境に在ると神經が過敏になつて、
然し國雄は何事をも忍びます。或日夫人は例の如く國雄を散々に苛んだばかりか、遂には自分の美しく結んだ頭髮までを滅茶々々に毮つて、挿した寶石入りの櫛を足で踏碎いた。其の時の心地は何とも例へられぬ位、丁度夏の日に冷水を浴びたやうであつた………
國雄は光澤ある黑い髮を房々と肩近くまで延し其の先をば美しく卷縮らした。
貴君は車上の彼が姿を御覽になつて、あの長髮をば定めし極端なハイカラ好みとでも思はれたかも知れぬが、其の實は夫人が癇癪を起した時、彼はその長い髮を
(明治卅九年五月)
三人は同じ年に渡米して、偶然にも此の學校へ來合せたので、初めて顏を見合せた時には互に眼を見張つて
彼は其の當時、世間の風潮につれて、大學と改稱した或る法律學校を卒業したものゝ、思はしい職業を得る事が出來ない處から、相當の資產ある家に生れた身を幸に米国へ渡つたのである。嘗て土曜日の晚と云へば必ビヤホールや牛肉屋の二階で女中に戲れた事やら、寄席へ出る女藝人の批評に口角泡を飛ばした事、向島の運動會の歸りに初めて吉原へ繰込んだ時の事、牛込の忘年會から初めて待合へ泊つた時の事、それから、自分の爲めに開かれた送別会の大騷ぎ………。遂に飜つて現在の有樣に思到れば、來た當座こそ學校の敎場、學生の會合、往來の樣子から、街端れの
「お掛けなさい。如何です、英語はなか〳〵困難ですな。」
俊哉は無造作に、「何か面白い事は無いかね。」
「今夜演說があります。」山田は相手の質問に對して最も適當な返答であると信じてゐるらしく卽座にかう答へて、
「流石クリスト敎の國だけに好い牧師の演說が聞けるのが、私には何よりの樂みです。今夜は市俄古のB――と云ふ長老が、下町の敎會で說敎するさうですから、あなたも是非如何です。アメリカでも有名な牧師です。」
俊哉には宗敎上の事は少しも趣味がないので、
「然し僕には分りますまいから………殊に神學上の演說は………。」
「そんな事はありません。」と山田は稍熱心な調子になり、足の短い割に、ヅングリした胴の長い半身を前に出して、「今夜のは別に宗敎上の演說と云ふ譯では無い。禁酒と禁烟について何か話されるのださうですから、誰れが聞いても分ります。學校の生徒逹も皆な出掛けるやうです………。」
「生徒も皆な………竹里さんも行きますかね。」俊哉は返事に窮して意味もなく問うたのである。
「竹里さん………行かれるに違ひありません。女の生徒逹も無論出掛けるのですから。」
「男の生徒が各自に一人々々女の生徒を誘つて行くのでせう。米國流にあなたも一ツ、竹里さんを誘つて、腕を組んで出掛けちや如何です。はゝゝゝは。」
「然し、どうも私には………。」山田は切口上で、少しく顏さへ赧めたが、俊哉は
山田は傍らから、猶も頻と講演を聞きに行くことを勸める。講演を聞く聞かないは兎も角、只會堂へ這入つて、
どうせ行くものならば是非にも菊枝を誘つて見ねばならぬ―――俊哉はいよ〳〵其の日の夕暮男女の學生が兩方の寄宿舎から晚餐の食堂に集まる時、菊枝の來るのを靜に呼止めて、
「あなた、今夜下町の敎會へお出になりますか。」と訊くと菊枝は唯、
「はい、參ります。」
「いらつしやるんですか。私も行くつもりですから、それぢやお誘ひします。別に御迷惑な事はありますまい。」
菊枝は案の定返答に窮したらしく、もぢ〳〵して俯向いて了ふ。
「學校の生徒も皆誘ひ合つて行くさうですから、日本人は日本人同士で出掛けて見たいのです。山田さんにも其の話をしたら大に賛成だと云ふ事なんですから、ね、竹里さん、どうせいらつしやるなら、別に御迷惑ぢやありますまい。」
全く別に迷惑と云ふ程の事ではない。唯菊枝は男女の交際を禁止されて居る日本の習慣上意味もなく安からぬ氣がするだけなので、到頭其の夜の八時を約束に迎ひに來る俊哉に誘はれて寄宿舎を出る事になつた。
敎會までは三十分ばかりの道のり、冷かな十月半の夜は
「御覽なさい。竹里さん。皆あの通り愉快にそろつて行くぢやありませんか。」
やがて敎會に這入つた。神學生の山田は先に來て居たので、三人は後側の腰掛を占め、高い天井の模樣、奧深い階段の上のパイプオルガン、隅々の窓の繪硝子なぞを見廻して居る中に、間もなくフロツクコートを着た此の敎會の牧師と鼻の先へ眼鏡をかけた大きな禿頭の白い髯のある長老が現れて、牧師が聽衆に向つて當夜の演題を紹介すると、老人は直樣、Ladies and gentlemen と呼びかけて講演を始めた。
俊哉は近くの席に坐つて居る若い女の容貌の
二時間ばかりで演說は終つた。俊哉は來た時のやうに菊枝の手を取り、山田も共に打連れて、各その部屋に立戾つたが、寝床へ這入つてからも俊哉は何やら取り止めのない空想に耽つた。彼はいつか菊枝と面白い
俊哉は全く決心したのである。すると直に成功するかどうか知らと云ふ疑問が起つて來る。彼は此の疑問を更に二分して見て、全然成功は不可能であるか、或は單に容易でないと云ふに過ぎないか。俊哉は過去の經驗から第一の疑問は否定する事が出來たが、第二に移り成功は容易でないとすると、如何なる程度を意味するのであらう。意味が廣いだけに彼は大に此の返答には窮して了つた。で、まづ理論を離れ、自分の知つて居る實例の方面から解釋するに如くは無いと思立ち、日本に居た時分
何でも磁石力の理論から說き起して、或る男が久しい間或女を思込んで居たが、どうも迫つて見る機會がない。一夜圖らずも戀の成立つた夢を見たので、男は驚き目覺めたが、如何にしても思に堪へやらず、折好くも出合はせた女の姿を見るや、前後の思慮もなく、矢庭に駈寄つて物も云はずに、女の手を握り締めると、不思議や女は久しい以前から已にその男の
* * * *
秋も早や行かうとする。俊哉が初めて此の地へ來た夏の盛の頃には、高い楓の並樹が靑々とした大きな廣い葉で、靜な學校の門前の往來をば左右から蔽ひ冠せて居たが、今は朝夕の冷かな霧に見る見る黃葉して、いさゝかの風にもばさり〳〵と重さうに散りかける。寄宿舎の高い窓から裏手の田舎を見渡すと、
俊哉は每週土曜日と日曜日には必ず菊枝を誘ひ出して、自然の美を愛し田園の風趣を味はうと云ふので、なりたけ人の見えない靜な野邊を選んで步くのであつたが、菊枝も今は慣れるに從つて親しくアメリカの男女間に行はれる交際を見ると、全く日本の習慣とは違つて、案外健全で神聖である事が分るので、俊哉に手を引かれる事をば最初ほどには恐れぬやうになつた。
十一月の第二日曜の頃、俊哉は例の如く、牧場の端れへ菊枝を誘ひ出し、かすかな音して流れる小川のほとりの柔かな野草の上に腰を下した。
此國ではインデアン、サンマーといふ通り、空は限りなく晴渡り、午後の日光は眩く輝渡つて居たけれど、
菊枝は餘念もなく此の長閑な風景を眺めやる中、突然何處からともなく、からん〳〵と靜な鈴の音が聞え出してつい四五間先の茂つた草の間から、一頭の大きな牝牛がその頸につけた鈴を振り動しながら、のそ〳〵步み出した。
菊枝は日本の女性の常とて、喫驚して我を忘れ俊哉の方に寄添ふ。俊哉は早くもこの機に乗じて菊枝の手を取つたが、然しさあらぬ調子で、
「大丈夫ですよ。此の近所の農家の乳牛でせう。馴れて居ますから大丈夫ですよ。」
牝牛は柔和な眼で二人の方を眺めたが、何か思出したと云ふ風で、再び頸にぶらさげた鈴をばからん〳〵と音させながら、元來た方へ立去つて軈て又ごろりと
菊枝は始めて安堵したらしく息をついたが、自分の手が堅くも男に握締められて居るのに氣が付き以前よりも更に驚いた。手をば振拂ふ勇氣もなく顏を眞赤にして俯向きつゝ息をはずます。
俊哉も今は胸の騷ぎを押へ得ない。何と云はう。何と云つて百
彼は火のやうな女の耳に口を寄せ、日本語によらずして英語で囁いた。すると菊枝は聲をも立て得ず、極度の
俊哉は流石途法に暮れた體。然し其の握つた手は猶も放さずに、「菊枝さん〳〵。如何したのです。」と
菊枝は其の場に俯伏して猶身を顫はして忍泣くのである。
以前の牝牛が又步み始めたのであらう。寂とした牧場の草の間で鈴の音が聞え始めた。
* * * *
最初の失敗には懲りず、俊哉は如何かしてもう一度菊枝を靜な野に誘ひ出したいと、一心にその機會を求めたが、以後菊枝は俊哉の姿さへ見れば直樣それとなく逃げて了ふ。
次の日曜日は空しく過ぎその次の日曜日は待つかひもなく雨であつた。
十一月の末一度空が曇つて雨になればもう郊外に出づべき秋は全く去り、一日〳〵と
俊哉の望も共に埋め去られて了つた。然し一度燃えた若い胸の火は每日氷點以下の寒氣―――北方の
遂に書くべき文句の盡きた時には書棚の上に載せてある詩集の中の一篇をその儘寫し取つて送つた事もある。然し何の返事も無い。俊哉は何通手紙を書いたか、自分ながらも覺えが無いやうになつた。餘りの事と遂に彼は
俊哉は遂に窮して元氣を失つた。馬鹿らしいと笑つた。そして忘れたやうに手紙を書く事をよして了つた。する中或朝ふツと空が靑々と晴れ渡り、日光が微笑み、南の風が吹いて、岩よりも堅く凍つて居た雪が解け始めた。
冬が過ぎて春が來たのである。
牧場には去年のまゝに野草が靑々と茂出す。小山を昇る果樹園には林檎や桃の花が咲き亂れ若芽の輝く
若い男は若い女の手を引いて再び野の花を摘みに行くでは無いか。然し俊哉はもう菊枝の此の世にある事も忘れたかのやう。
或日の夕暮、例の如く食後の散步から歸つて來た時、彼は机の上に置いてある一通の手紙を見て不審さうに其の封を切つた。
「やツ、菊枝さんの手紙だ。」
彼は遠い〳〵昔の事でも思返す樣に腕組をして、さて其の手紙を讀むと、菊枝は去年から何通とも知れぬ男の手紙に對して返事をしなかつた詫言を繰返した後、重り重る男の手紙男の熱情を思返すと、彼女は最早や自分を制する事が出來なくなつた、愛の力は何物よりも强い。今は只御身の腕に我身を投げやうとの意味を長々と書いたのである。
俊哉は時ならぬ頃に此の豫想外の返事を得たので、暫くは呆返つて、夢ではないかと思つた。二度三度女の手紙を讀み返した後早速返書を送つた。
彼は翌日の午後去年の秋の末に二人腰を下した牧場の小川の畔に、再び菊枝の手を取つた。
その翌日、又その翌日、俊哉は每日の午後には必菊枝と共に村の小道や小山の果樹園、又は學校から程遠からぬ墓地などを步いた。森の中で日が暮れ、栗鼠が
二年の月日は過ぎ後一年で卒業すべき前の年の夏、俊哉は暑中休暇の間紐育ボストンあたりを旅行するとて學校を去つたが、それなり秋の開校期になつても歸つて來なかつた。
只一通の手紙をば菊枝の許に―――小生都合
* * * *
一年又一年。
俊哉は歸國して後、或會社の有望なる社員になつて居たが、或時新橋の停車場で偶然在米當初の學友山田太郞と云ふ神學者に出遇つた。
山田は牧師となり菊枝を妻にして居ると云つた。菊枝は俊哉に見捨てられたと云ふよりは一時の慰み者にされた事を知つた當時は全く狂氣となり、冬の或夜―――ミシガン州の怖しい雪嵐の夜に森の中に彷徨つて自殺しやうとしたのを、圖らず山田に助けられ事の始末を懺悔した。山田は惡魔の
彼は學位を得てから菊枝と共に歸朝した後、二人の屬して居る或
「大山さん。私は今日では決してあなたの罪を咎めは致しません。菊枝さんは神の惠と私の力で昔の罪から救はれ、以前の通りの溫良な婦人となり、善良な妻となりました。ですからあなたも
俊哉はその後會社などで若い者供の間に、クリスト敎は好いとか惡いとか云ふ議論が出ると必ず恁う云ふ。「兎に角クリスト敎は決して世に害を爲すものでない事だけは明瞭だ―――。」
そして彼は常に
(明治卅九年五月)
在留の日本人が寄集つて
西洋の女――殊に
すると、忽ち他の一人があつて、
「然しいくら米國だつて十人が十人皆さう
「どういふ話だ。」
その男はまづビールに咽喉を潤して語つた。
去年の十二月、まだクリスマスの前で、其の年に初めて雪が降つた晚だ。
尤も、宵の中には空こそ曇つて居たが風もなく寒気も左程でない。僕は
見物した芝居は例のミユージカル、コメデーさ。
芝居がはねると見物歸りの連中が入込む事にきまつて居る角の料理屋シヤンレーで一寸一杯。雜談に時を移して再び戶外へ出たのはもう一時過だ。見ると何時の間に降り出したものか往來は眞白。ひどい雪嵐だ。
僕を招待してくれた家族の連中とは歸り道も違ふので、つい鼻先の地下鐵道の入口で別れ、高架鐵道へ乗るつもりで四十二丁目の角を曲つた。すると、いや眞正面に吹付けて來る吹雪の激しさに僕は帽子を引下げ俯向いたなり向見ずに步いて行くと、忽ち人に突き當つた。相手も同じく行先見ずに步いて來たものと見えて此方より先に、
「あら御免なさい。」
投遣つた調子の仇ツぽい女の聲ぢやないか。喫驚して顏を上ると、
「あらKさんだよ。まア何處へいらしつたの。」
僕の知つてる女だ。身分なんぞは云はずとも分つて居るだらう。夜半の一時過吹雪の中のブロードウヱーを步いて居る連中だもの………。
「お前さんこそ何處へ行つたんだね、此の大雪に。スヰート筋も大槪にしないと命に觸るよ。」
「ほゝゝゝほ。私のスヰートは此處に居るから一人で澤山………。」
とぴつたりと寄添つて、「
「結句
「何ですツて。もう一度仰有い。承知しませんよ。」
女は掛けたベール越に睨む眞似をして、「さア、行きませう。眞實に寒くツて堪りやしない。コラまるで氷のやうでせう。」と其片頰をぴつたり僕の顏へ押付けた。
「何處へ行くんだ。寒さ拂ひに一杯かね。」
「酒屋は晚いから私の家………私の部屋へいらつしやい。眞實に久振だもの。」
一人で承知して女は僕の腕を取りぽつちやりした身體の重みを凭せ掛ける。
かう攻めかけられては仕方がない。僕は一緖にもと來たブロードウヱーへ出ると兩側の建物に風を避けて此處は大きに凌ぎよい。
僕は女と腕を組みながら少時四角へ立止つた。不夜城とも云ふべき芝居町四十二丁目の雪の眞夜中。實に見せ度い位の景色だつた。
ずつと見渡す上手は高いタイムス社アストルホテルを始め、下手はオペラハウスから遠くメーシーやサツクスなど云ふ勸工場のあるヘラルド
兩側の人道は雪で眞白な處へ色電燈の光で或處は靑く、或處は赤く、リボンのやうに染分けられて居る上を、歸り後れた歡樂の男女互に腕を組みつゝ右方左方へと、或ものは音もなく雪を分けて來る電車に乗り、或ものは其邊の
僕は辻待の馭者どもが勸める儘に行先は左程に遠くもないが女を扶けて一輛の
日本でも雪の夜の相乗と來れば何となく
フラツト、ハウスだから、表の大戶を這入つてから三階目。女は手にさげたマツフの中から鍵を出して戶を開け先に立つて僕を突當りの客間に連れ込んだ。
壁には色刷の裸體畫が二三枚。室の一方にはピアノ、一方には安物の土耳古織で圍んだコーヂー、コーナー。此處に二人は身體を埋めて飮んだり歌つたり、さて接吻したり
する中輕く客間の戶を叩いて此の家の
「何か御用。」とさも煩さいと云ふやうに僕の女ベツシーは甲高に返事をした。
「鳥渡で
「煩いのね、私やもう醉つてるのよ。」
恁うは云つたがベツシーは其の儘立つて出て行つた。
隣りの室の方で何やら
暫くすると太い聲の男は止めるも聽かず歸つて行くらしく、内儀の聲も聞えて、遂に表の戶を開閉する音………それから家中は再び寂となつた。
「あゝ、もう
「大分
「えゝ。しやうがないんですよ。つい四五日前に來た娘だもんですからね。」
「お客をふるのかい。」
「ふるどころか、てんで受付けないんですよ。尤も自分が承知で此處へ來たんぢやない、つまり欺されて來たんですからね。」
「欺されて………男にかい。」
「田舎からね、女を連出して金にしやうツて云ふ、惡い者に引掛つたんですよ。」
「それぢや、
「さうです。能くある話ですよ。」
「さうかい。それぢやアメリカにも
「それア、いろ〳〵時と場合で、あゝ云ふ惡い
「さう行きやアお手のものだが、もしか心立の堅い女で、死んでも身を汚すまいとしたら、如何するね。」
「そんな堅い女が滅多矢鱈に在るもんですか。」
ベツシーは所謂海に千年山に千年の輩だ。一言に僕の語を打消して了つた。
「初めは、誰だつて堅いもんでさ。私だつて昔は堅氣でしたよ。家は今でもちやアんとニユーゼルシーにあります。紐育へ來てから久しく三十三丁目の
果せる哉。僕は其後ベツシーを訪ねる度々初は一緖に酒をのむ、次には笑談を云ふ………段々に人摺れて來る少女アンニーの樣子には何時も驚かない事は無かつたね。
今ぢや君、もう立派なものだよ。後手にスカートを小意氣に摑み上げ細い拂蘭西形の靴の踵で、ブロードウヱーの敷石をコツ〳〵やる樣子。どうだい。お思召があるんなら僕が一つ紹介しやう。
(明治卅九年六月)
シカゴ、ニューヨークのやうな騷しい米國北部の都會を見物した旅人が一度南の方首府なるワシントンを訪ふと、全市は一面の公園かとばかり街々を蔽ふ深い楓の木立の美しさと、どこへ行つても黑人の多いのに一驚するであらう。
自分も新大陸を彷徨ひ步いた或年の秋、この首府に到着して早くも二週日あまり。まづ大統領の官邸ホワイト、ハウス、議事堂、諸官省から、市内の見るべき處は大方見盡し、遂に搖なるポトマツクの河上マウント、ヴアーノンの山中に
日沈んで半時間あまり燃る
それは單に見る眼のみならず、心の底までに一種云ひ難い快感を誘ひ出す。自分は遂に冠つて居る帽子を振動し四邊が全く夜になるまでも、一心に其れ等の浮き動く色彩を差招いた。
次の日もこの夕暮の美しい夢に醉はうとて、同じく日の落ちる頃を計り、此度はポトマツクの水を隔てた―――其處はもうヴアージニヤ州に屬して居る―――向岸の森をと志し町端れの崖下に架つて居る一條の鐵橋を渡つた。
渡ると橋袂には直樣蔽ひ冠さるやうな木の繁を後にして木造の小な電車の待合所がある。これは程遠からぬアリントンと云ふ廣大な共同墓地や練兵場や、兵營、將校の官宅などの有る所に赴く電車の出發點なので、今しも車を待合して居る人逹は大抵褐色の制服をつけた合衆國の兵卒で、中には大方士官の家にでも使はれて居るらしい黑人の下婢と、ワシントン市中へ買物に出た歸りらしい白人の年增の女も交つて居た。
自分は兵卒や水兵の姿を見る時ほど、一種の重い感情に胸を壓される事はない。立派な體格若い身空の諸有る慾情をば、絕間なく軍紀軍律と云ふもので壓迫されて居る肉の苦悶が、何處とはなしに其の日にやけた顏や血走つた目の色に現はれて居る樣の
自分は兵卒と同じく橋の欄干に身をよせかけて四邊を眺めた。丁度、入際の夕日は大空一面を焦げる樣に燒き立て、眞向に其の銳い光をワシントンの方へと射返して居るので、ポトマツクの河水に臨んだ公園の色付いた梢一帶は恰も濃艶な土耳古織の
晴々した大きなパノラマである。身は飄然として秋風の中に立ち、此れが西半球の大陸を統轄する第一の首都であるのかと意識しつゝ、夕陽の光に水を隔てゝ遙かに眺めやれば、何とはなく人類、人道、國家、政權、野心、名望、歷史、と云ふやうなさま〴〵な抽象的の感想が、夏の日の雲のやうに重り重つて胸中を往來し始める。と云ふものゝ自分は何一つ纏つて、人に話すやうな考はなかつた。唯漠として大きなものゝ影を追ふやうな風で、同時に一種の强い尊厳に首の根を押付けられるやうに感ずるばかりである。
自分は暫くして後俯向いた顏を起し、再び四邊を見廻した時には、先程橋の上を步いて居た兵卒も女づれも、已に待合した電車に乗つて行つた後と見えて、次の電車を待つ新手の人が早や二三人も集つて居た。
自分は電車道に沿うて一二町ほども步み、道の兩側から蔽ひかゝる林の中へと當もなく分け入つた。
林は重に
自分は聞くともなく耳を澄して猶も當なく步いて行つたが、其の時直ぐ行手の木蔭から小鳥の聲でも栗鼠の声でもない―――女の啜り泣く聲が起つた。
驚いて立止る間もなく、自分は直樣落葉の中に二人の人影を見出し得た。褐色の制服を着けた兵卒と其の足許に祈禱でもするやうに廣げた兩手を胸の上に組んで居るのは、まだ極く年の若い、半分程白人の血を混へた黑人の娘である。
兵卒と娘―――と云へば事の次第を想像するのは甚だ容易であらう。
「後生だから………。」と娘の聲は兩手を組んだ胸の底から響く。
「まだ、そんな事を云つてるのか。」と兵卒は嚙煙草の唾を吐きながら、如何にも厭はし氣に橫を向いて了つたばかりか、早や其の場をも立ち去らうとする氣色である。
女は倒れながら兵士の手に取り縋つて、「それぢや、もう、どうしても別れてくれツてお云ひなさるんですね。」
「何に………別れてくれ。別れてくれなぞと此の
兵士は如何にも憎々しく然も豪然と云ひ切つた。彼は立派な米人、彼の女は以前奴隷であつた黑人の女である。「別れてくれ………」と云つた女の語が少からず不快に聞かれたからであらう。
女は返す語もなく取縋つた男の手の上に啜泣くばかり。兵士は暫く其の樣子を見て居たが、何か又思出した樣に、
「考へて見るがいゝや。えツ。マーサ。」と娘の名を呼び、「初ツから、さうぢや無いか。乃公の方からどうぞ可い仲になつて下さいツて賴んだんぢやない。此の春、おれがM大佐の家へ從卒に行つてる時だ………夜お前が裏庭へ出て居る處へ乃公が行合す………乃公ア其の時酒に醉つて居て………はゝゝゝ、まアそんな事はどうでもいいや。するとお前は其の翌晚に何時の何日に何處そこで會ひたいツて云出したんだらう。それアな、乃公だつて會へる中は會ひもしやうさ………。」と言葉を切つた。
女はいよ〳〵泣く。
「今更、申譯らしく譯を話して聞したつて始らないが、まア早い話が物には始めがあれば屹度終りツてものがある。時候にだつて變り目があらア………」
自分はもうこの殘酷な暴惡な活劇を盜聞きして居るには忍びないやうな氣がして來た。丁度最後の
無論、自分は戀と云ふ事よりも長く此の國に存在する黑白兩人種の問題をば今更らしく考へ出すのである。一體黑人と云ふものは何故白人種から輕侮又嫌惡されるのであらう。其の容貌が醜いから黑いからであらうか。單に五十年前は奴隷であつたと云ふのに過ぬのであらうか。人種なるものは一個の政治的團體を作らぬ限りは如何しても迫害を免がれないのであらうか。永久に國家や軍隊の存在が必要なのであらうか………。
自分は林を拔け出て元の橋袂まで步いて來たが、夕陽は全く沈み果てゝ空を染めた紅の色も已に薄ぎ、水を隔てたワシントンの方では公園や木陰や高い建物の窓々に電燈の光が見える。自分は再び橋の欄干に凭れて蒼然として暮れ行く街の方を眺め渡した。
橋の上には以前のやうに電車を待合す兵卒が幾人も散步して居る。高話笑聲口笛なぞの騷しい中に自分はふと見返れば、たつた今林の中で黑人の娘を泣かして居た彼の兵卒が、何時の間に來合したものか、直ぐ自分の傍で同じ制服の友逹と何か話しをして居るではないか。
「どうだい。いゝ女でも目付つたかい。」と訊き出すのは彼の兵卒で。すると友逹は、
「だめよ。今日なんざ馬鹿を見ちまつた。」
「どうした。賭博にまけたのか。」
「賭博ならまだしもよ。いつものC街へ押掛けて行つて、とう〳〵財布の底を叩いちまつた。」
「はゝゝゝ。金を出さなけれア女が出來ねえのか。餘り腕がなさ過ぎるぢや無えか。」と彼は鳥渡噛煙草を吐き捨てながら、「どうだい。さう女に困つて居るのなら、一人若いやつを取りもたうか。」
「うむ。耳よりの話だな。」
「然し一ツ條件がある。それさへ承知なら………。」
「何でもいゝや。一文いらずなら此樣結構な事は無え。」
「さうとも結構なものよ。」と彼は頷付いて、「條件と云ふなア外でもない。黑人の娘だぜ。容貌は惡くねえが………。」
「構ふものか、そんな事に尻込する己れぢや無え。」
「感心々々。それでこそ流石のジヤツクだ。其の娘ツて云ふなア外でもない。以前乃公が從卒に行つて居たM大佐の家に働いてるんだが、まだ
「さうか、然し餘り夢中になられちやア後が煩いぜ。」
「そこは、此の乃公が承知して居る。其の娘ツて云ふのは男が好きなんだ。男と遊ぶのが好きなんだ。だから、お前がさんざ
折から電車が向うの木蔭から響を立てゝ現れた。
「車の中でゆつくり話さうぢやないか。」
「オーライ。」とばかり。二人の兵卒は口笛で――― I'm Yankee doodle sweet heart, I'm Yankee doodle joy ―――と云ふ俗歌を吹き鳴しながら停車場の方へと馳けて行く。
森や林や水は次第に暗くなつた。橋の下堤の木蔭に泊つて居る小舟や釣舟にも赤い灯がつき、ワシントン府の燈火は空の星と共に見る見る明く輝いて行く。自分は一人、橋を渡つて歸り行く道すがらも、何かまだ種々とまとまりの付かない、云現し難い非常に大きな問題を考へて居るらしかつた。
(明治卅九年十一月)
一時、
或夜、或處で、例の如く、人種論、
「彼方にや隨分、日本の醜業婦が居るさうですね。」と飛んでもない事を訊出した。處が、それは恰も燃立つ炎天の端に夕立雲の湧出した如く、忽ち四方に漲つて、堂々たる天下の議論を一變さして了つた。一座の中には以前よりも一層重大な問題が提出されたと云ふやうに椅子を前に引き進めたものさへあつた。
「女や三味線ばかりぢや無しに、日本流の風呂屋だの大弓場なんぞもあるさうですね。」
「汁粉屋でも鮨屋でも蕎麥屋でも殆ど無いものは無いでせう。日本の國内だつて、邊鄙な地方へ行つたら、到底あれだけの便利はきゝませんから。然し彼の邊に居る日本人は大抵九州や中國邊から出稼ぎに來たものばかりだから、料理だつて、女だつて、東京の者にや
「成程、さうかも知れん………。」
「私は
「何か、面白い冒險をやつたのですか。」
「いや、二三度飮みに行つたゞけの事さ。どうせ、あの邊に居る女の事だから、惡い蟲がついて居るに極つて居ますからね、身分のないものなら兎に角僕等はうつかり手が出せない。殊に其の女の亭主と云ふのは、書生上りで英語も出來るし、シアトル近邊ぢや有名な
辯じ立てゝ若者はパイプの烟に口を休めたが、其れを機會に片隅の椅子から、
「君。今君が話した女は確か僕も見た事がありやしないかと思ふです。………君は其の亭主だつて云ふ無賴漢の名前を知つて居ませんか。」
一同は皆驚いて質問した男の顏を見た。何故なれば彼は何時も女や酒の話には無頓着な眞面目な人として知られて居たからで。
「島崎君。君がさう云ふ方面の事を知つて居やうとは、實に意外だ。」と驚く聲が二三人の口から同時に聞かれた。
「いや、僕は相變らずの野暮なんだが、其の女の事だけは特別の事情があつて知つて居るのです。年は二十六七でせう。細面の、
島崎と呼ばれた男は問はるゝ儘に話した。
私が
能く晴れた十月の末、私は暮れ行く日と共に波止場へ着いたが、翌朝でなければ米國の移民官が出張しないと云ふので、其の夜は深け行くまでも甲板の
成程、あの地方で日本人が誤解されるのも無理ではない。宿屋の界隈は商店續の繁華な街が、丁度人の身の零落して行くやうに次第次第に寂れて行つて、もう市が盡きて了はうとする極點である。四邊の建物はいづれも運送屋だの共同の
案内された旅館の窓から頸を出すと、遙に市中の建物の背面が見え、正面には近く淺草のパノラマ館を見る樣な
私は石炭の烟を見たゞけで、もう辟易して了つて、直にも何處か西洋人のホテルへ引移らうかと思ひ、實は手鞄まで提げて往來へ出たが、書生の身の旅費は充分ならず、好し充分持つて居るにしても、西洋のホテルとさへ云へば直樣東京の帝國ホテルなどを思起し
成程、夜になつて、旅宿の窓から見下す街の光景は何と云はうか。私は出發する前にもう暫は見る事の出来ぬ東洋のこれも社會觀察の一ツとして一夜遊廓を步いて見た事があつた。今眼にする夜の活動もそれと同樣のものではあるが、然し私の受けた感動は到底比較にはならない。思ふに初めて見た外國の事とて、善惡ともに目新しかつたからでもあらう。
往來傍には日中其の邊をうろ〳〵して居た連中の外に、處々の波止場や普請場に働いて居た人足どもが其の日の仕事を了つて、何處からともなく寄集つて來るので、唯さへ物の
まア、想像して御覽なさい。アメリカと云ふ周圍の光景に對し、汽船の笛、汽車の鐘、蓄音機の樂隊なぞ、「西洋」と云ふ響の喧しい中に、かの長く尾を曳いて吠えるやうな唸るやうな眠たげな九州地方の田舎唄に、ちぎれ〳〵な短い糸の音、これほど不調和な不愉快なそして單調ながらも極めて複雜な感を起させる悲しい音樂が他にあらうか。
私は一夜―――たしか東部へ出發する前の晚の事、此の三味線が耳について眠られぬ處から、到頭勞働者の列に交つて向の橫町へと步いた。入込んで見ると、いや、大弓場から、玉突場から、其の他の飮食店や路の傍まで日本人のうろ〳〵して居る事は非常なもので、然し何れも何處やら沈着いて、此處は乃公逹の繩張中だと云はぬばかり、入込む西洋人の勞働者をばさも外國人らしく見遣つて居る。と、兩側の木造家屋の窓々からは折々カーテンを片寄せて外の景氣を窺ふ女の顏が見え、中には黃い聲を出して誰かを呼ぶのもあつた。何れも鼻の低い、目の細い、顏の平い關西地方の女で、前髮を切下げた束髮に、西洋風のガウンを着て居るらしく見えたが、私は外から一瞥したゞけで、早や充分の………滿足と云はうか、不氣味と云はうか、兎に角それ以上に近いて見るには忍びない心持になつた。
然し猶暫くは路傍に佇んで樣子を窺ふと、東西の勞働者は何れも煙草屋だの果物屋だの云ふ小い
ふいと、何處かに見覺がある樣な氣がしたので、行過る其の後姿を見送つたが、すると、其の紳士は二三間先の煙草屋の店先に立止る。店の電燈が橫顏を照す………橫顏と云ふものは能く人相を現すものである。七年程前の記憶が突然呼返された。
私は他分瞬間の感動に打たれた爲めであつたらう。日頃の臆病にも似ず駈寄つて後から男を呼止めた。
紳士と云ふのは死んだ兄の親友で、其の頃には絕えず兄の許へ遊びに來た男である。
名をば
その
兄は此の事件があつて後は、宛ら不吉の影か疫病神のやうに、家中のものゝ恐怖と嫌惡の中心になりながら、唯だぶら〳〵爲す事もなく二年ほどの月日を送つて居る中ふと肺病になり其の冬を越し得ずに死んで了つた。すると、私の父も母も急に兄をば惡いものだとは云はなくなり、何かの話が出るとあれは皆能く家へも遊びに來たあの山座と云ふ惡友があつた爲めだ………朱に交れば赤くなると云ふ諺が殆ど兩親の口癖になつて了つた位である。兩親のみならず私の一番の姉の如き(兄とは二ツの年違ひで、已にある法學士の妻になつて居たが、)家へ遊びに來る度々家族の寫眞帖などを繰つて見る時、兄と彼とが一緖に
「まア何て云ふ気障な風だらう、まるで役者か
年は一年一年と過ぎて行つたが、丁度兄の死んだ頃の寒い二月が來ると、每年兩親の口には今更らしく山座の名が呼出され、つゞいて其の時節中は私に對して例の古い諺と古い敎訓が數繁く繰返された。然しこの恐るべき山座なるものは其後何處に何して居るのか、家中知るものは一人もなかつたのである。
「君があの千代松君の弟………さう云へば成程忘れはせん。君はあの時分はまだ、ほんの子供だつたぢやないか。うむ、考るともう七八年………もつと昔になるかも知れん。」
勞働者の込み合ふ路傍、煙草店の店先で葉卷へ火を點けた山座は流石に驚いたらしく私の顏を目戌つたが、忽ち調子を代へて、
「どうして米國へ來たです。勉强ですか………然しこの近邊は君逹靑年の來る處ぢやないですよ。」
「明日にも友人の來次第
「僕か………。」と彼は語を切つて少時私の顏をば見詰めたが、「君に聞したら喫驚するぢやらう。はゝゝゝは。人間と云ふものは變れば變るもんさ。」
「移民事業の方でも………」
立派な八字髯を生して指環だの金鎖だのいやに金物を
少時默つて、葉卷の烟を吹いて居たが、「どうだ、日本飯でも御案内しやうか、東部の方へ行つたら當分はパンばかりぢやらうから………。」
私は辭退せず、矢張此の橫町の
山座は我が家の如く四邊を見廻しながら私を一室に案内して呼鈴を押すと、べつたり白粉を塗つた宿場の飯盛りとでも云ひさうな女が洋服に上草履をつツかけて出て來たが、如何にも懇意な間柄だと云ふやうに別にお世辭一ツ云ふでもなく、
「何か
「何でもいゝや、お雪にさう云つて、よさゝうなものを持つて來てくれ。」
女は返事をせず唯頷付いたまゝ、ばた〳〵廊下を步いて行つた。
突然何處かの室から陽氣な騷の三味線、茶碗を叩いて拍子を取る音が聞え出した。私は何の譯もなく嘗て房州あたりの夏の夜に船頭が船付の茶屋で騷いで居たのを見た其等の事を思ひ浮べる、と、急に遠く家を離れて外國へ來た寂しさが胸の中に湧出て、何やら悲しい氣がして來た。折から戶が開く。以前のとは違つた女が
「昨夜はどうしたの、あんまりぢや無いか。冗談も大槪にするもんだよ。」
呆れて私は其の顏を見た。二十七八、物云から細面の顏立から、淺草近邊の小料理屋か牛肉屋の女中に能く見る種類のものである。
流石の山座も私の手前、少しは氣まづい樣子で、頻と葉卷の烟を吹立てながら、「來るさう〳〵、つまらん冗談ばかり云やがつて、早くお客樣にお酌をしないか。」
女は酌をしたが其れを機會に、私の方に顏を向け、
「たまにやア
いよ〳〵出て、愈奇と云はねば成らぬ。山座は料理の催促にと、女を去らしめたが、もう祕すべきでないと決心したらしく、私の問ふのも待たず、
「え、驚いたでせう。膽を潰して了やせんか、はゝゝは。」と先づ笑つて後、現在の境遇を打明けた。
彼は私の兄の死んだ事をば新聞の廣吿で知つた頃、何かうまい事はないかと、食詰めた故郷を去つて、桑港へ渡り、一般の渡米者が經驗する種々の辛苦と失望を知り盡した結果、亞米利加三界は女で食ふが第一と悟つて、一先日本へ歸るや否や、今のお雪と云ふ牛肉屋の女中をば引連れて再び渡米し、根據地をシアトルと定めて、醜業婦密航の媒介と賭博をして暮して居るのだとの事。
「人間は一ツ惡い方へ踏出したら、中途で後戾りをしやうたツてもう駄目だ。自分ぢや幾程後悔して居たつて一度泥が着いたら世の中が承知しないからね、どこまでも惡い方で押通して見るより爲樣がない。君の兄貴千代松君なんざ、中途半端で眞人間に後戾りをしやうと思つたから、つまり心勞の結果だ、肺病なんぞになつて死んで了つたんだ。十人が十人先づそんなものさ。世の中を知らん學者なんぞは人間は打捨ツて置けば皆ずる〳〵墮落して了ふと思つてるやうだが、そんな心配は御無用だ、良くもならず惡くもならず、つまり中途までは落ちて行くかも知れないが、其れから先奈落の底へお尻を落ち着けて了はうと云ふにや、一度本の一册も讀んだものは非常な苦心で時々頭を出さうとする「良心」と云ふ奴を、すつかり平伏さして了はなくちや成らん。其れアなか〳〵口で云ふ位ぢや無い。乞食の家に生れた奴が乞食になる、此ア
彼は今日吾々が人生だとか神祕だとかを口癖にする時代とは違ひ、天下だの、靑雲だの、功名だのと云ふ事を曉の星と望んだ十年二十年前の書生の態度に立返り、肱を張つて飮干す酒杯と共に、堂々聲を高めて論じ出したので、私は過去の世の傷付いた人の苦痛の腸から出る
戶の外には、以前の
私は其の翌日、
それから程經て後の事私は母に送る手紙の中に、何心なく山座に會つた一條を書いた事があつたが、すると母の返事にはよいも惡いも今は夢、昔は
ニユーヨークとシアトルとは三千哩も離れて居るとは夢にも心付かぬ老いたる親心。母の情。私は覺えず淚を落しました。
(明治四十年六月)
博士B
偉大なるは
「博士よ、貴君はあのオペラの理想については如何いふ說をお持ちですか。」
恁う質問すると、B――博士は忽ち胸を刺されたやうに
「不幸にして、私は彼のオペラを學術的に判斷する資格がないのです。」と俯向いて、「何故ならばあのタンホイザーを聞いた當時の事を思出すと無限の感に打たれる………お話しませうか、もうざつと二十年も昔の事ですが………。」
自分が椅子を進めるのを見て博士は語り出した。
もう二十年も昔の事です。私の妻ジヨゼフインが丁度貴君と同じやうにかのタンホイザーの意味は何であるかと訊いた事がある。
當時私は新婚旅行のつもりで妻と共に歐洲を漫遊し、丁度墺太利の首府に滞在して居たので、一夕この都の有名な帝室付のオペラ、ハウスに赴いた(と博士は室の壁に掛けてある寫眞の建物を指した後)其の夜の演題は乃ちタンホイザーであつた。
私は場内の光景から其の夜舞臺に上つた歌人、樂人、或はかの獵の從卒や大名、巡禮の行列なぞに出る數多の合唱歌人の顏までをも、一々明かに記憶して居ます。
私は妻ジヨセフインと共に
御存じの通り下手に女神ヰナスの寐臺の下に樂師タンホイザー立琴を手にした儘居眠つて居る。
と、山道の岩の上に幼い羊飼一人、塵に汚れぬ聲も淸らかに笛を吹いては歌を唱うて居る。間もなく山の彼方よりはる〴〵
タンホイザーは先程から此等の歌に聽き取れて居たが忽ち今まで耽つた我が罪の歡樂の空怖しくなり、感慨極つて其の場に泣き伏して了ふ。
聽いて居た私は覺えず深い溜息を漏らして目を閉りました。
長き
世には禁ぜられた果物程味深いものが又とあらうか。罪の恐れ毒の慮りは却つて其等の魔力を增すに過ぎない。今は何も彼も打明けてお話しやう………(と博士は耻らふ如く稍俯目になつて、)男と云へば一時は誰でも此の種の女の化粧の力に魅せられるものであらうが、と云つて私ほど魂を奪はれたものも少いであらう。如何なる譯からか、私には美しい衣裳に身を飾り舞臺のフツトライトの前で、態とらしい眼付や身振をして舞ひ歌ふ女藝人や女役者、さらずば料理屋劇場
男の出來心は一度此謎の樣な魔力に擽られかけると、魅せられた眼には何時となく敎育あり淑德ある妻や娘は冷い道德の人形のやうに見えて來て、「戀は
私はまだ學業をも了らぬ中から折々長閑な春の半日書齋の窓に葉卷の煙を吹きつゝ、一生の中何時か一度は彼の種の女と戀し戀されて見たならばと、さま〴〵愚な事を空想した事がある。兎に角私は普通の人よりか高い敎育を受け讀書もした身である。飽くまで其の慾情の賤しく又愚である事を承知して居ながら、さて何うしても其れをば抑制する事が出來ない。能く佛蘭西や露西亞の自然派の小說に描かれて居る―――立派な品性の紳士がかゝる劣等の女性の爲に身を滅す物語なぞを讀むと、私はヒステリー質の女のやうに身につまされて泣き、あゝ此れが運命と云ふものかと深く懷疑の闇に彷徨うた事も度々でした。
かく一方で理と智惠とが非難すればするほど慾望はます〳〵高まる。私は學校を出ると直ぐ道樂者ばかり寄集つて居る倶樂部の會員となつて、
私は今でも能く思出すのです、吹雪の夜丁度方々の芝居が
此樣生涯を送つて居る中、私はかのマリヤンと呼ぶ女藝人と懇意になつたのです。
或夜例の如く劇場が閉場てから夜を生命の女供が能く集る料理屋へと、私は道樂友逹三人連で、獨身時代の銳い眼をキヨロ〳〵させながら這入つて行くと、
吾々は其の儘女の食卓に着いて、例の愚な話に罪もなく笑ひ興ずるのです。が、時としては聞くに堪へない劣等な語に思はずぞつとすると、絕えず自分の弱點を憤つて居る念がむら〳〵と湧起り、同時に果敢さが身に浸渡つて私ばかりは兎角無言に陷り易い。
この樣子を見て取つたマリヤンは私をば至極
夜の二時過まで騷いだ後、吾々は二人の女をば例の如く各その家まで送つて行く事となつたが、往來へ出て辻馬車を呼ぶ時に、どう云ふ其の場の
彼女はハドソン河に近いアツパートメントに住んで居ると云ふので、ブロードウヱーを北へ小半時間、市内目拔の場所を離れると、直ぐ樣眞夜中過ぎの淋しさは物凄いばかり、我を運ぶ馬の
マリヤンは每夜を深す身の疲勞か、今は力なく頭を後に倚せかけ、重げな瞼を折々は押開いて、私の方を
私は默然として女の身に付けた化粧の薰を深く吸ひながら凝と其の橫顏を打目戍つた。
年紀は二十一二か。全體が小作りで頸の長い
私は殆ど仰向に居眠つて居る彼女の唇の上に輕く我が唇を押付けた。柔かな、暖い呼吸は直に私の身中に突入る。
マリヤンはぱつちりと其の大きな眼を開いて私の顏を見たが、その儘再び居眠つて了ふ。私は
「マリヤン。」
私の聲に彼女は初めて目覺めたらしく膝の上に置いた白い鼠の毛の
「好い心持に夢を見て居たんです………が、それぢや接吻なすつたのはあなたなんですか。」
私は一時の擧動に耻入つて何とも答へず俯目になると、マリヤンは高くほゝゝほと笑ひながら、丁度其の時馭者の明ける車の戶から、鳥のやうに裾輕く飛び下りた。
私は彼女が五階目の
我が身は君を待たんが爲めに、何丁目なるホテルに引移り候。かの上町の住居は戀の
我が身は君を一目見て戀し候。我等の戀は此の如し、何故とな問ひ給ひそ。あゝ今宵の逢瀨まで、さらば―――(と此の最後は佛蘭西語で書いて)戀するMより
この年月の夢は今こそ誠となつた。私の決心は恐らく彼女の決心よりも迅速であつたらう。私は取るものも取りあへず其の夜示されたホテルに駈け付けると其の儘一年半ばかりの長い月日を女と二人で夢のやうに暮して了つた。
私等は生きて居る人間の身の
然し此の人の世は如何に香しい夢とても、如何に深い醉とても、時來れば覺め消えるが常である。私は今日となつて考へて見るとあれほどまでに戀し合うて居たものを、どうして別れる氣になつたものか、殆ど不思議で、それをば說明する事は出來ないのです。敎育から得た理智の念が追々魔醉した心を呼覺した爲めと見てもよからう。或は男性固有の功名心が次第に戀の夢よりも强くなつて來た爲め、或はタンホイザーの物語を其儘に
もう二度と若い時代の愚な夢には耽るまい。人間の職務は地上の生命と共に消えて了ふ歡樂に醉ふ事よりも、もつと高尚で且つ永久のものがある。先づ善良なる市民となる爲めに正當な家庭を作れ。幸ひにして私は米國の社會には名のある家に生れ父の遺產も少からずあつた爲め交際社會へ出ると、世は狹くて又廣いもので、誰一人私の昔を知つて居るものはなく、程なく私はジヨゼフインと云ふ判事某の令孃と結婚しました。
して今日、歐洲に新婚旅行の途すがら、此處に共々オペラを聽いて居る………私は舞臺で歌つて居る樂師タンホイザーの恨をば其の儘に我が胸の底深く、懷舊の淚を呑込んで居たが、それをば知る由もない妻ジヨゼフインは上流社會の女性の常として唯だ主義なく技巧的に修練された藝術鑑賞の態度で傾聽して居るのに過なかつたらしい。
然しあなたも已に感じて居られる通りワグナーの音樂には(と博士は鳥渡私の顏を見遣つて、)他の凡の音樂とは類を異にし聽く者の心の底に何か知ら强い感化を與へねば止まぬ神祕の力が籠つて居る。
されば一幕目は濟み二幕目の廣い宮殿の場、三幕目巡禮の歸り………とオペラ三幕を聽き了つた時には、私の妻は何やら物思はしい樣子になり、搔亂された空想の中から、何か纏つた感念を探りたいと悶えるらしく見えたです。
私の方は又私自身の物思ひに知ず〳〵語少く、二人は劇場を出ると其の儘、直ぐ馬車に乗つて旅館に歸つて來た。
二人とも疲れて煖爐の前の椅子に身を落すと、間もなく妻は片手に頰を支へながら、「一體、あのオペラの理想は如何云ふんでせう。」と私の顏を見上げました。
大きな古い旅館の一室、片隅の小机の上に、綠色の笠を冠つた燈火が點いて居るばかり、窓の外には何の物音も聞えぬ。吾々米國人には、この寂とした舊世界の都の夜半には、何處からともなく、幾世紀間の樣々な人間の聲も聞き得らるゝやうに思はれ、驚いて見廻せば凡てを暗色に飾つてある壁と天井に調和して、窓や戶口に掛けてある重く濃い天鵞絨の
椅子から立上つて天井から釣してある電燈を點じやうとすると、妻は手振でそれをば制した。しんみりと話でもするには餘り明くない方がよいと思つたのであらう。元の椅子に坐ると妻は沈んだ聲で問ひ掛けます。
「あなた。私にはどうも合點が行かないのです、タンホイザーが女神に別れて故郷に歸つて來る心持はさも然うであらうと思ふんですが、さて歸つて來た後、自分を慕つて居る領主の姫君ヱリザベツトの目前で一度後悔した女神の事を思ひ出すと云ふのは何う云ふ譯でせう。私にはあの心持が分らないのです。」
私の耳には忽如として、
戀の女神よ………ヰナスのみこそ御身に愛を語るなれ
(Die Göttin der Liebe)
と激しいタンホイザーの歌が聞え出す、同時に心の底にはマリヤンの面影。私は
「それが卽ち人生とも云ふべきものだ。忘れやうとするけれども忘れられない。愚と知りながら陷り悶える。何に限らず理と情との煩悶、一步進めれば肉體と精靈の格闘、現實と理想の衝突矛盾。此の不條理が無ければ人生は如何に幸福であらう………然し其れは及ばぬ夢で私にはこの
話す中に私は弱い我身の上のみならず地上に住む凡ての人の運命が果敢く思はれて來て、子供のやうに譯もなく大聲を上げて泣いて見たいやうな氣がして來た。
「それですから、私逹は神に………宗敎に依賴するのではありませんか。」
此う云ふ妻の聲は、生きて居る女の口からではなく、何處か遠くから響いて來るやう。私は聲を顫はし、
「然し、宗敎も信仰も、時としては何の
云ひ切つて凝と妻の顏を見た。妻は白い兩肩と廣い胸とを出した卵白色の夜會服を着けて居たので、
私は一時の感激に襲はれる儘、突然身を其の足許に投伏し、力一杯に其の手を握り締め、「永劫の罪から吾々を救ふものは淸い乙女の愛である。ジヨゼフイン、お前は私のヱリザベツトである。」と叫んで熱い淚を其の膝の上に濺いだ。
「それぢや、あなたは何かタンホイザーのやうな………。」と妻も今は稍
結果は如何であつたか。妻はヱリザベツトのやうな氣高い愛をもつて居たか。否々。私の話を聞くと共に妻の眼は激しい嫉妬の焰と、銳い非難の光に、
私は忽ち我に立返ると同時に一時の感激からよしない祕密を語つた輕率を悔い、打詫びるやら、云慰めるやらいろ〳〵に心を盡したが、もうそれは誠實の意氣を缺いて居た。云はゞ技巧的に自分の非を蔽ひ隱さうとするのであつたから事はます〳〵惡い方に進むばかり。
「よくも私を今日まで欺しておいでなすつた………。」と此の一語を最後に妻は縋る私の手を振拂つて次の室へと行つて了つた。
人生第一の幸福なる私等の新婚旅行は其の後如何に悲慘なるものとなつたであらう。翌日に
然し私は何時か一度はわが眞心の通ずる時妻の怒の打解ける折が來やう、と有る限りの勇氣と忍耐に漸く一縷の望みを繫いで居た。が、一度閉ぢた女の胸は永遠に開くものではない。彼の女の頰は日一日に肉落ち、その眼は恐しい程に銳く輝いて來て、幾日の後、紐育へ歸つて來た時には出發當時のジヨゼフインとは宛ら別人のやうに思はれて了つた。
で、私は妻の申出づる儘に止むを得ず一時夫婦別居する事になつたが、程なく正當な離婚の請求を受け續いて四年の後には他へ再婚したとの報知に接したです。あゝ、わがジヨゼフイン。此して私は此に二十年あまり孤獨の生活を續けて居る………
B――博士は語了ると共に椅子から立ち二三度室の中をば手を振つて步き廻つたが、やがて室の片隅に据ゑてある大きなグランド、ピアノの方に
ピアノの上に置いた
(明治四十年正月)
洋行と云ふ虛榮の聲に醉ひ、滯在手當金幾弗との慾に動され、名と利との二道をかけて、日頃社内を運動して居た結果、澤崎三郞氏は丸圓會社紐育支店の營業部長とやらに榮轉し、妻子を殘して、一人喜び勇んで米國に旅立つたのである。
然し何事も見ると聞くとの相違で、澤崎は紐育に到着して一ケ月二ケ月位は、何が何やら夢中で暮して了つたが、稍支店内の事情も分り市中の往來も地圖なくして步ける程になると、追々に堪へがたい無聊を覺え出した。
朝九時から午後の五時まで事務所に働いて居る中はよいが、さて事務所がひけると紐育は廣いけれど澤崎は何處へも
で、日一日三月半年と經てば經つほど、日常生活の不便と境遇の寂寥とを感ずるばかり。時々は堪へられぬ程朝風呂に這入つて見たい氣がしたり、鰻の蒲燒に一杯熱いのを引掛けて見たくなつたり、兎角故郷の事ばかりが思出される。故郷には何でもはい〳〵と云つて用をする妻もある。一時は内所で圍者を置いた事もある。其樣事を思起すと今年四十になる好い年をして、何一ツ不自由のない日本を出て來た事が、何とも云へぬ程愚らしく感ぜられ、忙しい會社の事務を取つて居る最中にも、或は疲れて眠る夜中にも折々影の如く烟の如く何やら譯の分らぬ事が胸の底に浮び出て、ハツと心付いてわれに返ると、急に全身の力が拔けて了つたやうな物淋しい心地になるのであつた。
彼は自ら其の弱點を
然し澤崎は此の心持をば如何なる理由とも知らず、又知らうとも思はなかつた。もと〳〵其の妻は世俗の習慣に從つて娶つた下女代り、其の家は世間へ見せる爲めの玄關、其の子は生れたるによつて敎育してある………と云ふのに過ぎぬので、其の妻、其の家の爲に思惱むなぞは如何にも女々しく意氣地なく感ぜられてならない。殊に煩悶だの、沈思だのと、内心の方面に氣を向ける事は男子の耻と信じた過渡期の敎育を受けた身は猶更の事、彼は遂に自ら大笑一番して、いや此樣妙な心持になるのも、つまる處女に不自由してゐるからだと我と我身を賤しく解釋して僅に其の意志の强さに滿足しやうとした。
成程、女に不自由して居るのは事實である。紐育に來て以來時には日本人同士の宴會の歸りなぞ、こつそり遊びに行く事はあつても、いつもジヤツプと見くびられて現金引換通一遍の
彼は每日
停車場のプラツトホーム每に、人の山をなした男女は列車の停るか停らぬ中に、潮の如く車中に突入り、我先にと席を爭つて、僅に腰を下し得たものは、一分の猶豫もせず直樣手にした新聞を讀みかける。席を取り損ねたものは或は釣革にぶら下り或は押しつ押されつ人の肩に凭掛つて男女の禮儀作法を問ふ暇もなく無理にも割入つて腰を掛けやうと、互に其の隙を覗つて居る。
澤崎は米人の多忙を模して、何時も新聞は手にしながらも車の混雜に若い賣娘やオツフイース娘なぞが遠慮なく自分の右と左にぴつたり押坐り、車の發着する度々の動搖に柔い身體を觸合す。其れのみか次第々々に身の
彼は今更らしく幾度ともなく何とか方法を付けねばならぬと云つて居るが、差當り何うする道もない。室借をして居る家には年頃の娘もあり、鳥渡
彼はいまゝで此れ程に春の力を感じた事は無い。輕い微風は肺に浸渡つて身を
其の朝彼は殊更に地下鐵道内の混雜を恐れ、わざ〳〵遠廻りまでして、餘り混まない高架鐵道線によつて會社へ出勤し、自分の机の置いてある支配室へ這入つたが、すると片隅の椅子に見馴れぬ若い西洋婦人が自分の出勤を待つものゝ如く坐つて居るのに胸を躍らせた。
彼は全く失念して居たのだ。實は昨日限り長らく此の事務所で電話の取次などして居た五十近い老婦人が都合あつて辭職した處から、其の後任として新聞の廣吿によつて此の若い女を雇入れたので、今日から事務を引繼ぐ爲めにと彼の命令と說明を待つて居たのである。
電話の應接と其の暇々に英文書狀の整理を手傳ふだけの事であるが、彼は一ツ〳〵云聞す中にも此れからは每日此の若い女を我が傍に置いて我が事務を手傳はすのかと思ふと、妙に嬉しいやうな氣がして、かの皺だらけの半白な眼鏡をかけた以前の老婦人が居た時に比べると、事務室全體が明くなつたやう。
彼は事務を取つて居る最中にも五分と其の橫顏から目を放す事が出來ない。年は二十六七にもならう。
やがて一週間ばかりも經つたが、女は一向物馴れた樣子も見せず、朝は往々出勤時間に後れて來る事もあり、遂に先週の末頃からは病氣とやらで缺勤し初めた。澤崎は何となく殘念な氣がして成らぬ。病氣とばかりで未だ止めるとは云つて來ぬが、矢張見知らぬ日本人の中で働くのが厭なのであらう………その中に何とか云つて來るであらうと、澤崎は次の週の月曜日一日待つて其の次の火曜日をも空しく過した。
其の日の夕暮、彼は晚餐後に何かの用事でアムステルダム通と云つて長屋續きの見付の惡い小賣店ばかりに、路幅は廣いが如何にも場末の貧乏街らしく見える大道を行き掛けた時である。風の無い蒸暑い五月末の黃昏、街燈に火は點きながら、四邊は紫色にぽつと霞み渡つた儘まだ明い。其の邊の開け放した窓や戶口からは、無性らしく頭髮を亂した女房や、服裝の汚い割りに美しく化粧した娘の顏が見え、八百屋だの果物屋だのが露店を出して居る往來端では子供や小娘がワイ〳〵云つて遊んで居る。
澤崎は譯もなく柳町か赤城下の街あたりのさまを思ひ浮べて、佇立むともなく唯ある露店の前に佇立んだ途端に、其の傍の戶口から出て來た一人の女―――見れば思掛けないかのデニングである。
澤崎は餘りの意外に、遠慮なく其の名を呼び掛けて進み寄つた。
女も一方ならず驚いたが、まさかに逃げ隱れも出來ないので、止むなく其の場に立竦んだものの、顏を外向けて何とも云出し兼ねて居る。
「御病氣は………もう能御座んすか。」
「はい、御庇樣で………」
「此の邊にお住ひなんですか。」
「はい、此の三階に部屋を借りて居ります。」
「明日はもう何うです。會社へは………。」
「定めしお急しい處を、濟みませんでした。」
「病氣の時はお互に止を得んです………どうです、散步にでもお出掛の處ぢや無かつたんですか、御迷惑でないなら御一緖に其の邊までお伴しませう。」
恁う切出されてはいやとも云へず、女は其の儘澤崎と連れ立つて、何處と云ふ目的もなく並木の植つた廣いブロードウヱーの方へ步いて行つた。ブロードウヱーも大分北へ寄つた此の邊になると兩側とも靜なアツパートメントハウスばかりで、人通も激しからず建物の間々からはハドソン河畔の樹木と河水が見える。
「どうです、河端まで行つて見ませう、あの眞靑な木の葉の色はもうすつかり夏ですな。」
一町ほど步いて樹の下のベンチに腰を下した。少時は無言で黃昏から夜にと移行く河面の景色を眺めて居たが、澤崎は忽ち思出したやうに、
「明日あたりは會社へお出になりますか。」
女は聞えぬ風で默つて居たが稍決心したらしく、
「私、實はもうお斷りしやうかと思つて居りました。」
「どうしてゞす。何か御不滿足な………。」
「どうしまして。」と强く打消して、「矢張病氣の所爲ですか、どうも氣が引立ちませんから。」
「どう云ふ御病氣です………。」
女は答に窮したらしく默つて俯向いた。澤崎は更に、
「オツフイースなぞへ働きにお出でなさるのは此度が始めてゞすか?」
「いえ、初めてと云ふ譯でも御在ません。結婚します前は長らく方々の商店や會社に通つて居りました。」
「其れぢや事務には隨分馴れておいでなさる譯ですな。」
「いえ、不可せんです。結婚しましてから丁度三年ばかりは、とんと外へも出ず、家にばかり居たものですから、つまり怠け癖が付いて了つたんですね。夫が死亡ましてからは復た元の樣に働きに出なければならない譯になつたのですけれど………もう何ですか、根氣が失りましてね。」と淋しく笑ふ。
「然し私の事務所なぞは仕事と云つても大して面倒な事はなし、西洋人の女もあなた一人で、別に交際もいらず………何にか御辛抱が出來さうなものですがね。」
「全くで御在ますよ。あなたの事務所位結構な處は、紐育中どこにもありやしません。ですから私も是非御世話になりたいと思つて居たんですが、每朝つい………。」と云つて女は覺えず口を噤み其の頰を赧めた。
四邊はもう夜である。明いやうで暗く暗いやうで明い夏の夜である。二人の坐つて居るベンチの後から大きな菩提樹の若葉が、星の光と街燈の火影を遮つて、二人の上に濃い影を投げて居るのに、女は稍安心したらしく
澤崎は詩も歌も知らない身ながら、美しい若葉の夜の何となく風情深く、人なき腰掛に手こそ取らね、女と居並んで話をして居る事、それだけが非常な幸福の如く感ぜられて、話の材料なぞは一向選ぶ處ではない。
「あなたのお連合は何をなすつていらしつたんです。」
「保險會社へ出て居りましたんです。」
「お淋しいでせうね、何かに付けて。」
「えゝ。もう………一時はどうしやうかと途法に暮れてしまひました。」
川風が靜に鬢の毛を撫る度々四邊には若葉が囁く。近くの家で弾く
「
澤崎も已に一年以上此國に居る身とて何時となく西洋人が
「さうでしたらうね。」と如何にも眞顏に相槌を打ち、「どうして御結婚なすつたんです。」
「それは私も彼人も下町の會社へ行く時、每朝同じ電車に乗合はせたのがもとで土曜日や日曜日每に遊びに出る………ぢきに話がついて一緖になつたのです。
澤崎は餘り奧底なく話されて少しは辟易しながらも、猶話を絕すまいと相槌を打つ。此方は唯さへ
「其ればかりぢやない、良人は恁う云ひますの………お前は髮を綺麗に梳上たり、衣服をキチンと着たりするよりも寢起のまゝの姿が一番美人に見えますツて………ほゝゝゝほ。私は人を馬鹿にするつて怒りましたら、良人は眞面目らしく、お前は亞米利加の女見たやうに働く爲めに出來たのぢや無い。土耳古か
猶もつまらぬ事をあれやこれやと話し續けて居たが、軈て思出したやうに、「もう、何時でせう。」と時間を訊きそれを
「其ぢや明日は………まあ兎に角事務所へ出ていらつしやい。待つて居ますから。」
其の儘別れたが、いざ翌日になると、待つかひもなく、女は病氣を云立てゝ是非にも辭職する旨をば電報で云越した。
何と云ふ我儘………日本人と見て馬鹿にする、と在米日本人の常として、直樣妙な愛國的
顏を出したのは
「ミツセス、デニングと云ふのは此方ですか。」
訊くと大男は忽ち廊下の方を振向き大聲でその女房らしい女の名を呼び、「おい、又誰れか、彼の尼ツちよを訪ねて來た、お前、何とか云つて見てくんねえ。」
今度は目の
「お氣の毒さまですが、あの女はもう家には居りませんですよ。昨日の朝、
譯は分らぬが如何にも憎々しい物云振り。澤崎は當惑しながらも、僅に
「へゝえ。」
「病氣とばかりで一向出勤せんから、鳥渡樣子を見に來たんぢやが………店立を喰したとは又何う云ふ譯だね。」
「旦那、其れぢや貴君も一杯喰された方なんですね。」と婆は俄に調子を變へて問ひもせぬのに長々と話し出す。
「旦那、あんな根性の太い奴はありやしません。以前御亭主を持つてる中は、二人で此のつい上の五階目に暮して居たんですがね、一日
「ところが到頭
「一昨日の夜到頭金に困つて來たと見えて、何處からか男を喰へ込んで、己の家を體のいゝ地獄宿にしやがつた。其の前からもちよいちよい怪しい風は見えたんだが、證據が無えから默つて居たんで、一昨日の夜は一時二時と云ふ眞夜中、並大抵の友逹の來る譯が無え、己の處は恁う見えても、腕一ツで稼ぐ職人の家だ、地獄の宿は眞平だ、家賃の貸も何にも要らねえから………と目ぼしい衣服と道具を質に取つて其の朝早々追出してしまつた………。」
「何處へ行つたか知らないかね。」と澤崎は覺えず嘆息した。
「知るもんですか。大方夜になつたら其の邊の酒屋でも彷徨いて居ませうよ。」
澤崎はすご〳〵階段を下りて外へ出たが、女の墮落した一條を聞知るにつけて一層の遺憾を覺え、何故あの時さうと氣付かず、見す見す機會を逸したのであらうと靴で敷石を踏鳴し齒を嚙締めた。
何にもよらず逸した機會を思返すほど、無念で寢覺の惡いものはない。彼は時を經折に觸れて彼の女の事を思起して居たが、遂に再會する機會なくやがて在留三年となつて、歸朝の時節も早や二週間ほどに迫つて來た。
で、多分送別の意か何かであつたらう、彼は能く
澤崎は何氣なく眺めると何れも厭らしい身の投げ態に樣子を變へて居るが、顏は見忘れぬ彼のデニングと云ふ女である。
あゝ、さては彼の女、樂して儲ける家業の選みなく折々は寫眞師のモデルにも成ると見える。彼は再び例の遺憾千萬に身を顫したが遂に運拙くして再會の機なく其の儘歸國して了つた。
以後澤崎三郞氏は人から米國に關する其の意見を訊かれる時は何によらず、必ず次の如き論斷を以て話を結ぶのであつた。
「つまり米國ほど道德の腐敗した社會はない。生活の困難な處から貞操なぞ守る女は一人もないと云つて可い位だ。到底士君子の長く住むに堪へる所では無いです。」
(明治四十年四月)
一月一日の夜東洋銀行米國支店の頭取某氏の社宅では、例年の通り初春を祝ふ雜煮餅の宴會が開かれた。在留中は何れも獨身の下宿住ひ、正月が來ても
キチーと云つて、此の社宅には頭取の三代も變つて、最う十年近く働いて居る獨逸種の下女と、頭取の細君の遠い親類だとか云ふ書生と、時には細君御自身までが手傳つて、目の廻る程に忙しく給仕をして居る。
「米國まで來て此樣御馳走になれやうとは、實に意外ですな。」と髯を捻つて嚴めしく禮を云ふもあれば、
「奧樣、此れでやツとホームシツクが直りました。」とにや〳〵笑ふもあり、又は、「何しろ二年振こんなお正月をした事がないんですから。」と
何れも西洋人相手の
其の時突然、
「金田は又來ないな。あゝハイカラになつちや駄目だ。」とテーブルの片隅から喧嘩の相手でも欲しさうな醉つた聲が聞えた。
「金田か、妙な男さね、日本料理の宴會だと云へば顏を出した事がない。日本酒と米の飯ほど嫌ひなものは無いんだツて云ふから………。」
「米の飯が嫌ひ……其ア不思議だ。矢張り諸君の………銀行に居られる人か。」と誰れかゞ質問した。
「さうです。」と答へたのは主人の頭取で、「もう六七年米國に居るんだが………此の後も一生外國に居たいと云つてゐます。」
騷然たる一座の雜談は忽ち此の奇妙な人物の噂に集注した。頭取は流石老人だけに當らず觸らず、
「鳥渡人好きはよくないかも知らんが極く無口な柔順しい男です。長く居るだけ米國の事情に通じて居るから、事務上には必要の人才です。」と隱な批評を加へて、酒杯に舌を潤はした。
「然し、餘り交際を知らん男ぢや無いですか。何程、酒が嫌ひでも、飯が嫌ひでも、日本人の
「然しまアさう攻擊せずと許して置き給へ。人には意外な事情があるもんだ。僕もつい此間まで知らなかつたのだが、先生の日本酒嫌ひ、日本飯嫌ひには深い理由があるんだ。」
「はア、さうか。」
「僕はそれ以來大に同情を表して居る。」
「一體、どう云ふ譯だ。」
「正月の話には、ちと適當しないやうだが………。」と其男は前置して、「つい此間、クリスマスの二三日前の晚の事さ。西洋人に贈る進物の見立をして貰ふには、長く居る金田君に限ると思つてね、彼方此方とブロードウヱーの商店を案内して貰つた歸り、夜も晚くなるし、腹も空いたから、僕は何の氣なしに、近所の支那料理屋にでも行かうかと勸めると、先生は支那料理はいゝが、米の飯を見るのが厭だから………と云ふので、其のまゝ先生の案内で、何とか云ふ佛蘭西の料理屋に這入つたのさ。葡萄酒が好きだね………先生は。忽ちコツプに二三杯干して了ふと、少し醉つたと見えて、ぢツと目を据ゑて、半分ほど飮殘した眞赤な葡萄酒へ電氣燈の光の反射する色を見詰めて居たが、突然、
「君は兩親とも御健在ですか。」と訊く。妙な男だと思ひながらも、「えゝ、丈夫ですよ。」と答へると、俯向いて、
「私は………父はまだ逹者ですが、母は私が學校を卒業する少し前に
僕は返事に困つて、飮みたくもない水を飮みながら其の場を紛らした。
「君の
「いや、時々麥酒位は遣るやうです。大した事はありません。」
「それぢや、君の家庭は平和でせうね。實際、酒は不可んです。僕も酒は何によらず一滴も飮るまいと思つて居るんですが、矢張り多少は遺傳ですね。然し、私は日本酒だけは、どうしても口にする氣がしないです………匂ひを嗅いだゝけでも
「何故です。」
「死んだ母の事を思ひ出すからです。酒ばかりぢやない、飯から、味噌汁から、何に限らず日本の料理を見ると、私は直ぐ死んだ母の事を思ひ出すのです。
聞いて下さいますか―――
私の父は或人は知つて居ませう、今では休職して了ひましたが、元は大審院の判事でした。維新以前の敎育を受けた漢學者漢詩人其れに京都風の風流を學んだ茶人です。書畫骨董を初め刀劍盆栽盆石の鑑賞家で、家中はまるで植木屋と古道具屋を一緖にしたやうでした。每日のやうに、何れも眼鏡を掛けた禿頭の古道具屋と、最う今日では鳥渡見られぬかと思ふ位な、妙な
母の仕事は恁く永久に賞美されない料理人の外に、一寸觸つても破れさうな書畫骨董の注意と盆栽の手入で、其れも時には禮の一ツも云はれゝばこそ、何時も料理と同じやうに行屆かぬ手拔りを見付出されては叱られて居た。ですから私が生れて第一に耳にしたものは、乃ち
私は殆ど父の膝に抱かれた事がない。時々は優しい聲を作つて私の名を呼ばれた事もあつたですが、猫のやうにいぢけて了つた私は恐くて近き得ないのです。殊に父の食事は前申す通り到底子供の口になぞ入れられる種類のものではないので、一度も膳を並べて箸を取つた事もなく、幼年から少年と時の經つに從つて、私は自然と父に對する親愛の情が疎くなるのみか、其の反對に父なるものは
此う云ふ境遇から此う云ふ先入の感想を得て、私は軈て中學校に進み、圓滿な家庭のさまや無邪氣な子供の生活を寫した英語の讀本、其れから當時の雜誌や何やらを讀んで行くと
何でも夜半近くから急に大雪が降出した晚の事で、父は近頃買入れた松の盆栽をば庭の飛石に出して置いたので、この雪の一夜を其の儘にして置いたなら雪の重さで枝振りが惡くなるからと、下女か誰かを呼び起して家の中へ入れさせやうと云はれた。處が母上は折惡しく下女が二三日風邪の氣味で弱つて居た事を知つて居られたので、可哀さうですからと自ら
私は實に大打擊を蒙りました。其の後と云ふものは友人と一緖に牛肉屋だの料理屋なぞへ行つても、酒の燗が不可ないとか飯の焚き方がまづいとか云ふ小言を聞くと、私は直ぐ悲慘な母の一生を思出して胸が一杯になり、緣日や何かで人が植木を買つて居るのを見れば私は非常な慘事を目擊したやうに身を顫はさずには居られなかつた。
處が幸にも一度日本を去り此の國に來て見ると、萬事の生活が全く一變して了つて、何一ツ悲慘な連想を起させるものがないので、私は云はれぬ精神の安息を得ました。私は殆どホームシツクの如何なるかを知りません。或る日本人は盛に米國の家庭や婦人の缺點を見出しては非難しますが、私には縱へ表面の形式僞善であつても何でもよい、良人が食卓で妻の爲めに肉を切つて皿に取つて遣れば、妻は其の返しとして良人の爲めに茶をつぎ菓子を切る。其の有樣を見るだけでも私は非常な愉快を感じ、强ひて其の裏面を覗つて、折角の美しい感想を破るに忍びない。
私は春の野邊へ
お分りになりましたらう。私の日本料理日本酒嫌ひの理由はさう云ふ次第からです。私の過去とは何の關係もない國で出來る西洋酒と母を泣かした物とは全く其の形と實質の違つて居る西洋料理、此れでこそ私は初めて愉快に食事を味ふ事が出來るのです。」
* * * *
「恁う云つてね、金田君は身の上話を聞いてくれたお禮だからと、僕が止めるのも聞かずに到頭
辯者は語り了つて再び雜煮の箸を取上げた。一座暫くは無言の中に、女心の何につけても感じ易いと見えて頭取夫人の吐く溜息のみが、際立つて聞えた。
(明治四十年五月)
單に紐育ばかりではない、合衆國中に知れ渡つて女も男もよく人が話をするのは、ロングアイランドの海岸に建てられた「コニーアイランド」と云ふ夏の遊場の事である。淺草の奧山と芝浦を一ツにして其の規模を驚くほど大きくしたやうな處である。紐育からはブルツクリンの市街を通過る高架鐵道とハドソン河を下る蒸汽船と、水陸いづれからも半時間ほどで行く事が出來る。
凡そ俗と云つて、これほど俗な雜沓場は世界中におそらくあるまい。日曜なぞは幾萬の男女が出入をするとやら、新聞紙が報道する記事を見ても其の賑かさは想像せられるであらう。電氣や水道を應用して俗衆の眼を驚かし得る限りの大仕掛の見世物と云ふ見世物の種類は、幾十種と數へきれぬ程で、然し其の中には見物人に多少歷史や地理の知識を與へる有益なものもある。又怪し氣な踊場
こゝに日本の玉轉し Japanese Rolling Ball と云へば廣いコニーアイランド中數ある遊び物の中でも隨分と名の知れ渡つたものである。何の事はない、奧山でやつて居る射的や玉轉しも同樣、轉した玉の數で店一杯に飾つてある景物を取ると云ふのに過ぎない、が、第一が日本人と云ふ物珍らしさ、第二が運よくば金目の品物が取れると云ふ勝負氣とで、何時頃から評判になつたとも知れず、日露戰爭以後は一層の繁昌、每年の夏、此の玉轉しの店は增えるばかりである。
かう云ふ人氣もので一儲をしやうと云ふ人逹の事であれば、其の主人と云ふ日本人は大槪もう四十から上の年輩。生れ故郷の日本で散々苦勞をした擧句、此のアメリカへ來てからも多年ありと有らゆる事を爲盡し、今ではなに世の中はどうかならア、人間は土をかじツて居たつて死にやアしめえ、と云はぬばかり、其の
自分も其の頃は其の中の一人、何をしたつて構ふものか。歐洲に渡る旅費さへ造ればと云ふ一心から、ふいとした出來心で
自分は雇はれると、直ぐ其場から、他の者と同じやうに店先に据ゑた玉臺のわきに立つて、お客の立寄るのを待つて居たが、三時、四時過ぎる頃までは見物の通行人も至つて稀で、あつい〳〵夏の夕陽が向側の大きなビーヤホールの板屋根に照輝いて居る。ビーヤホールの右隣りは射的場で、眞白に白粉を塗つた女が口に物を頰張つたまゝで、時々此方を向いては大欠伸をして居たが、左隣は「世界空中旅行」と看板を掛けて鳥渡見掛の大きな見世物である。入口の椅子の上には此れも白粉をべつたり塗つた乳の大きい若い女が、客の出入の少い折を幸ひ、臺の上で入場券と小錢の勘定をして居る、と其の傍には下卑た人相の男が人目を引く色模樣の衣服を着て、客らしいものが通らない時でも、絕えず「被入い〳〵」と大聲に二三度怒鳴つては、頻と切符賣の女に色目を使つて何かこそ〳〵話をしかけて居た。
四邊に電燈のついたのは五時頃であつたらう。空は靑く夏の日の暮れるにはまだ間がありながら、然し一帶の景氣は何處となく引立つて來た。蓄音機へ仕掛けた樣々の物音、男の客を呼ぶ叫び聲が、彼方からも此方からも響き出すと、向ひのビーヤホールでは往來からも見通せるやうな處で盛に活動寫眞を映し初める。直ぐ近くの何處かには寄席か踊場があると見えて、樂隊の太鼓と共に若い女の
「どうだ、もうそろ〳〵戶を閉めちやア………。」
と云つたのは夜の二時である。吾々は路傍の水道で汗になつた顏を洗ひ、煙草でも一服しやうとすると早や三時に近い。雇はれて居る連中では一番年を取つた四十ばかりの如何にも百姓らしい顏をして居る男が、東北訛の發音で、
「さア〳〵乃公アもう寐るぜ。お前逹のやうな眞似をして居ちやア身體が續きませんや。若え者逹はさんざ樂しむがいゝ。まだ夜は長いや………。」と云ひながら、玉臺の下に圓め込んだ毛布を出して敷伸べ、ごろりと臺の上へ、汚染みた
「又今夜も玉臺の上に寐るのか。好い夢でも見るかい。」
「奧の寐臺は南京蟲の巢だ。お前も少しア板の上に寐る稽古もして置くもんだぜ。每晚々々女の處へ這込む事ばかり考へて居やがつて………。」
「乃公アまだ若いんだよ。」と書生らしい相手が云ふと、同じ仲間の一人が、助太刀と云ふ氣味で、
「お爺つアん、お前、さう金ばかり
「さうよ。國にや十六になる
書生どもはもう
四邊は一時間ほど前の雜沓を思返すと、不思議な程氣味の惡い程寂として居る。彼の大仕掛な見世物の樓閣はイルミネーシヨンの光が消えて了つたので、朦朧として彼方此方の空中に白く雲のやうに聳えてゐるばかり。廣からぬ往來は何處もやツと闇にならぬ限り、處々の電燈に薄暗く照されて居る。と、この薄暗い影の中に夢の如く幻の如く白粉を塗つた妙な女が、戶を閉めた四邊の見世物小屋から消えつ現れつして居る。シヤツ一枚の腕まくりした男が其の姿を追掛けて行つたり來たりして居るかと思ふと、忽ち「何をするんだよ。」と云ふやうな女の叱る聲、又はキヤツ〳〵と笑ふ聲も聞える。何れも一夜見世物小屋で怒鳴つたり踊つたりして居た連中が、今初めて身まゝ氣まゝの空氣を吸ひに出て來るのである。
往來の端れの廣い海水浴場の方からは、何とも云へぬ冷い風と共に雨のやうな靜な岸打つ波の音が響いて來る―――何と云ふ疲れた物淋しい響であらう。自分は大方夜明しに馴れぬ身の
玉場に雇はれた連中は目の前を過ぎる女の
「おい、どうするんだい。何時まで
「何處へ行くんだ。もう夜が明けるぜ。」
「角の酒屋へ行つて見やうや。彼處へは每晚寄席へ出る女が大勢來て飮んで居らア。」
「いくらだい。二弗位で上るのか。」
「相手によらア。」
「これから二弗も取られる位なら、矢張支那街へ行つた方が安く行くぜ。」
「支那街ツて云へばあの十七番に居た、ぽつちやりした目の黑いジユリヤ………知つて居るだらう。あのジユリヤがビーヤホールの踊場へ來て
「
「日本人か。」
「うむ。ブルツクリンに居る
「女房だつて、娘だつて、構ふ事は無え。金さへ出しやア乃公のものぢや無えか。」
「お義理一遍に………。」
「さう好きな注文を云ふない。此處はアメリカだぜ。」
「アメリカがどうしたんだ。日本人だから惚れられないと限つた事アあるめえ。日本人ならもつたい無い位だ。」
「然し乃公アもう金引替に遊んで居たつて、氣が乗らねえからな。」
「其れぢや强姦でもするさ。」
「まだ、それまでには窮して居ねえや、時節を待つのよ。」
「心細いわけだな。」
「心細い事があるかい。其の中に羨してやるから見て居るがいゝや。」
「公園なんぞうろ〳〵して巡査に捕まつて日本人の面へ
此の時絕えず步いて居る怪し氣な女の二人連が行き過ぎながら、日本人と見て戲ひ半分ハローと聲を掛けた。
「お出でなすつた。」
「わるくないぜ。」
「瘦せて居るぢや無えか。」
「夏向だからよ。」
「後をつけて見ろ。」
連中の二三人が其の儘女の後を尾けて行つた。殘つた人數は如何にも面白さうに其の方を見送りながら、
「爲樣の無え奴等だ。國で親兄弟が聞いたら泣くだらう。」
「太平洋と云ふ大海があるんで、先づお互に仕合と云ふものだ。何も乃公逹だつて初ツから恁うなるつもりで米國へ來たのぢや無えからな。」
「見ろ。奴等は海の方へ曲つて行つたぜ。
「今頃行つて見ろ。怪しい奴が彼方にも此方にも
「かうして居たつて爲樣がねえ。ぶら〳〵出掛けて邪魔して遣れ。」
「つまらない
「然し、海の風は身體に藥だぜ。」
「何を云ふんだ。かう每晚夜明しをして居ちや、藥も
「ぢやア、例の通り、何處かで埒を明けて了ふのかな。乃公逹は的のない海邊よりか、矢張行きなれた南京街へ落ちて行かうや。」
連中は二組に分れた。一組は海水浴場の方へ、一組は夜通し通つて居る電車の停車場をさして出て行つた。自分は一人取殘されたものゝ、然し家へ這入つて玉臺の上に寢るのも厭だし、と云つて、何處へも外に行く處がない。
星は一ツ殘らず消えて了つたが、まだ明けきらぬ夜の空は云ひ難い陰鬱な色をして、一帶に薄い霧に蔽はれて居る。明日はまた驚く程蒸暑くなる前兆である。
軒の下に
「どうしたんだ。寢るのなら店の中に寢臺があるぜ。」と自分の顏を見下したが、「君はまだ此う云ふライフに馴れない方だね。」と云つて何か思出すらしく葉卷を口に啣へ直した。
「皆なは何うした。」と自分は少し耻る氣味もあつて態とらしく眼を擦る。
「相變らず淫賣だの
如何にも疲れたと云ふやうに自分の傍へ同じ樣に蹲踞んだが、近く自分の顏を打眺めて、「どうだね、君。われ〳〵の生活は隨分墮落したもんだらう。」
自分は答へずに唯輕く微笑んだ。
「君は何時アメリカへ來たんだ。もう長いのか。」
「二年ばかりになる。君は………。」と自分は問ひ返した。
「今年の冬で丁度五年だ。夢見るやうだな。」
「何處か學校へ行つて居るのか。尤も今は夏で休みだらうけれど………。」
「さうさ。來た初め二年ばかりはそれでも正直に通つて居たツけ。尤もその時分にやア、僕は國から學費を貰つて居たんだ。」
「ぢや、君は無資力の苦學生と云ふんでもないんだね。」
「かう見えても、家へ歸れば若旦那さまの方よ。」と淋しく笑ふ。
成程其の笑ふ口許、見詰める目許から一帶の
「日本ぢや何處の學校だつた。」
「高等學校に居た事がある。」
「『第一』か。」
「東京は二年試驗を受けたが駄目だつた。仕方がないから、三年目に金澤へ行つてやつと這入れた。然し直に退校されたよ。」
「どうして………。」
「二年級の時に病氣で落第する。其の次の年には數學が出來なくつて又落第………二年以上元級に止まる事が出來ないと云ふのが其の時分の規則だから退校された。」
「其れでアメリカへ來たんだね。」
「直ぐぢやない。退校されてから二年ばかりは家に何にも爲ないで遊んで居た。女義太夫を追掛けたり、吉原へ繰込んだり、惡い事は皆な其の間に覺えた。」
「………………。」
「母親は泣く父親は怒る。然し其の儘にしちやア置けないので、到頭米國へ遊學させると云ふ事になつたのだ。」
「直ぐニユーヨークへ來たのか。」
「いや、マサチユーセツツ州の學校へ行つた。二年ばかりは隨分勉强したよ。僕だつて何も根からの道樂者ぢや無い。一時高等學校の入學試驗に失敗したり、其れから又退校されたりした時にや、自分はもう駄目だと思つたが、勉强して見りやア、何にさう僕だつて人に劣つて居るわけぢや無い。」
「さうとも………。」
「マサチユーセツツの學校ぢや三人居た日本人の中で、兎に角僕が語學ぢや一を占めた位だつた………。」
「卒業しないのか。」
「中途で止して了つた。」
「どうして、惜しいぢやないか。」
「さう云へば其樣ものさ。然し今更後悔したつて始らない。僕は又後悔しやうとも思つちや居ない。」
「………………。」
「仕方のない奴だと思ふだらう。然し僕は全く感ずる處があつて廢學して了つたのだ。一生涯僕はもう二度と書物なぞは手にしないだらう。」
自分は彼の顏を見詰めた。
「別に大した考へがある譯ぢやないが、僕は學位を貰つたり肩書がついたりする身分よりか此樣處にかうしてぶら〳〵して居る方が結句愉快だからさ。」
「或る意味から云へば、或はさうかも知れない。」
「學校へ這入つてから二年目の夏の事だ。夏休みを利用して紐育へ見物に出て來たのは可かつたが、秋になつてもう學校へ歸らうと云ふ時分に、どうした事だつたか、屆くべき筈の學資が來ないぢや無いか。實に弱つたね。今日來るか明日屆くかと待つて居る中に、學校へ歸る旅費は愚か、愚圖々々して居ると下宿代までが怪しくなつて來た。僕は今日まで自分の腕で
「無理はない。」
「已むを得ないから、僕は殘つて居る金のある中下宿の勘定をすまして、安い日本人の宿屋へ引移した。其れから二週間も待つて居たが、まだ送金が屆かないぢやないか。僕はもう此れアいよ〳〵駄目だ。何とか手段を考へなくちや成らない………と云つて友逹も相談相手も何にもないアメリカぢやしやうがない。遂に決心して西洋人の家庭へ奉公に行く事にした。」
「ハウス、ウオークだね。」
「さうさ。宿屋に泊つて居る連中は皆なさう云ふ手合だから、每日話をして居る中に大槪樣子は分つた。思つたよりか苦しくも無さゝうだから、えゝ、どうにか成るだらうともう自暴半分、始めよりか大分膽が据つて來たよ。君も知つて居るだらう。皆なが遣るやうに先づヘラルド新聞社へ行つて、Japanese student, very trust worthy, wants position in family, as valet, butler, moderate wages. といふやうな廣吿を出した。二三日たつと直ぐ返事が二三通も來た。然し僕は何う云ふ家が可いのか分らないから、行き當りばつたり一番先に尋ねて行つた家へ給金は向うの云ふまゝ三十弗で働く事にした。其の時には下女同樣の奉公をして、三十弗の月給が取れるとは、流石はアメリカだと思つて喫驚した。」
「然し能く辛抱が出來たね。學費を送る位の家なら君は所謂お坊ちやん育ちの身分だらうが………。」
「人間には反抗と云ふものがあるよ。お坊ちやん育ちだつたからこそ辛抱が出來たのだ。辛抱どころか遂に面白くなつた。君には分らないかも知れない。鳥渡說明の爲にくい事情だが………まア恁う云ふ譯だ。先づ僕の家庭から話さなくツちや成らんな。」
「
「學者さ―――丸圓學院の校長をして居る。僕の親として紳士として、社會的にも個人的にも殆ど一點非の打ち處がないと云つて可い位の人物だが、然しあまり完全過ると物事は却つて不可んよ。水淸くして魚住まずと云ふ事があるからね………。僕は餘り健全な家庭に育つた爲め思ひ掛けない處から腐敗し始めたのだ。」
自分が問ひ掛けやうとするのを手で制して語りつゞけた。
「今になつて、此樣處で親の評判を吹聽するのは馬鹿々々しいやうだが、實際の處、僕の父は其の頃から世間で云ふ通り、餘程人から崇拜された人物だつたと見えて、家には何時も塾同樣に書生が七八人も居た。君も父の名前位は何かの書物で見られた事があるかも知れない。兎に角僕は極く幼少い時分から、家の書生やら近所の者なぞから、父と云ふ人は非常に
僕は頑是ない子供心に、始めて自分は學問が出來ないのだと氣が付いて見ると、もうひどく氣が挫けて了つて、其の後一二週間ばかりと云ふものは家の書生なぞに顏を見られるのが辛くて堪らない………あまり外へも出ずに部屋へ引込んで、父から云はれたやうに夜晚くまで勉强はして居たが、何時とはなく、自分はもしやこんなに勉强して居ても、父のやうに
然し無論これは世間も何も知らない子供心の事で年を取れば次第に氣も大きくなる。と云ふものゝ、子供の時に感じた事は一生忘れるものぢや無い。僕はやつとの事で入學した高等學校は退校されて、少し自暴になつた擧句、アメリカへ送られてからも矢張さうだ………折々父の手紙にでも接すると、父はこれほど深切に自分を勵ましてくれるが、果して自分は學術に成功する才能があるのか知らと云ふやうな氣がしてならない。やつて見れば譯なく出來る事でも僕は自分のイマジネーシヨンで、何時も駄目だと締めて了ふ。
かう云ふ絕望の最中、まア想像したまへ。僕はふいと送金が延引した爲めに、云はゞ一時家との關係が中絕して了つたのだらう。故郷へ錦を着て歸るべき責任が
彼は語り疲れて少時默つた。
「其れで、君はハウス、ウオークと云ふ皿洗ひの勞働を辛抱したんだね。」
「さうだ。送金は程なく屆いた、が、もう時已に晚しさ。僕は二週間ばかり奉公して、食堂の後で皿を洗つて居る中に、すつかり墮落して了つた。君は經驗があるかどうか知らないが、實に呑氣なものだ。それア馴れない事だから、初めは苦しい、情ないやうな氣もする、隨分まごつきもするが、元々大してむづかしい仕事ぢやない。家族が食堂で食事するのをボーイの役目で皿を持つて廻ればいゝのだから、譯はありやしないさ。主人逹の食事が濟むと皿を洗ひ、地下室の臺所へ下りて、コツクの婆に小間使の女と三人、荒木のテーブルを圍んで食事をするのだが、境遇と云ふものは實に恐しいもんさね。皿を洗つて居れば、自然々々と皿洗のやうな根性になつて行くから奇妙だ。朝、午、晚、三度々々食事の給仕をする外に客間と食堂の掃除をするんで、身體は隨分
夜は次第に明けて來た。消え行く電燈と共に見世物小屋の女逹も何時の間にか姿を隱して了つて、四邊は一刻々々薄明くなるにつれて、いよ〳〵寂と物靜かになつて行く………聞えるものは濱邊の砂を打つ波の音ばかり。
「此の如く僕の運命は全く定まつて了つた。僕は一方では以前にも增して、いよ〳〵父に會す顏が無いと良心の苦痛に堪へない、と同時に、一方では此の動物的の境遇がます〳〵氣樂に感じられる。つまり煩悶すればするほど深みへと落ちて行くんで、冬中は彼方此方の家庭へ給仕人になつて働いて步く。夏になつて家族が市中の家を引拂つて避暑地へ旅行するやうになれば、每年此う云ふ夏場を目付けて
「然し、最後には君、どうするつもりだね。」
「どうする………どうするか、どうなるか。」と苦悶の顏色を示したが彼は遂に恁う叫んだ。
「いや〳〵、其樣事を考へない爲に僕は此樣馬鹿な眞似をして居るんだ。自分ながら自分の將來を考へる腦力もなくなつて了ふやうにと、僕は働く、飮む、食ふ、女を買ふ。あくまで身體を動物的にしやうと努めて居るんだ。」
彼は胸中の苦しみに堪へぬかして、自分を置去りにしたまゝ向うの方へと行つて了つた。
一
(明治四十年五月)
三月十六日―――
例年よりは大變に暖いと云ふ事で、この二三日降り續いた雨に去年から降り積つて居た雪は大方解けて了つた。天氣は相變らず曇つて居たけれど、久しい冬の眠りから覺めた街の樣子はもうがらりと變つて居る。雪の上を滑つて居た低い橇は大きな車輪の馬車となり、その馭者の恐しい毛皮の外套は輕い雨着と變つた。總のついた毛糸の頭巾を冠り、氷の上を滑つて居た子供や娘は、洗出されたセメント敷の步道を、新しい靴の踵に踏み鳴らしつゝ走廻つて居る。子供でなくても、人家の庭や果樹園に黑い濕つた土と、雪の下に一冬を送つた去年の靑芝の現れ來たのを眺めては、程なく來るべき春を思浮べて、誰でも
午前九時半の汽車に間に合ふやう、自分は手提革包の仕度もそこそこに、町端れの四辻を過ぎる電車に飛び乗り、下町のミシガン中央線の停車場に赴いた。
カラマズウ市から市俄古までは凡そ百哩、正四時間で到着するとの事である。汽車はカラマズウの町を離れると直樣波の樣に起伏して居る木の少ない
インデアナ州に這入ると、製造場の多い、汚い小さな街が增え、軈てミシガン
間もなく汽車は湖水に沿ひながら、市俄古の市中に入り、イリノイス中央線の停車場に着した。午後の一時半頃なので、プラツトフオームから續く階段を上つて待合室に入り、其の片隅の一室を占めた
中は二つに區別してある。一つはランチ、カウンターとか云つて、一寸日本の居酒屋と云つたやうな體裁。手取り早く立食ひをして行く處。他の方は白い布を掛けた食卓と椅子が置いてある普通の食堂である。立食の方は時間もかゝらず、勘定も安いので、殆ど空間もなく混み合つて居る中には、不思議に可成り綺麗な
自分は食事を濟まして、廣い階段を下り往來へ出やうとしたが、まだ不知不案内の都會の事、自分の目指す友人の家は西の方やら、東の方やら。
入口の石段下には馭者が馬車を並べて
「市俄古大學の傍まで
隨分遠方であるとは知つて居たが、少しく法外のやうに思はれたので、外國の旅の耻には搔き馴れて居る事とて、再び停車場に戾り、居合せた驛夫を捕へて質問した。驛夫は深切に、
「停車場の出口から直ぐと市内を往復する電車に乗つて、五十五丁目の停車場で下りるのが一番便利だ。」と敎へてくれたので、自分は更に切符十仙を拂ひ、プラツトフオームに來る電車を待ち受けた。
間もなく三輛の列車が來て、停車すると入口の戶が驛夫の手を借りずに自然と開いて、進行し始めると同時に再び自然と閉されて了ふ。
「誰でも外國へ來れば皆困るんですから、其樣お禮には………、」と彼の男は自分の餘りに丁寧なのに少しは驚いた風であつた。アメリカでは男同士の挨拶に帽子なぞ取るものは一人もないからであらう。彼は言葉をつゞけて、
「私も實は外國人です、
「
「世界中で一番好い處と云へば矢張生れ故郷………あなたも矢張さうでせう。」
彼はさる商店の手代をして居る事から、軈てそろ〳〵とお國自慢に取りかゝらうとした折、電車は自分の降りるべき停車場に着いた。自分は重ねて禮を云ひつゝ車を出で街に降りた。
辻の瓦斯燈に五十五丁目と書いてある。自分の行先は五十八丁目なので、卽ち三丁步けば可いのだ。始めて來た土地でも恁う
自分は安心してゆつくりと步いた。久しく空を閉した冬の雲は、先程から幾重にも層をなしつつ動いて居たが、次第々々に靑空を現はし、遂に太陽の光までを漏らすやうになつた。雪解の往來は宛ら沼のやうになつて居るので、自分は稍乾いて居る
幾軒も同じ石造りの三階建の貸家の並んで居る中に、やがて目的の番地を見出した。此の邊は急がしい市俄古の
すると、二階の窓の方で、自分には何の譯とも聽取れなかつたが、若い女の聲がして、バタ〳〵と駈け降る跫音、そして入口の戶が開いた。
「ミスターNツて仰有る方ぢやありませんか。」
十七八かと思はれる小作りの婦人、
「ジエームスはまだ會社から歸りませんけれど、此の間からあなたのお出を待つて居ります。まア、お上んなさいまし。」
自分は案内されて客間に通つた。
室内は淋しからぬばかりに
然り、彼ジエームスは旣に度々自分に此の娘の事を話した。懷中時計の裏に貼付けて、肌身放さず持つて居る美しい其の寫眞をも幾度となく見せてくれた。ジエームスの實家はミシガン州にあるので、去る頃歸省して居る最中、自分は一方ならず懇意になつたのである。ボストン電氣學校の卒業生で、シカゴのエヂソン電氣會社の技師となり、この家に室借りをして居たが、彼は書生時代から洋琴が上手、娘ステラは
「今夜は私に是非、あの『夢の曲』を聞かして頂きたいものです。」
云ふと、ステラはさも驚いた樣に、しなやかな片手に輕く頰を押へ、「
「えゝ、何も彼も………。」
「まあ、ほゝゝゝゝ。」と高く鈴のやうな聲で笑つたが、少しも感情を抑へない此の國の少女が胸の響は自分の耳にまで聞えるやうに思はれた。
彼女は突然安樂椅子から立ち、すた〳〵と次の室へ行つたかと思ふと、一册の
「私逹の寫眞ですよ。日曜のたんびに撮つたんです。」
日曜日每に連れ立つて遊びに出掛けた所々の公園で
ステラは、此れはジヤクソン公園の湖邊、此れはミシガン
自分は心の底からステラの幸福を祈る切なる情に迫められると同時に、幸なるかな、自由の國に生れた人よ、と羨まざるを得なかつた。試に論語を手にする日本の學者をして論ぜしめたら如何であらう、彼女は
此の夕、自分は忘れる事の出來ぬ樂しい
やがて若い二人は演奏し了つたが、娘は樂器を手放すや否や、もう堪へられぬと云ふやうに、男の胸に身を投げ掛け、二度ほど激しい接吻を試みた。兩親は手を拍つて喜び、その再演を迫つたが、娘は猶ほ少時は、激しい感動を靜め兼ねたのであらう、男の胸に顏を押當てた儘で。然し突然立ち直つて、再び樂器を手にすると、今度は亞米利加人が大好きな、彼の愉快なる「デキシー」の一節、老判事までが椅子に坐りながら足拍子を踏み始めた。
時計はやがて九時を打つた。ステラの家には今生憎と空間がないと云ふので、先程、ジエームスが二軒置いて先の素人下宿屋に自分を案内すると云つて居た處から、自分は家族一同にグツドナイトを吿げジエームスと共に外へ出た。
自分は何とか一語ジエームスに向つて、
下宿屋と云つても別に樣子の變つた事は無い。ステラの家とは殆ど間數も建方も同じやうである。自分は此の家の細君に案内されて、貸間の中では一番上等な
瓦斯燈を消すと、日蔽を差上げた硝子戶からは夜の空が一杯に見える。空は暗いながらも、往來の雲のかげには月が潜んで居る爲めか何處とはなしに
三月十七日―――目覺めたのは八時、見ると一面に
九時の定めと聞いた朝餐の食堂に下りて行つた。
四人づゝ坐るべき小形の食卓が三脚置いてある。商人らしい中年の男が二人一番端れの食卓に
然し話し掛ける質問は十人が十人大抵きまつて居る―――何時此の國へお出でになりました。アメリカはお好きですか。ホームシツクにおなりぢやありませんか。日本のお茶は大變よう御在ますね。日本のキモノは綺麗ですね。私は日本の事だと云へば
自分は何でもよい、早く話を他に轉じたいと思つたが、折能く、下髮を黑いリボンで結んだ十四五の娘が食事を運んで來たので、此れを機會に、ナイフを取りながら、
「あなたは大學へお通ひなのですか。」
聞くと、「えゝ。文科の方へ………、」との答である。此れに稍力を得て、
「文科………それぢや小說なぞも御覽になりますか。」
「えゝ、大好きです。」と婦人は憚る所なく答へる。アメリカには日本のやうに女學生に限つて小說を禁ずるやうな
彼女は新刊小說の題目を
朝餐は思ひの外早く濟んだ。かの女學生は、「明日の午後には大學構内のマンデルホールで春季の卒業式があるから、御見物なすつては………。」と云ひながら食卓の上に置いた一册の本を取り片手に前髮の
殆ど入れ違ひに戶口の鈴が鳴つたかと思ふと給仕の娘が、「お客樣です。」との取次ぎ。
出て見るとジエームスであつた。山高帽子を少し阿彌陀に冠り、例の無造作な聲で、グツドモーニングを繰返しながら此れから街の會社に行くので、自分も一緖に見物旁々出掛けてはとの事。早速勸めに應じて共々往來に出て、昨日の晝間下車した同じ停車場から市内通ひの電車に乗つた。
丁度、あらゆる階級のシカゴ人が下町の會社や商店へ出勤の時間なので、車中には席もない程男や女が乗り込んで居る。彼等は何れも最短時間の中に最多の事件の要領を知らうと云ふ恐しい眼付で新聞を讀みあさつて居る。五分十分位に停車する何處のステーシヨンにも新聞を持たずに電車の來るのを待つて居るものは唯の一人もない。何と云ふ新聞好きの國民であらうか。彼等は云ふであらう、進步的の國民は皆一刻も早く一事でも多く世界の事件を知らうとするのだと………。あゝ然し世界はいつになつても珍らしい事變つた事もなく、同じ
列車は休まず湖水の波際を走つて居る。何となく新橋品川のあたりを過ぐる心持がすると思ふ間もなく最後の停車場に着するや、車中の一同は皆忙し氣に席から立つ。ジエームスは此處がバンビユーロンの停車場で市俄古中最も繁華な商業地への
電車から溢れ出る無數の男女は互に肩を摩り合はさぬばかりに、ゾロ〳〵とプラツトフオームから續いた頑丈な石橋を渡つて行く。見渡すと橋向うは數多の
自分は漠然たる恐怖に打たれた。同時に是非を問ふの暇もなく自分も文明破壞者の一人に加盟したい念が矢の如く叢り起つて來た。正直な日本の農民は首府の東京を見物してその繁華(若し云ひ得べくんば)に驚くと共に、無上の賞讃と尊敬を土產に元の藁家に歸るのだが、一度時代の思潮に觸れた靑年は見るに從ひ聞くに從ひ、及びも付かぬ種々な空想に驅られる愚さ。自分は步む事も忘れて石橋の上に佇んで居ると、ジエームスは何と思つたか微笑みながら振向いて、
「Great City」と自分に質問するらしく云掛けたので、
「Ah! monster.」と自分は答へた―――何と形容しやうか、矢張人々の能く云ふ通り
ジエームスは前面のミシガン大通に聳えた建物を指して、あれはアンネキスと云ふ旅館、その隣がオーヂトリヤムと云ふ劇場、遠くの彼れは卸賣の註文を取引する會社の塔である。あれは何、これは何、と一つ〳〵說明してくれた末、まだ少し時間もあるからマーシヤル、フヒールドと云ふ大商店へ案内しやうと云つた。
「市俄古で一番………紐育でも
ジエームスの話は恐らく虛言ではなからう。此の商店を見物する事は市俄古を通る旅人の殆ど義務と云つても可いやうになつて居るのである。衣服家具小間物靴化粧品など諸有る日用品を商ふ店で、市中目拔きのステート、ストリートの角に城郭の如く聳えて居る。自分は群衆の中を通り拔けエレベーターに乗つて二十階近くある其の最絕頂に上り、磨き立てた眞鍮の欄干に凭れて下を覗いて見た。
建物は丁度大きな筒の樣に、中央は空洞をなし、最絕頂の硝子天井から進み入る光線は最下層の床の上まで落ちるやうになつて居るので、出入の人々が最下層の石畳の上を步行して居る樣を何百尺の眞上から一目に見下す奇觀。男も女も漸く拇指程の大きさも無く、兩腕と兩足とを動して、うじ〳〵蠢いて行く樣、
人は定まらぬ自分の心の
ジエームスは會社へ出勤するとて共にエレベーターで下に降り、商店の戶口で別れた。自分は此れからミシガン大通の美術館へ見物に行くのである。
(明治卅八年三月)
自分の泊つて居る
日曜日なのでM子は自分を案内かた〴〵ニユーゼルシー州のアシベリパークとよぶ海水浴場に行つて見やうといふ。
早速家を出で
汽船は五分ほどして
自分は今まで此の樣な威儀犯すべからざる銅像を見た事は無い。覺えず知らず身を其の足下に
自分等を載せた汽船は一度は遠く海岸の景色も
去年自分は
汽船は二三箇所狹い海水浴場の波止場に立ち寄り、午後の一時過プレザントベーと云ふ同じ夏場に到着した。水際一帶の低地は公園になつて居て、小い音樂堂、料理屋、玉場などが樹の蔭に散在して居る。此處から電車に乗つて一時間あまり、目的のアシベリイ、パークに到るまでの沿道には盡く夏のホテル夏の貸別莊と、木立の涼しい牧場とが入替り立替り續いて居る。
木庭の楓に
此の晴渡つた明い夏の日、爽快な海の風吹く水村は世の夢を見盡した老人の隱場では無く、靑春の男女が靑春の娯樂靑春の安逸靑春の
自分は走行く電車の上から幾人と數へ盡されぬ程多くの美人多くの美男子を見た。自分は美人美男子を見る時程、現世に對する愛着の念と、我と我存在を嬉しく思ふ事はない。科學者ならぬ無邪氣の少女は野に咲く花を唯だ美しいとばかり
男は身輕なジヤケツトに麥藁帽子、女は眞白な日傘に帽子も冠らず渦卷く金髮や
自分は西洋婦人の肉體美を賞讃する一人である。その曲線美の著しい腰、表情に富んだ眼、彫像のやうな滑な肩、豐な腕、廣い胸から、踵の高い小な靴を穿いた足までを愛するばかりか、彼等の化粧法の巧妙なる流行の選擇の機敏なるに、無上の敬意を拂つて居る一人である。彼等は其の毛髮の色合、顏立、身體付によつて、各巧に衣服の色合や形を選び、十人並の容貌も、能くその以上に男の眼を引くやうにする。飜つて日本の兒女の態を見れば彼等は全く此の般の能力を缺いて居るやうに見えるでは無いか。尤も日本人と云へば非難と干涉の國民であるから此の社會に養成された
電車はアシベリイパークの海邊に臨む町の四辻に停つた。
茫々たる大西洋を前に四五軒並んで居る高い木造りの旅館の緣側、辻の角の
自分はM
「別に海が荒れて居る譯でもないのに、如何したのであらう。」
M
「日曜日だからだ。」といつた。
米國では土地によると、宗敎上の關係から日曜日には凡ての遊戲を禁制する所がある。アシベリイパークも
此の州の或町に行くと、日曜日には一切舟遊びを禁じながら馬車や
二人は少時砂の上に腰を下し雲のみ浮ぶ無限の大洋に對して居たが、軈て再び散步場に出で、レモン水の一杯に渴いた咽喉を濕した後、先刻上陸したプレザントベー公園に戾り、歸りの
公園の入口に下車すると直樣二人は水邊の木蔭に步み寄り柔い靑草の上に腰を下す。見渡す眼の前の景色は白い夏雲の影を映した平かな入江を隔てゝ、夏木立の低く茂る間から農家の屋根や風車。まるで平和な和蘭畫を見るとしか思はれぬ。
自分は無暗と幸福の念に打たれ、半は身を草の上に橫へながら、更に眼を靜な水の上に注ぐと、湖水に等しい入江の唯中に一葉の眞白な
ミシガン州の片田舎に居た頃、丁度五月の末であつた。
一卷の詩集は例の如く衣嚢の中に携へて居たものゝ、奇しき自然の前に對しては、如何なる美術も如何なる詩篇も、要するに怪異と誇張と時には全く虛僞としか見えぬので、其樣人工的のものには手を觸るゝ氣もせぬ。思ふが儘に身を延して、高い梢越の空を仰ぎ、濕つた土と草の香を嗅ぎつゝ、鳥の歌、栗鼠の叫びに耳を澄まして居ると、自分は全く世間を見捨てた或は世間から見捨てられたやうな氣になる。日本であると隨分遠い山里に行つても、土地は多く開拓され盡して居るので、何となく浮世の風の通つて居る氣がするけれども、さすがは新大陸の廣漠たる、町から二哩出るならば、何處へ行つても此う云ふ無人の境が現れ、此れに異郷の寂寞と云ふ主觀的の情趣を加味して見るので、樹木の茂り、水の流、空行く雲の有樣は、凡て自分には一種云ひ難い悲愁の美を感じさせる。空想は泉の如く湧起り自分は放浪の生活の冷い快味を思ふにつけ、一層の事アラビヤの女と駱駝と並べて砂漠を步み、天幕の下に眠つて見たらば如何であらう、かと思ふと、忽ち旅で病にかゝり日光の照さぬ裏町の宿屋に倒れるやうな運命に出逢つたら………と今度は覺えず
異郷の晝の夢。單調な我が生涯に嘗て經驗した事の無い盡せぬ情味を添へてくれたものは此の晝の夢である。今日も又端無く大西洋の潮流れ入るプレザントベーの邊に臥して、自分は夢の中に忽ち美妙の音樂を聞つけて目を覺した。公園の端の料理屋で
然し、自分は猶暫く睡後の意識の朦朧として居る處から眼前の入江から森、雲までを、もう十年も過ぎた會遊の地を望む如き心持で、何とは無しにしげ〳〵眺め入つたが、やがて後の方に近く跫音を聞き付けたので振向くとM君であつた。彼も今方目を覺して、歸りの汽船の時間を聞きに波止場まで行つて來たのだと云ふ。
二人は木蔭を出で音樂を奏して居る公園の料理屋に入り冷した果物と
途中で日は落ちたので、大西洋上に燃る夕榮の美しさを見盡し、
汽船の波止場についた時は丁度八時、二人は晚餐を
(明治卅八年七月)
紐育市役所の廣場を前にして、いつも人馬の雜沓するブルツクリン大橋の入口から高架鐵道の通つて居る
一口にポアリーと稱して、各國の移住民や勞働者の群集するところ。同じ紐育の市内ではありながら新世界の大都會を代表すべき「
されば路行く人も地下鐵道の車中で互に衣服の美を爭ふ「西側」とはちがひ、女は帽子も戴かず、汚れた
街の兩側に物賣る店の種々あるが中に、西洋にも此樣ものがあるかと驚かれるのは電氣仕掛にて痛みなく
此樣工合に何處を眺めても、引續く家屋から人の衣服から、目に入るものは一齋に暗鬱な
或時―――冬の夜の事である。自分は猶太町に在る猶太人の芝居を見物した歸りぶら〳〵此の邊を步いて見た。もう十二時過と見えて、古衣屋も寶石屋も、その他の店も皆燈を消して居て、街の角々にある
自分は突と戶を押して這入ると、カウンターに身を倚せながら勞働者の一群が各コツプを片手に高聲で話合つて居たが、ふと自分の耳に付いたのは、奧深い彼方から幽に聞える破れピアノに女の騷ぐ聲々。で、其の儘、突當りの戶を押試みると身は流るゝ如く扉と共に眞暗な廊下へと滑り込んだ。
女の笑ふ聲は更に五六步先なる戶の中と覺しいので、自分は臆せずに進んで此の二番目の戶口へ近寄ると跫音を聞き付けてか、此の度は内から戶を開けてくれたものがある。鍵穴から見張をして居た番人で、自分が這入ると再び戶をばつたり閉めた。
外部から
何れを見ても此れはと思ふ
女はと見れば、年齢の多少も分り兼るものばかり。顏中白粉を
ピアノとバイオリンの奏樂進むにつれて、此等の女と抱き合ひながら、水兵や勞働者の入りつ、亂れつ床の塵と煙草の煙と酒の匂とで電燈の光も黃く朦朧となつて居る中を狂するやうに舞ひ踊るさま、自分は已に淺間しいと云ふ嫌惡の境を通越して、何とも云ひがたい一種の悲哀―――嘗て故郷で暗い根岸の里あたりから遠い遊廓の絃歌を聞いた時のやうな、その悲哀を感ずるのであつた。
自分は片隅のテーブルに一人ビールを傾けつゝこの奇異なる四邊の光景から、軈て汚れた板張の壁に掛けてある額なぞを眺め廻した。
たぶんフツトボールを營業にして居る女の一組と覺しく、逞しい筋肉を其のまゝ見せた肉襦袢の四五人が手を取り合つて立つて居る一枚の寫眞に續いては、鬼のやうな顏をした
忽然、二人連の女が自分の占めて居るテーブルの空椅子に腰を掛けた。自分は好奇心の
自分は一本の卷煙草を渡した後通過る
「名前も何にもありやアしない。キッチー………黑髮のキッチーて云へば、それで通つて居るんだよ。」
「家は何處だい。」
「家は………紐育でもブルツクリンでも宿屋と云ふ宿屋は皆な私の家さ。」
「色男はあるのかね。」と聞くと、
「ほゝゝゝほ。」と笑ひ出して、「お金のある奴は皆な色男………。」
と云ひながら突然、自分の頰に接吻した後頭から肩を左右に搖りながら―――will you love me in December, as you do in May ―――と鼻歌を歌ひ出した。
折から又もやピアノとバイオリン、連中は以前の如くに踊り出す。
女は突と握つて居る私の手を引寄せ、「今夜………いゝんでせう。」
「何が………」と態と不審さうに聞返すと女は甚く不興な顏付になつて、
「分つてるぢや無いか………ホテルさ。」
自分は微笑んだ儘答へなかつた。
「不可ないの。さう………。」と云つて女は一寸兩肩を搖上げて橫を向いたかと思ふと、忽ち舞蹈の音樂に合はせて再び鼻歌を續けたが、遠くのテーブルから目瞬せする水夫の連中を見付けて、其の儘すた〳〵立去つて又もウイスキーを煽つて居る。
軈て自分も席を立ちかけた途端、彼方の戶口からホールへ這入つて來た二人連の音樂師がある。
「おゝ、ジヨージだ、イタリアン、ジヨーだ。」と給仕人の一人が乞食の音樂師を見て叫ぶと、其の邊のテーブルに居た地廻りらしい男が、
「暫く姿を見せなかつたぢや無えか。いゝ儲口でもあつたのか。」
「大した事も無えが、暫く田舎を步いて居た………。」とその儘ピアノの傍に進寄つて、空椅子に腰を掛け、頸から襷掛にしたバンジヨーと云ふ樂器を取下して壁に倚せ掛けると他の一人は小形のマンドリンをば膝の上に抱へたまゝで、
「どうだね、親方………。」と此度は此方からピアノ彈に挨拶をする。
「相變らずよ。」と胴着一枚に腕卷りのピアノ彈は皺枯れた聲で、「どうだ、まア一杯やりねえ。」
給仕人がビールを近くのテーブルに持運ぶ。
「ありがてえ、頂かうよ。」と二人の伊太利亞人は早速飮干すと洋琴彈は如何にも親方然と、
「お禮にや及ばねえ、好鹽梅にお客樣も大勢だ………早速いつもの咽喉を聞かしねえ。」
伊太利亞人は各バンジヨーとマンドリンとを取りあげ、ピアノの橫へ直立し、さて歌出すのは自分には意味の分らぬ南歐の俗歌である。
然し歌の節は東洋風に極く緩かで、聲は錆のある顫ひを帶びた何處にか一種の輕い悲みを含んで居る。泥醉した水夫も女郞も職人も丁度廓で新内を聞くと云つたやうに、皆な恍惚として少時は場中水を打つたやう。
彼方此方から五仙十仙と、祝儀の銀貨が床の上に投出されるので、自分もポケツトから廿五仙銀貨を奮發した。いや、自分は四邊の人目を牽く事さへ厭はなかつたなら五十仙、一弗位は惜みはしなかつたのだ。あの多く母音で終る伊太利亞語そのものが、自分の耳には云ひがたく快いのに、乞食の音樂師がゆがんだ帽子に天鵞絨の破衣、眞赤な更紗模樣のハンケチを頸に卷いた風體から、房々と額へ垂らした黑い縮れた頭髮、黑い睫毛、薄い口髯、それから南歐の
二人は歌ひ了つて床の上に投出された祝儀の銀貨を拾ひ集めながら、やがて自分のテーブル近くまで來たので、
「お前さん、伊太利亞は何處から來たんだね。」
彼は人種の異つて居る自分の顏を見上げたが驚きもせず怪し氣な英語で、
「島から、シヽリー島からです。」
「何年ばかりに成る。」
「まだやツと九ケ月にしか成りませんや、初めは金儲をするつもりで來たんですがね、北の歐羅巴から來た奴等のやうに地の底や火の中で那樣手ひどい家業が出來るものか、
舞蹈の音樂が又奏し出される。男や女は再び夢の世の人の如くに煙草の烟の中を、
すつかり祝儀を拾ひ集めた二人の伊太利亞人は片隅のテーブルに引退いて又二三杯のビール。自分は重い空氣の中に長く閉込められて居た苦しさに冷い深夜の風に吹かれやうと靜に席を立つた。
(明治卅九年七月)
アメリカの木の葉ほど秋に脆いものはあるまい。九月の午過の堪へがたい程暑く、人はまだ夏が去り切らぬのかと
自分は四邊がすつかり秋らしくなつて、朝夕の身にしむ風に枯れ黃ばんで雨の如く飛ぶ落葉を見るよりも、如何に深い物哀れに打たれるであらう。譯もなく早熟した天才の滅び行くのを見るやうな氣がする。
自分は夕暮に一人、セントラル、パークの池のほとりのベンチに腰をかけた。日曜日の雜沓に引變へて平常の日の靜けさ。殊に丁度今頃は時間の正しい國の事とて何處の家でも晚餐をして居る時分であらう。馬車自動車は無論、散步の人の跫音も絕えて、最後の餌をあさり了つて
絕えずあたりの高い楡の木の梢からは細い木の葉が三四枚五六枚づゝ一團になつて落ちて來る。耳を澄ますと木の葉が木の葉の間を滑り落ちて來るその響が聞きとれるやうに思はれる。木の葉同士が互に落滅を誘ひ囁き合ふのであらう。
或ものは自分の帽子、肩、膝の上。あるものは風が誘ふのでもないのに、遠く水の上に舞ひ落ち流れと共に猶も遠くへ遠くへと行つて了ふ。
ベンチの背に頰杖をついて自分は何やら耽る物思ひの中に、ふと詩人ヴヱルレーンが「秋の歌」と云ふのを思ひ出した。
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon cœur
D'une langueur
Monotone.
「秋の胡弓の
上陸したその年の秋を太平洋の沿岸に、其の翌年はミゾリの野ミシガンの湖邊又ワシントンの街頭に、やがてこのニユーヨークの落葉も旣に二度目である。
去年始めてこの都會の落葉を見た頃には、自分は如何に傲慢で得意で幸福であつたらう。自分は新大陸の各地方の異る社會異る自然をすつかり見盡して了つたつもりで、これからは世界第二の大都會の生活を觀察するのだと、無意味に自分を信用して、日曜日每に、この池のほとりに來ては散步の人の雜沓を打ち眺めた。
やがて木の葉は落盡した。寒い風が枝を吹き折つた、雪が芝生を蔽ひ盡した―――藝界社交の時節が到來した。
自分はシエーキスピア、ラシーンからイブセン、ヅーデルマンに至る種々な舞臺を見て、世界古今のドラマを鵜呑みにした氣になつた。ワグナーの理想もヴエルヂの技術も盡く味つて其の意を得たと信じたばかりか、自分は早くも將來日本の社會に起るべき新樂劇の基礎を作る一人である。あらねばならぬ樣な心地がした。自分は管弦樂を聽いて、クラシツク音樂の繊細美麗な處から、近代ロマンチツクの自由なる熱情を味ひ、更に破天荒なるストラウスの音樂の不調和無形式を讃賞した。猶これのみには止まらず、折々は美術館の戶口を潜つてロダンの彫刻マネーの畫を論じた事もあつた。
自分の机はプログラムやカタログの切拔の新聞紙の山をなしたが、それをば整理して行く間もなく季節は過ぎて、淋しい梢は若芽と咲く花に飾られ、重い外套の人は輕い春着の粧ひに變じた。自分も世間の人と同じやうに新しい衣服新しい半靴新しい中折帽を買つた。然しアメリカの流行は商業國だけあつて形が俗である。自分は飽くまで米國の實業主義には感化されないと云ふ事を見せたいばかりにいろ〳〵苦心した結果は「
人は定めし自分の愚を笑ふであらうが、自分獨りは決して愚とも狂とも思つては居らぬ。自分はかのイブセンが世を去つた當時、ボストンの或る新聞で見た事であるが………イブセンは眞白になつた頭髮をば一度も櫛を入れた事がないと云ふ樣に、わざ〳〵搔亂し、國王から贈られた勳章を胸にさげて鏡に向つて喜んだと云ふ意外の弱點があつたとやら。
すると、何時ともなく暖い春の
眼の前には絕間なく輕裝した若い女が馬車を馭したり、馬に乗つたりして行過ぎるが、何れも皆自分の方を眺めては微笑んで行くとしか思はれない。
自分は若い中にも猶若く、美しい中にも猶美しい女の笑顏を眺めると、譯もなく幸福な戀を空想するのである………自分は麗しい英文で何か著作をする、それを讀んだ女が作者の面影を慕つて訪ねて來る。人生を語る、詩を語る、遂には互に祕密をかたる。何時か自分は結婚して了つて、ロングアイランドか、ニユーゼルシーの海邊あたり、ニユーヨークからは汽車で一二時間位で往來の出來る田舎に家庭を作る。小さいペンキ塗の
かやうな夢に耽つた春の日も一夏を過ぎて………今は早や秋、飛散る木の葉を見ればさながら失へる戀の昔を思ふにひとしい。
木葉もやがて落ち盡すであらう。寒い北風と共に劇界樂界の時節も再び廻つて來るであらう。街の辻々停車場の壁は到る處劇場の廣吿畫や音樂者の肖像に飾られるであらう。然し自分は去年のやうに大膽な無法な幸福な藝壇の觀察者として存在する事が出來るであらうか。また來る春には再びかゝる烟のやうな夢に醉ふ事が出來るであらうか。
夢、醉、幻、これが吾等の生命である。吾々は絕えず、戀を思ひ、成功を夢みて居ながら、然し、それ等の實現される事を望んで居るのではない。唯だ實現されるらしく見える
ボードレールは云ふ。―――醉ふ、これが唯一の問題である。人の肩を
* * * *
四邊は早や夜である。森は暗く空は暗く水は暗い。自分は猶もベンチを去らず木間に輝く電燈の火影に頻と飛び散る木の葉の影を眺めて居た。
(明治卅九年十月)
ブロードウヱーの四十二丁目と云へば、高く塔の如くに聳ゆるタイムス新聞社の建物を中心にして、大小の劇場、ホテル、料理屋、倶樂部から、
ニユーヨーク座と云つて何時も木戶口に肉襦袢などきた艶しい
卽ちブロードウヱーから高架鐵道の走つて居る
此の橫町、日中は殆ど人通りが絕えて居るが、夕暮頃からは長いレースの裾から踵の高い靴を見せ、陸に上つた
立ち續く此の貸長屋の中には面白い處があるんだと、倶樂部あたりの若いものは皆知つて居る。然し紐育の市中は警察が喧しいとの事で、戶口には人目を惹くやうなものは一ツも出して無い。唯何番地と戶口に掲げてある番號で云ひ傳へ聞き傳へて知るものは知つて居り、知らざるものと見れば大通りに居る辻馬車の馭者が、過分の祝儀を目的に無理にも案内してくれる。
表付は古い貸長屋の事で見る影もないが、這入ると下座敷は天鵞絨の
表の客間の壁一面には幾多の女が裸體にされた儘抱合ひ今にも猛獸の
此の家の
ぶく〳〵肥つて腰の周圍なぞはホテルの廣間に立つ大理石の柱ほども有らうかと思はれる。口の大い、目の小い、四角な顏で、髮の毛は眞白だが、何時も白粉をつけ、一の字形の眉毛に
若い時から男は好きだが、其の爲めに金なぞ使つた事はない。道樂は寶石を買集める事が第一だと自ら吹聽して居る。成程五本の指殘らず指環を穿め、人と話をする時にはキチンと膝の上に其の手を置き、絕えず手巾で寶石を
往來に面した二階の一室が、内儀の居間と寢部屋を兼ねた處で、天井から日本製の日傘と赤い
室の中央には何時も「ジヤアナル」に「紐育プレツス」と云ふ繪入の新聞を載せた小さいテーブル、其の上に立派な鸚鵡の籠が置いてある。中なる鸚鵡はこの家に住む事旣に十年、此の社會でのみ使用される下賤な言語をすつかり聞き覺え、朝から晚まで
内儀は午後の一時過に漸く目を覺ますと、第一に此のトムを抱き上げて接吻し、鸚鵡の鳴き立てるのを叱りながら、
内儀の右側に坐る第一がイリスと云ひ第二がブランチ、第三番目がルイズ左側にはヘーゼルとジヨゼフイン。
此の五人各それ相當の經歷と性格とを持つて居るのである。
第一のイリスと云ふのはアイルランド人の血統で南部ケンタツキー州の生れとやら。年は二十三四。圓顏で、この人種特徵の頤は短く、瞳子の碧い目は小く、髮は光澤のある金色である。撫肩の何處か弱々しい姿をして居るが、腰から足の形の美しい事は自分ながらも大の自慢で、其の證據には二度程美術家のモデルになつた事があると云つて居る。家は地方で相當の
これに反して隣に坐つて居るブランチと云ふのは親も兄弟もなく、紐育の往來端で犬と一緖に育つた生付いてのお轉婆者。もう三十になると云ふが極めて小柄な處から、其の瘦せた血色の惡い顏に厚化粧をして、入毛澤山の前髮に赤いリボンでも付けると、夜目には十六七の娘に化けてまんまと男を欺す。大の酒喰ひで而も手癖が惡く、お客の枕金を
さて三番目のルイズと云ふのは頭髮も眼も黑い
左側のヘイゼル。此れは英領カナダ生れの頑丈な大女で、鞠を入れた樣な其の胸から、逞しい二の腕や肩の樣子如何にも油ぎつて、傍近く寄ると肌の臭と身中の熱氣を感ずるかと思はれる。身體の割合に恐しく小い圓顏の口に締りもなく眼も銳からず、昔は牧場で牛の乳でも搾つて居た田舎者とも思はれて一同
最後のジヨゼフイン。これは姿も
この五人、每日いづれか一度、物爭ひをせぬ事はない。が、暴風の過ぎるやうに、一時間も經つと何も彼も忘れて了つて又友逹になり、一緖に口を合して更に又他のものゝ陰口に日を送つて居る。
晚食はいつも極つたロースビーフか然らずばロースポークと馬鈴薯。クラムベリー、ソースにセレリー。其れが濟んでデザートに一片のパイかプツデングに紅茶の一杯。めい〳〵は部屋に戾つて長々とお化粧に取り掛つて夜の十時、内儀が家中の呼鈴を鳴らすと此れを合圖に一同は下の客間に下りて、來るべき客を待つ。流石商業國の女だけあつて此れから一夜を皆々
で、この刻限になると、家中五人の外に内儀と特約して每夜外から出張して來る女も四五人はあつて、つまり十人以上の人數が或者は白いウヱーストに襟飾した素人風、或者は夥しいレースの飾をつけた夜會服の裾長く、貴族の舞蹈會もよろしくと云ふ樣で、手に扇さへ持ち、各客間の彼方此方に陣取るのである。
十一時が過ぎて、近所の
マリーと呼ぶ黑奴の下女が戶を開ける。半白の番頭らしい肥つた男と後には地方の商人らしい三人。金になる客と見て内儀自ら出迎へ表の客間へ通した。
番頭らしい男はいゝ年をして此れも友逹の義理だと云はぬばかり、いやに沈着きながら椅子に坐る前、一座の女供を見渡したが、早くも藝人上りの若いジヨゼフインの姿を見るや、こいつ堀出物と忽ち耻を忘れ、自ら進寄つて同じ長椅子に坐り、「どうだ、一ツ三鞭酒と行かうか。」と膝の上に女の手を引寄せる。
他の地方出の三人は客間へ這入るが否や、正面に掛けた基督敎徒迫害の大裸體畫―――意外な處に意外な宗敎畫を見出して膽を潰したらしく、一同並んで椅子に付きながら、美術館でも見物する樣子で少時は畫面を見詰めたまゝ默つて居る。その席に居た女は勿論、次の客間からも二人三人境の
「さあ緣起に一杯………。」と白髮の番頭が第一に杯を上げ、一口飮んだコツプを其の儘ジヨゼフインの唇に押付けてグツと飮干させた。
内儀は
二人は其の儘離れた片隅の椅子に着いたが、ブランチはお客と見るや、他の朋輩には遠慮もなく、猶も鼻歌を歌ひながら一人の客の傍に進み寄り、
「御免なさい。」と目に情を含ませ指先に挿んだ卷煙草を一服して靜に男の顏に吹き付ける。
此の樣子に男は今がた一杯シヤンパンを引掛けた後の漸く元氣づいた處なので、片手に女の啣へた卷煙草を取つて一服し、同時に片手では其の膝から滑り落ちぬやうにと女の腰をば引抱へた。
此れを見て他の一人も今は躊躇せず、一番柔順しい女と見立てゝ金髮のイリスの方へ、まだ醉ひもせぬのに肩を寄せ掛ける。殘りの一人は誰れ彼れの選好みはせぬ貪欲ものと見え、右から左り左りから右と、一座の女の顏は見ずに、衣服の上からも推測される胸の形や夜會服の白い肩のあたりのみを打目戍つて、獨り賤しい空想に耽ける樣子。
此に於て一座の形勢已に定つたと見て、第一に席を去つたのは加奈陀生れの大女ヘーゼル、其の他のもの此れにつゞいて一人二人と幕越しなる次の客間へと引き退つたが、椅子に坐るとヘーゼルはさも憎く〳〵しく舌打して、「呆れて了ふぢや無いか、あの手長のブランチたら………後から遣つて來やがつて馴染でもないお客の膝に馬乗になつてデレ付くなんて、私ア
「何しろ、
此樣な風で每夜お客の取り遣りから起る悶着が其の翌日迄も引續いて陰口の種となり、遂に噂された當人が聞込んで默つて居られず、口喧嘩に花を咲すが例である。
然し今の處は幸にも隣の噂は醉つた男の太い笑聲に打消されて聞えぬ最中。ブランチは男の膝の上に馬乗りになり絹の靴足袋をした兩足をブラ〳〵させ、兩手に男の肩を捕へて
「もう二階に行きませう。」と短兵急に早く埒を明けて了はうと迫つた。
「時は金」の格言を身の
内儀は今二度目のシヤンパンを注いで廻つた後、座をつなぐ爲めにと自ら洋琴を彈き初め、
「ジヨゼフイン。一ツ何かお歌ひな。」と先刻から長椅子の上で半白の番頭を相手にして居た伊太利種のジヨゼフインを顧ると、
I like your way and the things you say,
I like the dimples you show when you smile,
I like your manner and I like your style,
............I like your way!
と聲一杯に歌ふと其れにつゞいて番頭も調子を合した。
ブランチは此の樣に稍焦れ込み、「私、もう醉つて苦しいわ。」と三十以上の婆の癖に鼻聲を作り、男の胸の上にピツタリ顏を押當てて大く息を付けば、金髮のイリスも此れに
「二階へ行つてゆつくり話しませう、ね、ね。」と男の指を握つて引張る。
番頭この樣を見て、「いや其方の方ぢや、もう
内儀得たりと洋琴から飛離れ、「マリー、早く。シヤンパンの御用だよ。」
流石のブランチも今は絕望して運を天に任すと云ふ風で、「大變な御元氣ですね。」と力なく云へば番頭一人で悅に入り葉卷の烟を濃く吹いて、
「酒に女にお金がありやア何時でも此の通り………ジヨゼフイン、最う一遍先刻の歌を聞して吳んな。」
I like your eyes, you are just my size,
I'd like you to like me as much as you like,
I like your way!
折柄又もや戶口のベルが鳴る。丁度最後のシヤンパンを持ち出したマリー、
どや〳〵お客が次の客間へと這入る氣勢。つゞいて其の場に居た大女のヘイゼル、佛蘭西から來たルイズが可笑しな發音の英語………やがて皺枯れた男の聲で、「シヤンパンなんぞ拔く金は無えや。」と怒鳴るのが聞えた。
入れ替り立ち替り人の出入絕間なく、夜も旣に三時過ぎになつて一しきり客足が止つた。
女供一同流石每夜を明し馴れた眼も稍疲れ、知らず〳〵醉ふシヤンパンや麥酒やハイボールの
イリス、ヘーゼル、ルイズ、フロラ、皆々長椅子へ並んで坐り
突然、呼鈴が家中の疲れを呼覺した。
元氣を付ける爲めか、マリーを待たずして、内儀自ら戶口に出ると
大女のヘイゼル最初に立上り次の間に進入る前に女供の癖として物になりさうな客か否かと境の幕から盗見したが忽ち怪訝な顏をして後を振り返り、「シツ」と一同を制した。
「一件かい。」と一同は直に了解した樣子で顏を見合せる中進出でたのはブランチ、同じく幕の間から見透して、
「うむ、さうだよ。」と最う拔足して一同の傍に立戾り、「探偵だよ。
此の一言に流石は泥水を吸ふ女供、紐育の警察が月に一度は必ず酒類の脫稅販賣と夜業の現行犯を取押へる爲めに客に仕立てゝ探偵を入込す、このお灸には何れも一度や二度の經驗のないものはないので皆騷がず慌忙ず拔足差足、
内儀は二度まで一同を呼んだが誰も出て來ぬので此の社會は萬事悟が早く、さうかと腹で頷付きシヤンパンをと男が命ずるのを利用して、自ら大罎を取つて波々と注いだ後、「旦那、いけませんよ。御冗談なすつちや………。」と云ひながら靴足袋の間から二十弗紙幣二枚ばかりも掴出して、其の儘男のポケツトに揉込み、「罪ですよ。」と笑ふ。
此に於て探偵二人我意を得たと云ふ樣子で、「はゝゝゝは。此れも勤めぢや、其れぢや又近い中に………。」と立上つた。
「どうぞ、よろしく。」
妙な挨拶。内儀は漸く送出して戶をばつたり。其の儘客間の長椅子に酒樽を轉した樣にどしりと重い身體を落し、「あゝ、畜生奴ツ。」と大聲に怒鳴つた。
其れなり暫くの間家中は寂となつて物音を絕したが、軈てチリンチリンと頸に付けた鈴を鳴しながら飼犬のトム、幕の間から顏を出し心配さうに内儀の顏を打目戍る。續いて食堂から上つて來たブランチ、同じく客間を一寸差覗き、「内儀さん………。」と一聲。
然し内儀は最う落膽して返事をする勇氣もないらしい。
「内儀さん、それでも今夜はよく柔順しく歸つたねえ。」
「さうともね、」と内儀は稍腹立しく、「二十弗紙幣三四枚も掴ましたんだもの………。」
「二十弗三四枚………。」と敏捷いブランチ、必ず掛價を云つて居ると見て、態とらしく、「お氣の毒でしたね。」
この時どや〳〵と裏庭へ逃出した連中が、「おゝ寒い、
「内儀さんは二十弗紙幣七八枚も掴したんだとさ。」
「まア………。」と皆々内儀の顏を見た。
内儀は女供が同情と驚嘆の聲に一層いま〳〵しくなつたと見え、忽然椅子に凭れた半身をキツと起し、一同を見渡して、
「何も其樣に驚く事はないよ、五十年此方叩上て來た腕だアね。鳥渡一目見れア、此奴は五弗で默つて歸るか、十弗で目を潰るか………其の邊の見つもりはまだ〳〵お前さん逹は修行が肝腎さ。何しろ五十年と云ふ月日だよ。大統領ルーズベルトもマツキンレーもまだ鼻ツ垂しの時分からだ。」
「五十年………。」と誰かゞ繰返すと、他の一人が、
「其の時分にはカーネギーも一文なしの土方でせうね。」と訊く。
「さうだらうよ。私も其の時分には指環一ツ無しで暮したもんだ。」
一同返す語なく口を噤む。内儀は意氣昂然と身を反し、「全くの話さ。五十年前は指環一ツなし………。」と自ら過去の經歷を回想し、人生に打勝つた目下の成功に云ひ知れぬ得意を感じたらしく、しづ〳〵椅子から立上り女供を尻目に睨んで二階に上つて行つた。
で、その裾の音が聞えなくなるかならぬ中に、最う堪へ兼て、長椅子の上に轉つて笑ひ出したのは無邪氣のジヨゼフイン。
「大統領ルーズベルトも未だ鼻垂しの時分から………。」とブランチが口眞似をすると、ヘイゼルが、
「五十年前は指環一ツなし………。」
「ほゝゝほゝゝゝほ。」と一同は吹出して笑つた。
何處かの室で時計が鳴つた。車掌の女房フロラは聞澄して、「もう四時だ、今夜は緣起でもない。私やそろ〳〵歸らうよ。」と此れも外から稼ぎに來るジユリヤと云ふのを顧みた。
「さうだね。ぢやア行かう。」
二人は三階へ上り夜の裝束を脫捨てゝ
「四時過ましたから歸りますよ、又明晚、さよなら。」
ばた〳〵駈下りて廊下の外から一同に、さよ――なら、と長く聲を曳いて往來へ出ると、出合頭に佛蘭西から一緖に手を引合つて稼ぎに來たルイズの情夫、自動車の運轉手をして居る奴が、
「今晚は。」と歐洲風の妙な手振で鳥打帽を取り、「ルイズは………。」と訊く。
「客間に居るよ。お樂みだね。」
夜明の五時近くからが情夫どもの繰込む時刻である。色男は其の儘石段を上つて戶口のベルを押した。
「おゝ寒い。」と態とらしく身を顫してフロラとジユリヤは六番通の方へと行き掛ける。もう十二月の半とて市中を馳る電車の響は岸打つ波の如くに消えつ起りつ絕間なく聞えながら、何處やら深い寂しさの身に浸みわたり、角の芝居小屋の間からひろ〴〵と見えるブロードウヱーの大通は
二人は云合した樣に身を摺寄せ、四五間も行掛けると例のコーラスガール抔が泊込むホテルの前、二三輛客待をして居る辻馬車の影から、
「今夜は大分早いぢや無えか。」と大きなパイプを啣へた一人の男が立現れた。ジユリヤは四邊の火影に見透して、
「おや、掛け違つて、久振だねえ。」
電車の車掌をして居るフロラの亭主である。每夜四時の交代に近所の停留場から制帽制服の儘何時でも此の邊で女房の歸りを待受けて居るのだ。フロラは輕く接吻して、「
「さうか。でも可成出來た方か。」と恥を知らぬ亭主。女房も平然としたもので、
「さうだね。大した事もなかつたが、それでも皆なそれ〴〵忙しかつたよ、ねえ。」とジユリヤの方を見返ると、
「うむ。」と頷付き、「一番上手なのは矢張ブランチだね、私にや、然しあゝは行かないよ。」
「フロラ、お前も少し見習ふが可いぢやないか。」
「何だつて。よけいなお世話だ。」
「深切に云つて遣るんぢやねえか。」
「いゝよ。」とフロラは手にした
「はゝゝゝは。怒るない。」
六番通へ出て表戶の火は消して居るが内は夜通明いて居る酒場の前まで來た。ジユリヤの亭主は此の酒場の給仕人である。車掌夫婦は、「それぢや、あばよ。」と行掛けるのをジユリヤは呼止めて、「其樣に
「ちげエねえ。」
ジユリヤが先に立つて車掌夫婦共々 Familiy Entrance と書いた目立たぬ裏手の戶を押して内へ這入つた。
冬の夜の明けるには猶間があらう。人通りの絕えた六番通の彼方から醉つて居るのか、或は寒氣をまぎらす爲めか、中音に歌つて來る男の聲………
......I wish that I were with you, dear, to-night;
For I'm lonesome and unhappy here without you,
you can tell, dear, by the letter that I write.
突然、遠くから街を震動しつゝ襲來る高架鐵道の響。犬が何處かで吠出した。
(明治四十年四月)
何うかすると、私は單に晴渡つた靑空の色を見た丈けでも自分ながら可笑しい程無量の幸福を感ずる事があるが、その反動としては何の理由何の原因もないのに、
たとへば薄寒い雨の夕暮なぞ、ふと壁越に聞える人の話聲、猫の鳴く聲なぞが耳につくと、もう齒を喰ひ縛つて泣き度いやうな心地になり、
かうなると、最う何も彼も顚倒して了つて、今まで世間も自分も美しいと信じて居たものが全く無意義に見えるばかりか厭はしく憎くなり、醜と云ひ惡と云はるゝものが、花や詩よりも更に美しく且つ神祕らしく思はれて來る。凡ての罪業惡行が一切の美德よりも偉大に有力に見え、眞心から其れをば讃美したくなる。
丁度世間の人が劇場や音樂會へでも行くやうに、私は夜が來ると云へば其の夜も星なく月なき眞の闇夜を
されば紐育中の貧民窟と云ふ貧民窟、
私はいつも地下鐵道に乗つて、ブルツクリン
街は彼方に高架鐵道の線路の見える表通りから這入つて、家續きに
夜になつて、橫町の端れから支那芝居の
然し要するに、此れはチヤイナタウンの表面に過ぎぬ。一度料理屋なり商店なり、其れ等の建物の間を潜つて裏へ拔けると、何れも石を敷いた狹い
私が夜晚く忍び行く所はこの建物―――其の内部は蜂の巢のやうに分れて居る裏長屋である。
此處へ這入込むには厭でも前なる狹い空地を通過ぎねばならぬ。空地の敷石の上には四方の窓から投捨てた紙屑や
で、折に觸れた一瞬間の光景が、往々にして、一生忘れまいと思ふほど、强い印象を與へる事がある。………確か晴れた冬の夜の事、私は例の如く帽子を
又、或時は夏の夜、一日太陽に照された四方の壁は、容易に熱氣を冷さぬのみか、吹く風を遮つて、この空地の中は油の鍋も同樣である。流れ溢るゝ汚水からは生暖かい臭氣が眼にも見える烟のやうに、人の
空地を行盡すと扉のない戶口がある。這入れば直樣狹い階段で、折々
見れば、ペンキ塗の戶口には、「李」だとか、「羅」だとか云ふ苗字やら、其の他緣起を祝ふ種々な漢字を筆太に書いた朱唐紙がベタベタ張付けてあり、中では猿の叫ぶやうな支那語が聞える。が、然らざる戶口には、蝶結びにしたリボンなぞを目標にして、べつたり白粉を塗立てた
この女供は米國の社會一般が劣等な人種とよりは、寧ろ動物視して居る支那人をば唯一の目的にして―――其の中には或る階級の日本人も含んで―――此の裏長屋の中に集つて來たものである。人間社會は、如何なる處にも成敗上下の差別は免れぬ。一度、身を色慾の海に投捨てゝも、猶ほ其の海には淸きあり濁れるあり、或者は女王の榮華に人を羨ますかと思へば、或者は盡きた手段の果が、かくまでに
彼等は、何れも其身相當の夢を見盡して、今は唯だ「女」と云ふ肉塊一ツを、この奈落の底に投げ込み、最う悲しいも嬉しいも忘れて了つた、慾も德もなくなつて了つた。其の證據には戶口へ佇む男を呼び止めても、いきなりに最後の返事を迫め問ふばかりで、世間普通の
實際、彼等は、譯もないのに唯だもう腹が立つて立つて堪へられぬのらしい。喧嘩をしたくも相手のない時には、幾杯となく傾ける强い
あゝ毒烟の天國――ある佛蘭西の詩人は PARADIS ARTIFICIELS (人工の樂土)と云つた――この夢現の
裏長屋の中には、此れ等、惡の女王、罪の妃、腐敗の姬のその外に、明い日の照る處には生息し得ず、罪と惡の日蔽の下に、漸と其の安息地を見出して居るものは、猶二三に止まらぬ。
女供を上得意にして、盜品や
吾々はかの女郞の身の上をば、此れが人間の墮ち沈み得られる果の果かと即斷したが、其の又下には下があつた。あゝ最後の破滅、最後の平和に到着するまでに、人は幾度、如何に多く、惡運の手に弄ばれねば成らぬのであらう。
彼等は其の捻曲つた身をばやつと裸體にせぬばかり、襤褸を引纏ひ、腐つた
「いゝよ、さう
鏡に向つて夜の化粧をして居た女は、覺えずアツと叫んで兩手に顏を蔽ひ、其の儘寢床の上に突伏した。乞食
思出すのはボードレールが Ruines! ma famille! ô cerveaux congénères! (殘骸! わが親族! わが腦漿!)と叫んでユーゴーに贈つた LES PETITES VIEILLES (小老婆)の一篇である。
私はチヤイナタウンを愛する。チヤイナタウンは、「惡の花」の詩材の寶庫である。私は所謂人道慈善なるものが、遂には社會の一隅から此の別天地を一掃しはせぬかと云ふ事ばかり心配して居る。
余は都會の夜を愛し
余が箱根の月大磯の波よりも、銀座の夕暮吉原の夜半を愛して避暑の時節にも獨り東京の家に止り居たる事は君の能く知らるゝ處に候。
されば一度ニユーヨークに着して以來到る處燈火ならざるはなき此の新大陸の大都の夜が、如何に余を喜ばし候ふかは今更申上るまでもなき事と存じ候。あゝ紐育は實に驚くべき不夜城に御座候。日本にては到底想像すべからざる程明く眩き電燈の魔界に御座候。
余は日沈みて夜來ると云へば殆ど無意識に家を出で候。街と云はず辻と云はず、劇場、料理屋、停車場、ホテル、舞蹈場、如何なる所にてもよし、かの燦爛たる燈火の光明世界を見ざる時は寂寥に堪へず、悲哀に堪へず、恰も生存より隔離されたるが如き絕望を感じ申候。燈火の色彩は遂に余が生活上の必要物と相成り申候。
余は本能性に加へて又知識的にこの燈火の色彩を愛し候。血の如くに赤く黃金の如くに淸く、時には水晶の如くに蒼きその色その光澤の如何に
余が夢多き靑春の眼には、燈火は地上に於ける人間が一切の慾望、幸福、快樂の象徵なるが如く映じ申候。同時にこれ人間が神の意志に
さればこの光りを得、この光に照されたる世界は魔の世界に候。醜行の婦女もこの光によりて貞操の妻、德行の處女よりも美しく見え、盜賊の面も救世主の如く悲莊に、放蕩兒の姿も王侯の如くに氣高く相成り候。神の榮え靈魂の不滅を歌ひ得ざる墮落の詩人は、この光によりて初めて罪と暗黑の美を見出し候。ボードレールが一句、
Voici le soir charmant, ami du criminel,
Il vient comme un complice, à pas de loup; le ciel
Se ferme lentement comme une grande alcôve,
Et l'homme impatient se change en bête fauve.
「惡徒の友なる
こゝに半夜を費し軈て閉場のワルツに送られて群集と共に外に出るや、冷き風
然り、夜
恐しき「定め」の時にて候。この時この瞬間、宛ら風の如き裾の音高く、化粧の香を夜氣に放ち、忽如として街頭の火影に立現るゝ女は、これ夜の魂、罪過と醜惡との化身に候。少女マルグリツトの家の戶口に
されば男は此處にその呼び
余は劇場を出でゝより更け渡りたるブロードウヱーを步み〳〵て、かのマヂソン廣小路に石柱の如く
余は何者か、余に近く步み寄る跫音、續いて何事か囁く聲を聞き候ふが、
見廻せば、兩側に立續く長屋は塵に
余は覺えず身を顫はし申候。而も取られし手を振拂ひて、逃去る決斷もなく、否、寧ろ進んで闇の中に陷りたき熱望に驅られ候。
不思議なるは惡に對する趣味にて候。何故に禁じられたる果實は味
余は導かるゝ儘に闇の戶口に入り、闇の梯子段を上り行き候。梯子段には敷物なければ、恰も氷を踏碎くが如き物音、人氣なき家中に響き、何處より湧き出るとも知れぬ冷き濕氣、死人の髮の如くに、余が襟元を撫で申候。
二階三階、遂に五階目かとも覺しき處まで上り行き候ふ時、女は
濃き闇は此處をも立罩め候ふが、女の點ずる瓦斯の灯に、祕密の雲破れて、余の目の前には忽如として破れたる長椅子、古びし寢臺、曇りし姿見、水溜れる手洗鉢なぞ、種々の家具雜然たる一室の樣、魔術の如くに現れ候。室は屋根裏と覺しく、天井低くして壁は黑ずみたれど、彼方此方に脫捨てたる汚れし寢衣、股引、古足袋なぞに、思ひしよりは居心好き家と見え候。されど、そは諸君が寢藁打亂れたる犬小屋、若しくは糞にまみれし鳥の巢を覗見たる時感じ給ふ心地好さに御座候。
眺め廻す中に、女は早や帽子を脫り、上衣を脫ぎ、白く短き
余は深く腕を組みて、考古學者が砂漠に立つ
見よ。彼女が靴足袋したる兩足をば膝の上までも現し、其の片足を片膝の上に組み載せ、下衣の胸ひろく、乳を見せたる半身を後に反し、あらはなる腕を上げて兩手に後頭部を支へ、顏を仰向けて煙を天井に吹く樣。これ神を恐れず、人を恐れず、諸有る世の美德を罵り盡せし、慘酷なる、
Quand vers toi mes désires partent en caravan,
Tes yeux sont la citerne où boivent mes ennuis.
「わが慾情、
Ces yeux, où rien ne se révèle
De doux ni d'amer.
Sant deux bijoux froids où se mêle
L'or avec le fer.
「嬉し悲しの色さへ見せぬ汝が眼は、鐵と黃金を
余は已に小春の可憐、椿姬マルグリツトの幽愁のみには滿足致し得ず候。彼等は餘りに弱し。彼等は習慣と道德の雨に散りたる一片の花にして、刑罰と懲戒の暴風に
あゝ惡の女王よ。余は其の冷き血、暗き酒倉の底に酒の滴るが如く鳴りひゞく胸の上に、わが惱める額を押當る時、戀人の愛にはあらで、姉妹の親み、慈母の庇護を感じ申候。
放蕩と死とは連る鎖に候。何時も變りなき余が愚をお笑ひ下され度く候。余は昨夜一夜をこの娼婦と共に、「
(明治四十年四月)
七月の空に怪しき雲の峯かとばかり聳立つ紐育の高い建物、虹よりも大きく天空に橫はるブルツクリンの大橋、水の眞中に直立する自由の女神像―――此の年月見馴れ見馴れた一灣の光景は次第〳〵に空と波との間に隱れて行く………と、船はやがて綠深いスタトン、アイランドの岸に添ひサンデーフツクの瀨戶口から今や
亞米利加の山も水もいよ〳〵此の瞬間が一生の見納めではあるまいか。一度去つては又いつの日いづれの時、再遊の機會に接し得やう。
自分は甲板の
名殘、未練、執着――嗚呼こんな無慙な堪難い
* * * *
思返すと日本を去つたのは四年前。亞米利加は今わが第二の故郷となつた。忘れられぬ事、懷しい事の數ある中にも、殊更忘れ兼ねるのは昨夜別れた
此年の夏の初め果樹園に林檎の花の散盡した頃であつた。自分は此の四年間米國社會の見たい處調べたい處も、先づ大槪は見步いたので、此の秋の末頃には國許から歐洲渡航の旅費の屆くまで、紐育市中の暑さを避ける爲め灣口に橫はるスタトン、アイランドの濱邊に引移つたのであつた。
スタトン、アイランドと云へば一夏を紐育に滯在して居た人は誰も知つて居やう。サウスビーチだのミツドランドビーチだのと其處彼處に海邊の見世物場涼み場
屋形船のやうな楕圓形の平い大きな渡船で海を橫ぎり、彼方の岸に逹すると直ぐ汽車で三十分ばかりの
飽ずにかう云ふ景色を見送りながら、小い木造の停車場四五箇所も通り過すと、やがて自分の下るべき村の停車場に到着する。板敷のプラツトフオームに降りると直ぐ、往來の兩側には、向合せに獨逸人の居酒屋が二軒、其の前には何時も濱邊の宿屋から案内の乗合馬車が出張して居る。で、この近所は人家も稍建て込んで居て、荒物屋、八百屋、肉屋、靴屋なぞ、村中の日用品を賣捌く小店も見え、赤子や子供の叫ぶ聲、女房逹の罵る聲も聞えるが、此處から一本道を右なり左へなりと、繁つた楓の並木の下を二三町も行くと、兩側ともに曾て斧を入れた事もないらしい雜木林や、野の花の美しく、靑草の茫々と生茂つた岡があつて、其の蔭にちらばらと汚れた板葺の屋根が見えるばかり。四邊一面絕え間もなく囀る小鳥の歌につれて、折々犬の吠る聲鷄の鳴く聲が遠く遠くの方へと反響する。
自分が下宿した家と云ふのは更でも靜な此の本道から、凸凹した小山を超えて遂には遙か彼方の海邊へと通じて居る曲りくねつた小路のほとりに立つてゐる緣側附の二階家である。
主人は五十ばかりの頭髮の赤い小男で、この島の鐵道會社に彼れ此れ二十年近くも雇はれ、每朝汽車で本局の事務所へ通つて居る。亞米利加人としては割合に口數をきかぬ靜かな男であつたが、自分が或人の周旋で下宿する約束を濟し、初めて市中から引越して來た時には、まるで十年會はなかつた親類を迎へるやうな調子で、
自分は裏手の檞の森に面した二階の一室を借り、午前の中だけはこの年月シカゴや、ワシントン、セントルイスなど、米國の彼方此方を通過ぎた折々、取集めた儘にしてあつた
家族と共に晚餐を濟すと丁度七時半頃である。自分は杖を片手に何時も家の前の灌木と雜草の間を通ずる小徑を辿り、小高い岡を超えて海邊の方へと下りて行く。と、波打際一帶は
浮洲の陰には日頃内海の隱な上にも潮の流の猶急ならぬを幸ひ、近村の釣船や小形のヤツトや
最早や島中の他の勝地妙景を探り步く望みも餘裕もなくなつた。自分は每日同じ處に佇んで同じ入江と浮洲ばかりを飽ずに打眺めるのであつたが、やがて四邊は次第に暗くなつて最後に殘る彼の眞白な
あゝ六月の夏の夜。何たる空想夢現の世界であらう。日增しの暑さに四邊は
この島に引移つてから丁度一週間目の夜の事である。自分は例の如く黃昏の浮洲を眺め飽した後、家の方へ歸行くとも心付かず、足の導くがまゝに元と來た草徑を辿つて岡の麓まで來た。
多分氣候の所爲であつたらう。螢の火は常よりも蒼く輝き、星の光もまた明に、野草の
自分はハツとばかり耳を澄したが、するとピアノの
自分は群れ集る蚊をも忘れて久しい間草の上に佇んだ末は、遂に腰まで下してぢツと岡の上なる家の方を眺めて居た。
歌はもういくら待つて居ても、二度聞える望はない。木蔭を洩れる窓の灯が不意と消えた、かと見れば、二聲ばかり犬の吠る聲、つづいて垣根の小門をばカタリと開る音がした。
自分は初めて空想から覺め早足に岡を越えて、曲りくねつた草徑をわが家の方へと辿つて行つたが、すると突然四五間先に動いて行く眞白な物の影を見た、………小作な女の後姿である。夏の夜の空の明り星の輝き螢の火に自分はその女が蚊を追ふために折々日本製の
女の姿は一度草徑の曲る處で、其の背丈よりも高い雜草の中に隱れたが、同時に何か口の中で歌ふ歌が聞えて、遂に其の行き盡した處は意外にも自分の泊つて居る家の前であつた。
自分は驚いて四五間此方に立止る。其れとも知らぬ女は家の外から若い甲高な聲で、ホ、ホ―――と冗談らしく呼び掛けると、何事にも禮式のない無造作な處が米國生活の特徴で、内からは女房が大聲で―――
この女こそ彼の歌の主、この女こそ自分が今忘れやうとしても忘れられぬロザリンである。
然し初めて宿の妻から紹介された時には、自分は夢にも此樣ことにならうとは思つて居なかつた―――いや單に懇意な友逹になり得やうとも思はなかつた位である。何故なれば自分は此の年月の經驗で、米國の婦人とは如何しても自分の趣味に適するやうな談話をする事が出來ない。彼女等は極端な藝術論や激しい人生問題の話相手とするには餘に快活で餘に思想が健全過るので自分は折々新しい場所で新しい婦人に紹介されても、其後は單に語學の練習と人情觀察の目的以外には、決して純粹の座談笑語の愉快は期待しない事にして居るのであつた。
さればその夜、初對面のロザリンに對しても例によつて例の如く、若い婦人に對する若い男の禮儀として、嫌ひなオートモビルの話でも、又は
自分は白狀するが實際西洋の女が好きである。自分は西洋の女と、英語であれ、フランス語であれ、西洋の言語で、西洋の空の下、西洋の水のほとりに、
宿の妻は餘に話が高尚なのと又一ツには此の國の習慣として、若いもの同士の談話が興に入ると見れば、母親でも敎師でも成りたけ其の興味の妨げをせぬやうにと、座をはづすが常とて、何かの物音を幸ひに裏手の鷄小屋の方へと出て行つた。
話はいつか日本の婦人の生活流行結婚の事などに移つて居たので、自分は極く無頓着に、ロザリン孃は米國婦人の例として矢張獨身論者ではあるまいかと質問して見た。
すると彼の女は「一般」と云ふ平凡な例の中に數入れられたのを、非常に憤慨したらしい樣子で、一寸、ドラマチツクな手振をなし、「私は決して獨身主義ではない、けれども屹度獨身で了らなければならないと思つて居る。それも決して消極的の結果ではないから絕望した悲慘な憂鬱なフランスの
云切つたその言葉には英語に特有の强い調子が含まれて居ると共に、成程動しがたい英人の決斷が宿つて居るらしく聞えたが、然し自分にはロザリンの弱々しい小作りの姿を見ると、其の語調の强烈なるだけ深く何とも知れぬ一味の悲哀を感ずるのであつた。夏とは云ひながら餘りに美しく靜な夜の所爲であつたかも知れぬ。
自分は軈て彼女に問返されるまゝ、此度は自分の主義を述べる事になつた。然しそれは主義主張意見なぞ云ふよりは全で夢か
自分は結婚を非常に厭み恐れると答へた。此れは凡ての現實に絕望して居るからである。現實は自分の大敵である。自分は戀を欲するが、其の戀の成就するよりは寧ろ失敗せん事を願つて居る。戀は成ると共に烟の如く消えて了ふものである。されば得がたい戀失へる戀によつて、自分は一生涯をばまことの戀の夢に明してしまひたい―――此れが自分の望みである。ロザリン孃よ。レオナルド、ダ、ヴインチとジオコンダの物語を御存じかと自分は尋ねた。
宿の妻が裏の井戸から冷い水をコツプに入れて再び座に戾つたので、自分もロザリンも云合したやうに話を他に轉じたが、間もなく機會を見てロザリンは時間を訊きながら椅子から立つた。夜は早や十一時を過ぎたと云ふ事である。
然し宿の
劇場の舞臺ならぬ現實の生活に此のやうな美しい
唯さへ靜な島の夜は小夜ふけて餘りに靜な爲めか。或は
ロザリンも默つて何れかと云へば早足に步みながら次第に坂道を上つて行つた。やがて高く生茂る草の上に彼の女が家の屋根が見えるあたりまで來ると二人の前には忽ち大空が一際廣く打廣がり、眞暗な海上瀨戶内の彼方此方には燈臺の火が幾個となく數へられ、又遠く大西洋の出口サンデーフツクの方に當つては終夜危險なる内海一帶の航路を照すサーチライトが望まれた。自分の後と直ぐ目の下には村の夏木立が眞黑に橫はつて居る。
自分は覺えず立止ると彼の女は夢に物云ふ如く――Beautiful night, isn't it? I love to watch the lights on the sea. と云つたが、自分の耳にはこの語が非常に快い韻を踏んだ詩のやうに聞きなされた。
何と答へやう。自分は唯頷付いたなり
成程、細くて高い笛のやうな優しい聲が一度途切れて又續いた。
自分はこの度は躊躇はず――ロメオが忍會ふ夜に聞いた「夜の鶯」であらう。Nightingale と云ふやうな夜に歌ふ小鳥は亞米利加には居ないと聞いて居たが現在あの優しい
實際、この國に育つたロザリンもさだかには鳥の名を知らなかつたのだ。二人は別に異論もなく、「ロメオの聽いた鳥」と云ふ事にしてしまひ、さて改めてもう一聲なり二聲なり、其の鳴く聲を聽かうとしたが、早や何處へやら飛び去つてしまつたらしい。
自分は小山の頂から
自分は次の日、目を覺ますと前夜の事がどうしても夢であるやうな氣がしてならなかつた。現實にあつた事としては餘りに詩的である。餘りに美し過ぎる。同時に自分の生涯にはもう二度とあのやうな美しい事は起るまいと妙に
午飯の時に宿の妻が問ひもせぬのに、いろ〳〵とロザリンの事を話してくれた。父親は元英吉利の商人で一度家族をつれて亞米利加へ來た後、ロザリンをば宗敎學校の寄宿舎に預けて更に南亞弗利加のケープタウンへ赴き、其の地でかなりの財產を作つて七八年前に歸つて來た。そして今の處に別莊を構へて隱居して了つたので、ロザリンは全く親の手を放れて育つたも同樣、その爲か極く氣の勝つた淋しい性質らしく、今日まで此れと云つて親しい友逹も作らず、又何につけ物事をば兩親はじめ誰にも相談なぞする事はなく、何時も〳〵己れ獨りきりで決斷分別をつけ、然も別に淋しい顏付悲しい樣子なぞ見せた事もないと云ふ事である。
食事を濟すと、自分は例の通り櫻の木蔭に赴き讀み掛けたマラルメの散文詩を開いたが、すると其の興味に引入れられるまゝ、次第に昨夜の事も、世の中の事も、自分の身の上も、皆も忘れてしまつて、芝生の上に橫はる木の影道の上に落る
自分は逢ひたいやうな又逢ひたくないやうな、極めて朦朧とした考で、いつもの草徑を步んで行つたが、まだ小山の頂まで逹せぬ中烟のやうに暮れかゝる野草の蔭から、―――Hallow! here I am!―――と云ふ
で、其の夜も晚くまで話をして、昨夜の如く夜道をば提灯を片手に、再び名の知れぬ夜の鳥の囀る聲を聞き、彼女が家の垣根際まで見送つて行つたが、また其の次の日の午前には
何しろ、狹い村の事、道は多からず、散步する時間も大抵はきまつて居るので、その後は殆ど每日のやうに、自分は一日の中、何處かで一度、顏を見ぬ事はないやうになつたのである。その結果として或日二日ばかり雨が降通して何處へも出られず、從つてロザリンの姿を見る事の出來ない場合に遭遇したが、すると、自分は寂しくて寂しくて、燈下に唯一人田舎家の屋根を打つ雨の音をば聞澄して居るには忍びないやうな心地になつた。―――尤もこれは紐育に居た三年間、靜な雨の音なぞ聞いた事が無かつた所爲でもあらうが―――遂に自分は每晚夜寢る時には、窓から空の星を仰ぎ見て、どうか明日も散步に出られるやうな好い天氣になるやうにと、心ひそかに念ずるのであつた。
今となつては却て此の月の光が恨である。月の光さへなくば、夜の鳥、蟲の聲、草の薰、木の葉の
自分はこの島の靑葉が黃く、また紅くなりをはらぬ中、いづれアメリカを去らねばなるまいと云ふ事は、前から已にロザリンには打明けて居た。又、或時には自分は此四年が間アメリカの生活をした紀念に、せめては長く手紙のやりとりをするやうなブロンドの友逹が欲いものだ………と云へば、ロザリンも笑つて讀みにくいルーズベルト新式の
然し夏の夜は若いものが唯遊んで暮さうと云ふには、餘りに美し過ぎた。月は糸の樣な其の頃から一夜も
自分はどうしても自分の意思をば弱いものであつたとは云ひたくない。最後まで自分はロザリンを愛する事は出來ぬ、縱へ心の底はどうあつても、それをば若い娘に打明けべきでは無い、と意識して居たからである。
丁度十五夜の滿月をば夜半過ぎまで眺め明し、亞米利加では月の面に人の顏があるとロザリンが云へば、日本では兎が立つて居るのだと答へて、その何れが正しいかと他愛もない議論をした、其の翌日の事、自分は意外にも早く故郷からの音信に接し、秋を待つ間もなくこの二週間以内には是非とも歐羅巴に向はねばならぬ事情に立ち至つた―――其の事情をも自分は殆ど何の躊躇もする事なく鳥渡紐育の市中へでも遊びに行くやうに、極く簡單に無造作に打明けて了つた。
するとロザリンも同じく左程に驚いた樣子もせず、行先はフランスかイタリヤか、何日頃に出發するかなど質問して、宿の夫婦ととも〴〵客間で平日通りに雜談して居たでは無いか。
然し十時を過ぎた後、每夜の如く自分は彼の女を送つて外へ出ると、今宵は卽ち
半時間あまりも、夜露に衣服の重くなるまでも、二人は何の語もなく相抱いたまゝ月中に
二人は遂に常識の人であつたのかも知れない。亞米利加と云ふ周圍の力が知らず識らず
船は早くも大西洋を
遠く離れゝば離れるほど彼の女の面影はあり〳〵と目に浮ぶ。彼の女は稍黑みを帶びた
突然上甲板の方に人の騷ぐ聲が聞える。ル、アーブル港の燈火が見え始めたのだと云ふ。
Allons enfants de la patrie
Le jour de gloire est arrivé
と歌ふ「マルセイヱーズ」が聞え出した。自分は遂にフランスに着したのだ。
然しこの止みがたき心の痛みを如何にしやう。自分は思ひ出すともなくミユツセがモザルトの樂譜に合せて作つた一詩―――
Rappelle-toi, lorsque les destinées
M'auront de toi pour jamais séparé
....................
....................
Songe à mon triste amour, songe à
l'adieu suprême!
....................
Tant que mon cœur battra,
Toujours il te dira:
Rappelle-toi.
「思ひ出よ。もし運命の
心の中に口ずさみながら初めて見るフランスの山に自分は敬意を表する爲めにと、一
Rappelle-toi, quand sous la froide terre
Mon cœur brisé pour toujours dormira;
Rappelle-toi, quand la fleur solitaire
Sur mon tombeau doucement s'ouvrira.
Tu ne me verra plus; mais mon âme immortelle
Reviendra près de toi comme une sœur fidèle.
Ecoute dans la nuit,
Une voix qui gémit:
Rappelle-toi.
「思ひ出でよ。冷き土に
(明治四十年七月)
本テキストは昭和四十二年講談社刊「日本現代文學全集33 永井荷風集」(第七刷)を底本にした。近代デジタルライブラリー所収1908年博文館発行の版と比較して以下の訂正を施した。
原文 橫顏を
訂正 橫顏をば
原文 木枯を搖する風
訂正 枯木を搖する風
原文
訂正
●文字・フォーマットに関する補足
「候」の略体は「候」で表記した。「懶」は「忄+頼」。